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ラウルは、身辺を整理した。
たった一度、宿で話してみただけの男と難事に挑み、その成果物を横取りしようと考えた。いや、ラウルの感覚では横取りではなかった。ラウルに負わされた使命は、この最後の迷宮で発掘された遺物を鑑定、研究する権利をなんとか奪おうというから、横取りする対象は所有権を持つ長者であってリアンたちではない。
しかし、実情は同じであろう。長者から、強引に権利を毟り取ればしわ寄せはラウルを仲間にしたリアンたちに向かうに違いない。幸いにも、長者とは繋がりが出来た。食事に呼ばれて好印象を与えたし、盗賊たちを捕まえたことで礼も言われた。
この縁なら、今貯蔵されている遺物とはともかく、これから入手する遺物の鑑定、研究くらいなら魔法協会に委託する要求は呑んでもらえそうだった。
(が、おそらくそれだけでは)
魔法協会の資金難という現状を打ち払うだけの効力はあるまい。ラウルは、飛躍しなかった。一撃で全ての困難を払うという発想はない。この辺りが、ラウルの凡人たる由縁であろう。
天才とは飛躍を現実にする知恵と運を持つ者を指す。少なくとも発想の段階でその飛躍を思いつかない者は凡人に過ぎない。天才が必ずしも知識人でないのはこれが原因である。
賢しらな頭脳は現実と癒着し過ぎて、夢想を嘲う傾向がある。しかもその現実は、その賢しらな頭脳が組み立てた仮想現実に過ぎないのだ。真に賢い者は、一見愚なるが如き夢想を掲げ、それらを現実の中で組み立てる知恵を持つ者だ。
ラウルは凡才である。それを自らも認めている。だから今回の迷宮探索に、自分の命を懸けるこの仕事に、命に報いるだけの成果を求めなかった。発掘される遺物の質も量も判らないが、これを鑑定する権利を魔法協会に与えるというだけの成果しか、求めないことに決めた。
長者のヤクワ、仲間として迎えてくれたリアンに不義理を働きたくないという良心があったというより、おそらくそれが全てだった。
(まあ、必ず得られると限ったことでもない)
リアンは、迷宮を踏破することを目的とするのではなく、生き残ることを最優先にすると語った。その方針なら、今回の探索は順番待ちをしているあと二つのグループに出し抜かれることもあり得る。
(その辺りは気楽に構えていよう)
今回の迷宮が不首尾なら次の迷宮へ向かえばいい。途中で朽ち果てても、魔法協会の窮状を訴える一要素になる。自分の命は、既に使い道を得ているのだ。生きて挑んでも、死んでも、使いようがあるものなのだ。その点は気楽である。
ラウルは身支度を済ませて、リアンの宿へ向かった。
その途中、広場の掲示板を見た。
(うん?)
ここには、村の近況を報せる意味もある。村に起居しているなら目を通さない者はない。
目に留めたのは、わら半紙にガリ版刷りされた張り紙だった。
ガリ版刷りというのは、謄写版とも言われ、要するにコピー方法の一つだ。新聞のように出来事やお知らせを大量に発布するために生まれた技法で、最近魔法協会で確立された技術である。
つまり、これが使われるということは一つの村や街だけでなく、複数の拠点に配る必要があるということだ。しかも最新の技術だから、この技術の主導権は魔法協会にある。直々に配られたと見る方が自然である。
ラウルは張り紙に目を遣った。
すると、ラウルの身の保証や、資格の免除などが記されていた。ようやく、魔法協会がラウルを援助するために手を回したことになる。
(・・・・・・ルーシェ)
と、ラウルは張り紙に添えた手を離した。
今頃になってこんなものが出回り出したということは、誰かが内部で働きかけたということだろう。心当たりは師を含めて幾つかあったが、最後に見送ってくれたルーシェが浮かんだ。
しかし、不要であろう。既に仲間は見つけたのだ。ラウルはルーシェに感謝しながら、宿へ向かった。
この日、リアンたちの順番が巡ってきている。本当なら互いの特性や考え方を知るために一日くらいは猶予を持ちたかったが、その一日は盗賊を捕まえるために使ってしまった。宿で合流したらその足で迷宮へ挑む。
