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シェラの生まれは、このカルセイゴ地方より北東の、トオミ地方というところで、途上には大きな山岳地帯があり、横たわるような山々に沿って北東か南西にぐるりと迂回しなければならない。偶然ではあるが、リーマは出身に近いと言えないこともなかった。
この時代、通常は生まれた場所や地方で糧を得るために働き、つがいを得て子を産み、老いていく。
人々が多郷へ行き来するのが当たり前になるのは、道々が整備され、更にその土地を支配する者との間に意思の疎通が不便なく行われるようになってからだ。
まだ、その地方に於ける首都(法制の中心たる権力集合地としての意味合い)の設置が先進的とみられる段階である。極端に栄えた街が地方の行政の権利を持ち、支配者を赴任させるか有力な者を代行者に据えるかして、権力者は所有地を支配した。
支配、と表現してもその効力は濃い自然にかき消される。山や野はまだまだ獣や虫や魔物の領域で、人間の支配は起居する集落までの効力であった。
まだまだ人間が世界を行き来する文明段階ではないのだ。そこに至るためには、食料の長期保存に適した加工法の確立、寒暖に備えた服装の流通、全ての土地で流通を可能にする貨幣価値の浸透、なによりも交通整備が不可欠であるが、そのうちの半分を担う統一事業者の出現が最も難しい。
征服者による統一事業は、マイナスも多いが人類史という面で見ればプラスの方が圧倒的に多い。土地を誰かのものにすれば共通の価値観や文化が浸透し、それが大陸の各地で起これば更に大きなものになるためにぶつかり合い、やがて一つになる。
こうして世界は一つになり、文化文明は統一者の下で成熟する。人間がそれぞれの土地で個別に生きる限り、文明は成長し得ないのだ。それが、まだ起きていないのだから人間の一生がその土地で終わるのは当然と言えた。
さて、シェラの出身である。
山村だった。
山郷に生まれた者は故郷を恋うという。季節の移り変わりは、平野の里や海の里よりも激しく美しいために、郷愁を誘うのだろう。
シェラには歳の近い弟妹が四人も居て、しかもその実家は田も畑も所有していないというから極貧の生活を十二まで送った。
勿論早くから弟妹と共に働きに出ていたが、それでも家族が食っていくのに不自由して、山に分け入って木の実や山菜を取っても冬の蓄えに毎年難渋した。
幼いシェラが家を出ることを決めたのは、夏だった。
「頼もう」
と、あばら家のような実家の戸口に立った者があった。
全身が白い衣装で、棒を持って、頭巾をしている。一行は六人。土地の言葉でヒジリといい、峻険な山に住んで心身を研ぎ澄まし、奇跡を体得しようという宗教者だった。
山から山へ移り住むヒジリが山村を訪ねて一夜の宿を乞うのはよくあることだったが、シェラの実家にはこのヒジリたちをもてなす蓄えがない。
シェラの一家は自分たちの食事を割いてもてなしてやり、無事に一晩を越えた。この時、弟妹のうち二人は同じ里の別の家に働きに出ていたから、もてなしたのは両親とシェラと弟一人である。
シェラは発育がよかった。
十二だというのに背は既に一五〇はあったし、腰の肉付きや乳房の発達などヒジリたちは既に成人かと見間違うほどだった。
ヒジリにはある癖がある。
泊まった家の異性と通じるのである。そのことが絶対的な悪であるという共通価値観は、まだない。それが生まれる兆しすらない。
山郷で人の流出入が極端に減っていると、血が濃くなる。旅人に子種を貰い、或いは授け、子を産ませるのは山郷のためにもなる。その事実に基づく価値観にも、夜這いは悪ではない。
が、さすがに人の女房旦那に手をつけられるのは困るので、夫婦は寄り添い合って守り合う。子供は違う。
