『ザクロ王国の悲劇』 第三幕《下》 『歪みて成すは 悲劇の歯車』
フィーアが喀血した時刻の……とある異世界。
そこでは、海の上に輝く夕陽が、決して沈むことなく空に浮かんでいる。
まるで、絵本に出てくるように美しく、儚く、だというのにその景色が永遠に続く異世界。
夕陽に照らされオレンジ色に染まった白浜を走るさざなみの音は、聞く者に安寧をもたらす。
黄金色の黄昏時で時が止まった理想郷。
この世界にて、人に悪意のある生物は確認出来ず、その美しさは数ある世界の中でも最高位に位置する。
されど、太陽から放たれる光線は人に対して牙を剥き、常人ならば数時間の後に死に至る。
死にゆく者が眼を焦がし、恍惚とした顔に涙を浮かべ、儚く散りゆく……。
この静かな世界の名は、『空虚なる黄昏世界』
そんな夕焼けに照らされ、白い砂浜と同じ色に染まった白い衣服に身を包む2人の……
……いや、2羽の天使が、砂浜に置かれた丸机と椅子に座り、ティーパーティーをしていた。
「聞いたわよ、テトラ。貴女、大陸の南西部の王から求婚されたんですって?」
ティーカップをソーサーに置き、そう語るのは白いドレスに身を包んだ序列第2位天使、ディケニア=コスモスだ。
「もうっ!ディーちゃん、情報が古いよ?それ、16年くらい前の話!」
怒ったような表情を作りながら、椅子の背もたれに寄りかかり、空に向かってため息をつくのは、白いスーツと紫のローブを身につけた序列第9位天使、テトラ=リリウムだ。
「16年でしょう?割と最近じゃない……で、その人と今どんな感じなのかしら?」
「えー?久しぶりに会えたと思ったら、恋バナ〜?他に話すことないの〜?」
「そんなこと言うけれど、私は貴女とちょくちょく会っているのよ?」
「えー?じゃあそのままにしておいてよ〜」
「イヤよ。私が干渉した結果、未来が変わったら面白くないでしょう?」
「うー、ムジカ君以来、まーーーったく、協力してくれないよね〜」
「私は遠くから眺めるくらいの立ち位置が好きなのよ」
「天使から悪魔にジョブチェンジ?」
「私は天使のままよ。それより、貴女の悪い癖。話を逸らさないでくれるかしら?」
「うーーー、フィーア君って言うんだけど、ザクロ王国の王様」
「あら?クロノス達の国?確か、お義兄さまも居たはずよね?」
「そう、その国。で、面白いことに、昔の私とほとんどおんなじ言葉で求婚してきてさ?」
「それはーーー心中お察しするわ。貴女と彼に。それで今はどうなの?」
「ん?戦争の火花バチバチ」
「あらら」
「世界統一する、って言って、私の言うこと聞かなくてさ〜。自分の物を滅ぼさないといけない私の身にもなって欲しいよ〜とほほ」
「貴女は滅ぼされる側の気持ちを知るべきよ」
「興味ないな〜。あ!そうそう!ヘキサ先輩がフィーア君と戦ってね?」
「あら?遠縁の親戚同士の戦い?いつ?」
「えーと、忘れた」
「せめて…どこ?」
「オリギネアの庭だよ」
「面白かったわ」
「あ、見てきた感じ?」
「ヘキサったら、頬を切られちゃって!ふふふ、アダマシィアにビンタされた時を思い出したわ」
「え!?何その話!興味ある!」
「まだ天使が5羽だった頃、今の『コスモス』があった場所に私達が住んでいたのよ。見てないの?」
「その時代は見ていないかな。それでそれで!?」
「アダマシィアがヘキサに、『天使になっても身長伸びる?』って聞いたの。それでヘキサったら、『諦めろ』だなんて笑って言うものだから、アダマシィア、怒っちゃって」
「あー、アーちゃん、身長低いの気にしてるもんね」
「あぁ、そうそう。『天使になっても、胸は大きくならないわ。諦めなさい』ふふふ」
『はぁ、貴女ってホントに嫌味な人ね?』
「ふふふ、そんなに怒らないで。ちょっとからかっただけじゃない……あれ?そういえば、気になっていたことがあるのだけれど?」
「ああ、苦いわ。ホントに苦い……苦いわ」
「悪かったわ。からかったのは悪かったから。そんなことより、貴女ってお義兄様のことも、オクトのことも、ヘキサのことも、先輩と呼ぶわよね?」
「うん、それが?」
「私は?」
「ディーちゃん」
「どうして先輩じゃないの?」
「うーん、何となく?女子は大体〇〇ちゃんで統一してるから」
「私、年表的には貴女より数十歳くらいは歳上よ?」
「それはそうだね。でも、そんなこと言ったら、アーちゃんも似たようなものでしょ?」
「アダマシィアはアダマシィア。あの子はそこら辺、気にしないでしょう?そもそも、当時だって自分の年齢知らなかったわけだし。それに私はアダマシィアと違って、生きている時間の方で数えたら、多分数百歳は歳上よ?」
「あ、そんなに?」
「そうよ」
「じゃあ、パラドクス先輩より精神年齢は上?」
「そうよ。さぁ、私を『ディケニア先輩』と呼びーーー」
「へぇ?そうなんだぁ〜ディケニアおばさん!」
『ピキ』
ティーカップに亀裂が入り、すぐさま亀裂が埋まる。
