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『本気なんだけどな』

気付けばすっかり陽も落ちて、空は暗い青紫色に濁り始めた。

会議の本題を語り終えたセント達は、どこか緊張の糸が切れたように背もたれに寄りかかり、ふぅ、とひと息つく。


……たった1人、マギカを除いて。



「それじゃあ、僕はこれで失礼します。会計は僕が」


ひと息つく間も無く機械のように立ち上がり、音ひとつ立てずに椅子を戻し、マギカはポケットから財布を取り出しながらカウンターへと向かおうとする。


「あ!ちょっと!お兄様!?」


久しぶりに会えた兄を引き留めようとするのは、ウリエラだ。


「なんだい?ウリエラ。まだ僕に何か用かい?」


引き留められたマギカは、財布から金貨を取り出しながら、さっきまで座っていた席に戻って、眼をウリエラの方に向ける。


しかし、目の前の席に座り直すつもりはないようだ。

そんな兄を見て、ウリエラはほんの少しだけ残念そうな顔をして、なんとか会話を繋ごうとする。


「お兄様、今、どこで寝泊まりしているの?」


(あ、そういえば、確かに!クリスタリア生向けの寮に空きってあったっけ?)


マギカは苦笑いすると、娘をからかう父親のような穏やかな声で、


「……ハハハ、橋の下だよ」

(いや、王子様がそんな乞食みたいな……)


「もうっ!真面目に聞いてるのっ!」


「えぇ?冗談が通じないなぁ。正直に言うと、ホテルに泊まっているよ。どうして?」


尋ね返しながらもマギカは金貨を数え終え、会計に必要な分を右手に握り、財布を閉じてポケットに戻す。

つまり、もう時間稼ぎは出来そうにない。


「どこのホテル?部屋番号は?あとで遊びに行くから教えて!」


ウリエラからの怒涛の質問にも、マギカは嫌な顔ひとつせず、淡々と答える。


「今日は4番街のレッシュルト・パレスの1301号室に泊まっているよ」


(……『今日は』?ホテルって、そんな頻繁に変えるものなの?)


どうやらセントの疑問は庶民特有のものではないらしく、同じ疑問を抱いた王族のウリエラが、セントよりも早く聞き直す。


「……『今日は』ってことは、明日は王城に帰るの?」


『王城』という言葉がウリエラの口から発せられた途端、マギカの口元がほんの少しだけ引き攣ったのをセントは見逃さなかった。

ただ、マギカはそんな自分自身の反応に気付く様子もなく、ウリエラの問いの真意を捉えかねているようだ。


「……?いや、明日はまた別のホテルに泊まる予定だけど?」


「ホテル巡り……?めちゃくちゃエンジョイしてますね……」


王族らしい贅沢を羨む平民セントの嫉妬がましい評価を受けて、そこでようやくマギカはウリエラとセントの誤解に気が付き、弁明を始める。


「……?あぁ!べつに色々なホテルに泊まりたいというわけではないんですよ?まぁ、短く言えば安全を保証するためです。僕がひとつの部屋に泊まり続けていたとして、それが誰かに知れたら、暗殺者を送ってくるかもしれないじゃないですか」


