25
ラウルとメイが魔法協会へ出かけた時、ラウルとシェラは村に残り、成り行きを見守っていた脱落組に話を聞いた。
一層目の石嵌めの謎解きのように、肝心なところは教えてもらえなかったが、二層目と三層目がどういうものなのかは聞いていた。
「とにかく魔物ばかりの回廊と部屋が幾つもあった。その中で、正解の道を辿る」
回廊にも部屋にも規則性はない。踏破した一組も、それを見つけられなかった。単に虱潰しに歩き回った結果、運よく見つけたという程度であったという。
一層目は単に、曲がり角が一つあっただけの石の回廊だった。二層目は逆だった。その道筋に罠などは一つもなく、また、直線と曲がり角はその長さもまちまちで幾つもあり、分かれ道も多くあった。そのほとんどが行き止まりで、道を戻って別の道を行けば更に別の分かれ道。迷宮、というその語感に相応しい回廊造りであった。
その道中に魔物が配置され、行く手を阻んでいる。認識されると必ず襲い掛かる。しかし巡回している様子ではなく、一塊に集まっている集団が間隔を空けて配置され、試みに逃げてみると追わなかったようだった。
「つまり、危なくなった逃げろってことか?」
「腰抜けらしい確認だな」
不満げに鼻を鳴らしながら、脱落組のリーダーは言った。まあそうだ、と加えた。
「一組は大体五体程度。武器を持つ半獣人が主だ。大きな動物や虫の類はない。特徴的なのは骨だ」
「骨?」
「人間の、皮も肉も臓物もない骨だけの生き物が武器を持って襲ってくる。あれは、なかなか見ない魔物だ」
「へえ。骨、ね・・・・・・」
リアンも聞いたことはない。後で全員に確認を取っても心当たりのある者は居なかった。
魔物というものは、これは人間側の区別であるが、人間とは異なった生態を持ちながら人間にしか出来ない行動をする者を指す。
いろいろあるが、特徴的なのは会話と物を使ったり作ったりすることだ。当然、彼らも異なった生態ではあっても生き物なのだから、この世の理と無縁ではない。
言語を発するには顔と喉に特殊な形状の進化を必要とし、物を掴んで握るには腕が必要になる。腕、である。足ではない。つまり彼らは四足獣から二足歩行への進化を歩んでいるのだ。
歩行のために後ろ足だけを残し、残る二本を腕に進化し、手首から先の骨格が物を握るために進化し、筋肉もそれに従って進化する。これは、人間だけの生態で動物ではない。
動物のような姿、特性を持ちながら人間のような行為を可能にする進化を遂げたもの、それを魔物と呼ぶ。
知識だけで言えば、ラウルも魔物は知っていた。が、初めて目にするその異形はラウルから言葉を奪った。
「・・・・・・」
全身が体毛に覆われていて、犬は少し鋭く硬そうで、猫は細く柔らかい。獣特有のしなやかな筋肉がその挙動から窺い知れる。それらが手に手に武器を持って襲い掛かる。
奇怪であった。本当にこの世の生き物なのかと、体験に乏しいラウルは我が目を疑った。
が、ラウル以外は行動が早い。
リアンを先頭に、メイが続く。その後ろをシェラが背後を気にしながら進む。最後尾は無論ラウルである。
リアンは腰の剣を抜き、メイはてるてる坊主のような外套の隙間から両手を出し、それぞれに短い刃物を握り、シェラは盾を背に担いで剣を抜いている。
まずリアンが獣人の手首を切り落とす。メイが入れ替わるようにして頭の急所、口やら目やら鼻やらを攻撃して機能を奪う。
戦闘はほとんどこの二人が行っているようなものだった。シェラは後詰と警戒が仕事らしい。前方にのみ敵がある場合にはそれほどの仕事はない。
「ほう、こいつか」
ラウルにすれば瞬く間に、そう錯覚するほどの手際の良さで、獣人が四人倒れた。その奥で、これ以上の奇妙はないという人型を見た。
骸骨である。人間の骨がそのままの姿で床に直立し、手に剣を持っている。それが、意外なほど素早い動作で剣を振り上げている。
「さて、どこをどうやれば死ぬもんかね」
「やれば判る。死ぬまでバラせばいいよ」
