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 この神学者の老人は麓の街にずっと詰めていた学者ではなく、リーマに迷宮が現れたためにその遺物や痕跡の調査のために中央から派遣された学者であるらしい。

「なるほど、事情は相分かった」

 この学者は、半生はほとんどラウルと同じで、その情熱もまた同様であった。常に机に向かい、その向学心と好奇心を原動力に知識を持って謎を明かし、それらを新たな知識もしくは技術にして普及させ、人の心と生活を豊かにすることを命題とした老人である。


 老境に入り、若い頃の体力は失ってもその志は錆びることはなかった。であればこそ、老齢ながら山を登って迷宮へ挑むという苦難を進んで引き受けるのだ。こちらも随分頼もしかったが、リアンたちは多少迷惑をした。

 というのも、

「さあ、すぐさま行こう」

 と、この老人が逆にリアンたちを急かしたからであった。


「おいおい、だから言ってるだろう。連れの足が治るまではダメだ」

 ラウルの足は、あの状況だからやむを得ないが初期の処置が出来なかったために多少悪化し、安静措置で多少よくはなったもののその程度である。

 歩行には耐えられる。足を引き摺ることもないのだが、やはり痛みや違和感は拭えず、走れもしない。リアンは大事を取って静養を進め、もう数日を待とうとしたが老人が聞かない。


「そんな大発見が目の前にあるのに、若造のために手をこまねいているのか」

 初めは、理屈だった。

 文字を解読しなければ開かない扉なのだから、おそらくその先が最下層である、と。迷宮を構成するものは攻略されるまで損なわれることはないが、遺物に関してはその限りではない。数日の時間経過のために失われる危険性もなくはない、と。


 しかし老人の本音は先の極言だったろう。顔を赤くした老人にメイが我慢できなくなってなにか言い返そうとした時、ラウルが言った。

「老先輩のおっしゃる通りかもしれません」

 ラウルは、後輩として頷いた。魔法使いと神学者は思想が違うが、同じく学者であることは共通している。目指すものが違っても老熟した者はやはり先輩であろう。


「決して、足手まといにはなりません。お願いします」

 ラウルにこう頭まで下げられると、三人は不承不承ながら頷いた。ラウルの逸る気持ちも判るのだ。

「怪我しても責任は持てんぜ、二人とも」

 がりがり、と頭を掻きながらリアンが言った。ラウルは強く頷いたが、老人は不服そうにそっぽを向いた。


 この老人には長者から金が下りるだけで、成果物の研究解析の独占権は魔法協会に委託されることが既に決まっているし、遺物についてなにか判っても他言無用が約束されている。元より気乗りする条件ではないのだ。

 そこに、その諸悪の根源たる魔法協会の徒が足止めを食わそうとしている。そんな者と一括りにされること自体が、この老人にとっては不服であった。

 出発に際し、メイがラウルに囁いた。


「師匠が言ってた。あいつは誰よりも生き残るのが上手いけど、なにかを背負うと脆くなるって。背負われないくらいには、気をつけておいて」

 どういう意味なのか、それを訊き返す前にメイはもう先に立って行ってしまった。

 とにかく足手まといになるなということだろうと解釈して、一行は迷宮へ向かった。

 一層目を抜ける。二層目へ。二層目に阻んでいた敵は、道中に限り死体になっていた。

「敵は復活しないみたいだな。まあ楽でいい」

 今度は迷うことはない。リアンの記した地図に従って最短で向かう。


「ここは、右か。左に行くとモンスターハウスだったな」

 分かれ道を進み、角を曲がり、少し行ってまた角を。直線を進んで角を曲がるとまた長い直線があることはもう判っている。そこを進み、角を左へ曲がると階段。

 三層目の扉を開けて松明に火を点ける。

 吹き飛ばした粘液状の魔物の残骸は、三日前のまま無惨に散らばっていた。


「こっちだ、学者先生」

 道のり自体は障害もなかったが、高齢のため足弱の神学者のために、ここまで何度か休憩を挟んだ。無論、足を痛めているラウルにとっても休憩はありがたい。が、二人の学者は気が急いているらしい。