「えぇ?王族って大変ですねぇ(考えすぎでしょ)」


どうやら、セントの心の声がマギカ王子にも伝わっていたようで、マギカはどこか遠い眼をしてセントの方を見て、羨ましげに、


「……ええ。大変ですよ」


そこでマギカは、これまで沈黙を貫いてきたルナの方を見つめる。


「……」


それを『早く帰りたいからウリエラ達をどうにかしてくれ』というヘルプコールだと捉えたルナは、深くため息をつき、


「マギカ王子も忙しいでしょうし、私もこの後予定があるからここらでお暇させてもらうわね」


「えっ!でもっ……」


マギカは、名残惜しそうにするウリエラを優しく見つめ、


「ウリエラ、ごめんね。今夜は既に予定があるから、遊びに来るならまた後日にしてくれるかい?」



そう、本来、まともな感性を持つ少年少女なら、そこまで言ってきた兄を引き留めようだなんて考えないのだ。


だが、そこにいたのはワガママを極めたウリエラだった。


必然、彼女は気になった点を容赦なく追及する。


「えっ!?夜の予定……!?」


そこで、セントとルナは((あ、やらかした))と思って片手を頭に当て、



「もしかして、ガールフレンドでも出来たのっ!!!?」



続く言葉を聞いてため息をつく。


マギカは、天井を見上げ、大きく深呼吸し、頭を片手で押さえながら、セントにウリエラの制御を要求する。流石の彼も、ウリエラの奔放っぷりには敵わないようだ。


「……センティアさん。お仕事の時間です」


「ウリエラ。何も夜に予定があるからといって、必ずしもガールフレンドだとは限らないよ」



「えっ!?じゃあ、ボーイフレンドと……ってこと!?」



「ぶっ!」


なにやら、向こうの方からむせるような声が聞こえてきた。

本来、会話の秘匿性が保たれるべき喫茶ソフィアにて、それに『知ったことか!』と言わんばかりに透き通るウリエラの声は、真面目に使えば大衆の耳に演説を届かせることができただろう。



だが、今回はゴシップの暴露だ。

しかも捏造だからタチが悪い。



「違うよ。一旦夜の営み(そこ)から離れようよ」

セントがため息。

「……僕は……一体何だと思われているんだっ……」

マギカが声を震わせて情けない嘆き声。

「同情するわ。ええ、本当に…… (ふふっ)

マギカとは別の意味で声を震わせて、ピクピクと震えるルナ。

「ん?みんなして、何の話してんだ?」

鈍感なバカ。



「何も夜に会う予定があるのは『そういう関係の人』だけじゃなくて、たとえば『朝は忙しい人』とかの可能性もあるでしょ?マギカ王子は王子なんだから、それこそ色んな重要人物と会うこともあるだろうし、その重要人物の空いている時間が夜しかない可能性もあるじゃん?」

「ウリエラ……妹にこんなこと言いたくないが、はしたないよっ……」

「そうよ…..はしたなっ、ふふっ…」

「笑わないでもらえますか、ルナ?」

「そういう関係の人って、どういう関係の人だ?」



至極当然のことを言ったつもりだったが、『至極当然』というのは人によってーーーというよりも、身分によって異なるということをすっかり忘れていたセントは、その後のウリエラの発言に面食らうことになる。




「……え?私達王族なんだから、私達の好きな時間に空けさせれば良くない?」




「出たよ。ナチュラル特権階級……この場で平民は僕だけかッ!?……僕だけだったッ!」


一人芝居をするセントと、それを恨めしそうに見るマギカ。


「…………ウリエラ。いくら王族と言えど、限度というものがあるんだよ。避けられないものはしょうがないけども、出来る限り『摩擦』は少ないほうがいいんだ。どうしても公務で予定がいっぱいで時間を作れない時ならばともかく、『やっぱり妹と遊ぶことにしたから予定変更ね』だなんて理不尽は……顰蹙を買うよ」


(顰蹙を買う……か。それだと、『死刑になるから人殺しをしない』みたいな『デメリットを嫌うからやらない』論法になっちゃうね……それよりもむしろ、『良心が痛む』とか『筋が通らない』とかの方が倫理的に適切だと思うけど……それでもマシな方か)


「……ふーん。ところで、泊まるのはレッシュルト・パレスの1301号室……確か13階はあそこの最上階よね?しかも、13階にはスイートルームがひと部屋あるだけ……となると、あなたが会う相手はホテルの所有者(オーナー)でもあるレッシュルト卿かしら?」


マギカは、『ルナ、あなたも、か』……背後から仲間に刺されたような顔を一瞬だけ浮かべ、すぐさまいつもの微笑みを取り戻して口に伸ばした人差し指の腹を当てて、


「……ノーコメントで」


流石にこれ以上の追及は、周囲の客にもマギカにも迷惑だろう、と結論づけたルナは、早々に会議を切り上げることに決める。


「ふーーん。これ以上の詮索は恨みを買いそうだし、今日の談合はこれにて終了とするわ。みんな、お疲れ様」



「え、終わったのか?」

「ルナがそう言ったでしょ?」

「あぁん?だから、それでいいのか?って妥当性を聞いてんだよ!従順に従うなんて、お前はルナの部下か?」

「お前だなんて気安く言うんじゃないわよ!不敬罪よ!」

「今更『お前』って言ったくらいで不敬罪もなにもあるかっ!」

「あなたの最初の不敬罪はまさしく『私をお前呼びしたこと』でしょう!」

「よくそんな昔のことなんざ覚えてやがんなぁ!」

「当たり前でしょ!?初めて会った時のことなんだから!」

「ッ!!」

「ッ〜〜!……やっぱり、今のナシ」


夫婦漫才を始めたオーラとウリエラを見て、ついにマギカは匙を投げ切ったようで、セントに全てを押し付けて、何ともいたたまれないこの場を、いち早く離れようと会計に向かう。