前の二人は冷静である。
リアンが振り下ろされる剣を剣で受け止める。リアンの片刃の剣を滑り、鍔に刃が当たって硬質な音を立てた。
小柄な体格のメイがその二人の脇をすり抜けて、両手の短剣を鋏のように振るった。狙いは、剣を持つ腕の上腕骨である。
「っ!」
がちん、と音がした。斬れていない。元々短剣は斬るには向いていないが、それにしても一本を支点にしてもう一本で断つようにして斬ったのに、完全に刃が跳ね返されるとはなんという硬さだろう。
「ありゃりゃ」
リアンが受け止めた剣をいなして、骸骨の姿勢を崩す。その崩れた骸骨の鎖骨に振りかぶった剣を打ち下ろすが、こちらも同じだった。
硬い音が響いて、刃は骨を貫けず数センチ食い込んだだけで止まっている。
「石とか岩とか、そんなくらいの硬さか。メイ、お前とは相性が悪そうだ」
「判ってる。任せるよ」
こうとなると素早い。メイはさっさと外套の内に刃物と両手を引っ込めると、骸骨の背後に距離を取った。
リアンとメイが骸骨を挟み撃ちにする格好であったが、メイの役割は敵の後詰を警戒する役割らしく、骸骨はリアンが対処するようだった。
「あ、あれは、いったいなんです・・・・・・?」
あまりにも奇妙な敵に、ラウルが呟いた。
そうだろう。動く骸骨というだけでも奇妙なのに、剥き出しの骨が何故あれほど硬いのか。獣人の体毛、皮膚、筋肉、骨という四重の防御さえもリアンの刃は切り落としたのに、何故骨だけを斬れないのか。
「獣人の手首よりも、あれの鎖骨は硬い。それだけのことだろう」
背中を見せるシェラが事も無げに言った。
神の時代の造り物に挑むということがどういうことなのか、ラウルは少しだけ判った気がした。
「し、しかし、どうやって」
「助けが要るなら呼びかける筈だ。ないなら、まだ必要ないんだろう。それより私から離れない方がいい。後ろから突然なにかが湧いて出ないとも限らない」
言われて、自分が後ずさりしていることが判った。
「落ち着いていますね」
思わず狼狽している自分が恥ずかしくなった。シェラは首を回して半分だけ振り返り、
「場馴れだ、要はね。大丈夫、私の背中に居る限り、私が倒れるまでは守るから」
少し目を細め、口の端が持ち上がった。
ラウルの恐れや緊張を和らげようという、優しい笑みだった。
「ほっ」
前で、動きがあった。目線が追った。
リアンが、手首を返して踏み込み、振るわれる骸骨の剣を避けざま、前に出た左脚の膝に剣を打ち下ろした。
器物の割れるような音がした。
骸骨の左脚の膝から下が、ばらばらになって散らばった。倒れるかとラウルは思ったが、骸骨は剣を翻してリアンの頭へ横薙ぎ。
しかし、リアンは膝へ打ち込んだ後も素早かった。攻撃した効果を見極めようとする観察を抜いて、素早く次の動作へ移っていた。
打ち下ろした両手の角度を変えて、奥の右脚の付け根を狙って打ち上げる。間隔が短すぎて、石か岩かという硬さの骨を割るには及ばないが、そんなことは百も承知である。
重心が傾いている。骸骨は既に左脚を失っているのだ。右脚を持ち上げれば、苦も無く転げ落ちる。
床に叩きつけられた骸骨の手首を踏む。これで武器を持つ手は動かせない。そのまま止めに入るのかと思ったが、リアンはじっと見下ろしている。
「どうしました?」
「不思議だよな」
骸骨は、ぶんぶんともう片方の手を虫を払うように振っている。半身を起こそうともしていないからリアンには届いていない。
「そもそも、骨が単独で動くか? 筋肉がないんだから動くどころか立つことも、なにかを握って持つことなんて到底出来ない筈なんだぜ。なのになんでだ? っていうか目玉がないのにどうやってこっちを認識してるんだ」
リアンが屈む。届きそうになった骸骨の手を取り、逆側に引っ張ってぐっと伸ばし、肘に目掛けて剣を振った。膝の時と同じようにそこからばらばらになった。
「メイ、索敵頼む。ちょっとどこまでやったら死ぬのか試す」