俯くディケニアを眺めながら、テトラはとてもとても意地の悪そうな笑顔をニコニコと浮かべて、
「いや、ディケニアおばあさんの方が適切かなぁ!アハハ!」
「私くらいの精神年齢になると、寛容になるのよ?」
「とかなんとか言って、これ何回目?」
「歴史上、205回目よ。205回とも貴女は私をおばあさん呼ばわりしたわ」
『パチン』
「あらら………あー、アーちゃん、身長低いの気にしてるもんね」
「でしょう?コンプレックスを刺激されると……ねぇ?」
「どうして私を見るの?私なら寛容な心を持って許すだろうな〜」
「…… ……そして、ヘキサはビンタされて真っ赤になった頬のまま私のところに来て、『なおしてくれ』と言うの。でも、腫れた頬のせいでうまく聞き取れなかったわ」
「ヘキサ先輩って意外とお茶目なところあるよね〜。神経質な真面目君って感じの見た目なのに」
「まぁ、ラウスの血でしょうね」
「そのラウスの血を継ぐ王様に求婚されたんだよね〜」
「あー、そうなるのね。血は争えないわね。ところで、その王様は今どんな感じなの?」
「ん?フィーア君?フィーア君ならーーー」
テトラは、クッキーを1枚手に取り、口に入れ、甘さを楽しみ、紅茶をひとくち飲み、クッキーによって乾燥した口の中を潤した上で、何事もないように、
「ーーー今頃、病気で死にかけているんじゃない?」
淡々と、無表情で答えた。
「あら?疫病?」
「うん。初めて見たタイプ。便利なことに、魔臓との適合性が高いーーー要するに、ザクロ王国の貴族みたいなタイプが罹りやすい傾向にあるんだよね。しかも、致死率は極めて高いから、まぁまず死ぬね」
「あら。魔臓との適合性が高いと罹りやすいなら、分不相応な能力を持つお義兄様は安全ね。良かったわ」
「やっぱりディーちゃんって、パラドクス先輩のこと、大嫌いだよね」
「嫌いよ。話を戻すけれど、貴女のお人形さん達を戻したのも?」
「うん。無駄に減らしたくないしね。とはいえ、ザクロ王国の貴族ーーーというより、公爵家の純血達があの病に弱いのは確認済みだけど、アラント帝国の貴族達はそこそこ耐性があるみたいなんだよね。だから、あの子達も意外と大丈夫かもしれないけど、こうなったらアラント帝国に残す意味もないし」
「……貴女の敵だけが苦しむ疫病……?貴女、まさかアダマシィアに?」
「アーちゃんは人殺し嫌いだもん。怒って我を忘れない限り人を傷つけたりしないし、そんなに怒ってたら疫病なんて『創れない』し」
「……世界に愛されているわね。運?」
「いいや?計画通り」
「随分と手の込んだ計画ね?」
「だって、私はテトラよ?」
「……それもそうね」
『ダンッ!!!!』
閉じていた謁見の間の大扉が、大きな音を立てて開かれる。
「近衛騎士団よ、より!!た、大公テクニカ殿に!ほ、報告ッ!!」
「……なんだい?今この場は僕と陛下以外立ち入り禁止の筈だろうッ!!?近衛騎士団の分際で、何故扉を開けるッ!!?」
いつもは機械のように淡々と執務をこなすテクニカの激怒を初めて見た近衛騎士は、心臓が止まる思いをしながらも、自分の職務を実行すべく、肺から声を出す。
「処分はいかほどにもッ!!!ぴ、ピクトネア王子、ストライド王子、アラクネス王子、ホーキンス王子、ホルムズ王子、ヘンデル王子……そ、その他『全て』の王子・王女様が……」
テクニカの笑みが引き攣る。このタイミングで……そのセリフに何が続く?
「ハ、ハハ……?なんだ?その口ぶりは……?体調でも崩されたか?それとも喀血したとでもーーー」
テクニカの声は、震えている。無理のない話だ。フィーア大王に仕えて以来、長年に渡り忠誠を誓い、その王子・王女らがザクロ王国を継ぐ……その日に向けて、面倒を見てきた子供達だ。
テクニカには、『子供に対する愛情』だなんて、そんな綺麗なものはない。どこかの教皇と同じように。
だが、それでも、かつてあの日に檻から出てきたばかりのフィーア……彼と肩を並べるほどの才能は無いと知りながらも、彼に近付いて欲しいと心より願いながら寄り添ってきた子供達だ。
(どうしてこのタイミングでッ!?陛下が喀血したばかりのこの時にッ!?陛下の子女が……喀血ッ!?)
ああ、哀れなるテクニカ。彼は知っているはずなのに。
これまでたくさんの惨劇を撒き散らしてきたのだから。
苦しい時、悲しい時に、パッと思い浮かんだ最悪の想定をーーー、
「や、病に倒れ、さ、先ほど……お亡くなりに……」
ーーー世界達は、いとも容易く、超えてくるのだ。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」
この男が、ここまでの怒りを……激情を露わにしたのは、母を殺した時以来だった。
「ッ!!!心より、ご冥福をお祈りしますッ!!!!」
「………………」
テクニカは思わずふらつく。
(どうしてこんなことに?何もかもが上手くいっていたはずだ。それを……どうしてこんなことにッ!?)