「………センティアさん。あとはよろしくお願いしますね。あとは、各自自由に帰ってください」

「……(とんでもない地雷残していくなぁ)……ご馳走さまでーす!……さて!はいはい、2人とも〜!生徒会長目指すんなら、喫茶ソフィアであんまり口喧嘩しない方がいいよ〜。相対的にルナさんが大人に見えて、選挙で負けちゃうよ〜?」


ウリエラとオーラは、周囲からの奇異の視線も、セントの言葉も、意に介さない様子で睨み合っている。



(……やれやれ。ルナさん?)

(はいはい。煽ればいいんでしょう?)


「セントさん、2人に肩入れしすぎじゃないかしら?自然体を見せて、それを元に投票してもらうべきだと思わない?」

「それに関しては同意するけど、ねぇ?それだとルナさんの圧勝じゃん?」


なんだかんだいって、2人は猛獣の扱いには慣れたものなのである。


「んん!?」「あぁ!?」


(ちょろいわね、ふふふ!)

(ちょろいなぁ、ハハハ!)


そんな2人の猛獣の『予想通りの反応』を見て、どこか愛おしそうに、そしてどこか嘲笑するように、2人は心の中で笑い声を漏らすのだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


今夜寝泊まりするホテルに着いたマギカは、早々にチェックインを済ませ、最上階の部屋へと向かう。


「流石に13階ともなれば、エレベーターを使わないと厳しいなぁ」


マギカは、いつぞやの『校長室』への道のりを思い出し、日頃の運動不足を恨んだ苦い思い出を噛み締める。




  『チーン』



針が13を指し、ドアが開く。


「おや?」


13階を丸ごと使ったスイートルーム。

その堅牢な金属製の入り口に、1人の青年が立っている。


燃えたぎるような赤い髪と、淡く輝く緑色の瞳を持った青年は、シワひとつないコスモスの制服を着ている。


制服の右胸には、ザクロ王国子爵であることを表すバッジがあり、そこに描かれた紋章は、『コンパスと天頂星』


方角を示す道具と、北の星空の果てから動かない一等星……。



意味するところは『決して迷わない』



そんな傲慢な家紋を輝かせながら、しかして青年は礼儀正しく頭を下げて、謙虚で落ち着いた声を出す。


「お久しぶりです。マギカ王子」


「お久しぶりです。……レッシュルト卿」



レッシュルト卿と呼ばれた青年は顔をあげ、マギカが部屋の鍵を開けられるように、ドアの前から一歩横に移動する。


マギカは軽く会釈をすると、1階で受け取ったばかりの鍵を差し込み、回す。


  『ガチャンッ!』


マギカが部屋に入り、入ってすぐの場所にある応談部屋の長椅子に腰掛け、レッシュルト卿に向かいの席に座るように勧める。


レッシュルト卿は、小さく頷くと、音ひとつ立てずに向かい側の長椅子に座り込む。


先に話を切り出したのはレッシュルト卿だ。


「ご学業につきましては語るまでもなく、発明の分野でも多大なご活躍をなされていると小耳に挟んでおります」


「はい。こう言った場で無ければ、聞き耳を立てるスパイを警戒しなければならないくらいには活躍しています」


何ひとつ嘘ではないのが、彼のすごいところである。


「流石です。どうかご安心を。このホテルのセキュリティは地下金庫と同様、この上ないほど堅牢なものとなっております」


「そうですか、それは素晴らしい。では、お互い多忙なことですし、前置きはこれくらいにして、本題に入るとしましょう。構いませんね?」


「ええ、もちろんです」


「端的に要求を言えば、あなたの銀行から資本を融通してもらいたいのです」


「……幾らほどですか?」


「これくらい」


マギカは、懐から折り畳まれた紙を取り出し、それを広げてレッシュルト卿に手渡す。


「拝見します」


レッシュルト卿は、紙に書かれた費用と、その内訳を見て、石像になったように固まる。



「………………………不敬を承知で尋ねさせていただきますが、正気ですか?」


「ハハハ。僕はいつだって正気なつもりなのですが、どうも周囲の方には誤解されてしまうらしい」