そこからは、シェラが思わず目を背けたほど凄惨だった。
おそらくは、旅の道中で捕らえた獣を解体、調理するために常備しているのであろうナイフを抜いて、その柄でもって丁寧に何度も、執拗に骨を叩いて解体していく。
まず胸骨にヒビを入れて、肋骨を順番に外していく。骸骨はまだ動いている。
その動きに変化がないから、決して痛みや苦しみに悶えているわけではないのだろうが、身動きを封じられてゆっくりと解体されていく様子は、生半な拷問より余程に惨く見えた。
「う~ん、まだ動くなあ」
肋骨を外し終えると、次は腰椎の解体に入った。こちらは随分硬いようで、額に汗を搔きながらナイフの柄を振り下ろし、じきに効果がなさそうと見るや、骸骨を立たせる。その頃にはもう残った片方の腕も同じ要領で肘を砕いて無力化している。
「えっと、つっかえはねえかね」
きょろきょろと地面を見回して、獣人の死体と残った武器を見た。
「よっと」
死体を一つ転がして、その上に武器を置く。更にその上に骸骨を横たえて、思い切り胸骨を踏んだ。
てこの原理で、腰椎が硬い音を立てて割れた。
「おお、まだ動いてる」
解剖医が死体を解体して状態や死因を調べるような、無感情な冷静さだった。
やがて、骸骨は頭だけになった。それでもまだ、かたかたと下顎が上顎を叩いて動いている。
「よし、判った。首から上が本体みたいなもんだな」
確かに、そうだろうと傍から見ていたラウルも思った。腰椎を割った時が最も顕著にその仮説を裏付けている。頭蓋骨からの接地面を失った部位は無傷にも関わらず接合面からばらばらになっていった。なんらかの効力を失ったような反応に見えたのだ。
「んじゃ、今度は上から割るか」
頭蓋を割る。丸い頭の骨は衝撃を受けた箇所に穴を開け、そこを中心にヒビが広がり、眼球を収める窪みで止まる。
が、骸骨はそこで完全に停止した。
「終わった?」
メイが戻ってきていた。近くに敵は居ないのだろう。
「ああ。こいつは頭が弱点らしい。頭を割りさえすれば止まる。逆を言えば、腰椎だの頸椎だの、普通の生き物なら致命傷ってところを傷つけられても頭さえ無事ならこいつは動くってことだ。こりゃ、ここで脱落した組があるのも納得だ。こんな奴何体も居られたら手に余る」
泣き言であろう。そういう厄介な敵ほど、配置される筈である。メイが肩を竦めた。
「この先は突き当り。左右の分かれ道で、右は敵影なし。左はまったく同じ編成が一組。どっちへ行く?」
「こういうところの選択肢ってのは、俯瞰じゃないと意味がないしなあ。ま、気の向くまま行こうか」
リアンを先頭に進みだした。後続のシェラとラウルも続く。
転がった獣人たちの死骸を跨いで越えた時、ラウルの耳に物音が届いた。
振り返る。最後尾の人間が異常を察知したのなら、全員が背後を突かれたということだ。緊張で全身が強張った。ついさっき見たような、リアンとメイのような体技はない。一転して自分が矢面に立ってしまった状況に、眼球がせり出しそうなほど緊張した。
「・・・・・・っ」
喉が動かない。声も出ない。ただ息だけが詰まった。
振り返ってみたそこには、手首を失って両目を潰された獣人の死体が起き上がり、自分に向かって両腕を突き出した姿があった。
危機に直面した時、多くの人間は硬直する。冷静になって考えれば、抗うにしろ逃げるにしろ、動き出せば止まっているよりも安全なのだが、それが出来ない。
「むっ・・・・・・!」
幸いだったのは、シェラが異変に気づいたことだった。
自分に続く筈のラウルの足音が消えたことが、その気づきの第一歩。すぐさまシェラは剣を両手で握った。振り返るよりも、それは早かったろう。攻撃のための予備動作と、振り返るのはほとんど同時だった。
「屈め!」
ラウルの奥に動く死体はあるのだから、当然ラウルが邪魔である。叫んだものの、気を取り直して筋肉に指令を出すまでには一秒は必要だろう。幸運だったのは常人らしい臆心である。
