『校長無能編』
かつて、『無能』と呼ばれた少年がいた。
彼は、なんの能力も、発動できなかった。
時を操る聖女と、同じく時を操るその妹。
光の速度で動く魔法使い。
重力を操る後輩と時空を操る後輩。
人を見る目に長けたずる賢い後輩。
そんな、才能あふれる彼ら彼女らに囲まれながらも……少年は『無能』だった。
パラドクスは俯き、拳を握りしめて、かつての自身の無能を恨む。
「……死を受け入れたジェファス君……私には彼を救うことが出来なかった……いや…あの場にいた誰1人でさえ、助けることはできなかった……」
セントは、そんな後悔を漏らすパラドクスの声を聞き、その話に共感しながらも疑問を抱く。
「……でも、もしも城を消していなければ、その瓦礫によってさらに多くの被害が出ていたかも知れないんですよね?だったら、結果オーライじゃないですか?」
セントの純粋な疑問を聞き、隣のマギカはうんうんと頷く。
パラドクスは、憔悴しきった様子でぎこちなく笑う。
「……ふ…ふふ……貴方も…いや、貴方達も同じことを言うのですね……」
「「??」」
「……あの悲劇の後、私がテトラに報告をした際、彼女は貴方達と同じことを言いました」
「テトラさんが?」
「校長が?」
マギカとセントの声が被る。
「……そう、あれは悲劇の後、私が聖神都市を訪れた時のこと。
……丁度その時期、ムジカ君はクリスタリアに留学している最中でした」
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クリスタリアの校長室……その中で、教皇テトラは椅子の背もたれに寄りかかりながら部屋の壁に掛けられていた巨大な『大陸地図』の方に目を向けていた。
「………」
『コンコンコンコンッ』
「どうぞ」
『ギィ……』
重々しい扉を開けて、部屋の中に入って来たのはパラドクスだ。
パラドクスを迎え入れるテトラの顔にあるのは………息を呑むほどの美しさを感じさせながら、生き物としての情動を一切感じられない冷たい無表情だ。
本物の『神』は、きっとこんな顔をしているのだろう。
「先輩。マロン王国のことなら、先ほど神征騎士の眼を介して確認しましたよ」
「………そうですか……私は何もできなかった……」
「損害を抑える努力を出来ただけでも合格点ですよ!先輩なら、境界線の発動に迷うだろうと思っていましたから! そんなことより!」
俯いていたパラドクスがテトラの方に視線を向け、鋭く睨みつける。
だがテトラは、そんなパラドクスの反応に戸惑うかの如く、無機質な顔を傾ける。
「……先輩?どうして怒っているの?」
「……テトラ。『そんなことより』という言葉は間違っている」
「……?」
テトラはより深く首を傾げ、
「じゃあ、『先輩が殺した人達のことより』…」
悪意なく……パラドクスの心に傷を付ける言い方をした。
「ッ!そんな言い方はッ……」
テトラは、しっかりとパラドクスの眼を見据え……
……人々から恐れられ、直視されることが少ない眼から眼を離さずに……
………残酷な言葉のナイフで、パラドクスの心を調理する。
「訳がわからないですよ?些細なことと評しても、重大なことと評しても、いずれにせよ不満を抱かれるのはおかしいですよ?…『そんな言い方』…不満でした?」
「……いいえ。私が彼らを殺してしまったのは事実です。話を遮ってしまいましたね、申し訳ない」
テトラは、その反応に満足したかのように微笑みを作り、
「いいえ〜。じゃあ、本題に入りますね!」
「……はい」
するとテトラは、微笑みを深めて……『恍惚とした笑み』を浮かべ始めて、
どこまでも幸せそうに告白した。
「先輩、『勇者』になりました!!」
「…………………はい?」
自分の頭をもってして、理解が及ばない現象が起きたのはいつぶりだろうか?
