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宿の主人に会うと、胡乱げな表情でちらりとリアンを見た後、庭に居る、と教えてくれた。どう見たのか判らないが、迷惑は困ると背中に言った。
言われた通り庭に出てみると、ラウルはぼんやりと立っていた。
「・・・・・・」
地面に刺した木の枝に向かって、しかし目を閉じて立っている。リアンは近づかず、裏口の戸に寄りかかった。
リアンの耳に、空気の流れる音が届いた。
それだけで、この男はラウルの専門も今なにをしているのかも検討がついた。
待った。ラウルの集中が終わるまで、五分ほど経っただろうか。
一枚だけ葉をつけた枝が揺れた。しかし、倒れはしなかった。微かな風の音が止むと、ラウルが諦めたように息を吐いた。
「空気はほとんど水平方向にしか移動しない。上昇気流の出来る環境は限られているから、地形や温度に変化を加えないまま無理に方向を変えるのは無茶だぜ。空気の重さは世界の重さだ。人一人にどうこう出来るもんじゃない」
朗らかに掛けられた声に振り向いた。知覚を飛ばしていた空気の動きに気を取られて、リアンにまったく気づかなかった。
「いま、なんと?」
ラウルは驚いた。およそ魔法使いでない者の口から出る言葉ではなかったからだ。
「どんな物体にも重心ってものがある。物体を取り巻く空気で強引に物体を動かそうとすると、必ずその物体の重心をずらす。狙った通りに動かそうってのは、不可能だと思うよ」
ラウルが実験として行おうとしていたのは、自身が操作する空気の力で物体を動かせないかということだった。
もしもこれが可能になれば、手を触れずして物体の位置や向きを変えられるから、こんな便利な魔法はなかった。しかし、不可能だった。
地面に刺した小枝を抜くために、空気を上へと方向性を変えてみたものの、知覚の行き渡らない空気が壁になって上手く気流を発生させられず、枝を引き抜くほどの時間と強さを続けるなどとても出来なかった。
当然、目標物の質量に応じて空気の量や密度、範囲も変わるから小枝で不可能なら実戦的ではないだろう。
そのことはいい。問題は突如現れた冒険者風の男が、一目見ただけでラウルの実験と成果と考察を言ってのけたことである。
「貴方も、専攻が?」
「ああ、失礼した。どうも机に向かって紙とペンで勝負ってのは合わなくてね。そっちは諦めたんだ。専門の人に余計な口を出したことは謝るよ。魔法使いじゃない」
ぞわ、とラウルの肌に粟が立った。
(魔法使いでもないのに、一目で・・・・・・)
顔色の変化を察して、リアンはバツが悪そうに頭を掻いた。
「いきなり悪かった。どうにも俺は口が軽くてねえ。これが原因でいさかいの一つや二つは別に珍しくもないんだが、どうも生来の気性ってのは治らねえ。
気を悪くしたんなら出直すよ。ちょっと話をしてみたくなっただけなんだ。魔法使いなんて滅多に会えるものじゃないからさ」
リアンは頭を下げた。
魔法協会から派遣されてきた才子というからには、礼儀にもうるさかろうと思った。人間は第一印象で決まる。専門外の人間が口を出すこと以上に、専門職の人間にとって不快なことはない。
別段、語らってみたいという以外に目的のあることではなかったから、このしくじりがどう響くということもないのだが、語らいはリアンにとって無二の楽しみである。
魔法協会から若い人員が派遣されることなど滅多にあることではないし、どういう頭の巡りをするのか、興味がある。失言でその機会が失われるのは、少し勿体ない気がした
が、当のラウルはそれどころではない。世間にとって自分とはどういう価値の人間なのかを思い知らされていたところだったし、なによりも若さと疼くような好奇心がある。魔法使いでもないのにぴたりと言い当てられた不気味さより、リアンという人間に興味が湧いた。
「そんなことはいいのです。魔法使いとは言っても、俺など世間を知らない若造に過ぎません。世過ぎさえ身一つでなかなか覚束ない。礼など通してもらう筋合いを持たないのです。
それより、今の話を詳しく伺いたい」
手を取るようにしてリアンの頭を上げさせた。
(謙虚だこと)
いや、それよりも貪欲な向学心だ、とリアンは内心で舌を巻いた。