近衛騎士は、一刻も早くこの場を立ち去りたい衝動に駆られながら、なんとも不運なことに見つけてしまった。
大王フィーアの玉座の前……テクニカと近衛騎士が立つ床と玉座のある舞台の上を繋ぐ階段に、小さな小さな滝のように滴る、鮮やかな血があることを。
「……?その血溜まりは、ま、まさか……陛下も?」
近衛騎士は、兜の中で青ざめ『この緊急事態を早く王城中に伝えねば』という衝動に駆られ、たった今通ったばかりの入り口目掛けて走り出した。
ワナワナと震えていたテクニカは、謁見の間から逃げ出そうとしている近衛騎士の方に、バッ!と視線を向け、癇癪を起こした子供のような声でーーー叫んだ。
「直死の魔笛ッ!!!!!!」
それは、魔言ではなく、詠歌だった。
本来ならば、事前に多くの詠唱が必要であり、それを切り捨てて発動するのだから、威力は大いに落ちる。
だが、彼は大公テクニカだ。
ザクロ王国大王フィーア=レジア=ザクロ、王国軍総帥リオレア=ジ=サンドレアに次ぐ武力を持つ能力者だ。
一介の近衛騎士の命を屠る程度、造作もない。
『ガッ!!!』
近衛騎士は痙攣しながら地面に倒れ、すぐに動かなくなった。
「……陛下…?陛下の監視能力で確かめて下さい……?そんなバカな話があるわけがーーー」
「そやつの言う通りだ。どうやら、ザクロ王国内の子らは、全滅のようだな」
「そんな……そんなぁ……」
「加えるなら、リオレアも病に倒れた」
「いやそれは別に大して……」
「戯けるでない。余にはわかる。リオレアはもはや助からぬ。子らが全滅したことはこの際どうでも良い。王を継ぐものなら当てがある。それよりも、王国軍を率いる総帥を選ばねばならぬ」
「……確かに、陛下の子女らが亡くなったことは未来の損失ですが、サンドレア公爵の死は現在の危機……って!え?まさか、あのバカ息子に総帥を継がせるつもりですかッ!?あの問題行動ばかりの無能にッ!!??」
「……少なくとも、血筋とそれに伴う能力の強さは折り紙つきだ。軍の運営については、軍略を指揮する司令部を新たに設置し、リオレアの倅には司令部の指示に従うようにしておけば良い。元からサンドレアに軍略を練る知能など期待しておらぬ」
「承知しました。となれば、ムーンフィリア家の者達に依頼することになるでしょう。そういえば、ムーンフィリア公爵は……?」
「何が『そういえば』だ。気になるなら素直に聞け。安心しろ。タレンティアは無事だ。少なくとも今のところは」
「サンドレア家とザクロ家……ザクロ家なんて言葉、久しぶりに使いましたね……とりあえず、その2つの血筋が病に弱いわけですか。僕は今のところはなんともありませんし、多分アルムクリアは大丈夫ですね」
「ジャスティミシア、ペンタグリアは共に無事だ。侯爵についてはーーー、ふむ、致命的な家が5つほどだな。伯爵家はーーーなんと……コスモスの生物科教授が病に伏しておる。ヴィロメントは貴様の母方の血筋……父方のアルムクリア側に耐性があったのか、はたまた、近親相姦を繰り返した血筋が弱いのか……歴史資料を思い出す限り、後者だな」
「アルムクリアは他家の血筋を頻繁に取り込みますからね……それこそ、伯爵家からも」
「思い返せば、サンドレアは最も近親相姦による生まれが多い」
「サンドレアらしいですね。それこそ、あのバカ息子もやらかしたそうですし。近親相姦ばっかりやっているからあんなに頭が残念なんでしょうね〜」
「嘆かわしいことに、ザクロ王家も……他ならぬ余自身もそうだ」
「前言を謹んで全力で撤回します」
「……ふむ、サンドレアでも、傍流……すなわち近親相姦による生まれでは無い者達は比較的耐性があるようだ。アラント帝国に送った大臣も無問題のようだな……そういえば、そうだったか」
フィーアは、何かを思い出したかのように顔をあげ、血を一回吐いた後に、虚空を見つめながら、
「大臣に次ぐ。ザクロ王フィーアより命令を下す。戦線に滞在するリオレアの倅とアラント帝国に送った公爵家の娘2人を含むザクロ王国民を連れて王都に帰還せよ。決してサンドレアの付き人を忘れるな……これで良い」
「今更帰還させる意味あるんですか?元々戦争に巻き込ませて殺すための子達でしょう?アラントの奴らを信用させるための駒で、いざ内乱に巻き込まれたら彼女らを保護する名目で侵略する予定だったじゃないですか」
「貴様はサンドレアをバカにできぬぞ?事情が変わったのだ。余の優秀なる子らは潰え、リオレアのバカ息子が軍の頂点に立てねばならぬような人材不足だ」
「それは深刻ですね……本当に。でも、留学生らはわかりますけど、どうしてリオレアの息子まで?」
「……試金石というものだ」
(試金石?確か、金とかの貴金属を鑑定するために太古の花皇国で用いられていた石?そこから転じて、物事の本当の価値を見極めるためのものとかそんな意味になるんだよな?歴史、全く興味ないからサボってたけど、受けとけばよかったな。というか、黄金なのに試金石?試金石じゃなくて金の方じゃないのかな、アイツら)
「見ておればわかる。ただひとつ。貴様は手を出すな」
「………?」
「首を傾げるでない。貴様は近衛騎士を殺したばかりであろうに」
「あ、忘れていました……でも、陛下の体調がよろしくないという情報を城内にばら撒く可能性が……」
「どのみち隠せまい。安易に人を殺す……貴様の悪い癖だ」
「……要らない人は殺すべきでは?」
「恐らくあの教皇も同じことを考えているだろう。それそのものを否定するわけでは無い。だが、これから起こることに対し、貴様が能力を使えば未来が変わりうる。この場で明示しておこう」
