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 暗闇だった。

 これまで当たり前のように壁に掛けられていた松明が燃えていたから忘れていたが、ここは外界と完全に隔離された迷宮なのだ。光の差し込む造りを設けていなければ、石の冷たい質感だけがある暗闇の迷宮だ。

 漆を塗ったような闇が目前に広がっている。


「ほんじゃこいつを失敬しようか」

 リアンが引き返して、二層目の壁の松明を取った。

「一本だけにしとこう。これが燃え尽きそうになったら、シェラ、用意はあるか?」

「三本分だけ。引き返す分も考えればそれを併せても二本が消えたら中止になる」

 そういえば、とラウルは思った。これまで壁に掛けてあった松明は全て消えることなく常に燃えていたが、そんなことは本来あり得ないことだ。

 蠟燭と同じように、永遠に燃えている松明などこの世にはない。これが神の時代の特徴である『結果があって過程がある』ということなのか。訊いてみると、


「まあそうだろう。俺も研究者じゃないから断定は難しいが、今までの経験からすると、こういう備え付けのやつは大抵外せないか、外せると外した途端に効力を失うことが多い。

 多分この松明も、壁から外さない限り燃え尽きないが外したら普通の松明と同じになるってことじゃないかねえ。壁に備え付けられてる限り、壁とか床と同じ扱いなんだろう」

 気になる言いようの続きを訊きたかったが、それは戻ってからでも出来る。

 松明を持ったリアンを先頭にして、三層目に侵入する。

 ここは最有力とされた一組が攻略を諦めた場所だ。自然に緊張感が募った。

 数歩歩いた。


 戦闘を行くリアンの手に掲げられた松明の灯りは、石造りの回廊にあってはひどく心細い。最後尾の足元をぎりぎり照らす程度の光は、少しでも立ち止まれば周囲が暗闇に覆われてしまうほどか細い。

 不思議なものだ。迷宮に灯りが満ちている時は緊張しながらもなんとか歩けていたのに、前方に暗闇が広がっているとそれだけで、一歩を踏む足が萎えそうになる。

 リアンも同様で、光が暗闇を侵食する最先端に居るのだ。闇から光に転じた瞬間、得体の知れない者が飛び出てくるかもしれないから、瞬きさえしていなかった。


「待った!」

 リアンのすぐ後ろの、メイが声を張り上げた。びくっとして、全員が停止する。

「リアン、壁」

 壁を指さし、促しながらメイが位置を入れ替えて先頭になる。光を持つリアンが壁に向かい、闇が後ろを侵食した。その名残でかろうじて、メイが屈んだのが見えた。

 いや、屈むというよりも床に耳をつけているようだったから、腹這いになったのが正解だろう。メイの眼前はもう闇である。かろうじて、壁を照らす松明の光の残りが、這いつくばったメイの脚を照らしている程度に過ぎない。