「今の話では、水平方向への気流の移動なら可能だというように受け取れましたが、たとえばどのように」
「いや、驚いた」
リアンは正直に言った。
そうだろう。魔法協会という天才の集まりのようなところで、専門にしている分野に横合いから口を出されても、素人の法螺だと決めつけずに貪欲に意見を聞きに来る素直さは、なかなか度が過ぎている。
立ち話も、ということでラウルの部屋に引き取って話をしたが、知識欲の化け物のような人物だと判った。
生活の全てが、知識と成果に結びつくためにあるような、そんな非人間的な部分が会話の中に垣間見えた。
会話の際の、直接的な問い方は対人接触の繊細さをまったく無視した類のもので、ここだけ取り上げれば社会性は皆無と言えた。が、その素直さと問いの世間知らずの具合が愛嬌になって、嫌な気分はしなかった。
頭のいい子供と話しているような気持ちになって、ただでさえ口数の多いリアンが更に喋った。
ラウルの話はせいぜい三割ほどで、残りをリアンが喋った。一つには、魔法協会にあって若輩のラウルは自然と聞き上手になったということが大きかった。
なにかの拍子に言葉が重なると、自然な所作で引いてやり、相手の話すことを聞いてやった。しかし自分の話すことも無闇に飲み込まず、機微を見誤らない。
リアンはすっかり楽しくなって、そういう気分にさせたラウルを高く評価した。
「こんなに明け透けに商売する奴は初めてだ」
リアンはそう言った。商売、という言葉はラウルの研究についてだが、この語彙の野卑さに関してはラウルも話している過程で、この人物の癖のようなものだと気づいたから別に不快ではない。
「隠すほどのものではありませんから。若輩のうえ凡才では、勿体ぶっても恥を掻くのがおちです」
「粋がりたいだろうに。よく悟っている」
ラウルからしても、リアンは不快な客ではなかった。
知識の深さをどこで得たのかを問うても笑ってばかりで相手にならないが、その言葉の明瞭さ、本質を捉える問いは森の賢人とでも話している気分になる。反対に、座を白けさせない冗談や語り口の軽快さなど、遊び慣れた町人のようで、相反した印象が自然に同居している。
言葉の選択に多少の粗野、野卑といったものが見られるが、本人の軽薄そうな印象から離れていないので、これも似合っていると言わざるを得ない。ラウルにとって興味深い話し相手だった。
「ところで、冒険者とお見受けしましたが」
「ああ、そうそう。迷宮を目当てにね。お前もそうだろう?」
既に、そういう呼び方が不自然でないほど、たった一度のおしゃべりで気安くなっていた。
「ええ。しかし困じ果てております。やはり魔法使い、それも若輩者など荷厄介に過ぎないようで」
「だったら俺たちと一緒に行こう」
安く言ったようだが、リアンのラウルを見る目は真剣だった。ひどく熱い視線で、ラウルはつい釣り込まれて、
「いいのですか?」
と、言ってしまった。リアンはひどく喜んだ。
「楽しい道連れだぜ。なあに心配することはない。最初は誰だって足手まといさ。経験のないものを経験のある者がフォローするのは当たり前だろう? それだって気にしなくていい。見込みのない奴にそれをするのは酔狂だ。いつか手を貸して貰えるって判る奴だから受け入れるのさ。
今のうちは俺たちに寄っかかってくれていい。いつかお前が誰かを助けてやればな」
ただ、とリアンは言った。
「迷宮を踏破することを最大の目的にする奴は、いつかどこかで死ぬぜ。俺たちはそうじゃないってことだけ覚えててくれ。俺たちは生きて帰ることが至上の目的だ。踏破なんてそれに比べりゃ屁みたいなもんだ。
だから他の奴に先を越されることもある。まあ、俺たちが手ぶらで帰る迷宮なら、踏破した奴は大抵、何人か失うか不具になってるがね」
相変わらず軽薄な口調だが、命の危険を伴う仕事をこなしてきた男の口から出る言葉は教訓めいて、凄味があった。
「なるほど。これは考えてもみなかったことです。迷宮踏破を目的にすると、死ぬのですか?」
「死ぬね。そいつは思考法の違いだ。
迷宮を踏破することが最大目的って奴は、言うなれば兵士だ。勝つために犠牲を払う。その犠牲がどれだけ大きくても、最終的に勝てば帳消しになる。
