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三日経った。
その間、ラウルの身辺には変化がない。
宿に滞在するくらいの費用なら充分にあるし、吉報を待つだけというなら暢気なものである。村の周りを歩き回る様子は暇を持て余した童子のようで、二日ほど続くと見張りについていたハバキも呆れて、嫌がるようになった。
「あんなのを見ても飯はおろか銭も出やしない」
ヤッコノも、心配ないと見るとラウルには構わなくなった。
そして監視の目が離れた三日目、ラウルはいつもなら村の東側の崖を登るところを途中で北に折れ、山菜採りなんかで懇意になった民家の戸を叩き、
「申し訳ないが、古着を貸してもらえませんか?」
と、上がり込んで亭主の古着を借りて袖を通した。昼だから亭主は不在で、女房だけが家に居た。
「どうしたんです?」
「いえ、野暮用でして。勿論ちゃんとお返しします。ご主人には後で私から言っておきます」
他人の妻が一人で居る家に白昼訪ねて古着を借りるなど、あまり褒められたことではないが、仕方ない。
ラウルは髪形も変えて宅を出て、ヤクワの屋敷の門が見える飯屋に入った。
「ご亭主、しばらく借ります。些少ながら手間賃としてお受け取り下さい」
金を渡して奥を借り、窓の傍に椅子を置き、薄く開けて座り込んだ。
「あの、灯を入れましょうか・・・・・・?」
突如現れて、少なくない金を包んで奥の部屋に籠りっぱなしの奇妙な客に、おずおずと申し出てみたが、丁寧に断られた。
「妙な人だ。窓からじっと外を見ているだけで、物盗りでもないようだよ」
「当たり前だ。物盗りだったら幾ら積まれても上げるもんかよ」
既にこの飯屋の亭主には話が通っているものらしい。ラウルの智者らしい細やかさである。
そうしてラウルが出てきたのは夜も更けてからで、それも真っ直ぐには帰らない。フィールドワークをする時のように山に分け入り、無軌道に周ってから古着を返して宿へ戻った。
ラウルには癖がある。
考え事があるとそれをいちいちなにかに書き出してしまうという癖である。紙は用いなかった。紙というのは当たり前だが、羊の皮や木などの材を用いて精製するもので、高価なものだ。それをいちいち考え事の度に消費しては金食い虫になる。
鉛筆で、山で拾った葉や小枝なんかに雑多に書き入れて、しかもそれをほっぽらかすから、この少ない滞在の日々でラウルの借りた部屋は獺の巣のように散らかった。
「あの、これはどうしましょう」
部屋の掃除をしに来た者は皆が戸惑うも、ラウルは無頓着で、
「ああ、裏を貸していただけますか。適当に焼いておきます」
言葉通り、焚火を起こして次々と火にくべて灰にしていった。どうやら残すためのものではなく、まとまりのない考えを頭の中に定着させるために行っていることのようだ。
今回も一通りそれを終えると、もう数センチしかなくなった鉛筆を机に置いて、子供のように寝床へ潜り込み、他愛もなく寝息を立て始めた。
男一人、女一人、娘一人の三人組が荷馬車と共に村へ入ったのは、もう四日前になる。
基本的に女と娘が二人で行動し、男は飄々と村の中を歩き回っている。
「どこにでも飯の種はあるものだ」
と、女は笑って市場の掲示板に張り出された依頼書を剥がした。
冒険者というのは迷宮へ挑む者の呼称だが、迷宮の特性上、挑戦権を入手し損ねた者が多く、そういう者は起居する街や村の厄介事の解決を引き受けて生計を立てることが多い。
迷宮に直接関わりのない者から見れば、冒険者とは時折ふらりと現れるなんでも屋の名前にしか思えない。
「で、最後の迷宮ってやつにはいつ挑むのさ?」
娘が女に問いかける。
「そろそろだろう。しかし、リアンが挑むかどうかはまだ判らんぞ。薬師が居ないから、内容によっては渋り出すかもしれん」
「どうだろうね。慎重だけど自信家だし、案外あっさり承けるんじゃない?」
「まあその件は任せておこう。こっちを片付けないと、三度の飯にも不自由しかねない」
街の近くに見つかった迷宮なら、街でなんでも屋をしながら順番を待てばいいのだが、小さな村だと依頼が乏しくなるから収入が減る。そのため、あまり競争率の高い迷宮だと引き返す者もある。
もっとも、順番待ちしている冒険者が村に金を落とし、その金で村が賑わい、その際に生じる厄介事が冒険者の収入になったりするから、その土地の迷宮攻略が終わりに差し掛かった徴でもあるのだが。
この二人は、村のにわかな賑わいのために生じた人手不足を飯の種にしながら、三人のリーダーである男の判断を待っている。
二人は、村のこの盛況で、勢子が山野を駆けずる労働を嫌がって辻で古物を売る俄か物売りになってしまったため、人手不足になった猟師の依頼を受けた。
「お、ここか」
と、三人組のリーダー格が足を留めたのは、ラウルの宿の前だった。
ほんの数分前に迷宮攻略の申請のために寄った受付で若い魔法使いのことを聞くと、その足でそのまま会いに行った。
この男、名はリアン。出身はここより南西、気候は温暖且つ湿潤で四季の変化の目まぐるしいサバネ地方。齢は二十五。
肩と腕に張りがあって、腰を沈めたように歩く癖は、長く剣を使った者に見られる特徴だった。それを表すように革鞘に包んだ黒い柄の剣が腰に吊られている。