「なにを・・・・・・」

「メイから聞いた。地を舐めるほど目線を下げれば闇も見えてくると」

「おい、動くな」

 ラウルの疑問にシェラが答えるのと同時に、リアンが全員の挙動を制した。

「メイ、どうだ?」

「もうちょっと行くと曲がり角。立っているのはないね。壁や天井にへばりついてるんなら判らないけど」


 どういう意味なのか、それを訊くよりも早く、リアンが壁を指さしていた。

「なん・・・・・・」

 絶句した。

 水色だった。拳ほどの水色の塊が、壁にへばりついてぷるぷると震えていた。少しずつ移動しているから、生きているのだろう。

 こんなものは、見たことがない。

「俺から離れてろ」

 リアンがナイフを取り出した。壁にへばりついた水色の塊に、その先端を突き立てた。


 カン、と金属が石に当たった音がした。塊を貫いたのに、なんの音もしない。リアンの手と指にだけ、柔らかいものを貫いた手応えがあった。

 しかし、塊は動いている。自らを貫いたナイフに集まるように蠢いている。

 そして数秒後、ナイフの先端が分解された。

「なるほどな。こいつが」

 金属である刃物の途中がボロボロと崩れ、リアンが持ち手を引いた。風化したように接触部から崩れていた。


「溶かして、いるのですか・・・・・・?」

 信じられない、とラウルが呟く。

 ならばこの生き物、おそらく魔物だろう。それは酸を含んでいるのではないか。

「生態や原理は判らんがね。まあ半分液体みたいなやつなんだろう。んで、接触したものを胃酸で溶かすみたいに分解する。たとえそれが金属でも。そんなところだろう」

 これが、攻略を諦めた原因なのだ。


 刃物は有効な攻撃力にならないばかりか、触れた先から劣化してしまう。打倒、打開する術を持たない、というのが理由だったらしいが、納得である。確かにこれは、剣やら槍やらで解決するものでもなさそうだった。

「リアン、貸して」

 メイが松明を要求する。ああ、と差し出したそれを受け取って、メイは壁を這いずる魔物に近づけてみた。

 避けた。追ってみる。緩慢な動きではあるが、ムカデかなにかがそうするように壁を這いずって魔物は炎から逃れようとしていた。


「なるほど、だからここには灯りがないわけね」

「まあ、これ一本あるからどうってわけでもないだろうけどね」

 そうなのだ。たとえ火を避けることが判っても、歩いている途中に足元に滑り込まれ、そこに足を突っ込んでしまったら、金属さえ溶かすのだ。骨も残るまい。

 かといってこんな密閉された場所に大量の火を持ち込むと、今度は酸欠になるだろう。

「ちょっと待ってて」


 メイが松明を掲げて先へ進む。一瞬周囲が暗くなる。メイの周りだけが明るくなり、少し離れているから迷宮の壁も天井も床も、視界に収められた。メイの言う通り、確かにすぐ先に曲がり角があるようだった。

 その角を覗いて、メイはすぐに戻ってきた。

「無理だね。そこら中にへばりついてる。床にも結構居たし、そのまま進んだら骨も残らないよ」

 ふうむ、とリアンが考え込む。

「こう、一気に吹っ飛ばすようなことが出来たら、多分・・・・・・いやでも、どの段階で死ぬのか、いや動かなくなるか機能を失うかも判らねえしなあ」

 見たところ、壁を這いずるこの魔物は害意のようなものを持っていないらしく、蠢いているだけだった。が、試しになにかを近づけてみると飛びつくようにして体全体で覆い、捕食するように溶かしてしまう。