俺たちは生き残ることが最優先、言うなれば猟師だ。自分の手に余る獲物だと思えば、潔く手を引く。兵士と猟師は、同じく槍や弓を手にして、陥穽を掘って木を倒してと工夫するものだが、目的が違う以上、細かい判断が違う。それが生死を分ける。
判るか? いや、まだ判らないだろうな。でも挑めばきっと判る。あそこは、とても恐ろしい場所だ」
まだ見ぬ迷宮の危険性や恐ろしさは、話で聞いただけではとても実感を伴って理解するまでに及ばないが、それにしてもなんと語り口の上手い男だろう。山野を駆けて武器を手にした二つの職種の、共通部分とそうでない部分を引き合いに出して、理解を助けている。
この頭の働きは、教養が一般的でない平民の間では異質であろう。この男の素性がひどく気になったが、さすがにそこまでを訊くのは初対面だから躊躇われた。
「忘れるな。山を越えるのとも荒野を抜けるのとも違う。あそこは、人を拒む場所だ。挑んだ人を殺すために造られた場所、しかもその道理は現代のものでなく過去の、神の時代のものだ。法則があって結果があるんじゃない。結果の帳尻を合わせる法則があって、要因が散らばる場所だ。こっちで生まれて育った俺たちの常識は、あそこじゃ通じない。
あそこに挑むってことは、致死量ぎりぎりの毒を飲むってことだ。最後の一滴を飲まずに済むかどうかは自分次第だ。ちょっとした誤解や思い込み、なんてことない不注意でその一滴は満ちる。そんな場所で、踏破を目的にするなんてそもそもズレてるんだ。そこだけは、きっちり弁えていてくれ。じゃないと、俺たちもお前を守れない」
今更ながら、自分を暗い死の影が覆い始めていることに、ぞっとした。妙なものだった。魔法協会を出る時、ようやく自分にしか出来ない役割を与えられた気がしたのに、間近なものとして死を意識すると、身の内が慄えてきた。
それはおそらく、自分を生物として捉えた時と、自分を人格のある人間として捉えた時の差なのだろう。あまりにも学問に没頭し続けたために、命を数で数える習慣がついてしまい、それを無意識に自分でも当て嵌めてしまった。しかし、いざ死が迫ると自分という人間を意識してしまった。その違いだろう。
顔色を青くして黙り込んでしまったラウルを見て、リアンは失望しなかった。寧ろ、安心した。
(死ぬことを怖がる気持ちを、こいつは持っている)
人間として、生物として正しい心の動きを持っているのだ、と。狂人と肩を並べれば狂人でない限り引き摺られて破滅するという道理を、この男は知っている。
励ますような口調で、言った。
「忠告も教訓もこのくらいにしとこう。俺はこれから必要なものを買いに出る。仲間は他に二人居る。四人なら人数は問題ない筈だ。日は、明日か明後日を考えている。受付で訊いたところ、ちょうど空いているそうだ」
「空いて、いるんですか?」
「まあね。なにせ上手く迷宮を踏破出来ても、遺物に価値があるとは限らないし、ぼちぼち挑戦に順番待ちを食らう連中が引き上げていくから村の賑わいが落ち着いてくる。
入る金より出る金の方が多くなってきそうだから、迷宮は数が少なくなればなるほど人が減るものなのさ。
ところで、お前の都合はどうなんだ?」
「ええ。明日は都合が悪いかもしれませんが、明後日にはおそらく。ただ、少し厄介事を抱えていますから、もし俺が合流出来なくても、その時はそれだけの縁だったと思ってください」
「手伝いが要ることなのか?」
人が好い、とラウルは感動する思いでリアンを見た。が、首を振った。
「いいえ。俺は貴方と迷宮に挑む時に助けてもらうと約束しました。それ以外のことで手を借りるつもりはありません。俺は、俺の才覚で俺の人生を拓いていきたい。それが、俺を育てた師への恩返し、朋輩への友情です」
「若いな。眩しいくらいに」
リアンはちょっと目を細める仕草をして立ち上がり、ラウルの肩に手を置いた。
「ラウル。困ったことに俺は随分お前を気に入っちまったみたいだ。そのお前が助けは要らんと言った以上、言う通りにしよう。いやはや、人生ってのは面白い。気に入ったからこそ諦めなきゃいけない縁があるとは思わなかった」
あっはっは、と哄笑しながら去っていった。ラウルの半生で、あれほど爽やかな人間を見たことがない。ラウルとしても、この縁をこれっきりにしてしまうのは惜しかったが、どうなるか、魔法使いとしても若すぎる身では、ちょっと予想がつかなかった。