恐怖に膝が萎えて、体重を支えられなくなって尻もちをついた。そのタイミングが、ちょうど嚙み合った。
振り上げた両手を、据え物を斬るようにまっすぐに振り下ろす。
シェラの膂力と剣の重量が獣人の頭蓋に吸い込まれるように落ちて、頭が半分になった。
死体は前に倒れた。その音で、先を行く二人が振り返った。
「おいおい、メイちゃん?」
「・・・・・・いや、生きてるわけない」
メイが仕留め損なったわけではないのだ。ちゃんと急所に刃を届いたし、それでなくとも毒を塗ってある。生きていられる筈がない。
「そうすると、骸骨と同じ原理か? こりゃヤバい」
駆け出した。シェラとラウルをすり抜けて仕舞った筈の剣を再び抜いた。
ゆっくりと、他の死体が起き上がるのは同時だった。
「こりゃあ、ここの特性か迷宮の主の能力か。死体になっても頭を潰さない限り死なないらしい。ああ、いや、死んではいるのか。まあとにかく、止まらないらしいな」
ただ、骸骨と違って動きは緩慢だった。
その身にへばりついた肉や皮が重いのかもしれなかった。順番にリアンは頭を潰して、全員が動かなくなったのを確認して、剣を収めた。
「確認しよう。敵性の動体は獣人と骸骨。骸骨は頭を潰さないと動くが、バラされた箇所が勝手に動きだしたり元に戻ったりはしない」
振り返って、全員の顔を見並べる。
皆がこの迷宮の特性、そしてそこに配置された行く手を阻む敵の詳細を認識していなければ危険である。なにかの齟齬が、取り返しのつかない事態を招きかねない。
尻もちをついたままのラウルを、シェラが優しく抱き起こす。なんとも情けないことで、ラウルは一人赤くなった。
「獣人は死ぬまでは普通の生き物だ。言葉は発せないみたいだけど吼えはする。獣の言葉か単なる合図かは知らんがな」
これは、この迷宮以外の場所で仕入れた獣人の知識らしい。
「斬られれば血も出るし痛みも感じるみたいだ。手首を斬り落とした奴もメイに目を潰された奴も悶絶してた。ここは骸骨と違うところだ。骸骨は痛みじゃ止まらない」
大きな違いであろう。
どんな生き物も苦痛の前には平等に、その意識を塗り潰される。集中力は乱れ、思考は冷静をなくし、平常では居られない。それが動きにも表れて、傷を負えば必ず精彩を欠く。機能としての欠損ではなく、苦痛による劣化である。
「ただ、獣人は死体になってから数分後、骸骨と同じ状態になって動き出す。もし俺たちがここで止まっていなかったら引き返す途中でこいつらに阻まれていた筈だ。傷か疲労かそれとも補給のためか、いずれにしても最初に戦った状態から明らかに悪い状態で、だ」
ラウルには、この迷宮を設計、管理する者の真意が見えた気がした。
決して生きては帰さないという意思。なにがなんでも踏み込んだ者をこの迷宮の中で殺してやるという意思。他人の悪意が自分を覆おうとしていることに改めて気づかされて、体の中が寒くなっていく気がした。
「俺も、死ねばあんな風に・・・・・・」
動く屍になってしまうのか、と。そう考えただけで震えが止まらなくなった。
情けなかった。戦いの時はなんの役にも立たないばかりか、こうして臆してしまう自分が殴りつけたくなるほど情けなかった。
「そんなことは考えなくていい。お前は死なない」
根拠のない言葉だったが、人間はこうして体を接して真心を伝えると、それを受け取る人間に異常がない限りそのまま伝わるものらしい。
シェラの体温が伝わって、少しだけ安らいだ心地がした。その背中を、メイがぽん、と小さな拳で小突いた。
「シェラがついてるあんたが死ぬ時は、全員が倒れた後だよ。自分が死ぬことより死んでも動くあたしやリアンをどうやって倒すか考える方が先」
振り返る。メイは、そっぽを向いたままだった。
こういう、他人の気持ちを鑑みたり慰めたりしたことはないのだろう。だが、その不器用なりの心遣いは充分伝わった。
「ま、そういうことだ。俺らが生きてる限りはお前に手は出させねえよ。さっき見たろ?