 おそらくそれが人体でも、同じことになるだろう。ならば、群生しているエリアを突っ切るのは無謀である。


「ちょいと持ってるもんを出してみてくれ。そっから考えよう」

 全員が二層目の出口まで避難した。あそこには灯りが溢れるほどあるし、壁や天井にあの魔物がへばりついている心配もない。

 階段に順に持ち物を置いた。一段目はリアン、次にシェラ、メイ、ラウルと続いた。

「食い物、水、武器、その武器の調整用の雑貨、まあこんなもんだろうなあ」

 三段目までは実に代わり映えがない。冒険者の必需品のようなものが並んでいる。


 次に、ラウルであった。

 まず瓶だけで四つもある。

「なんだい、これは?」

「石灰です。特に必要なものではないのですが、餞別にと貰いました。お守りのようなものです」

 その中の一つは、生石灰だという。

「ほう・・・・・・」

 リアンが息を吐くように言った。

 残りの荷物もなかなか変わっている。使いかけの鉛筆と、新品の鉛筆が十本以上。紙はなく、字を書きなぐった木片が幾つも。


「よくこれで迷宮探索なんてしてるわ」

 メイが呆れた。冒険者らしいものはほとんどない。思考実験の徒らしい、一見役に立たなそうなものばかりだった。

「変に荷物がパンパンだからなにを入れてるかと思ったら」

 と、リアンも同じく呆れたのかと思ったが、表情はメイとは真逆だった。

「宝の山だな、こいつは。ラウル、絶対に失えないものはこの中にあるのか?」

「え、いいえ?」

「この木片も? 随分なんか書いてるが」


「自分の思考を整理するためのものですから、もう必要ありません。宿の庭で随分燃やしたくらいですから、どちらかといえばもうゴミに近いものです」

 ひょい、とシェラが木片を持ち上げてみた。

「私に学がないからなのか、なんと書いてるのかまったく判らないな」

「字が下手過ぎるのよ。ミミズがのたうったみたい」

「速記ですから、読み方を知っていないと」


 三人を尻目に、リアンは顎に手を当ててなにか考えている。

 やがてそれが結論を得たのか、うん、と頷いた。

「木片は砕こう。風に舞い上がるくらい軽い方がいいな。木炭に出来ればいいんだが、一先ずそれは置いとくか。特に大事なのは生石灰だ。シェラ、盾の用意はいいな?」

 唐突な指示だったが、この集団の音頭を取るのはいつもリアンなのだ。二人は慣れている。

「ラウル、これが一番重要なんだが、空気を移動させられるってことは、滞留させることも出来たりするのか?」


「え? ええ。出来なくはないです。要するに気流を察してそれをぶつければいいのですから。軌道の周辺の空気を薄くするよりは楽な筈です」

「じゃあ、こういうのは・・・・・・」

 と、シェラとメイが木片を細かくしている間に、よく判らないやり取りが続いた。

「え、ええ、おそらく、出来るとは思いますが」

「ようし、なんとかなりそうだな。後は灯りか・・・・・・。いや、あいつらが火を避けるんならなんとかなるか。問題は光を避けるのか熱を避けるのかのどっちかってことだが、試さんことには判らんか。

 メイ、肩とか腕とか、痛くないか?」


「なに、突然。気色悪い」

 にべもない。思わずラウルは苦笑した。

「ちゃんと働けるかってことさ。いけるのか?」

「そういう言い方、嫌いだって言わなかった? ごちゃごちゃ前置きはいいから、なにをすればいいのかさっさと教えてよ」

 リアンが思いついた内容を全員に教える。役割も伝えた。


「それは、この迷宮が危険なのでは・・・・・・」

「その辺は大丈夫だ。それより、一番危ないのはお前だぜ。範囲の問題で危険度が変わるが、どうだ?」

「はあ。そのくらいの操作であればおそらく角を曲がっていてもある程度は。それほど精密な作業ではありませんし」

「メイ、取り敢えず松明を四本用意するから、道を空けておいてくれ」

「了解」

 取り掛かった。


 シェラは入口に近い場所で盾の底を床に打ち込んで、倒れないよう固定する。

 その少し後方にラウルが立ち、魔法を扱うために集中する。メイは先発して松明で道中の魔物を除ける。リアンは荷物の運搬である。

「これとこれとこれ」

角に着くと、順番に荷物を取り出して足元へ。

 メイは火のついた松明を投げた。角を曲がった先だからラウルやシェラには見えないが、弧を描いて投げられた松明は、落ちるまで判らなかったが大きな魔物の上に落ちたらしい。