信じられない、といった様子のレッシュルト卿と、そんな反応を楽しむようなマギカ。



「マギカ王子に限って、負ける博打をするわけではないと思いますが、それにしてもこの額は………それこそ、ザクロ王国の国家予算規模ではありませんか?」


「レッシュルト卿。芝居はやめてください。我が国の『国家予算』?」



どうやらマギカが本気だと思っていない様子のレッシュルト卿に対し、マギカは少し声を鋭くして反論する。


「芝居とは?」


あくまでシラを切るつもりのレッシュルト卿に、マギカは自らの知識をもって、釘を刺す。


「……表向きの話をこの場でするつもりはありません。ザクロ王国に限らず、大陸全土に多大な影響力を持つあなたが、我が国の『二重帳簿』の仕組みに気付いていないわけがないでしょう?」


「…………………」



『何故それを知っている?』というように、目を見開いたりすることはない。

表情のひとつも『作れず』に、レッシュルト家の当主になることはできないだろう。


……しかも、目の前の男は、コスモスの3年生時点で当主の座に座っているのだ。


顔の表情は全く動かず、目の色も変わったりはしない。


そんなレッシュルト卿のポーカーフェイスを見て、マギカはニッコリと微笑み、カマをかける。


「そもそも、『二重帳簿』というのは、その発想からして『商人』が考えそうなこと……その顔で確信しました。事の発端はレッシュルト家ですか?」


「………果たして何のことでしょうか。さっぱり分かりません」


「ならば、そういうことにしておきましょう。ただ、理解してください。あなたの前にいるのは私、マギカ=レジア=ザクロなのだ、と」


「ッ!!」



自分の名に誓って、決して冗談を言っているわけではない……そう言い張る王子を前に、レッシュルト卿はそこで初めて、本能的に息を呑む。



「………承知しました。それでは、詳しくお話を聞かせてください」


レッシュルト卿が、ようやく本気でマギカの話を聞く姿勢になったのを見て、マギカは本題たる計画を語り始める。


「はい。まずは、あなたにコレを依頼する理由……もっと言えば、王家の財産を使用しない理由から」


「………」


ご存知の通り(●●●●●●)、我が国の財政において、帳簿は2つ存在します。ひとつは、聖神教会(セイント)や議会に提出する公の帳簿。そしてもうひとつが、王国が秘密裏に力を蓄えるために隠された裏帳簿。

前者を使うにしては、先ほどのあなたの発言の通り『あまりに大きい』。

ただでさえ嫌われている僕の意見に……果たして議会がそれだけの予算を承認するでしょうか?……するわけがありませんね、ハハハ。

後者は、もっとあり得ない。間違いなく聖神教会(セイント)の目に留まり、あの教皇は裏帳簿の存在と『その目的』に気付き、かつてのアラント帝国同様、ザクロ王国を滅ぼそうとすることでしょう」


「故に、『表向きの資本』を十分に保有している我々に依頼する、と?」


「はい。そうすれば、目立つにしても『悪目立ち』することなく事業を展開できますから」


「なるほど。我々に依頼する理由は理解できました。その事業の内容を伺えますか?」


「こちらです」


「…………ッ!?」


先ほど、金額に対して驚き、固まっていたレッシュルト卿は、

今度は、その『事業内容』と、その裏に隠れた『目的』に気付き、思わず声を出しそうになる。


「いかんせん、費用が嵩む事業です。しかし、海運王と名高いあなたなら、この価値と、それがもたらしうる結果を容易に理解できるかと」


「……聖神教会(セイント)に喧嘩を売るおつもりで……?」



この世界における最大の禁忌……聖神教会(セイント)への叛逆。

そんな禁忌へ踏み込むことを躊躇する人間に、科学者(サイエンティスト)は首を傾げる。



『何故躊躇する必要があるのか?』と。



「何か問題でも?なにも、銃と剣をもって聖神都市(セイント・ウルヴス)に宣戦布告をするわけではありません。アトラス大陸全土(●●)に住む人々に多大な利益をもたらす事業を作るだけですから」