……いいや、つい先ほどの悲劇の中で……そんな慢心に足を掬われたばかりだった。
「………勇者は……ラピス君ではなかったのですか?」
パラドクスは、6年と少し前にテトラから紹介された少女のことを思い出しながら、首を傾げる。
「はい!鏡世鏡に記されていた勇者の名前が、先輩の名前に変わったんです!というのも、元々勇者だった…… ……あの子死んじゃいまして!」
テトラは、照れくさそうに苦笑いをする。
そこに『悲しみ』や『嘆き』は一切含まれていない。
むしろ『喜び』さえ見受けられた。
「……テトラ君……貴女は喜んでいるのですか?」
咎めるように投げかけられた質問に、『訳がわからない』というように首を傾げたテトラは、その喜びの根拠を述べる。
「もちろん、喜んでいますよ?だって『魔王が死んでいないのに勇者が死ぬ』だなんて、初めての経験じゃないですか!」
鏡世鏡から勇者の名前が消えていないということは、
『魔王が倒されて、その上で新しい魔王が生まれた』か、
あるいは『魔王が生き残っている中、死んだ勇者の代わりを務める勇者が生まれた』かのどちらかだ。
前者の場合『勇者が死ねば魔王も死ぬ』という仮説が立つが、鉱石人の魔王の存在がそれを否定している。
自身に対応する勇者が死んだ後も、彼は生き続けているのだから。
ならば、後者が正しいことになる。
「………」
黙ったままのパラドクスの反応を見て、続きを話すことを望まれていると考えたらしきテトラは、まるで新しいオモチャを手に入れた子供のようにキラキラと輝く笑顔のまま、続きを話す。
「万が一、勇者を死なせてしまった場合、魔王を倒すことは困難になる……そんな『可能性』について、300年くらい前に天使議会で話しましたよね?」
「厳密には400年前ですが……話しましたね……『勇者の不在』……魔王の天敵たる勇者がいない状況では、我々は苦戦を強いられる、と」
「ジャンケンで喩えるなら、ハサミを使って無理やり石を切ろうとするようなものですからね〜」
「……それが、要らぬ心配だったと?」
「まぁ、まだひとつの反例を見つけた段階ですけど、十分にあり得ると思いますよ!」
「……つまり、貴方が喜んでいた理由は、今後勇者が死んだとしてもすぐに代わりが現れることが判明したから……そういうことですか?」
「はい!喜ぶっていうよりは『安心した』の方が正しい気がしますけど……………これでいいですか?」
テトラは、自分の感情が『合っているか』……パラドクスに尋ねる。
「……最後の一言がなければ、正解だったでしょうに」
「???」
「それに、たとえそのような事実が判明したからといって、勇者であるラピス君の死を悼まないのは間違いですよ」
「……?魔王を倒さずに死んだことについては失望しましたけど、それでも勇者の法則を知る判断材料になったことについては感心していますよ?」
『失望』?『感心』?
……それは、間違っているだろう。
生徒として自分を慕っていてくれ、
神征騎士として自分を支えてくれ、
勇者として命を懸けて役職を全うしようとして命を落としたラピス君……
そんな彼女にかける言葉が……そんなものなのか?
パラドクスは、ギリギリ…と拳を強く握る。
「ッ!……私は、貴女と分かり合える気がしませんよッ……」
「えぇぇ?」
不満そうに頬を膨らませるテトラ。
この世の誰もが恋に落ちそうな……そんな可愛らしい仕草。
それはまるで………。
パラドクスは、自分の罪を再認識し、テトラに対して憤る心を抑えて振る舞う。
「………貴女がそうなったのも、師たる私の責任です。従って、私が怒りを覚えることもまた間違いですね……無駄話はこれくらいにして、話を戻しましょう。ラピス君の死因や死亡時刻はわかっているのですか?」
それを尋ねた途端、テトラはわかりやすく目を泳がせながら、歯切れの悪い説明を始める。
(そっくりそのまま……どうしてこうも……)
「うーん………それがですね…?……先輩がマロン王国で境界線撃ったのって、どれくらい前ですかね?」
(質問しているのは私でしょうに……テストなら0点ですよ?)
「……今から2時間ほど前でしょうか?それが何か?」
「ですよね〜……あの子の推定死亡時刻が丁度、今から2時間くらい前なんですよ……」
「………」
「で、死因は『撲殺』……死体の腕や足の損傷具合から見るに、結構抵抗したみたいなんですよ……結構グチャグチャで……千発以上殴らないと『ああ』はなりません……せっかく可愛かったのに…ハリセンボンみたいになっちゃってました……」
「………?」
今ひとつ要領が掴めないというようなパラドクスの顔を見て『鈍いな〜』と呆れるような顔をしているテトラが、追加の説明をする。
「何より不気味なのは、死体の周囲に、あの子が能力を使った形跡が『全くなかった』こと」
「………ッ!?」
ようやく頭の中で、2つの点と点が線で結ばれる。
「あ、ようやくわかりました?……勇者が死ぬとしたら……ましてや、歴代の勇者の中でも強い方だったあの子が殺されるとしたら、犯人は『天使』か『魔王』くらいしかあり得ないですよね?」
『能力を使った形跡』がないなら『不意を突いて殺した』可能性が浮かぶが、神征騎士で、なおかつ勇者でもあるラピス君の不意をつけるものなんて……それこそ『天使』か『魔王』くらいなものだろう。
だが、テトラ曰く『死体には抵抗の跡があった』と。
『抵抗』したのに、『能力行使の形跡』が無かった……。
それはつまり……『能力が使えなかった』ということ。
「………殺害現場は?」
「死体は聖神都市の第二階層の水路で見つかったんですけど……」
テトラは眉を顰める。自分の城の膝下に、勇者の死体が置かれていたのだから、不満そうにするのが正解……とでも考えているのだろうか?