不安はあったが、心配事ならそれに限ったことでもない。未知の危険な領域へ挑むのだ。いちいち気にしていたら精神が保てない。
宿へ着いた。用向きを話すと、
「どうぞお二階へ」
と、人の好さそうな老婆が部屋へ案内してくれた。造り自体はラウルの宿と大差ない。村の盛況のために俄か普請で設えた宿なのだろう。
ノックしてみると、声があって入室する。
「よう、ラウル」
「ええ、お世話になります、リアン」
まるで旧知の間柄である。それほどに二人の距離感は近かった。
部屋には他に二人女が居た。一人はまだ娘という年頃で、そっぽを向いていた。もう一人はラウルに丁寧に頭を下げた。
「シェラとメイだ。シェラの方は俺と同じで前衛。メイはリベロってとこだな」
聞き慣れない単語である。
訊き返すとフリーポジションのことだそうだ。
「まあお前を後衛ってとこが基本の陣形だな。勿論状況に応じて変化もあるが、基本はそんなところで動く。迷宮ってのは物によって変わるが、基本的に狭い回廊と部屋の組み合わせだ。縦に長い戦列を組むことになる。だから、基本的にこの形で動く。徹底してくれ」
「判りました」
とは言ってみたものの、そういう律に則った動きの練習などはしたことがない。狼狽のために思わぬ行動を取ることもあり得る。息を呑むような思いだった。
「そう緊張しなくていい。存分にしくじってもらって構わないことだ。後は私たちがフォローする」
シェラという女が、テーブルにカップを置きながら言った。
「まあ、魔法でしくじってもらっちゃ困るがね。さて、そろそろ行くか。装備確認、よろしいか?」
ラウルには装備らしいものはない。あるのは荷物くらいで、食料と飲料水、鉛筆くらいが目ぼしいもので、後は役に立つか判らないなりに持ってきたという具合だ。
リアンは軽装。特に防具らしいものは金属製の籠手くらいで、後は寒さ避けらしい外套が首に巻き付いて背に流れている。腰の剣は初対面の時には見えなかったが、革鞘に包まれたそれが吊られている。
メイは、こちらはてるてる坊主のようだ。顔だけが出ていて、後は日焼けた小麦色の外套に包まれている。一枚布を巻いて体の前で留めているだけのようで、少し動くと割れ目から幼い体躯が見え隠れした。
(こんな、子供が?)
見た目から窺える年齢は、高く見積もっても十六というところだろう。若すぎる。
が、もう片方の女もなかなか奇抜だった。
鎧を身に着けている。が、その豊満な乳房を覆う下着上の鎧が胴体の防具の全てで、後は籠手、脚甲という程度。肌の露出が激しく、およそ戦士という風情ではなかった。
こちらも腰に剣を吊っていて、柄が長い。最後に大きな丸い盾を背負っている。
事情を知らなければ、仮装と見紛う連中である。
(これで、迷宮を・・・・・・か)
不安になった。
が、そこはやはり原始社会に於いてはヒエラルキーの上位に属する知識階級の数倍、教養のある魔法使いである。自分の知性に自信はあるが、その知性で測れないものがあることも十分弁えている。
況してや挑むのは未知の迷宮なのだ。これが良いのだろう。
「迷宮に関して、どれくらいのことを知ってる?」
道中で、リアンが訊いてくれた。
「ごくごく一般的なことくらいです。調べようにも教えてくれるものがなかった」
「まあそうだろうな。迷宮に挑むのは字も碌に知らん連中だ。口頭以外で教えられるものでもないし、若い魔法使いに教える奇特な奴も簡単には見つからない」
自分は違う、とでも言いたげな様子だったが、それもそうだろう。専門の魔法使いでもなければ知らない、上昇気流についての知識といい、その語り口や語彙の豊富さといい、この男は貴族レベルで教養を持っている。
「迷宮ってのはある日突然現れるもんだ。いや、正確には入り口が突然現れるって言った方がいい。夜が明けてみてみたら畑のど真ん中にいきなり出来てた、なんてこともあったんだそうだ。昨日の日暮れまでなんにもなかった畑にさ。