「どんくさ」

 メイが思わず呆れた。確かに、あの緩慢な動きなら飛んでくる火を察知して逃げるというのは難しいだろう。しかも、魔物の体積が大きいためか火はどんどん小さくなっていく。

「ま、最低限の灯りになるし、丁度いいさ。んじゃ、行くぜ?」

「ん」

 リアンが振り被る。食料を詰め込んでいた頭陀袋で、中には砕いた木片が入っている。


 投げた。それが床に辿り着くよりも早く、メイの投げナイフが飛んで袋を切り裂き、弧を描いた軌道を変化させ、袋が弾かれ、破れた口から木片が舞った。

「ほい、次」

 次はラウルの瓶である。これは薄明りに見えた床に目掛けて投げる。がしゃん、と硝子が砕けた。中身は生石灰である。魔物が群がった。

「最後」


 今度は中に軽石を一つだけ入れた袋である。この袋もメイの投げナイフが中空で切り裂いて、石灰と魔物の上に散った。

 松明を消してメイとリアンが走る。

 暗闇の中を壁に沿って走り、ラウルの傍を通り抜ける。

 ラウルは既に魔法を使っている。最早確かめる術もないが、ラウルの魔法によって木片は床に着くことなく中空を彷徨い、ちょうど角の辺りで空気が滞留している筈だった。

「来ます!」

 ラウルが魔法を解いた。同時に、リアンがその襟を掴んで引き寄せる。


 既にメイとシェラは二層目と三層目を繋ぐ扉の奥へ移動しており、リアンとラウルが走った。

 迷宮を揺らすような振動と、聴覚どころか意識さえも麻痺させる音。そのすぐ後に熱風が来た。

 間一髪と言っていいだろう。その熱風が角にぶつかり、軌道を変えて入口までの直線を駆けた時、なんとか脱出して扉を閉めた。

「無事か?」

「足を少し。ですが平気です」

 捻ったらしい。ラウルが顔をしかめている。


「それより、今のは」

「粉塵爆発ってやつさ。生石灰に水分を加えると急激に温度が上がる。可燃物が傍にあれば発火し、火は密閉された空気中に散らばる可燃物に引火して爆発的に燃え広がる。

 まあ奴らの弱点が熱でなかったとしても、爆発の熱風の威力に耐えられやしないさ」

 ただ、扉を開けるのは待った方がいい、と言った。

「粉塵爆発なんて大層な言い方をしたが、あの中の酸素の量なんて限られてる。爆発的燃焼はあっという間にあの中の酸素を食い尽くして、中は今酸欠状態だ。そこにこの扉を開けて急激に酸素を供給したら、バックドラフトが起きてボカン、だ。待とう」


「バックドラフト?」

 メイとシェラはもう聞き流している。原理の判らないどころか、用語の意味さえも判らないのだから現状を把握出来ればそれでいい。とにかく今は開けて入らない方がいい、それだけ判ればいいのだ。

「酸素不足で消えかけた火が、また急に燃え出すことさ。しばらく待ってればまた中に酸素が満ちる。ゆっくりと、な。それを待つ」

「それは、何故?」


 外界と繋がっていない密閉された空間には、たとえ百年待っても酸素は供給されない。

 そこで、ラウルは思い出した。壁の松明である。

「外せば、元の松明になる・・・・・・?」

「そういうこと。迷宮はこの形で完成してるんだ。その完成を維持する機能がある。壁の松明は尽きることなく燃えて、外されればどこからともなく新しい松明が掛けられる。壁は決して破損することなく、内部の環境は常に一定。

 まあそういう機能は、要するに壁をぶち破って安全に最短を行きましょうっていう反則を封じるためのものなんだろうがね」

 さすがに環境を変える元、たとえば焚火であろう。それを消してしまう強制力こそないが、迷宮を基の環境に維持する機能が十分に備わっているという。だから、酸素も元に戻る。後は火が消えるのを待てばいい。


 その間に、ラウルの応急処置をする。

「少し熱を持っている。これは腫れるかもしれん」

「構いません。歩けなくなる前に、ここを踏破出来れば」

「おいおい、俺が最初に言ったこと忘れたのか? 引き返すよ。ちょっとこの先を偵察したらな」

「しかし」

 自分のために挑む迷宮で、自分が原因で撤退するのは、とラウルが珍しく食って掛かった。


「足手まといになって、この中の誰かが死ぬ方が好み?」

 最悪の可能性を生む要因を出来る限り排除する。それが迷宮における正しい考え方だ。

 ラウルはそれ以上なにも言えなくなった。

「もういいだろう。入るぜ」

 扉に耳をつけていたリアンが言った。ラウルは、シェラに肩を借りた。


 扉を開ける。

 もし酸素が満ちていないなら、空気が大きく移動する筈だった。二層目から三層目へ、激しく追い風が吹く筈だったが、なにも起こらない。初めてこの扉を開けた時と同じように、ただ目の前に暗闇が広がっていた。