「死体のズボンのポケットには……これ見よがしにひとつの瓶が入っていまして……」
全身を殴り潰された死体のズボンのポケットに、割れていない瓶が入っているのだとすれば、その瓶は『殴り殺した後』に入れられた物であるに違いない。
そんなことができるのは……殺人犯だけだ。
「その瓶からは、犯人のものらしき指紋も細胞片も見つからなかったんですよ。多分『モルテ』を使ったんだと思います。それで……中に入っていたのは」
「入っていたのは?」
「……ひと握りの赤土……成分分析の結果、最果ての赤土世界の物で間違いない……と」
「……?」
文脈からして、異世界の名前だろうか?
しかし、そんな名前の世界……見たことも聞いたこともない。
「……最果ての赤土世界?それは、異世界の名前ですか?」
「あーー、はい……大体80年くらい前に聖神教会が見つけた異世界で……。
……ちょっとした実験のために『先輩含めた他の7人』には秘密にしていたんですけど……」
誰だって秘め事のひとつやふたつはある物だ。パラドクス自身も、仲間にさえ語らない秘密がないわけではない。
だが、新たなる異世界の存在を隠すとは……それは、あまりに重大な隠蔽ではないのか?
それはそうと、どうやって未知の世界の安全を担保したというのだろうか?
病的なまでに警戒心が強いテトラが、パラドクスによる『開界式』を経ずに異世界の探索を部下に命じるとは考えにくい。
そこで、パラドクスはテトラの『他の7人』という言葉に気が付く。
天使は9人……パラドクスを含む7人が知らなかったのなら……逆に誰か1人は知っていたことになる。
「……この際、そこで貴女が何をやっていたかは置いておくとしましょう。『他の7人』ということは、貴女以外に共謀した天使がいると?」
だいたい誰なのか、察しがつく。
ある意味でテトラと最も仲が良く……ある意味でとても良く似た天使。
「あーー、えーーと、うーーん……」
テトラは、誤魔化すように何度も唸りながらパラドクスの方をチラリと見て、パラドクスの睨みつけるような目つきが『追及を辞めるつもりが全くない』と暗に語っていることを知ると、観念したようにため息をつき、
……道化のように、明るく取り繕いながら言った。
「……ディーちゃんには、伝えてました!」
「ッ!!!」
どんなに声色が明るかろうと、発言の内容が最悪であることに変わりはない。
最悪の予想が的中した。
そして、おおよそ彼女らが最果ての赤土世界で何をやっていたのか……見当がついた。
目的のためなら手段を選ばないテトラ。
享楽のためなら能力の行使を厭わないディケニア。
性格の悪さでは他の追随を許さない2人が手を組んだとなれば……起きたのは間違いなく『悲劇』だ。
「……ディケニア君は……今どこに?」
「アハハ……それが、今のところ音信不通で……多分、今回の魔王を倒すまで出てこないと思います……」
「………わかりました。話が逸れましたね。犯人が残したであろう瓶に異世界の赤土が入っていたと……それがどうかしたのですか?」
「………単刀直入に言うなら『犯人は魔王』ってことです」
「瓶に赤土が入っていただけで、なぜそう言い切れるのですか?」
「うーーーん……『魔王』じゃないとあのアピールの仕方は思いつかないというか……説明が難しいので……とにかく私を信じてください」
テトラの発言で、『間違った』ことなんて、おおよそ千年の付き合いだが、ほとんどない。
彼女の積み上げてきた『正解』は、その勘の質を担保するのに十分だった。
「………わかりました。しかし、あくまで仮定に過ぎぬことを忘れないようにお願いします」
「……はい。それで、あの子の死体を解剖した結果、肺の中にあの世界特有の『砂塵』が発見されまして……その量から考えて、あの世界で呼吸しながら死んだ可能性が極めて高い…というのが私たちの見立てです。