とはいえ、如何にヒジリでも兄妹の一番上がまだ十二というのでは落胆しつつも諦めるのだが、シェラの発育は三年時が早いのかと思うほどだったから、ついつい手をつけた。
「これをやろう」
と、ヒジリたちは宿を借りて食べ物まで恵んでもらう境涯でありながらそれぞれが干し魚を懐に持っていて(おそらく山中でのことを考えた保存食)、それをやる代わりに、とシェラを屋外へ連れ出した。
まだ無垢な年頃である。初潮を迎えていたものの、それがどういうことなのかが判っていない。結局両親と弟の三枚の干し魚と引き換えに、シェラは十二で男を知った。三枚だから三人である。
夜露を避けるために敷かれた菰の上で、星の瞬く空の下、三人の精を受けた。
翌朝唐突に、
「世話になった、お父、お母」
と、言い出してヒジリについていくことを決めた。
両親は驚いたが、このどうにも不器用で働きに出た先から必ずなにか苦情を持ち込まれる長女を持て余していたから、それほど強く反対しなかった。
ヒジリは多少迷惑したが、意志の強そうな両目を見ると、まだ年端も行かない少女を犯したという昨晩の後ろめたさもあって拒めず、結局シェラは故郷を出た。
決定的な動機はシェラにしか判らないが、やはり昨晩の経験が全てだ。
(ヒジリになれば、魚が食える)
少女らしい単純な発想に、男を初めて迎え入れた破瓜の苦痛が決定的だった。
(この痛みは、家族のためだ!)
シェラの幼い価値観に刻まれた性癖と言うべきだろう。他人の災難を肩代わりすることを好むようになった。
手に入れた干し魚がちょうど三枚だったのも拍車を掛けた。もし四枚目があって自分の分があったなら、そう思ったかどうか。
ともかくそういう経緯でヒジリになったシェラだが、ヒジリの修行の内容に嫌気が差して一年も経たずに別れてしまった。
が、この頃の一年は大きい。修行の信心深さ、いわゆる宗教臭こそ嫌だったが体を鍛えることは癖になった。成長も速い。見違えるほど逞しくなった。
しかし故郷には帰らなかった。そのまま山を下りて、その逞しい体躯を頼まれて雑事をこなすうち、冒険者になった。
「なぜ帰らなかったのですか?」
宿には、シェラとラウルが二人だけ。シェラの部屋で誘われて夕食を進めるうち、身の上話になっていた。
シェラはおかしそうに首を竦めた。
「道が判らなかったんだ。どこをどう行けば帰れるのか、判らなくなった。まあ、判っていたとしても帰らなかったろう。勝手に出て行った荷厄介の長女など、物持にでもなって帰らないと厄介なままだ」
今も、暮らしに余裕はない。ひょっとしたら親類はもう死に絶えたのかもしれない。そのことを確かめるのも怖いし、既に他の土地の気風や習慣を身に着けてしまった自分が、あんな閉鎖的な田舎ではきっと浮いてしまう。それも怖い。
「まあきっと元気にやっているだろう。弟妹は元気なうえに、私と違って器用だったから」
はは、とシェラは笑う。
ラウルには故郷もあり両親もあり、しかも裕福だったからシェラの気持ちは判らない。だが無邪気そうな顔を見ていると、そんなこともあるか、と思った。
「それで、盾を?」
「うん?」
シェラは、酒を飲まない。土器の杯に満ちているのは水だ。それを傾けながら、ラウルを見返した。
「人の苦痛を請け負うのが好きだから、盾を選んだのですか?」
「ああ、そのことか。まあそうだ。ただ、あれは迷宮に挑む時にしか使わないよ。山では邪魔になるし、野っ原では他に射角が多い」
「なるほど」
道中に盾を携行せず、荷馬車などに乗せるのはそのためだ。重い盾を背負って歩けば疲れるのが早くなり、疲労が募れば一日辺りに歩ける距離が短くなり、更に短くなればその分だけ食料と水が必要になる。
「リアンたちとはもう長いのですか」
「いや、そろそろ七か月というところだ」
ラウルは驚いた。