フィーアは、玉座から立ち上がり、階段を降り、テクニカの側に近寄ってーーー、
「余らの時代は終わった」
「ッ!!!」
それは、主人に、最も言われたく無い言葉だった。あの完全無欠たる主人から、そんな弱い言葉が出るだなんて、信じたくなかった。
「これから起こるは撤退戦……疫病や聖神教会によるダメージを可能な限り減らし、次の世代に力を渡し、いつの日か、あの教皇を倒す……その未来に向けた正念場である」
「…………承知…しました……」
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それからの数日間は、地獄だった。
王子・王女らの葬儀が終わったかと思えば、彼ら彼女らの遺灰を片付ける暇もなく、焼却炉には死体が詰め込まれていく。
国内外から集めた優秀なる血筋の幾つかも、既に途絶えた。
王子・王女らの死や、ザクロ王国軍総帥リオレアの死、そして多数の貴族や一般市民らの死は……
ーーー国に暗い影を落とした。
ーーー心理的にのみならず『物理的に』だ。
王都中の焼却炉……その煙突から出る黒煙が空を覆い、かつて栄華を誇ったザクロ王国は、数日前まで人間だった灰が舞う暗黒都市に変貌した。
ザクロ王国民が最も悲観しているのは、王の後継ぎ問題である。
十数年に渡る繁栄をもたらした超人……ザクロ王フィーアが病に伏し、その子供達も病に倒れたとあっては、もはや巨大化したザクロ王国の手綱を握ることができる人間は誰もいないのでは無いか?
幸せに輝いていたはずの未来には、いつのまにか暗いモヤがかかり、1週間も経つ頃には、国から希望が消えていた。
そんな風に、人々が今にしがみつき、未来へ進みたくないと願うような暗い暗い曇りの日。
太陽なんて……未来への希望なんて……すっかり隠れて見えなくなってしまっていた日。
数台の馬車が王城の中に入って行った。
だが、もはや誰もそんなことを気にしてはいなかった。
未来が見えなくなった人々は、息をするだけで……精一杯だったのだから。
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フィーアが本を読んでいる。
ここは、謁見の間ーーーではなく、王城内のとある個室。
それほど広くない部屋の中で、フィーアはベッドに横たわっている。
ページを捲るその手の甲には、黒い模様がくっきりと現れていた。疫病に罹っている証拠だ。
そんなフィーアのすぐそばの机で書類を読み込んでいるのは大公テクニカ。心なしか、彼も元気がないようだ。
そんな2人のいる部屋に入ってきた男が1人。アラント帝国に出向中の大臣だ。
「……陛下。お連れしました」
「うむ。ご苦労。あとはタレンティアの指示に従え」
「了解です………あの……」
「発言は許さぬ。何もせず、タレンティアの元に向かい、指示を仰げ。以上だ」
「……………承知しました」
大臣は部屋の外に出ていく。彼もまた、どこか悲しげに見えた。しかし、大臣という立場にありながら、彼が気にかけていたのはザクロ王国ではなく……運命の歯車に轢き潰されてきた子供達のことだろう。
部屋に残ったのはテクニカとフィーア。
かつては、この場にもう1人いたはずなのだが、どこかで道を間違えてしまったらしい。
果たして、道を間違ったのは、誰なのか?
それは、のちの歴史が教えてくれるだろう。
時計の針がカチカチとうるさく聞こえるような、静かで静かで、とっても静かな部屋。
テクニカが書類をめくり、フィーアがページを捲る……そんな音がたまに鳴るくらいだ。
「………陛下?どんな本を読んでいらっしゃるのですか?」
静寂に終止符を打ったのはテクニカだ。
「……絵本という物だ」
「へぇ……陛下がそういう本を読むだなんて、意外です」
「だろうな。なにせ、王になってからはこれが初めてだ。この本も、初めて読むものだ」
「本のタイトルは?」
「………醜いアヒルの子……というものだ」
「え?醜いアヒルの子、今初めて読んだんですか?」
「……さぁ。わからぬ。ただーーー」
「ただ?」
「読んでいたとて、記憶に残らぬ」
「と仰ると?」
「つまらぬ。内容が無いではないか」
「絵本なんてそんな物ですよ」
「そうか………さて、行くか」
フィーアはベッドから起き上がり、窓際の壁に立てかけてあった物を取る。
「………王剣を?戦争にでも行くつもりですか?」
フィーアが取った物の名は『王剣』……ザクロ王国建国以来代々受け継がれてきた剣であり、ザクロ王の象徴でもある。
刀身も持ち手も柘榴色に輝くその材質は、石にも金属にも見え、建国から2,100年ほどが経つ現代に至っても素材の解析が全くと言っていいほど進んでいない。
手にすれば絶大な力を発揮すると言われているが、実際にザクロ王がこの剣を戦で振った事例は聞いたことがない。
どういうわけか、代々のザクロ王は戴冠式にて王剣を天に掲げる儀式を終えて以降、実際に武器としてこれを使う者はいなかったのだとか。
代償として寿命を使用するのでは?そもそも、絶大な力なんてないのでは?などという噂もあるが、真実を知っていたであろう先代ザクロ王を殺してしまった以上、もはや真実は闇の中である。
「まぁ、陛下なら王剣なくても一騎当千でしたけどね」
フィーアは、彼らしくもなく、よろよろと、王剣をさながら杖のように使いながら部屋を出て行こうとする。
テクニカは黙って立ち上がり、フィーアに肩を貸す。
「……助けは要らぬ……余は王だ」
(……王だから、助けが要らないと?)