 松明を掲げる。


「うわあ」

 そこには、あの粘液状の魔物が散らばっていた。

「さて、どうかね」

 その中でひと際大きな塊に先端の崩れ落ちたナイフを差し込む。柔らかいものを貫く感触こそあったが、あとは変哲もない。そのまま数分待ってみたが、蠢くことすらない。

 死んでいるのかどうかは判らないが、機能を失っていることは確かなようだった。

「飛び散り、ましたねえ」

 松明の灯りに映る範疇ではあるが、壁に天井に床にと、中には形が崩れて粘液だけになってしまったものもある。


「昔のシミュレーションゲームなんかじゃ、スライムは強敵だったんだ。デフォルメされてない魔物の恐ろしさを垣間見た気分だよ」

 例によってリアンはよく判らないことを言った。

「ラウル、いくら珍しくても触らないこと」

 メイが釘を刺したが、如何にラウルでも素手でこの残骸に触れようとは思わない。ピンセットで摘まんで瓶に保管して、後でたっぷり観察、実験したい衝動には駆られるが。

「ああ、あった。無事だ」

 ふと振り向くと、シェラが入口近くの壁に倒れた盾を担ぎ上げていた。


 盾を入口近くに打ち込んでおいたのは少しでも逃げる誰かに熱風が当たるのを遅らせるためだ。その効果があったのかは判らないが、盾は爆風に吹き飛ばされて入口のすぐ傍に転がっていた。

 表面が少し溶けているが、装飾の部分だから特に問題はないだろう。問題は下部がひしゃげていることだ。打ち込んでいた部分が曲がっている。

「使えますか?」

「耐久性に問題はないだろう。大丈夫さ」

 背に担ぎ直す。待たせた、と言って合流する。


「一本道、か?」

 角を曲がって少し行くと、そこからは直線になっているらしかった。灯りにぼんやりと突き当りの扉が見えたが、立ち止まったのはメイだった。

「風で判る?」

「え? ああ、やってみます」

 壁に向いている。進行方向左側である。ラウルは空気で撫でてみた。すると、隙間があることが判った。


「隠し扉、のようですね」

「まあ本当に隠す気があるのか微妙な気もするがな。押したら開いたわ」

 ここまで慎重だったリアンにしては、大胆を通り越して迂闊にさえ思える手際で壁を手で押して、隠し扉は難なく開いた。材質は壁と違って石ではないようで、ひどく軽い。

「他の壁にもまったく損傷はないし、これも吹き飛んでいない。本当に迷宮を構成するものは壊せないのですね」

 ラウルが唸る。こんな、自分たちの考えの及ばないものがあっていいものかと。

 人の生活を技術で助けることを目的とする魔法使いらしい感想である。


「あれ、なに?」

 隠し扉の先はまた廊下のようだが、奥行きはせいぜい五メートル程度だった。リアンの掲げる松明に照らされたのは、その行き止まりに鎮座する大きな石板のようだ。

「なんかいろいろ書いてるなあ。まったく読めんけど」

「これは、神の時代の文字ですね」

「読める?」

「いえ、残念ながら専門分野ではないので。読めたとしても断片的で、多分に推測が入ります」

「それでもいいよ。なんて書いてある?」

 ちょっと待ってください、と自分の背丈よりもある石板に刻まれた字を目で追う。


 それを半分ほど読んだ辺りで、ラウルの鼻息が荒くなった。

「これは・・・・・・大発見ですよ! 歴史的な資料です!」

 うお、と急に興奮したラウルに三人が驚いた。

「これは英雄譚、叙事詩の類ですよ!」

「まったく出土しないと思ったら、完全な形でこんなとこにあったってわけか。お宝もお宝だな。ほとんど値なんてつけられないぜ。ま、どうやって運ぶかは考えどころだがな」

 ともあれ、今は関係がない。


 引き返す。この石板の価値は判ったし運び出す必要性も判ったが、安全に運び出すためにはやはり迷宮を攻略するのが先決だろう。

 しかし、引き返しても落胆せざるを得なかった。これまでなんの問題もなく開いていた層を区切る扉が、この三層目に関してはまったく動かなかったのである。


「開かねえな。どういうこった?」

「待って。なにか書いてある」

 扉の横の壁に、石板と同じ文字が一文、彫られている。

「読めるか、ラウル?」

「いえ、ただおそらくはこの扉を開ける条件でしょう。こればかりは専門家でないと」

 弱ったなあ、とリアンは頭を掻いた。

 しかし結論はすぐに出た。撤退である。


「ここまで来て・・・・・・」

 ラウルは少し渋ったが、扉を開ける条件を書いているのであろう文字が読めないのではどうしようもないし、ラウルの足も負傷している。ここで無理をして動かせば悪化する。しかもこれまでのあの道程を引き返して歩かねばならないのだ。かなり休憩を挟むことになる。