「しかし、結果的には聖神教会(セイント)の力を弱めることに……」


「ですから、何か問題でも?聖神教会(セイント)の挙動は理解出来ています。歴史を参照するに、教皇は人類の福祉の最大化を『義務付け』られている。

もしも、自らの支配が揺らぐことを懸念し、僕の発明品を握りつぶすような真似をすれば、『他の8人』が黙っていないでしょう」


「ッ!!!だからこそ、このタイミングでッ!!?」


レッシュルト卿は、目の前の少年が、『自分を遥かに上回る智慧』を持つ事実を目の当たりにし、その綿密な計画と、好機をじっと待つ狡猾さに、叫び声に近い驚きの声を出す。



「はい。もしも他のタイミングで公表したなら、教皇に握りつぶされていたかもしれません。しかし、今回の学園祭……序列第1位天使、パラドクス=コスモスが見ている前で発表をしたなら、あの教皇でも握りつぶすことはできないでしょう」



微笑むマギカと、その狡猾さに震えが止まらないレッシュルト卿。

そこで、レッシュルト卿がふと、何かに思い当たったように震えを止め、恐る恐る尋ねる。



「………つかぬことを伺いますが、マギカ王子はこれが初めての人生ですか?」


「……?質問の意図が掴めませんが?」


「私は信じていませんでしたが、マギカ王子が『前世の記憶を引き継いでいる』という噂がありまして………まさか、本当なのでしょうか、と」



するとマギカは、『そんなバカな話があるものか』というように高らかに笑い、



「ハハハハハッ!!人生2周目だとでも?ふふふ、ハハハッ!!」



笑いすぎて思わず出てきた涙を擦り、なおも肩を振るわせて、マギカは自嘲した。



「それで『このザマ』なら、あまりにも救いがないでしょう?ハハハッ!」


「???」


「おっと!僕としたことが、つい。すみませんね、人とは笑いのツボが異なるとよく言われるんですよ」


「さ、左様ですか……」


「はい。ところで、この件については、『フラスコの跡継ぎ』の協力も得たいところでして、是非ともレッシュルト卿の方から伝えておいて頂ければな、と」


レッシュルト家と蜜月の関係にあるとされている『フラスコの家』こと、アルムクリア家。

つい先日、新たな当主が決まったばかりだと報道されたばかりだ。


戦争や公務を除いて、滅多に城塞から出ることはないアルムクリアの面々。


しかし、『レッシュルト家に頼めば、伝言を預けられる』というのは、もはや暗黙の了解だった。

レッシュルト卿は、その意図を理解し、伝言を引き受ける。


「……あのお方は、今回の学園祭にいらっしゃるそうですから、その際に伝えておきましょう」


「よろしくお願いします」


「それと、融資につきましても、可能だと思いますが、額が額ですので、一度持ち帰って……学園祭の閉会式でお伝えするということでよろしいでしょうか?」


「構いません。良いお返事が聞けることを楽しみにしています」


「それでは、今宵はこれで」


「ええ。お時間、ありがとうございました」


かくして、『商談』は、幕を閉じるのだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


一方その頃。


自室で、自分のベッドに横になり、暇を持て余している2人の生徒がいた。


「ねぇ、アレス〜?」


喫茶ソフィアから帰ってきた後、ベッドに仰向けになり、片眼鏡(モノクル)を天井に向かって投げ、天井スレスレで止まり、自由落下してきたそれをキャッチして、さらに投げる……という暇つぶしを初めて30分目のセントが、あまりに退屈なので同じ部屋にいるアレスに絡み始める。


「ん?なんだ?」


これまた難しげな本を読んでいたアレスは、目線を本からセントの方に向ける。


「今日、ルナさんに誘われて色々と街を紹介してもらったんだけどさぁ?」


セントは、ワクワクが止まらない様子で、どこか声が高く感じられる。


「………おぉ、それで?」


アレスは、午前中のデートの真っ最中に、セントとルナが一緒に買い物をしていたことを思い出し、その時に声をかけないで逃げたため、『あぁ、実は見てたぜ?』と言及するのもきまりが悪いと感じ、何も見ていなかったように振る舞う。