フィーアは断固としてテクニカの肩を借りようとしない。
「……そんなこと言いますけど、そんなにゆっくりと歩かれては時間がもったいないですよ?ホラ、僕の肩をーーーッ!?」
テクニカは、半ば無理やりフィーアに肩を貸そうとして、驚く。
「……2度言わすな。手を離せ」
「………はい」
テクニカは、フィーアの後ろに回り込み、追随する。
…………軽かった。
……鉄の剣より、木の棒より、軽かった。
涙が溢れてきた。テクニカが泣くのは、一体いつぶりなのだろうか?
(ああ、この人は……この大王は……)
フィーアは王剣を杖のように突き、足を骨折した怪我人のように歩いていく。
(………1人だったんだ……ずっと…勘違いをしていた……僕は…貴方の仲間だと……違ったんだ……あの人は…僕らを頼っていたわけじゃないんだ……助けを乞うだとか……仲間として助け合うだとか……そんなもの……この人は知らないんだ……)
フィーアは部屋を出て、迷いなく廊下を進んでいく。
まるで、目的地が既に決まっているかのように。
まるで、テクニカがついてきているかどうかなんて、これっぽっちも気にしていないように。
独りで歩み続ける王は……どこまでも孤独だった。
(……僕は……特別だと思っていた……他の奴らと違って…僕だけは貴方に寄り添えていると……思い上がっていた……)
フィーアは止まらない。
例え、ふらつこうとも、壁に手をついたりせず、王の証たる王剣のみを寄る辺として、廊下の真ん中を、歩いていく。
(……わからない……わからないですよ、陛下……僕は人としては欠陥があるかもしれませんが、それでもわからないですよ……僕くらい…頼ればいいじゃないですか……頼ってくれても、いいじゃないですか……)
テクニカは駆け足でフィーアを追い、付き添うようにして後ろからついていく。
やがて、フィーアは、とある場所で止まる。
そこは、小さい中庭を囲むような建物の2階部分。
中庭を見下ろし、囲い込むバルコニーのような廊下と、大理石を削って作られた落下防止用手すり……チェスの駒を想起させる見事なものだ。
(空中庭園のみならず、中庭の花も手入れしなくなっちゃったからなぁ……陛下はここに何をしにきたんだろう……?)
「ーー!ーー!!」
何やら、1階……すなわち、中庭の方から声が聞こえてきた。
うまく聞こえないが、声色は穏やかでない。
(んー、技能使おうかーーーえ?)
突然、フィーアが王剣を持ち上げ、手すりを越えて、中庭の吹き抜けの部分にかざしーーー、
ーーー手を離した。
必然的に、王剣は重力に従って自由落下を始め、中庭の端に落ちた。
文字通り『王の証から手を離した』のだ。言わずもがな、意図的に。
「え!?陛下、何……を…………………」
階下の光景を見て言葉を失ったテクニカを放置して、フィーアはまた歩き始める。
「テクニカ、干渉はするな。勝者を余の部屋に連れてこい。余は本の続きを読んでおる」
「…………………」
「返事は?」
「……承知しま……した………」
……裏切られた気分だった。
いや、主人相手に、『裏切られた』は間違いか。
……信じてもらえていなかった……これが正しいか。
……僕は、陛下の1番の部下だと自負していた……。
……違った。僕は1番じゃなかった。
……さっきの大臣が1番だったかといえば、それも違う。
………陛下に1番なんて、いなかった。
全ての部下に、各々の領域を任せていた。
僕も例外ではなく、『彼』のことは知らなかったし、国内のことは殆ど知っていた。
先ほどの大臣も、僕の知っていることは知らなかっただろうし、『彼』のことはよく知っていたのだろう。
全てを知っていたのは、陛下だけだった。
ああ、決着がついた。案内をしないと……。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
王城のとある一室。
窓の外の景色、その下の方にて、突然の出来事に動揺を隠せない王都の民達が、わいやわいやと騒いでいる。
窓の外の上の方……空には、先日のような雲はなく、澄み渡る蒼色が広がっている。
燃やす死体の数が減ったからだ。
依然として疫病は猛威を奮っていたが、血筋的に弱い者たちが淘汰されたあとは、死体の生産量も焼却炉がパンクしない程度のペースに収まっていた。
外の景色を見もしないで、フィーアは本のページを捲る。
今や、部屋の中には、たった1人。
フィーアが、ただ独り、ベッドに横たわりながら本を読んでいるだけだ。
3人が2人になり、ついに1人だ。
『コンコンコンコンッ』
軽いノック音が『4回』鳴る。
「……?」
フィーアは本を読むのをやめ、ドアの方に視線を移す。ノックは3回だけするのが礼儀だというのにそれを弁えぬ人間がザクロ王城にいるとは考えられない。