以上の仮定と根拠に基づいて、私の意見を言いますね?」
「……どうぞ」
「……前任の勇者こと、ラピス=テトラドールを殺害した犯人は魔王。
殺害現場はおそらく最果ての赤土世界。
犯人は『何らかの手段』によって彼女を拉致し、最果ての赤土世界に送った上で殺害……その後、赤土入りの瓶を添えて聖神都市に死体を遺棄。
それとほとんど同時刻に、マロン王国にて悲劇をもたらした……。
以上から、魔王は『門番』である可能性が極めて高い」
「…………『門番』ですか……」
パラドクスは、何かを憂慮するような、小さな呟きを漏らす。
テトラは、パラドクスと全く同じことを考えながら、
「おそらく先輩の考えている通りだと思いますよ。
……マロン王国の重力異常が発生した時、世界の挙動は石壁の迷宮世界そっくりだったんじゃないですか?」
「………その通りです。ということは……やはり……」
「ええ。まず間違いなく『羽化』している。
……今回の魔王は『羽化した門番』……それも『複数の世界達』へのゲートを開ける……」
それが、どれほど化け物じみた能力なのか。
………パラドクスは『身をもって』知っている。
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テトラと別れたパラドクスは、目的もなくゲートを潜り、その先の聖神都市を歩き始めた。
今日1日で、あまりに多くのことが起き過ぎた。
パラドクスといえども、少しの間、何も考えずに過ごしたかった。
冬だというのに、聖神都市は春のように暖かい。
都市中に配置された数多の能力者が気温を制御しているのだろう。
この都市特有の気温により、周りを見渡してもコートを着ている人間は1人も見当たらない。
パラドクスは、もはや慣れた周囲からの奇異の目を無視しながら、ふと、自分の歩いている場所がどこなのか、疑問に思った。
気付けば、既に中心部から離れて、今歩いているのは第二階層の周縁部……そのうち、南に位置する地域だった。
第三階層との境界である垂直な崖……そのギリギリに置かれた低い塀と巨大な円弧の一部である水路に挟まれるようにして、パラドクスは歩いていく。
左を見れば天に聳える純白の壁が夕焼けにより黄金色に染められていて、
右を見れば黄金色の空と湖……そして目下に広がる都市が小さく見える。
そんな景色に惚れ込むかのように、数多くの人々が塀に寄り沿って銅像のように固まっている。
ほとんどの人間達にとっては、ここからの眺めが『世界一高い場所からの景色』なのだろう。
第一階層に登れる人間は、神征騎士や聖神教会の最高峰の役職者達といった限られた者達なのだから。
だが、パラドクスは知っている。
第一階層からの眺めを。
世界の頂点に立つ者の城からの眺めを。
微かな優越感を感じるとともに、そんな自分の浅ましさに嫌悪感を抱く。
(私は……思い上がっていた……彼らの知らない景色を知っていると…意識せずに自惚れていた……。
……最果ての赤土世界……そんな世界があることを、今日この日まで……私は知らなかった)
拳を固く握ったところで、ふと、パラドクスはあることに気がつく。
「………おや?………確かここは……」
独り言を呟いた後、左側……すなわち、第二階層で最も外側に位置する屋敷の列を見て、見覚えのある屋敷を見つけたと同時に、後ろから声が飛んでくる。
「アレ?校長?」
「どうしたんすか?こんなところで」
振り返ると、そこにいたのはムジカ君とアスタ君だった。
(そういえば……彼らは今、クリスタリアに留学中でしたね……集団で留学をするコスモス生達の為に、ちょうどあそこに屋敷を用意していたのでしたね……危うく、気付かずに通り過ぎるところでした)
「……久しぶりに君たちの顔を拝もうかと思いましてね……いかがですか?クリスタリアでの学校生活は?」
果たして……私は笑顔を作れているだろうか?