こんなだけど、俺らは結構やるのさ。大船に乗ったつもりで見物してな」
ぽん、と弟にするように頭に手を置いて通り過ぎる。
(俺は、どうして・・・・・・)
ここに居るのだろう、とふと考えてしまった。
決まっている。魔法協会の指令だからだ。同胞たちの窮状を救うためだ。そのために、リアンたちに協力を要請し、彼らに従来の報酬を投げ捨てさせて、手伝ってもらっているのだ。
その理屈から言えば、迷宮に不慣れなラウルの不手際は当然だし、死ぬのが一番後というのも当然である。ラウルが死ねば、おそらくまとまりかけているこの話も拗れる。
が、現実の感性は理屈で慰められはしない。まぎれもなくラウルは足手まといであり、ともすれば止まりそうになる足を、支えてもらってようやく立っているのが現状だ。
(自分は、こんなに情けない人間だっただろうか・・・・・・)
沈んでいく気持ちとは裏腹に、頭は冴えている。活躍の場所が違うのだ。当然である。大海を不自由なく泳ぐ魚も陸に上がれば無様だし、平原を駆ける獣が海に落ちれば無惨になる。そういう分別はある。
こういう場面で不慣れな者が不慣れなことに手を出して、余計な手間を掛けることが最も足を引っ張ることなのだということも、ちゃんとラウルは弁えていた。
無難なのはやはり、こうして守られていることだ。しかし、果たしてそれは最上だろうか。
(探さねば)
自分にも出来ることを、である。
一行は進んでいく。分かれ道を進んで行き止まりに当たり、引き返して、阻む魔物を蹴散らして、順調に。
その間、ラウルにまったく役目がなかったかと言われれば決してそうではない。角の向こうになにがあるかを探知するには、ラウルの魔法は便利だった。敵の数も種類も、視界に収める前にそのおおよそが判る。
「ナイスだ」
世辞でもなんでもなく、そう褒められることがある。決して役立たずではない。
だがそれでも、戦闘中はやはりやれることがない。相変わらずリアンとメイが戦い、シェラが背後を気にしながら突破してくる者に備えている。
(確か、初めて会った時・・・・・・)
ラウルは思い出していた。目の前で行われる戦闘行為は網膜に映っているものの、頭はその映像処理よりも過去を思い出すことに精力を傾ける。
リアンと初めて会った時、こういう場面でも自分の魔法を活用出来るよう、気流を変化させて攻撃力や圧力に変えようとしたことがあった。それを、リアンに止められた。
(あの時、リアンは確か・・・・・・)
思い出す。リアンというあまりに印象の強い人間の、その後の会話に上書きされてしまいそうになる記憶を辿って、そこになにか、この状況でも自分に価値を生むかもしれないヒントがあると感じて、真剣に思い出す。
(気流は上下に動かし難い。何故なら空気には重さがあるから。確か、そう言った。まったく同感だ)
その次である。あの日床に就く時、一日を思い返した。あの言葉から、なにか頭を過ったことがあった筈だった。それは、いったいどんなものだったか。
輪郭さえ定まらないぼんやりとした予感。研究者であるラウルは、それが大きな発見につながった経験も、実はなんでもないただの予感に過ぎなかった記憶もある。
(なにか・・・・・・)
最後の一点が、欠片が外れているような、埋まっていない感覚。それがなんなのかが判れば、なにか思いつきそうなのだが。
「ほい、と」
リアンが、獣人の刃を避けた。ぶん、と長いものが早く振るわれる時の、空気を裂く音が耳に入った。
(・・・・・・これ、か?)