かつて似たようなことを考えたことがあった……フィーアの優秀な頭脳が記憶を参照し、天使達と戦った時のことを想起させた。
そして、その時のことをより深く思い出そうと考えた矢先、記憶と完全に合致する声が開かれ始めたドアの向こうから聞こえてきた。
「やぁ!お見舞いに来てあげたよ!」
ーーーそこに居たのは、天使だった。
初めて会った時から18年ほどが経ち、当時17歳だった少年は、35歳のザクロ王になった。
いや、厳密には『先代ザクロ王』か。
だが、ブドウが詰まったカゴを持って部屋に入ってきた天使……テトラ=リリウムの見た目は、言葉遣いは、性格は、胸囲は、18年前と全く変わっていない。
「……可哀想に……あともう少しで亡くなるというのに、貴方は独りぼっちなのね?」
テトラは、フィーアの横たわるベッドのすぐそばの椅子……かつて彼女と同じ色彩を持つ大公が座っていた席に腰掛けて、机の上でカゴに入っているブドウの皮を剥き始める。
「………この病は……貴様の創ったものか?」
「違うよ?アトラス大陸全体に広がって、私だって迷惑しているのよ?」
「……ならば、自然に生まれたと?」
「それも違うよ?」
「……………なんだと?」
「アラント帝国で貴方の部下たちが分断を煽った結果、内紛が始まる可能性が高まった。
その結果、体制側が『禁忌』を犯した……要は、世界の絶対法則を破ったの。この疫病は、禁忌を破ったことに対する報い。
……世界免疫というものよ」
「…………第何条を?」
「『第5条』の『如何なるものも、世の道理を曲げるべからず』ね。
わかりやすく言えば、『世の中のルールを悪用するな』ということ。
アラント帝国の政治家や貴族たちは、自身や家族、資産を安全な異世界に移動させた上で、教育を受けていない皇帝の長男に『不老不死を望む』ように誘導した」
「……『花皇国の悲劇』……世界の全てを融かし尽くしたというあの悲劇を再現しようとしたと?」
「うん、アラント帝国の長男は、それはそれは甘やかされてね。しかも、私たちに見つからないように地下に隠して育てていた」
「…………」
「あれ?同情したの?そんな感情、魔臓に消されちゃったと思ってたんだけど……まぁ、貴方がどう思おうとどうでもいいか。で、可能な限りの幸せを与え、それらを全て失う『死』というものへの恐怖心を育てた。
あの子ったら、突然出てきて、国民に向かって『不老不死の力を寄越せ』だなんて言うんだもの。異世界に逃げていた人間達はガッツポーズをしたはずよ。
でも、世界の絶対法則や世界免疫はそんなに都合の良いものじゃないし、人間なんかの手に負えるような代物じゃないの。世界の悪戯と同様にね。まぁ、たまに私もヤケドしちゃうしね」
テトラは皮を剥き終えたブドウをフィーアの口に捩じ込み、甘い汁のついた自身の指を軽く舐めて、自嘲気味に笑って、
「反乱を起こした一般市民を滅ぼそうとしたアラント貴族らは疫病で死に、
アラント貴族らが『第5条』違反を起こすように誘導した私は疫病で多くの人間を失い、
貴方はただただ巻き込まれる……アハハ、貴方だけ損しているね!」
「…………まるで、天使なら『扱える』かのような言い方だな?」
「ん?扱えるよ?」
「………………何?」
「アーちゃ……序列第5位天使は、7年くらい前にヴィロメント家の長男を守るために『太陽の尖兵』を殺したし、ヘキサが貴方と戦った時だって、『第3条』の『如何なるものも、時を止めるべからず』に反する禁忌技能を使っていたのよ?」
「………」
「そもそもディー……序列第2位天使はーーーいや?よくよく考えてみたら、意外と破っていないのか……そういえば『第4条』の『如何なるものも、死を逃るるべからず』くらいしか破っていないね?意外な発見!」
「……そもそも、貴様ら天使は不老不死ではないのか?余には貴様の皺が増えたようにも、胸が大きくなったようにも見えぬぞ?」
「……消すよ?って言いたいところだけど、流石に影響大きいかなぁ……」
「消すも何も、余に残された時間はあと僅かだ」
「うん。今から殺すからね。だからお見舞いに来たんだよ?」
『殺す』と『お見舞い』が両立すると考えているあたり、やはり緑系といったところか。
「不快だ。そして、話を逸らすな」
「みーーーんな、私に話を逸らすなって言うよね……えーと?天使が『第4条』を破っていないか?って話だよね?うーん、これ言って良いのかな?まぁ、何かあれば後で消せば良いか」
「勿体ぶるな」
「………『天使は不老であっても、不死ではない』……これが答え」
「………………?待て、不老は許されるのか?」
「うん。多分ね。世界達が考えていることはわからないけど、経験則的には」
「……死を逃るるべからず……これは貴様が考えた文か?」
「うん」
「……これでは、不老を禁止する意味にもとれるではないか」
