17
七か月前だから、季節は冬の初めだった。
カロケイという街に、西北西よりシェラたち四人が訪れた。
「寒い、なあ」
秋の終わりというのに随分冷えた。門を潜って霜の降りた外套を脱いで、息を吐きながらその時のリーダー格が呟いた。
正確には、寒かった、と言うべきだろう。カロケイ自体は、一面の平野で冬でも水は枯れず、過ごしやすい。通ってきた道が小山の間を縫うようなあい路で、一足早い山の気候の煽りを受けた難路だった。
「休憩しよう」
シェラが言いながら、懐の財布を確かめる。
四人分の蓄えは充分にある。ただ、水と食料がぎりぎりで、あと半日も歩いていればそれ以降は飢えながら枯れながら進むことになっていた。
それだけに、シェラ以外の三人の疲弊は甚だしい。そして疲弊はそれを生んだシェラに不満となって向かう。が、辿り着きさえすればそのことは些事になる。この時は誰も何も言わず、とにかく暖かい宿に向かって早足で歩いた。
体が大きく、精神的な疲弊も少なく済んだシェラは、他の三人とは違って街を見渡す余裕があった。
(いいところだ)
そう思った。
遠く北に見えるのは領主の館だろう。背後に山がある。有事にはあの山にある要塞に領主一党が駆け込んで兵を山麓と中腹に構えるという。
カロケイの街自体は平野にあり、三方の街道に通じている。門はシェラたちが通った西、少し下った南西の方向、そして南東にある。
北の山が東西に伸びるに従って緩やかになり、町の端まで伸びた水田や畑に溶けるように消える。豊かそうな土地だ。それを示すように、街は賑やかだった。
その日は宿でよく食らい、よく飲んで、四人とも溶けるように眠った。
まだ蓄えはある。シェラの算用の賜物だが、そのためにぎりぎりを強いられた三人の苦労の結晶でもあった。その蓄えで古くなった装備や衣料を整え、食料を仕入れる。そこで尽きる。
「大きな街だ。問題も多いだろう。冬の間はここで依頼を受けて過ごそう」
リーダーのエンという男が言った。異存ない。わざわざ用もないのに冬に道へ出て、次の村や集落を目的もないのに渡り歩いてもしょうがない。
彼ら四人は冒険者だが、挑むべき迷宮はこの付近にはない。専らは土地の開墾事業の手伝いや、街の中で起きる雑事の解決が収入源になる。
特に実績らしいもののない四人は、迷宮に挑むというよりそちらの方が主だった活動になる。
そうして四日経った。
山を背後に控えている割りに、気候は安定して晴れていて、風はやはり冷たいが他の地方に比べると気温が下がり過ぎず過ごしやすい。
いっそのことここに居を構えようかとさえ思う者もあったが、発展した街だけあってそのまま居つくには土地も、それを買う金もない。
「所詮は宿無しの夢か」
と、仲間のマモッロがため息を吐いた。
街というのは中からより外から見た方が良いところが目につきやすい。加えて、ほとんど放浪といっていい旅をする冒険者は取り分けて街や村を恋う気持ちが強い。おまけに、いざ探してみると冒険者が必要な仕事も少なく、稼ぎより滞在の出費の方が掛かるようになった。知れば知るほど、ここで暮らすのは放浪者の夢想だと思い知る。
「冬を越すなら、少し切り詰めなくてはいかん。少し酒が過ぎる」
財布を預かるシェラは、金の目減りが肌で危機感として感じられる。更に、シェラは酒を嗜まない。飲酒をする者への同情心がなく、日々のちょっとした不満を紛らわせる飲酒への規制に躊躇も遠慮もない。
「嘘つけ。そこそこあっただろう。酒くらいで響いてたまるか」
仲間はシェラ以外、男性だった。体の繋がりは誰ともなく、それだけに男三人は結託しやすくシェラのみが孤立しやすい。
加えてシェラは財布を預かっているから不満を持たれやすい。
「嘘じゃない。見てもらえれば判る」
そう言って革袋をテーブルの中心に置いた。
「まだあるじゃないか」
エンが言った。確かに、シェラが言うように逼迫しているという感はない。
「ここから減る。しかも増える量より減る量が多い。酒をもっと安いものにしないと減りはもっと早くなる。別に飲むなとは言わないが、加減してもらわないと困る」
真っ当な意見だから、エンはなにも言わなくなった。が、他の二人が食って掛かった。
「お前に言われて、こっちは最初から安い酒しか飲んでねえ。泥水でも啜れってのか?」
「なら食べ物を選ぶことになる。肉は難しくなるぞ」
「そのデカい図体で、よく言えたな」
確かに、筋骨の発達したシェラの食事量が一番多い。シェラはシェラなりに財布と相談しながらしているつもりだが、傍目には倹約を買って出た人間が大食らいというように見えて、気分がよくない。
シェラもあまり気の長い方ではない。悶着になった。
喧嘩は、既に理屈ではない。理屈を出発点とすることもあるが、喧嘩にまで発展すればそれはもう感情の仕事である。そして感情を律するという文化は、まだ成熟を見ない。周囲の人間も同様で、酒場などで喧嘩をすれば大抵は巻き添えを恐れて離れるか、見世物として囃し立てる。そうなればもう煽られるままにエスカレートするのが当然であった。
「私は、丁度いいように宰領している」
語気を荒げるということはなかったが、声が震えている。シェラにとっては謂れのない中傷だ。しかもそれが仲間からのものだから、怒りの中にも解決点を探ろうという冷静さ、というよりはこの場合は気弱さであろう、それが見えた。
冒険者の嗅覚は鋭い。自分に対して遠慮があると見るや、そこにつけ込んだ。