 まずは石板へ案内してやった。ここに書かれていることに重要なものが隠れているかもしれないからだ。

「なんて書いてある?」

「プロスフォという猟師が、村を襲った獣を狩り、女神に見初められて祝福を受けて勇者になった。書き出しはその詳細だ。解釈の余地もあるが、これは調べんと判らん」

 じゃあ概要で、と言うと老人は文字を目で追いながら考えた。


「恋人との別れもあったらしいな。名前、は・・・・・・ネル、レイニ、ア、ネルレイニアか。死んだらしいな。理由は、まだ先か。うん?」

 学者はほうほう、と一人で納得しながら解読に熱中している。

 要するに、この英雄譚の概要はこうだ。

 祝福を受けて勇者になった青年は、村が襲われた際に亡くなった恋人を生き返らせるために各地を巡り、乞われるままに地域を脅かす怪物を退治した。

 ドラゴンを退治したのは、交換条件だった。死者を生き返らせる霊薬を持っていた土地の権力者に乞われ、退治したという。が、そこでこの勇者の物語は終わってしまう。何故なら、


「霊薬を渡すことを惜しんだ権力者が、勇者を騙した、とあるな」

「碌なもんじゃない」

 メイが言った。すこぶる同感ではあったが、権力者の多くは吝嗇らしいと先輩同輩に聞いていたから、ラウルはさもあろうと思った。


「んで、騙されて勇者は死にました、ってオチの英雄譚かい?」

「いや、返り討ちにして霊薬を奪ったそうだ」

「そりゃ逞しい。ドラゴン倒して、傷ついて疲れ果ててもさすがに人間に遅れは取らなかったってわけか」

「だがやはり、ここで終わっているな。奪ってからは・・・・・・いや、待て。小さく何か」

彫ってある、老神学者が一歩近寄ろうとした時、ラウルが叫んだ。だけでなく、老人の肩を掴んで引き寄せて体を入れ替えた。


「危ないっ!」

 ラウルにとっては幸か不幸か、足を痛めているためにただ立っているにも少し苦労する。そのため、中腰になって老人の話を聞いていたが、姿勢を低くすると松明の光が当たっていない場所が多いことに気がついた。

(不用心か)

 松明は石板の文字を闇から浮かび上がらせるために使われている。足元が這うような闇を貯めている。

 空気に知覚を飛ばして、一層目と同じように危険を事前に見抜こうとした。そうして見つけた瞬間が、老人が身を乗り出した瞬間だった。


 体を入れ替えた瞬間、踏み出した足が丁度痛めた足だったのが悪かった。一瞬止まった。同時に、足の裏にも痛みが走った。

(刺さった!)

 直感した。石板の下の方に意味深に彫られた言葉に気づき、覗き込もうとするその足位置に、正確には石板に一歩踏み出す位置より先に無数の小さな穴が空いていた。そこから、返しのついた針が伸びたのだ。


 ラウルの足は、捻挫と針によって傷んだ。返しがついている以上、そのまま抜けば肉を抉る。処置が必要だったが、ラウルが足を刺された直後に、その変化は訪れた。

「崩れる!?」

 誰かが思わずそう言った。揺れている。石の擦れ合う音が響き、天井から土埃が降ってくる。がくん、と床が沈んだ。それも、ラウルと石板の、この密室の行き止まりの先端部分だけが下へ沈んでいく。

「ラウル!」

 リアンが腕を伸ばしたが、踏み込む前にメイが止めた。

「腕!」

 もっていかれる、と。沈む速度は速い。まるで土台が濁流に飲まれたように、落ちるように沈んでいく。

 頭上へ遠ざかっていく仲間を見ながら、

(死ぬのか・・・・・・)

 と、全身を冷たい影が覆っていく予感がした。


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