「いやぁ、ボチボチっすね!」
先に口を開いたのはアスタ君でした。
きっと、ボチボチではないのでしょう。
赤点のひとつやふたつとっているのを誤魔化すような笑い方をしている。
「ふふふ、本当ですか?」
私は冗談めかして笑いながら、アスタ君の方を見る。
彼は首を傾げている。
何かしっくりこない……そんな様子だ。
その目は、隣にいるアスタ君ではなく……私に向けられている。
「……どうしたのですか、ムジカ君?私の顔に何かついていますか?」
どうか、気付かないでください。
私は……ジェファス君のもとで醜態を晒したばかりなのです。
君たちが不安にならないように……平静を装えることを、証明させてください。
「…………校長……あんまり、背負いすぎないでくださいね?」
彼は、いとも容易く、私の虚勢を看破してみせた。
「はぁ?ムジカ、お前何言ってんの?」
「アスタは黙って」
「……どうしてそう思ったのですか?」
「だって、校長、いつもより笑顔がぎこちないですよ?」
「え?そう?」
『ドゴッ』「ッ!!??!」
肘打ちにより、アスタ君は気を失い、地面に倒れ込む。
私の醜態を、アスタ君に見せないための心遣いだろう。
あぁ、ムジカ君……貴方は優しい人だ。
「……ふふふ、お見通しですか……」
「……校長がそんなに憔悴されるだなんて珍しい……差し支えなければ、聞かせてください」
「…………」
パラドクスは、黄金色の空を見上げて、言葉を絞り出す。
「………ジェファス君が……私の目の前で亡くなりました」
「ッ!?そんなッ!ジェファス先輩がッ!?」
「……彼だけではありません……数え切れないほどの人々が………、
……私は……誰1人として……救うことが出来なかったッ………」
掠れた私の声を聞いたムジカ君は、しばらく考え、途切れ途切れに……
「校長……貴方は、断じて罪悪感を感じるべきじゃない……人々を救えなかったとしても……救おうとしたその意思が本物なら……貴方は罪悪感に縛られるべきじゃないッ……」
それは……かつて、オクトと共に話していた時の物より、はるかに強い言葉だった。
まるで、彼自身も似た経験に苦しんだかのような……そんな強い感情が込められた言葉だった。
夕焼けを見ていた人々はいつしか何処かへ消え……
気絶して床に倒れたアスタ君を間に挟む私とムジカ君の2人……
夕焼けが煌々と輝く中、しばらく沈黙が流れる。
先に口を開いたのは、ムジカ君だった。
「……どうか話してください。校長……いったい……何があったんですか」
それは、間違いなく、純粋な善意によって紡がれた言葉だった。
自分を心配してくれていたからこその言葉だった。
まるで、怪我をした子供を慰める母のような、優しい声色だった。
私は、俯きながら……拳を固く握り、やり切れない思いを吐き出した。
「………彼らは……『魔王』と呼ばれる能力者によって殺されました……」
「ッ!!!!??」
ムジカ君の目が、驚きによって見開かれる。
初めて聞く『魔王』という荒唐無稽な単語に、驚くのも無理のない話だ。
「……『魔王』とは、人類に仇をなす卑劣で……邪悪な……
……それでいて、あまりに強大な力を持つ敵ですッ……!!」
言葉に熱が入る。
彼に語りたかった。
つい先ほど、自分が味わった『理不尽』を。
冷め切らない『憤怒』を。
忘れてはならない『後悔』を。
「……彼らには……なんの罪もなかったッ……ジェファス君が……危険世界での遭難という苦難を乗り越えて……ようやく……ようやく!!!掴んだ幸せをッ!!!
……まるで癇癪を起こして机をひっくり返すようにッ……無惨にも破壊し尽くしたッ!!
……『魔王』は、そんな……残虐なる狂人ですッ……」
ジェファス君が自殺した場面が、画像として脳裏に浮かぶ。
……悲劇を忘れられないのが……私の脳の悪いところだ。
煮えたぎる怒りと憎悪が、涙となって溢れ出す。
涙を流すだなんて……いったい、いつぶりだろうか……。
「彼はッ……彼らはッ……そんな『魔王』に殺されたッ……
……私はッ!!あの場にいたというのにッ!!!たった1人の教え子さえッ!!救えなかったッ!!!!」
パラドクスは、取り返しのつかない失敗をしてしまったことを後悔する子供のように、激しく慟哭する。
パラドクスは、慟哭によって不整な呼吸を強いられる。
「…………校長……」
視線を地面から声のした方へと向けると、そこでムジカ君は、私と同じようにポロポロと涙を流しながら、
「………悪いのは………校長じゃあ……ないですよ………悪いのは……『魔王』だ……」
彼は俯き、呆れたように……あるいは……何かを後悔するように、泣きそうな顔で笑う。
「………ハ…ハハ……僕には、こんなことを言う資格なんて……ないだろ………すみません、偉そうに……」
私は、微かに震える心優しきムジカ君を見て、
……『勇者』として……覚悟を決めた。
「……ムジカ君」
「…………なんでしょう、校長」
「私はつい先ほど……そんな『魔王』を討伐する『勇者』に選ばれました……」
ムジカ君の目が大きく………大きく見開かれる。
「私は……ジェファス君を殺した魔王を絶対に許さないッ!!!