貧乏百姓が大儲けさ。世の中、土地があるに越したことはねえんだな。
で、だ。迷宮の入り口がある日突然現れる原理はまだ判ってない。だが、迷宮が入り口から続いていないことは判ってる」
この男の語り口は、魔法使いを想起させる。まず、発端から入り、主題に入る。こういう順序立てた語り口は、なかなか出来ることではない。つくづく不思議な人物だと思いながら、ラウルは訊いてみた。
「続いていない、というのは?」
「畑の真ん中って言ったろう? 当然土は耕すために掘っている。ところが、周りの地面をどれだけ掘っても、入り口を潜った後の地形と合わないんだ。
そういうわけで、入り口は単なる入り口で、迷宮はそれ自体別のどこかにあって、それを繋いでいるものじゃないかと考えられるわけさ。中の法則も、こっちのものとは大分違うからな」
そうこう話している間に、迷宮探索の手続き一切を扱う集会場に着いて、リアンが代表して入っていった。
「本当になにも知らないわけ?」
三人が外で待っている僅かな隙間で、メイが胡乱な表情でラウルを見た。
「ええ。ご迷惑をおかけします」
ぺこ、と素直に頭を下げた。
この少女からすれば、今初めて顔を合わせたばかりのド素人と命を預け合う立場になったことが不満で、いや、不満というより不安なのだろう。
値踏みするような視線をずっと感じていたが、素直に頭を下げられると気性なのか、強く言えないようで、なんとも言えない表情でそっぽを向いた。
「気負わずとも、心配は要らんよ、二人とも。どうせ今日は一層目の途中で引き返す」
「引き返す?」
それは、自分のためなのか、とラウルは眉根を寄せて問うてみた。
「それもある。リアンから聞いているだろう? 無理はしないんだ、私たちは。ゆっくりと広げていく。地図を塗り替えるように、慎重に。だから今日は一日分の水と食料しか持ってきていない。多分昼頃には中で帰る算段をしているだろう」
にこり、とラウルより背の高いシェラが微笑んだ。
改めて見てみると、露出した肌に刻まれた筋肉の皺の、なんと逞しいことだろう。決して筋肉の陰影は濃くない。石膏に薄く彫刻を施したように、うっすらと浮かび上がるその筋肉は、無駄を省いた形なのだ。
鍛え過ぎていない。瞬発力と持久力をぎりぎりの線引きで整えた筋肉は、体のしなやかなラインを損なわないものなのだ。
見るだけで、人間の肉体に関して専門でないラウルがそう確信出来るほどに、美しい体だった。
「あの、その防具にはなにか意味が?」
が、気づけばまったく別のことを訊いていた。
ああ、とシェラは少し恥ずかしげに頬を掻き、視線に耐えかねたように斜めを向いた。
「資金的に少し、難しいものがあって、ね・・・・・・」
この三人の恥部のようで、ラウルは慌てて謝ろうとしたところで、リアンが戻ってきた。
「済んだぜ。これで通れる。なんの話してた?」
自分の居ないところで、初顔合わせをした新入りとどんな話をしたのか、興味を抑えられない様子で顔を向けた。
「誰もがシェラを見たら真っ先に思い浮かぶ疑問を、まともじゃないくらいあっさり言ったところよ」
「ああ、ああ、そうだろう。こいつは知識欲のバケモンみたいなやつだ。しかも訊き方が鉈で木を割るみたいにバッサリのあっさりだ。どうだ、面白かろう?」
「はいはい、変わった奴を見つけてくる才能はピカ一ですよ」
いつものことなのだろう。このまま立ち話を続けそうなほど脱線しそうなリアンを放って、肩を竦めながら歩きだすメイ。
シェラもその背に続く。遅れてラウルが追いかけて、リアンが並んだ。
「なあに、あいつの胸を見てみろ。乳もなかなかデカいだろう? あのサイズに合わせて防具を作ると、胸のあたりをぼこっと突き出して成形せにゃならん。あの乳に合わせて寸胴にすると首元と腹がぶかぶかになってとても役に立たんからな。
そういう特注品を作る金がないから、ああいう形にしてるのさ。あのサイズなら、下手したら複数の鉄板を繋いで成形する羽目になるかもしれん。しかも防具は消耗品だ。切りがない。