空気を、質量が裂いているからあんな音がするのである。ラウルは思いついたものを、埋まったかもしれない一欠けらを基に、理論を急速で組み立てていく。
(仮説は、おそらく。後は実験を経て修正を・・・・・・)
顔を上げた時、最後の一体をリアンとメイが処理するところだった。
「メイ、実験します!」
「え?」
不意であった。が、さすがはメイであろう。一瞬の硬直もなく言葉の意味を飲み込んだ。が、それがこれからなにが起こるのかを一切示唆していない以上、対処は覚束ない。
無論、非はラウルにある。
「わわっ」
ラウルはメイの背中に気流を当てた。追い風にすれば前へ進もうとする力が増して、その分だけ体力の消耗が軽くなる。
しかし、不意の風に対処するのは難しい。確かに小柄なメイであればよりその効果が顕著に表れるだろうが、本人の意識外からの追い風は小柄なだけに体勢を崩しやすい。
「メイ、後でラウルを殴っていいぜ」
愉快げに笑いながら、リアンが最後の一体に止めを刺す。丁寧に頭を割って。
戦闘終了である。メイは、体勢を乱したものの転びはしていない。刃物を収めると、早足でラウルに詰め寄った。
「急過ぎる」
がん、と向こう脛を蹴った。
「す、すみません」
悪い癖だろう。研究職にあると、思いついた理論の実践に好奇心が抑えられない。一応状況を鑑みて、対処しているリアンではなく一歩引いた態勢のメイにしたのだが、そんなものは気遣いにも入るまい。
「今のはどうやったんだ?」
「あ、貴方に初めて会った時のことを思い出して、上下が難しいなら左右で、と。動かす空気の量を増やしました」
断片的だったが、リアンはすぐに理解した。
「確かに、なあ。いいと思うが、メイにはやめといた方がいい。自分のペースで戦いたい奴だから、余計な手出しはかえって邪魔になる。次からは俺にしときな。もうちょっと、具体的に呼びかけた後でな」
と、脛を蹴っただけで止まったメイを見て、
「もう一発くらい小突いといたらどうだ?」
「・・・・・・いい。邪魔しようとしてしたわけじゃないし」
ぷい、と通り過ぎて先頭を行く。
ラウルが顔を上げた時、シェラが額を指で軽く弾いた。
「そう急ぐな。お前はちゃんと役に立っている」
「ええ、軽率でした。次は上手くやります」
素直なようで、意外に執拗だった。
ある意味、当然だろう。研究というものはその内容の面白みの如何に関わらず、苔の一念というように執拗に続けてようやく日の目を見る発見に至るのである。
シェラは少し呆れたように、しかし腕白小僧の元気さに感心するようにため息を吐いた。
「上手くやるならいいか。しっかり分別をつけてな」
なにかあれば自分も居る、と頷いてやった。
ラウルは、メイに対する追い風の効力を目の当たりにして、それらをメイが有効に使えていた場合を頭の中でシミュレートした。
(弱い、な)
助けとしては、である。それどころか余程息が合っていなければ足を引っ張るだけになる。別の方向性を見つけねばならない。そこで一つ、思いついたことがある。
「リアン、試したいことがあります」
「おいでなすったか。いいよ、時機があったら声を掛けてくれ」
が、それは後回しである。まずは索敵に専念しなければならない。
ラウルが空気を巡らせると、分かれ道の先に、妙なものを見つけた。
「扉・・・・・・? いや、鉄格子・・・・・・?」
「敵は?」
「ありません。目視で確認可能です」
「反対方向は?」
「索敵可能範囲には動体はありません」
「んじゃ、まずはそれを見に行こう」
角を曲がる。するとすぐに角が現れる。ラウルの見つけたものは、その先らしい。
「んじゃ、メイよろしく」
はいはい、と先頭のメイが壁に張り付いて、ゆっくりと角から顔を覗かせる。
「・・・・・・引き返す方がいい。碌なもんじゃない」
振り向いて首を振った。なにがあるかを言わないので、三人は顔を見合わせた。メイは嫌なものを見た、というように首を振って、
「自分で見た方が早い。特に危険もないから同時にどうぞ」
では、と曲がり角から顔を出して、三人が一斉にその先を見た。
「うわ・・・・・・」
「なるほど」
リアンとシェラは呆れ気味に納得した。ラウルはすかさず空気を巡らせて裏付けを取った。
角の先、五メートルほど先には確かに鉄格子があった。枠も取っ手もあるから扉だろう。格子の隙間から見えるのは、おそらく部屋だった。その中に、骸骨や獣人がたむろしているのが見えた。
「モンスターハウスってやつか。触らぬ神に祟りなし。ここはスルーでいこう」
言葉の意味は半分ほど判らなかったが、全員が同意した。
「動いている者もあるので判然としませんが、数はおそらく八から十というところです」
「入れる人数の倍ってことだね。付き合う理由もないし、さっさと行こう」
来た道を戻り、直進。すぐに角があり、同じ要領でラウルが索敵する。
「数は四です。毛が、ある・・・・・・?」
「そんなことまで判るのか?」
「いろいろ試しています。動かせる空気の量も、ここに潜る前からは多くなりました。相変わらず知覚を飛ばせる範囲は伸びていませんが。ええと、獣人はおそらく二、いや、三?