「もう我慢ならねえ」
ため込んでいた鬱憤が口から飛び出し、更にそれはシェラの人格を否定する暴言になった。
「お前は、私腹を肥やしている」
とまで、仲間はシェラに極言した。度を失ったシェラが危うく腰の剣に手を伸ばしかけた時、エンが体を張って止めた。
「止めろ、仲間同士で」
シェラではなく、語気を荒げた仲間を抑えた。
シェラの膂力なら、一人二人が抑えかかったところで簡単に跳ねのけて相手の首を刎ねるだろう。
制止を受けてようやくそのことを思い出したのか、舌打ちをしながら男は引き下がった。シェラは、
「誰が仲間か」
という一言を必死に飲み込んでいた。これを口にすれば、亀裂は決定的なものになるだろう。酒場の席の喧嘩が、完全なる断絶になる。それだけは、一滴も酒を口にしていないシェラが踏み止まるべきだった。
ただ、唇の端から血が滴った。怒りのあまり嚙み千切ってしまったのだろう。伏し目になって怒りに震え、血を滴らせる姿は充分恐ろしい。口論の元になった二人はそそくさと出て行き、エンも持て余したがやがて恐れるように出て行った。
この場に偶然居合わせたのが、リアンとメイであった。
街には酒場も食堂も複数ある。だというのに、偶然居合わせるというのは、リアンに言わせれば『縁』だろう。
「やだね、酔っ払いってのは」
メイが机に頬杖をつきながら嘆息した。
「酒中別人って言ってな。人間に本性なんてものはないが、本音は出やすくなるし、相手のことも考えなくなる。酒が入った人間の言動を真に受けちゃいけねえよ」
テーブルに並んだ料理を口に運びながら、リアンが言った。ちょうど、リアンはシェラたちの席に背を向けている。体面に座るメイは、一部始終をその目で見た。
「どっちにしたって、喧嘩は迷惑だっての」
静かな場所を好むメイが、場を乱した者(残っているシェラだけだが)に白い目を向けた。
「まあ、そうだな。テーブルをひっくり返されなかっただけマシさ。それより、面白い言い様だったな」
「なにが?」
「丁度いいように、って言ったろ。自分の宰領に自信がない奴は、あんな場合、足りるようにって言うもんだ。ありゃイチャモンをつけられた類だな」
「表現の仕方じゃないの? 本人は意図して言葉を選んでないかもよ」
「まあな。そうかもしれん」
この場はこれだけで、後は食事に集中した。一度きりの『縁』は幾らでもあるが、それが重なって人はそれを自覚する。もう一度の『縁』が、三人を結んだ。
カロケイには領主がある。
四代前の領主がこの肥沃な土地を見つけ、人夫を雇って切り拓き、その事業に目をつけた者たちと語らって瞬く間に街が出来た。それぞれ、事業を始めた者たちで権限を分け合い、最も金を出し、働き、人を集めた者が領主になった。
領主以外は土地の有力者になった。ある者は交通の要衝を抑えて課税を敷いて、ある者は交易を司って利権を食み、ある者は街の自治を買って出て旅人の定住を促した。
その領主の家に、問題があった。
名家が十あれば一や二は確実に生ずる、後継者問題だった。
現領主夫妻には子がなかった。そのため、次ぐ家格の者を養子にとって後継者にした。しかし、その子が成人するよりも早く、望まれていた子が出来た。
困ったのは養子になった長男である。家名を絶やさないために養子を取ったが、血まで受け継ぐ者があるなら当然そちらを後継にしたい。かといって、今更養子の話をなかったことには出来ない。既に養子に取られて五年が経っている。この時十二。そこから十年が過ぎた。
幼児は脆い。ちょっとした弾みで死ぬから、権力者は子をよく産ませる。一人息子では危ういのだが、その次男の誕生が奇跡であったようにそこから子が産まれない。この息子が死んでしまうと養子の長男が家督を継ぐのだが、周囲の思惑を他所にこの次男がよく育った。
家中の微妙な趨勢を敏感に察した乳母によってよく育てられたこの子供が、十歳ながら将来を楽しみにさせる素養をも同時に育てた。
そしてこの冬、ある話が持ち上がった。
「嫁取りをしよう」
長男に、である。もし有力な娘を娶ればその家を継げばいいし、そうでなくとも片付ける取っ掛かりになる。次男にはゆくゆくカロケイの領主を継いでもらいたい。
領主夫妻はそれで満足だが、長男とその実家は不満だった。当然だろう。この長男が領主になれば実家にどれだけの恩恵があるか判らない。待っていれば転がり込んだ椅子を、急に出来た弟に奪われたのでは堪らない。
領主の後継を競う決定的な縁談である。これが成立してしまえば、長男の後継はなかったことになる。そこで、一計を案じた。
次男を事故に見せて殺すことである。誰がどう見ても必然の計略だったが、領主夫妻は気がつかないまま縁談を進めた。
多く、親というものはそうなのかもしれない。
自分たちの家と名に気を取られ、肝心の子供がどう思いどう動くかということに気が回らない。それを忠告する者もなかった。もし計略が図に当たって長男が領主を継げば、このことを密告した者がどんな冷遇に遭うか判らない。
権力者の間で何事かが起こるということが確信されても、領主夫妻は気づかぬまま縁談は整った。
長男は近隣の街の有力者を嫁に取る。というより婿に行く。しかもその相手は四十を過ぎた未亡人だというから、誰の目にも異変は確実視されるようになった。
そうしてその日を迎えた。このカロケイの異変が、リアンたちとシェラを繋いだ。