まるで一つ家族のように呼吸の合った三人を見ていると、長い年月と幾つもの艱難辛苦を共に超えたのであろうと思われた。
「それにしては」
と、そのことを言うと、シェラはまた笑った。
「確かに。自分でも不思議な程だ。まあリアンとメイは付き合いが長いようだし、その所為もあるんだろう。私は、まあいろいろあったから山郷の出でも人見知りはもうしないから」
閉鎖された里の出では、人が珍しい。人に物怖じすることもあるが、シェラはヒジリになって、それを止めて山を下りて、それからいろいろあった、と言う。
「本当に、いろいろあった」
ラウルにひどく親近感を持った目線を向けた。
シェラが言うには、ラウルは放っておかれない、ということだった。理由は、山を下りたばかりの自分はまったくの世間知らずで、人の厚意を疑いなく受け入れては騙され、それを警戒してせっかくの厚意を無碍にし、それに懲りて信じればまた騙される、といろいろあったからかつての自分のように世間知らずのラウルに対して、同郷の先輩のような気分がするという。
「俺はそれほどですか」
然もある、と思ったがそれを人にそうと察せられるのは愉快ではなかった。
「いや、極端に言えばだ。君はもう少ししっかりしている」
理という根拠があるからだろう。理に照らし合わせて是非を問えば、人に対しても易々と信じることはないのだろう。
だが人慣れしていないぎこちなさは随所に表れている。だからだ、と言った。
「親切で言おう。なにかあったら相談してくれ。寄る辺も身寄りもなく、見も知らぬ土地で生きることの難しさとつらさは知っているつもりだ」
優しい眼差しの、真剣な面持ち。腹の底に響くような声で言われると頷くよりない。嬉しくもあったが、お節介にも感じられて少し居心地は悪かった。
「世の中、金で回避できる受難は多い。軽々に財布の紐は緩めないことだ。差し当たって君が気をつけることは、財布をアテにされかねない言動は控えるべきだな」
意外と言おうか、シェラは算用に長けている。水や食料を見て、自分たちにどれくらい必要かが一目で判る。そういう算用を計算でやるのではなく感覚でやる。そのため早い。が、その早さは同時に疑念を生む。
「それで、少し悶着にもなった」
と、シェラは言った。
リアンやメイと、ではない。その以前からの悩みだった。
「私は、まあ吝嗇な性質だ。どうも、あるものが目減りしていくのを見るのがつらい性格で、無為に使われていると我慢できずに口出ししてしまう。それが元で何度も喧嘩をしては別れてきた」
十三で山を下りて冒険者になり、そこからもう十数年。一人でいたこともあったし、仲間を作ったこともあった。
吝嗇は癖であって、そこに善も悪もない。が、物惜しみというのは人の反感を買いやすいものだ。算用に長けているから買い出しや物の管理を任されることも多いが、その使い方や持ち出しにいちいち口を出してくるから、多少鬱陶しい。
遂には、
「勝手に使いこんでいるから、そんなにしつこいんだろう」
とまで、悪口を言われることもあった。
気になると口を出さずにはいられない性質だから、大抵は一年も保たずに喧嘩別れをした。
「それが、リアンとメイは一度もなにも言ってこない」
気にした様子さえない、という。
なにか使うなら必ずシェラに声を掛けるし、止められたとしても、シェラが言うならと納得して頓着しない。明け透けな信用は、子が母に小遣いの使い方を相談するようなので、ついついそんな気持ちになって接するうちに、妙な関係になったという。
「そうか、まだ一年にもなっていなかったか・・・・・・」
初めて気がついたように呟いて、腕を組んでうんうんと頷いた。
「そもそも、どういう出会いなんです?」
「君と同じ口だ。リアンに誘われたのさ」
そう言って、随分遠い出来事を振り返るような顔で語り始めた。