「水も食料も、帰りの分しか残ってないだろうしな。丁度いいさ」

 たっぷり時間を掛けて引き返した。


 二層目は経路をリアンがかなりメモを取っていたし、その道中の敵も大体は倒してきた。道のりが長いという以外に特に問題はない。

「足はどうだ?」

 冷やすものがないから、捻挫に必要な冷却処置が出来ない。シェラが負ぶって負担を減らしてやっているが、やはり痛むだろう。


「研究職はダメですね。痛みに弱い。気持ちもつい弱くなってしまう」

「もう少しの辛抱だ。頑張れ」

 ここまでの体力の消耗に加えて、人一人を負ぶっているのだからシェラもつらい筈なのに、そんなことを言う。他人の苦労を背負いたがる性癖がよく出ていた。

 一層目こそ多少苦労したが、なんとか戻ってきた。

 なんだか随分久しぶりに、陽の光を見た気がした。


「うう・・・・・・」

 誰の目にも、その光は眩しすぎた。長時間灯りを炎だけに頼ってきたのだ。目が慣れるまで時間が掛かる。

「無理して目を開けるなよ。潰れるぜ」

 入口近くに腰を下ろして、目を閉じたまま待つ。門番に言って、その辺りの湧き水に布を浸してもらって、ラウルの足に巻き付ける。

「順調ですか?」

 門番が問うたので、応援が要る、と言った。

「昔の文字が解読出来ない。専門の魔法使いか神学者が要る。手配出来るか?」


 訊いてきます、と駆け出した。

 おそらくは長者のヤクワに掛け合ったのだろう。すぐに戻ってきた門番が言うには、山を下りた麓の街に神学者が居るという。だが、高齢なので山を登るのも迷宮を歩くにも少し時間が掛かりそうだということだった。

「いいよ。それでその経費は」

「ヤクワが持つ、と言伝を預かっております。いよいよですね」

「多分ね」


 少し目が慣れてきた。

 そろそろ昼時だろうか。真上から降り注ぐ陽に映えて、山の緑が目に痛いほど鮮やかだった。

「担架か杖か、用意しましょうか」

「ありがとう。でも平気だ。私がまた担ぐ」

「すみません、シェラ」

 ひょい、とラウルをまた負ぶって、宿に向かう。リアンはぐっと伸びをして、緊張から解き放たれたのを喜ぶように大きく欠伸をした。


「さて、旨いもの食って寝るか」

「その前に剣貸して。研ぎに出してくるから」

 腰に吊った剣を鞘ぐるみ渡す。そのままメイは宿とは違う方向に歩いて行った。リアンは門番たちに礼を言って、シェラとラウルと同じ方向に向かった。

「なんとも、歴戦という感じだな。見た目からは想像もつかないが」

 その背を見送りながら、門番が呟いた。


 疲れている筈だ。なにせ彼らはもう丸二日、迷宮に潜っていたのだから。ところが負傷者と言えば足首を捻挫した魔法使いのみで、残りは他人を負ぶったり軽口を言ったり、最も小柄な少女に関しては帰るより先に武器の手入れに気が回る。

 門番とはいえ平素は村の樵である。田舎者だから素直に感心した。

「定員って五人だろう。神学者の爺さんを入れたら丁度だ。まさかそのために四人で挑んできたのか?」

「ああ、そういえば・・・・・・まさか、なあ?」

 その辺りは確実に偶然なのだが、あの余裕を見るとそう思えてしまう、頼もしい集団だ。

 結局、神学者の老人が来るまでに三日が掛かった。その間、ラウルは足を休ませて少しよくなった。三度の再挑戦である。


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