「その、邪魔しちゃ悪いなぁ、と思って、声かけなかったんだけどさぁ?」


「ん?」


アレスは、何やら風向きが怪しくなった事に気づくが、もう遅い。



「服屋さんでアイシアと買い物してたけど、アレってもしかしてデート?」


「ごふっ!!!!?」


「あ、その反応からして、やっぱりデートだったんだ!!やることやってるねぇ!ハハハッ!」


「ち、茶化すなよッ……こちとら、初デートで緊張してたんだからよぉ……」


照れるアレスと、ニヤニヤと意地悪く笑うセント。

セントは片眼鏡(モノクル)を投げるのをやめ、起き上がってベッドに触るようにしてアレスの方を向く。



「ジオード伯爵にどんな挨拶するか決めた?」


「……そんなニヤニヤしながら聴いてくんじゃねぇよ……好奇心半分、心配半分か?」


なるべく考えないようにしていた困難を目の前に突きつけられーーーしかも、意地悪な笑顔もセットでーーー、アレスは本で顔を隠す。


「残念!好奇心100%さ!」


「だろうな!だと思ってたぜ!クソッ!」


「ハハハッ!拗ねないでよ!悪かった、悪かった!君の親友としての提案だけど、もしもお節介じゃ無ければ、ジオード伯爵への挨拶の準備に力を貸そうか?」


「……悪い、頼めるか?こんなの、人生で初めてでな……わりかし本気でどうすりゃいいのか見当もつかん」


(おや?アレスが強がらずに、素直に僕の力を借りるだなんて珍しいね?)


「もちろんだとも!まずはジオード伯爵の人柄から話そうか!『1番ちゃんとした大人』っていうのが第一印象だね。だから、アレスがよっぽど変なことをしでかさない限りは、ショックを心の中に留めて2人を応援してくれると思うよ」


「ふむふむ。よっぽど変なこと……俺がやりそうなことで、それに該当することとかってあるか?」


「んー、アレスって、意外と常識人だからねぇ」


「『意外と』ってなんだよ……『意外と』って」


「特にない……あ!でも、クロノス教授の私有世界での『覗き』は話題に上げちゃダメだよ!?下手したら、凍らされちゃうかも!ジオード伯爵、優しいけどアイシアのお父さんだからね!」


「説得力すげぇな……わかった。その話題は口が裂けても話さないことにするぜ」



(よし。これで僕が巻き込まれることは無いね〜)

『ーーちゃっかりしているね、相変わらず』

(褒められたことにしよう!)


相談に乗るようなフリをして、どさくさに紛れて自分自身が凍らされる可能性を消し去ったセントは、これ以降は真面目に相談に乗ってやろうと背筋を伸ばす。


「あとは……アイシアのどんなところに惹かれたか、とかそういう質問に対する答えを用意しておいた方がいいだろうね」


「どんなところ……」



アレスは顎に手を当て、黙り込んでしまう。



「……そこで考え込むようじゃ、まだまだだね。コレが本番じゃなくて良かったよ、ホントに」


「あ!いや!アイシアの良いところは色々とあるんだが、果たしてジオード伯爵に言って良いものなのか……」


「たとえば?」


「1番好きなのは……あの笑顔だな。なんつーか、満面の笑みを浮かべそうになりながらも、それに対するなんとなくの恥じらいが混じった、あの笑顔。結構頻繁に凍らせてくるけど、それも照れ隠しだってのが見え見えだっつーか……高慢で高飛車で、意地悪かと思いきや、実は周りの人間に寄り添おうとしてて……その不器用さも……好きだ」