「というか、それが目的っていうか……正直、人間を長生きさせることは出来るんだよ?ただ、それにリソースを割かれると、人類の持ち主として困るからね」
「……人々が無秩序に長生きを目指すことを抑制するための文か……だがそれは妙だ……不老を禁止しないのであれば、それはつまり、『第4条』は不死を禁じていると?」
「まぁ、そうとも言えるね?」
「……絶対的な不死など、そもそもを以て実現不可能であろうが……。不老という概念は理解に難くない……どれだけの時が経とうと、全盛期の姿を保つことは不可能ではなかろう……貴様ら天使を見ていればわかる。だが、不死とは……?」
「ここまで生きた貴方への手向けとして、特別に具体例を教えてあげるよ。私の知る限り、『第4条』を破って生きながらえているのは序列第2位天使、ディケニア=コスモスだけ」
「…………」
「彼女は、特別な付与効果を掛けられていて、『死にたくても死ねない』の。イメージつかないかな?」
テトラは窓の外に目をやる。その瞳に映るのは、無限大を窓枠によって切り取られた青空。
厳密には、深い海のような空に、さながら彷徨う小舟のようにプカプカと浮かぶ、真っ白な雲……それを見つめながら、テトラは笑う。
フィーアは、目を瞑り、思索に耽り、やがて目を開けて口を開く。
「……………地獄だな」
「……え?」
テトラの笑顔が、不意を突かれたように崩れ、無表情が顕になる。
「地獄?どうして?死の恐怖から逃れることができるんだよ?」
「……………話はそれだけか?」
「……私は質問をしているの。ディーちゃんが分かって、私が分からなくて、あなたが分かるだなんて、そんなの……許せないわ」
テトラの、冷たく、硬く、鋭い声が、部屋の空気を震わせる。
「……では、余の問いに答えよ。さすれば、貴様の問いも解けようぞ」
「………人のくせに生意気ね?……いいよ。貴方の問いに答えてあげる」
「貴様は余を殺した後、何を為す?」
「アラント帝国を滅ぼし、民衆による革命が成功したように見せかけて、実験的な民主主義国家を作る」
「何の為に?」
「……炭素人の総力を上げさせ、鉱石人を滅ぼすため」
「鉱石人を滅ぼした後は、何を求む?」
「エネルギー生命体を滅ぼしたいね!」
「何故?」
「そうすれば、世界達の中に生きるのが炭素生命体だけになって、文字通り世界達は私の思うがままになるでしょう?」
「……その次は?」
「………………?」
テトラの微笑みが固まる。まるで、誤作動を起こした機械のように。
「……世界全てが貴様の手中に収まった後に、貴様は何をする?」
「………それを考える意味がわからないよ。何度も何度も似たような質問……時間稼ぎのつもり?」
「ならば、最後に問うが」
「?」
「……貴様の終着点は何処にある?」
「………」
「2,000年も生きておいて、気付かぬわけも無かろう?いつの日か、貴様が退屈する日が来ると」
「……退屈ねぇ……ディーちゃんも同じことを言っていたけど、私にはわからないよ」
「檻の中で退屈するかつての余と、数多の世界達の中心で退屈する貴様……何が違う?」
「………」
「貴様はまるで、『不死を望む』かのような口ぶりではないか。それがもたらす退屈から目を逸らしてまで。
賢明なる徒労の果てに、余が生まれ落ちた時より与えられた地獄を欲すると?……馬鹿馬鹿しい」
「………なら、貴方はどうして私に刃向かったの?」
テトラは感情が抜け落ちたような顔で、フィーアの黒柘榴色の瞳を見つめる。
「………貴方は私の命令に背いてまで国を大きくしようとした。その結果、私の策略通りに病に伏し、今まさに私によって死を宣告されようとしている……貴方の方こそ愚かじゃない?」
フィーアは天井を見上げ、ポツリと呟く。
「……それは、余の部下が、それを望んだからだ」
「……………」
「……やはり貴様と余は、よく似ている。余も、今の今まで未来に疑問を持ったことなどなかった……世界の全てがザクロ王国になれば、何かが変わると思っていた」
「勝手に同類にしないで欲しいな。部下の望みと自分の望みを混同するような貴方と違って、私は自分の意思で生きているんだから」
「……自分の意思?」
フィーアは、テトラを見て。
「ハハハッ……自分の意思だと?」
その王は、随分と久しぶりに『笑った』
『笑って』……『嘲笑って』……とある人物の名前を言った。
「…………ノナ=コスモス」
テトラの目が……感情を持たぬ神の如き天使の目が……『大きく』見開かれる。
それは、いつもの擬態ではなく、久しく忘れていた人間としての『反応』だ。
「………ほう?試してみるものだな?よもや、貴様の目に『感情が映る』とは……」
「…………」
「ああ、美しい。ようやく人らしい顔を……それも、最も『人間らしい』感情を……」
「………」
テトラが眉を顰めた。
それは、どんな感情によるものか?