剽軽者だった。武芸をやる者につきものな、人格的な重みというものはなく、かといって商人のように腰が軽いわけでもない。言動は、軽捷なだけが取り柄の軟派な無頼といったふうで、受付にも渋面を作られるような風采だった。
田地のある家の生まれで、三度の飯に事欠いたことはなかった。英雄は貧窮より生ずる。得てしてこういう生まれの子は、父祖より継いだ財を引き継いで保つくらいで一生を費やすものだが、なにを思ったのか物心ついた頃から棒切れを振り出した。
それも、棒の選びに何日も掛ける。
「これなんかどうだ?」
愛想の良い子供だったから、近所の材木屋辺りが適当に棒を持ってきてくれることもあったが、断った。気に入らないという。
「どういうのがいいんだ?」
「硬くて細くて長いのがいい。樫なんか、ある?」
アカガシは少し山に入ればすぐに見つかる。とはいえ、硬いということは伐り出すのに難渋することだし、わざわざ生木を用いる用も今のところない。しかし、枯れた奴は嫌だという。
ここまで来ると材木屋も呆れたが、この齢の割りに舌の回る子供はそういう顔色が充分に読み取れるらしい。
「道具を貸してくれれば、自分で取りに行く」
大事な道具をこんな子供に貸すのは嫌だったが、まっすぐに見つめる目に気圧された。この頃から武芸をやる者に不可欠な気根が、この少年のどこかで育っていたのか。見る者が見れば、この少年は自分をそのように教育している節が見受けられただろう。
案内に材木屋の次男を使って、少年は樫の木を見つけると子猿のような身軽さでするすると登り、枝に鋸を当てるなりギコギコと押し引きした。
子供ながら大汗を掻く作業なのに、休憩は一切しなかった。半時間ほど掛かって枝を落とすと、今度は皮を剥ぐ。長さを整え、削り、丁寧に磨いた。
「よし」
と、腰に荒縄で縛り付けて降りた。
その日から、毎日この棒を振った。
「野良仕事もせずに、盗賊の真似事か」
と、父親はよくこの子供を叱った。
思い合せれば、この子を子供らしいと思ったことはなかった。こましゃくれた物言いが多く、小面憎くなるくらい人の先手を捉える。たとえば、野良仕事でなにか困ったことがあると、それを言いつけるより先にこの子供は納屋へ走って道具を持ってくる。
それだけなら愛らしいが、肝が据わっているのか動じたところを見たことがない。そのくせ目だけはいつも動いていて、薄気味悪い子供だった。
父親は出産という強烈な肉体経験を持たないために、子供に対して親近感を持ちにくいものだが、母親も同じような態度だったことを考えれば、誰でも不気味がる子供だったのかもしれない。
そのうちに成長し、十三の頃には既に背丈は百六十センチはあって、一日も棒振りを欠かさなかったから肩と腕は太く、腰囲もそれに適って逞しい。体力をつけるためなのか野山を走り回ったから脚など肉食獣のように細いながらも筋張っていた。
この頃には、既にこの家族には二番目の子供が生まれており、こちらは子供らしい子供だったから両親にひどく可愛がられ、行く行くはこの子供に田と畑を継いで欲しかったから、どことなく長男には素っ気ない。
「今まで、お世話になりました」
と、ある日馬鹿丁寧に頭を下げたことがある。
この子の年齢に見合わない言動は今に始まったことではないが、小生意気な子が深く頭を下げることなど前代未聞だったから、両親は顔を見合わせた。
「家を出ます。一切は弟に呉れてやってください」
これが、十五の秋。これから冬が来て、家に籠もるだけの生活が待っているというのに、この子供はもう何本目なるかも判らない樫の木一本だけを担いで、集落を出ようとした。
さすがに、これには騒ぎになって止めた。
「飢え死にたいのか! 冬は獣さえ籠もるというのに」
父親など、可愛げがなかったとはいえ一つ所に起居した子供である。顔を真っ赤にして叱ったが、この子供は顔色も変えない。
「だからいいんだ。夏に出れば足元にマムシでも出んかと気を揉みながら歩かねばいかなくなる。冬なら怖いのは寒いことです。俺の若さなら、一日くらいは歩ける」
一日歩けば次の集落に行き着く。そこで暖と飯を貰えればまた歩ける、という。
「どうやって暮らす」
更に問うたのは、暖と飯を引き換えにする元手がなければ餓死凍死は免れないからだ。が、この子供は平然としていた。
「まあ銭はありませんがね、昔から山の猪や鹿は見つけるなり殺して肉にして、干したものがまだある。あとは働きますよ」
ダメだったら死ぬだけだ、とさらりと言ってのける。既に心は決まっているし、口ぶりに迷いもない。なにやら大望があるのかと訊いてみるが、これには笑ってばかりで答えない。
そうすると根くたびれてきて、遂に許した。
「もう、勝手にしろ」
「しますとも。この恩は忘れません」
最後に頭を下げた姿が、これまでを思い出させて変に涙を溢れさせた。
その日から、この子供は名前をリアンと名乗るようになり、大きな街に出るなり冒険者になった。
この男、余程人と縁を結ぶのが好きなのか、それとも人から縁を作りに来たくなる不思議な魅力があるのか、さまざまに仲間を得、また、別れもして今日まで日を繋いできた。
それが、今、ラウルを訪ねようとしている。理由は特にない。若い魔法使いが珍しいから、会ってみたいと思っただけのことである。