「……(褒め殺すねぇ〜、面白くなってきた!)いいんじゃないの?少なくとも、ジオード伯爵は首をブンブン振って頷きそうな話だったしね〜」


「……ッ〜〜!俺ばっか話すのは不公平だろうがっ!セントもなんか話せよ!」


「ハハハッ!我、セント!未だ恋を知らぬものなり!」


「ずりぃぞ!」

『ーーずるいぞ』


「だってぇ〜、僕はアレスみたいな情熱的な恋はまだ知らないんだもん〜!」


「じゃあ、ルナとのデートはどうだったんだよ?」


アレスの渾身の反撃ーーーしかし、当の本人は何が何やらサッパリ?といった様子だ。


「………………………デート?ルナさんと?僕が?」


話が理解できず、思考回路が止まったセントに、アレスが追い打ちをかける。


「え?だって、ルナに誘われたって……俺とアイシアが買い物してる時に、お前らもデートしてたんじゃ……」


そこで、とんでもない誤解が生まれていると理解したセントが、正真正銘の本音を語る。


「ハハハッ!ないない!強いて言えば、ルナさんの親戚とお見合いしないか?って持ちかけられたくらいだよ?」


「えぇ?やっぱり貴族ってすごい価値観だな……」


「呆れ返っているところ悪いけど、君の彼女も貴族だよ?(僕の話から一刻も早く離れよう!あらぬ誤解をされそうだし)」


「うぅ……頭が痛いぜ……ジオード伯爵のことをもっと知っておきたいんだが、なんかジオード伯爵との思い出とかってあるか?」


「(よしっ!)うん。そこそこあるよ!」


「教えてくれ」


すると、セントは意地悪く……すごく意地悪く笑い、


「アイシアの魅力ひとつにつき、エピソードをひとつくれてやろう!」


「やると思ったぜっ!!!」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


《以下、悪魔一同によるダイジェストでお送りいたします》


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「言葉の端々から知性と品性がありありと感じられるところッ!」



「ジオード伯爵、軍人さんなんだけど、国外に出張する時は大体お土産に本を買ってきてくれるだよね!特に、すっごく昔に買ってきてくれた『異世界図鑑』は表紙がボロボロになるくらいまで読み込んだなぁ〜」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「スタイルが良いところッ!」

「貧乳好き?」

「ぶっちゃけ大好き!」

『ーー僕は巨乳派』

(いや、知らんがな)

『ーー質問権ひとつ消費』

(ふざけんな!)


「ジオード伯爵、貴族だからメチャクチャ強くてね?だから、領地の中で畑を荒らす害獣とかが出た時に狩るのも伯爵の仕事でね〜。今思えば、貴族で強い能力者でもある伯爵に限って猟銃なんて要らなかったと思うけど、僕が銃好きだったから持ってきてくれてたのかもな〜」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「なんだかんだ凍らせた後、溶けるまで側に寄り添ってくれるところッ!」

「マッチポンプって知ってるかい?」

「溶けた後、たまに手を握ってくれて、暖かくて泣きそうになる!」

「ねぇ」

「アイシアの手、めちゃくちゃ柔らかくて……あの細い指を俺の手に絡ませてきて……あぁ!好きだ!!」

「おーい」


「ジオード伯爵、アイシアのこと、すっごく大好きでね?どんな話でも大抵アイシアの自慢話に繋がるんだよね〜。全ての話題はアイシアに通ず……ってね。馬車でアイシアにあった時、確かに伯爵の言う通りだな〜って納得したものさ」


「あぁ!アイシアに会いたいッ!」

「その壁の向こうに居るよ?たぶん」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「あの水色の瞳……優しい時はどこまでも慈愛に満ちていて……でも、怒っている時はそれはそれで冷たく美しくて……眼を合わせるのも恥ずかしくなるくらい、あの目が好きだッ!」


「目ん玉くり抜いてアクセサリーに!とかやめてよ?」

「発想が怖ぇよ。ファラディアじゃあるまいし」

「え?」

『ーー………』

「あ、今の無し!」

(ファラディアって、オーラの記憶に出てきたあの人?確かに、あの人なら他人の目ん玉くり抜きそう……)

『ーー君は、今、酷い誤解をしているよ』

(えぇ〜?)


「ジオード伯爵、飲料はもっぱらロイヤルミルクティばかりらしくてね?狩りの最中に水筒から取り出すのもロイヤルミルクティだったってくらいロイヤルミルクティが大好きなんだよね、あの人。お茶会でロイヤルミルクティ好きだって言えば、意気投合できるかもね」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「水色といえば、あの絹みたいな長髪も好きだッ!ふとした風に揺られて優雅に舞うのも綺麗だし、近くを歩いているときは良い匂いがするし……この間ふとしたはずみにアイシアの髪が俺の顔に当たった時なんて、良い匂いすぎて気絶しそうになっちまった!」


「なんか、もはや気持ち悪いレベルに達してきたね……そういうのは、ジオード伯爵の前で言わない方がいいと思うよ……」

「あぁ!アイシアぁ〜!」

「落ち着いてって……」



「実はジオード伯爵、色々な資格を持っているそうで、聖神教会(セイント)でも結構上位の方の聖職を持っているんだって〜」

「……へぇ〜、聖神教会(セイント)の聖職かぁ」

「他にも法学者の資格や、税理士の資格も持ってるんだって〜」

「多才な人なんだな」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「良い匂いといえば、ハグし合った時、まるで日向ぼっこしている時みたいな暖かさと脳みそがクラクラするくらいの良い匂いがして、好きだッ!!なんつーか、あんな幸福な瞬間ってあるんだな……」