二、かもしれません。すみません、これ以上はよく判りません」
「充分さ。つまり骸骨が一から二はあるってことだ。武器は?」
こちらはすぐに判った。剣が三の槍が一である。
「じゃ、槍の相手は頼むぜ」
「了解」
示し合わせて、リアンとメイが角を曲がった。シェラとラウルもそれに続く。
敵は、気づくのが一瞬遅れている。これがラウルの索敵の最大の利点だ。敵の姿を見るまでもなく数と武器が判るから、そのまま奇襲になる。
敵はひし形に陣取っていた。先頭の獣人をリアンが唐竹に頭を割って倒すと、メイが左側で槍を持った骸骨と対峙した。
リアンは、倒れる死骸を越えて、右側の獣人に対峙する。
回廊は狭い。二人が武器を構えて並ぶと肩が壁に当たる。奥の獣人は手出しが出来ない。
「槍の相手って、得物の短いメイがですか?」
戦闘には加わらず、シェラとラウルは後ろで構えている。
「メイは凄いからな。歩きながら戦える。動きながら避けられるなら、得物の長さは関係ない」
狭い場所で二人が陣取るには、確かに槍は最適だろう。前方に対して長い点の攻撃だから味方の邪魔にならない。それを回避するために大きく動けば、敵は敵の邪魔になる。
かなり苦戦する筈だった。
が、メイは動きを止めない。リアンとは動きが対照的だった。
まず歩く。構えた相手に向かって、体を開いた、普段と変わらない様子で。そこを槍が突く。すると、メイは体の軸をずらすこともなく、体ごと避けている。
「当たらない?」
「ああ。骸骨程度では捉えられないだろう。速さも強さも、ちゃんと筋肉のついている生き物には及ばない」
それでなくてもメイを捉えるのは無理だろうが、とシェラが付け加えた。
メイはどうやら歩く速度を微妙に変えているらしい。更に相手の腕の動きを見て攻撃を察知すると、斜め前か後ろに歩いて避けているようだった。
敵は、さすがに槍を使うだけあって突くよりも引く方が早い。本来の槍相手の戦い方なら突いた槍を払うか捕らえるかして間合いを詰めるのだが、それが出来ない。
ちなみに、引く動作に合わせて踏み込むと危険である。一見安全そうだが、槍の引き手は剣にすれば振りかぶるのと同義だ。踏み込んだ体勢の乱れを次の瞬間、突かれるだろう。
しかし、メイはそれをやった。もしも骸骨が生身の人間並みな感情を持っていれば、したりとにやけたことだろう。
が、メイにとってその選択は悪手でもなんでもない。良手悪手などは、対等に戦うに値する力や技を持っていて初めて成り立つ言葉だ。
引き手に合わせて歩を進めたメイの胴めがけて、槍が突いた。
その槍の先端を逆手の短剣で軌道を逸らし、更にもう一歩踏み込んで、その槍の持ち手を捉える方が早かった。
手首の骨の隙間に刃先を差し込んで、くるりと手首を返す。
それだけで、ぎぎ、と軋むような音を立てて骸骨の手首は回り、槍が落ちた。
メイが跳んだ。小柄なメイはそのままでは骸骨の首に届かない。
肋骨に足を掛け、首に抱き着くように飛び掛かる。同時に、第一頸椎と頭蓋骨の隙間に短剣を打ち込んで隙間を空け、体重を掛けて頭蓋骨を直角に曲げる。
「んぎっ!」
同じ要領で、今度は逆側に曲げて頭と首を分離させた。
「なんとも・・・・・・」
鮮やかと言うべきなのか。それとも強引と言うべきなのか。
小柄なために軽捷ではあるがそのために非力。そんなメイの、骸骨を倒すための工夫である。さすがに額に汗を掻きながら、崩れ落ちる骸骨から降りた。
「メイ、こいつの頭よろしく」
リアンは既に事を終えていたらしい。
剣を振り回して隣のメイの邪魔になるのを避けて、一気に踏み込むや電光のように切っ先を走らせて胸を一突きに貫き、獣人の命を奪った。
転がった死体の、頭部破壊はメイに任せて、奥に立つ獣人に向いて立つ。
「ラウル、なんかやりたいことはあるのか?」
「え、ええ。そうでした」
呼びかけられて気を取り直す。技術である以上、集中は不可欠だ。
「リアン、どのようにして倒すのです?」
「そりゃこいつ次第だ。生憎と生き物は据え物じゃねえ。生き物を据え物みたいに斬る業も生憎と持ってねえ。まあそういうわけだ。なにかするんなら俺に合わせな」