罪なき人々に惨劇を振り撒く魔王の魔の手からッ!!!
私は『勇者』としてッ!絶対に君たちを守ってみせるッ!!!!」
ムジカ君の目に涙が溜まる。
その涙は、まるで目下に広がる湖のように、黄金色の夕焼けをキラキラと反射する。
ボロボロと彼の目から崩れ落ちる涙の粒が……奈落へと落ちていったジェファス君を思い出させる。
ーーーもう取りこぼしはしないッ……絶対にッ………
私は、なおも怯え、震えているムジカ君の両肩を、
『絶対に取りこぼさない』と決心しながら両手で掴み、
半分はムジカ君に向けて……、
………そして、半分は自分への戒めとして、
覚悟を決めて、宣言した。
『私はッ!!命に代えてもッ!!!絶対にッ!!魔王を殺してみせるッ!!!!!!』
ムジカ君の目から……涙がボロボロと溢れ続ける。
彼は、裾で涙を拭き、もう1回拭き、さらに拭き、笑顔を作って……
………それでも滲み出る涙を両目から溢しながら………
「………校長は………最強ですもんね…!!
……倒せますよッ……きっとッ……!!
……悪い魔王なんかッ………!!!」
2人の横では……まるで………『何かの始まり』を暗示するかのように……
………黄金色の太陽が、沈みつつあった。
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「違うッ!!!!!私がかけるべき言葉はッ!!!!!あんな物ではなかったッ!!!!!」
パラドクスの目から、涙が止まらない。
脳裏に浮かんだかつての景色は、愚かな自分と、哀れな教え子を写していた。
「あんなッ……よりにもよってッ……あんな酷い言葉をッ!!」
真っ黒な後悔が心を蝕む。
パラドクスは、セントとマギカの視線を忘れてしまったかのように、両手で頭を抱え、真っ黒な髪を狂ったように掻きむしる。
髪と血と皮膚が舞い……猛獣の爪で引っ掻かれたような惨い傷跡が、
…まるで『自傷を許さない』かのようにすぐさま治っていく。
そこに魔素の流れはなく、それが治癒技能による物ではなく『単なる細胞分裂』によって引き起こされたことに気付いたマギカは、天使という生物の異様さに息を呑む。
校長がこのように取り乱すことがあるだなんて予想だにしなかったセントは、パラドクスの狂った嘆きに息を呑む。
「私は……気付くべきだったッ!!!!あの時の彼の表情は………言葉はッ!!!!」
……突然、パラドクスの背中に、2枚の翼が生える。
それは、この世の何よりも黒く………まるで、世界を全てその一色に塗り潰さんとする傲慢さと凶悪さを兼ね備えていて……一眼見ただけで人々を恐怖のどん底に陥れるような……。
「私はッ!!!!!なんということをッ!!!!!!!!!!!!!!!!」
『ーーッ!!!!!!?セントッ!!逃げ
『ヴォン』
それは、とても低い音だった。
容貌が定まらない粘り気のある暗闇が、
全てのものを喰らい尽くそうと考える貪欲な化け物が、
……舌舐めずりをするような、そんな『怖い』音だった。
恐怖で心臓が止まりかけたセントとマギカの視界が、真っ黒に塗り潰されたのと、
そのすぐ後に、目を焼き焦がすほどの真っ白な閃光が瞬いたのは、
ーーーほとんど同時と言って、差し支えなかった。
そんな『無能』な少年は、ある日、師と出会い、
いつの日か、『無敵』と呼ばれるようになった。
そんな彼は、
かすかに自惚れていた。
『自分には、誰よりも弱い時代があったのだから』
『最強になったところで、無力だった時代を忘れるわけがない』と。
愚かにも、彼は忘れていた。
自分の力では解決できない問題が現れることを。
その時に味わう苦しみを。
そんなものは『過去だけのもの』だと。
『これからは、起こり得ない』と。
彼は、自惚れていた。
 