「えっ!?ハグしたのっ!?」

「デート終わりに、ついさっきな!」

「わぁお……それも、伯爵には言わない方がいいと思う」

「そうか?」

「うん。君のためというより、伯爵のために。多分、伯爵、失神しちゃう」



「伯爵は学生時代、化学の分野に興味があったらしくてね。特に結晶の構造とかそこら辺の研究をしていたんだって〜。当時も今も詳しいことはさっぱりわからないけど。アレスも幾何学が好きなら気が合うんじゃない?」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「甘いものにはめっぽう弱くって、マカロンを食べたときなんか照れ隠しを忘れて満点の笑顔を浮かべるわけだけど、そっちはそっちで見てて幸せになれる……あぁ!大好きだ!」


「……え、待って。もしかして僕の方が先にネタ切れになる感じ?」

「俺はまだまだ言い足りないぞ!」

「いや、もうお腹いっぱい」



「ジオード領では昔から水晶の加工業が発達していた関係で、今でも宝石の加工産業が発達しているんだけど、そんなわけでジオード伯爵は無類の宝石好きらしいから、そこら辺の話題も頭に入れておくといいかもね」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「あぁぁ……やべぇ、心臓がバクバク鳴ってやがる……こんなの、いつぶりだ?」


「ハハハッ!人間なんだから心臓が鳴るのは当然だよ!」


「カカカッ!それもそうか!」


「ふふふ……ところでアレス、僕の友人が廊下の外で待っているらしいから呼んできてくれるかい?」


「ハッ!??まさか、お前、またやりやがったのかッ!??」



いつぞやの出来事を思い出して、ドアの向こうにアイシアがいて、話を聞かれていたことを恐れるアレス。


「ドアを開けてごらんよ!あんだけ惚気ておいて、今更躊躇するのかい?」


アレスは恐る恐るドアを開けるが、そこにアイシアの姿はない。


「……びっくりさせんなよ、居ないじゃねぇか」


「んん〜?僕の気のせいだったのかな〜?」


「せっかく動いた心臓がまた止まる所だったじゃねぇか……」


「その時は僕が心臓マッサージして、アイシアに人工呼吸をしてもらおう!」


「ッ〜〜!!!!」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


さらに同時期、その隣の部屋で。


突然部屋に帰ってくるなり、ドアを急いで閉めて、息を切らせてしゃがむアイシアと、

机で紅茶を飲んでいたセレス。


「アイシア、どうしたの?息、切らせて」


「はぁ、はぁ、はぁ……セントったら、心臓に悪いですわ……人を盗聴魔みたいに……」


耳と勘のいいセレスは、なんとなく起こったことを把握する。


「でも、多分、聞いてた、でしょ?」


「たまたま聞こえてただけですわッ!」


「たまたま、セント達の、ドアの前で、立ち止まってた、ってこと?」


「それはッ……うぅ」


「ふふ、ふ。アイシア、かわいい」


「ッ〜〜!!!」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


(アレスが帰ってきた時、アイシアは一緒じゃなかった……2人で一緒に帰ってきたら、デートをしていたことに気付かれると思って、あえて二手に分かれたんだと思うけど、アイシアの方が先に帰ってきてたのかな?


もしもアレスの方が先でアイシアの方が後に帰ってくることにしたなら、アイシアが帰り道に僕らのドアの前を通る時、こんな話が耳に入って、思わず聞き耳を立ててると思ってたんだけどなぁ。冤罪だったね)


「マジで、死ぬかと思ったじゃねぇか……」


「ハハハッ、アレスがそんなに焦るの久しぶりに見るよ!あぁ、なんていい気分なんだ!」


「お前、結構性格どす黒いよな……」


「白系なのに?」


鼻で笑い返すセント。


「白系は大体どす黒いんだよぉ……」


アレスがセントの姿を記憶の中の『誰か』重ね、しみじみと語るのと、


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「へくちっ!………なんだ?僕の悪口か?」


『窓の無い要塞』で『起きたばかり』の少女がくしゃみをするのは、


同時だった。

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