そういうわけで、動きの邪魔になる乳だけ守ってるって寸法さ。俺ら男には判らん苦労だが、あれで揺れたらかなり痛いらしいからな」
「もうそのくらいにしておいてくれ、リアン。私だって好きでこんなに大きく育ったわけじゃない」
「勘違いしてくれるなよ。これでも褒めてるんだ。お前の体は完璧さ。ケチをつける奴は、そいつがおかしいのさ。ただその完璧な体を覆う鎧を設えてやるには、俺らじゃ金が回らんってだけの話だ」
「もう判ったから・・・・・・」
「いつも言ってるだろう。お前ら二人に恥じるところなんか頭のてっぺんから足のつま先まで一ミクロンもないって。だのに肝心の本人が背中丸めちゃ格好がつかねえや。
新しい仲間にも自慢したくなるのさ」
まったくもって臭い言い回しである。世間慣れないラウルでさえそう思うのだ。渦中の二人は照れるよりも呆れたように嘆息している。
「一層目で引き返すと聞きました」
「ああ、そのつもりだ。最後の迷宮を攻略する申請は俺らを入れて三組。昨日一組目が一層目を攻略して帰ってきたみたいだが、まあ競争相手だ。肝心なところは教えちゃくれない。結局自分らで探るんだが、これが想像してるより時間と体力を使うからな。
無理はしない主義だ。無理を通せばどこかでツケが回ってくる。そんなつまらんことで大事ななにかを失うわけにはいかねえよ。
骨の一本でもそのツケで持っていかれちゃ、こっちは大事なんだ」
迷宮探索を行うグループは、最低限情報交換をするのが常識だ。
危険性を把握出来ておけば、それだけ生存率が上がる。安全が増せば、その分だけ攻略速度も増す。がが、とはいってもそこは商売敵である。故意に間違った情報を流したり、そのために大怪我をしたりということはなくとも、肝になりそうな情報は渡さない。
中にはその情報に値段をつけて売買する冒険者もある。迷宮攻略の成果物の価値が判然としない以上、冒険者たちの専らの商売道具はこの情報であると言って過言でない。
普段なら、迷宮を踏破するのではなく、その情報を得るために攻略を申請するグループもあるのだが、今回はないようだ。残りの二組は踏破を目的としているようで、情報は得られなかったとリアンは言った。
もっとも、仮に情報屋のような攻略班が居たところで、特注の防具にも事欠くようではとても買えるものではないのだが。
「まあどっちかっていうと、俺らの方が情報を売買する連中に近いからな。まあゆっくりやる。ラウル、今回は迷宮の空気を感じるだけでいいんだ。気負うな」
新参のため、どうしても肩に力が入りすぎる。解してやらないと気疲れしてしまう。
リアンは気遣うように肩に手を置いた。知識人の多くは自らの発達した頭脳によって描いた想像で、物事を悲観的に捉えやすい。悲観的であれば危機を予測しやすく、危機に対処しやすくもなる。
が、その悲観主義のような思考法は、往々にして精神を鬱させる。そのことを、リアンは判っているらしかった。
(いったいどうやって・・・・・・)
そんなことを察する感性を手に入れたのか。興味は尽きない。
「着いたよ」
メイが振り返った。洞窟か祠のように、巨大な岩に穴が穿たれていた。
その周囲に木杭を打ち、縄を張っている。番人が二人、棒を持って立っていた。
「んじゃ、行きますか」
穴は、二人肩を並べてはいけない程度の大きさで、先頭はシェラ。背の大盾を外して構えて持ち、そのすぐ後ろにリアン。僅かに離れてメイ、最後尾にラウルが続いた。
不思議なことに、穴の暗がりに前の者が包まれると、噓のように消え去った。光の具合で出来た暗闇ではないのだろう。
リアンの言うように、あっちとこっちで区切られた空間の、境界になっているようだ。
今更ながら、自分が挑もうとしているものの非日常感に唾を呑んだ。汗が、知らぬ間に頬を伝っていた。
進んだ。光がなくなっていく。完全に目の前が暗闇になった時、背に浴びていた太陽の光も途切れていった。
全身が暗闇に包まれた時、視界の両端に光が見えた。
灯火だった。少しして目が慣れてくると、判ってきた。
全面石造りの回廊の、その両端の壁に一定間隔で松明が掛けられているのだ。