敵は、完全に気後れしている。
無理もない。いきなり現れて一人が頭を割られ、容易に倒せない筈の骸骨は小柄な少女に首を圧し折られ、残った一人は切りかかると同時に胸を貫かれて倒れた。一分とない短い暇に自分だけが残されたのだ。なんの手傷も負っていない、鮮やかな手並みを見せた敵の前に。
その気後れを、リアンは見逃さない。
一足踏み込むや、反射的に振るわれた剣を弾いて、手首を翻して獣人の脚を狙った。
「わっ」
と、獣の反射でそれを後ろに跳んで避けたが、その体の乱れは致命的だった。
残されたように遅れて後ろへ下がる腕を、正確にはその手首を、リアンはまたも剣を翻して切った。しかし、やはり体毛と皮膚に覆われた獣人の手首は、そんな状態では落とせない。
しかし、生き物である以上痛みは避けられない。思わず剣を放してしまった。
その動揺が、獣人の着地を妨げた。人間と獣を合わせた生き物の、両方の悪い部分が表出したというべき不手際だろう。尻もちをついた獣人に、リアンは剣をまっすぐに振り下ろした。
「むっ!」
空気を裂く音は、聞こえなかった。
代わりに、鋼鉄の塊が頭蓋を割り、中の脳を斬る嫌な音が大きく聞こえた。
「ラウル、今のは」
「軌道上の空気を避けて、薄くしました。抵抗がなかった分、軽かった筈ですが」
ふう、とラウルが息を吐く。
空気抵抗というものがある。空気中の分子は風の全くない状態でも音速で飛び回っているのだが、その中を物体が進めば当然邪魔になる。
が、空気が薄くなれば当然それも少なくなる。空気抵抗が少なくなれば、物体はより早くより少ない力で動くことが出来る。
「すごいじゃないか」
リアンがまっすぐな感嘆を口にする。珍しいことだった。軽口を忘れるほど、この発見に驚いている。
「しかし難儀します。そう何度も出来ることではなさそうです」
ラウルの額に汗が浮かんでいる。
この成果が労力に見合っているかと言われれば、微妙なところだ。この迷宮はある程度密閉されたような空間だから、存在する空気の量も限られている。だから空気の流れる道を制限して薄い場所を作り出すことも出来るが、これがもし外なら絶対に不可能な技術だ。
空気の量がそのまま技術で踏破する敵になる。外なら、ラウルの敵は世界そのものになる。しかも密閉されていて、剣の軌道上を避けるだけで大汗を掻く。
一度の打ち込みでこれである。戦闘中など現実的でない。しかもあまり広範囲に及ぶと援護すべき味方の周囲の酸素を薄くしてしまう。こんな場所で酸欠になれば助けるのも難しくなる。
「しかし収穫だろう。研究者が発見をしたんだ。どんな英雄の偉業にも負けてないぜ」
「ええ、そういうことにしておきましょう」
死体を片付けて、先を行く。
そこからは一本道だった。左に折れ、長い直進をして、また左に曲がる。また直進。無論、その間も敵は配置されていた。
今度はラウルも手出しせず、リアンとメイに任せた。
「ねえ、気づいてる?」
メイが最後の一体の頭を潰しながら言った。
「ここ、微妙に勾配がついてる。下ってるよ」
「ああ。ここの直線からだな。ってことは、そろそろ」
角を左に曲がった。
「ビンゴ。階段と扉。多分二層目突破だな」
最後の最後で、終わりを見せて安堵したところをなにか罠でも、と最大限警戒しながら階段を降りた。幸い、何事もない。
扉の前に立って、全員が同時に息を吐いた。
「さすがに疲れたぜ。どんくらい歩いた?」
「いちいち覚えてらんないよ。水、ある?」
どうぞ、とラウルがメイに水筒を差し出す。リアンはシェラと干し肉を噛んだ。
「五分休憩だ。休み過ぎるとつらくなるから、それぞれ加減してな」
一息吐くだけに留める。緊張の連続だったから、緩和が過ぎると体力と精神の消耗に気がついてしまって立てなくなるかもしれない。
全員、ここまで負傷などはないが、それも最大限に警戒と迅速な戦闘行為の結果である。体力と精神は確実にすり減ってきている。
さすがにリアンもここに至っては無駄口も利けず、全員沈黙したまま五分が経った。
「開けるよ」
メイが扉を開いた。三層目の攻略開始である。