その感情は、まるで暴かれたくない秘密を暴かれて不貞腐れる子供のように幼稚でーーー、
ーーー叛逆者を許さぬ神のように、無慈悲で、冷たく、恐ろしい『ナニカ』だった。
「パラドクス=コスモス………彼奴にも見せてやりたいものよ……貴様のその美しき嫉ーーー
『 死せ 』
フィーアの口を封じるように紡がれたその言葉は、短く、単純明快な命令だった。
『ボァァッ』
まるで、本が燃やされるような音が聞こえた気がした。
フィーアの手から力が抜ける。
両手で持っていた本が、毛布の上に落ちる。
本が毛布の上を滑り、床に落ち、
ーーーパタンと、閉じた。
その本の物語は終わった。半ば強制的に。
《フィーア=レジア=ザクロ 死亡》
「…………………おっと。私ってば、つい!」
テトラは驚いた顔をし、そんな演技をする必要もなかったな、と思い直したように真顔になる。
「……まったく、どこでノナ先輩のことを聞いたんだろう?……まぁ、いっか。とりあえず、お目当ての品をもらうとしよう!」
テトラは慈しむようにフィーアの胸を撫で、ローブの内側からナイフを取り出し、
『ザシュジッジッジーー』
フィーアの胸部を切り裂き、赤い袋となったフィーアに白い手を差し込みーーー、
「……あれ?」
右肺と心臓の間にあるはずの小さな臓器を求め、テトラの手がフィーアの縦隔を行ったり来たりする。
だが、肝心の物が無い。
いや、肝も心臓もあるのだが………
「………魔臓が、無い?」
テトラはナイフをテーブルに置き、両手を使ってフィーアの内部を探る……が、やはり魔臓は見つからない。
「…………魔臓を何処かに隠した……?」
流石は教皇テトラ。その発想がすぐさま出てくるとは。
どこかの大公と同じ色彩なだけはある。
「なるほどなるほど〜。ということは、この状況も想定していたってわけか〜」
『ドタドタドタドタッ!!!』
少なくとも10人以上の足音が、遠くの廊下から聞こえてくる。
音の重々しさからして、かなりの重装備であるようだ。
「魔臓を奪いにきた私は、一躍『王の身体を裂いた不審者』かぁ〜。うんうん。よく考えているね〜。お姉さん、感心だな〜」
テトラは、ナイフをテーブルに置きっぱなしにしたまま、血だらけの手で、剥いたばかりのブドウを一粒つまみ、フィーアの口に入れる。
「このブドウね?とっても甘い上に、種がないんだよね。
食べやすくていいでしょう?種があったら、食べるの大変だもんね〜。
本当は、貴方の子供が全滅したタイミングで、
『優秀だけど、何も残せない……まるで君みたいだね』
って煽ろうと思っていたのに、ライオス君が生き残っちゃったし、不発に終わっちゃったなぁ〜。
それにしても、種がないどころか、毒があったとは知らなかったよ。アハハ」
『ガチャッ!!!』
ノックもなしに、鎧を着込んだ兵士たちがゾロゾロと部屋に入ってきて、フィーアの死体を見て青ざめていく。
「先代ッ!」
「フィーア様ッ!」
「なっ!?身体が、裂かれているだとッ!」
テトラはローブから、真っ黒な指揮棒を取り出し、魔法をかける魔女らしく指揮棒の先を兵士たちに向けて、指揮棒をローブの中にしまう。
「やぁ、みんな。久しぶり!」
まるで、古くからの知り合いに挨拶をするような明るい声と共に、テトラは兵士達に微笑みを向ける。
兵士達は、テトラに気付きーーー、
「ああ!ムーンフィリア公爵でしたか!フィーア様のお部屋から賊が入ったと警報が入りまして!」
「フィーア様が亡くなられていらっしゃるので、てっきり貴女様が犯人かと思ってしまいました!」
「それにしても、フィーア様……なんと惨い……公爵はフィーア様を傷付けた賊を目にしませんでしたか!?」
彼らの目は節穴だったのだろうか?
いいや、節穴に『させられた』のだ。
テトラは、「うんうん」というように頷きながら、間髪入れずに答える。
「うん!フィーア君の魔臓を持って逃げた賊がいたよ〜!まず間違いなくあの人が犯人だね!」
「なるほど!その賊の服装の特徴などは覚えていらっしゃいますか?」
「うー、ごめん、突然のことでビックリしちゃったからそこまでは覚えていないかな。ただ、黒柘榴色の魔臓を持っていたから……家宅捜索で黒柘榴色の魔臓が見つかったらその人が犯人だよ!簡単でしょ?」
「了解です。では後ほど捜査しますね!」
「んーん。ダーメ。今すぐに始めないと、賊を逃しちゃうかもしれないよ?そうしたら、歴史に残る大失態だよね〜。
『先代の国王の死体を傷付けた賊を取り逃した』だなんて、首が幾つあっても足りないよ?
ギロチンされたくなければ、可能な限りの人員を動員して、隈無く捜索してね。よろしく」
兵士たちは、微かに震え、大きく頷く。
「うん!じゃあもう行っていいよ!」
「はい!お手数おかけしました!よし、行くぞ!命を賭けて、賊を探すぞ!良いな!」
「「「オォォッ!!!」」」
大急ぎで廊下を走る兵士達に部屋の中から手を振り、見送った後、テトラはテーブルからナイフを拾い、フィーアの眼をひとつだけくり抜き、ナイフと眼をブドウの入ったカゴに入れて部屋を出る。
「んー、長居は無用だね。あ、でもクロノスとやらが帰還したらしいし、一応会いに行こうかな〜。確か、コスモスに就職していたはず。となれば、先輩に会いがてら、コスモスに寄るとしようかな。となれば、お土産のひとつでも持っていくべきだね……饅頭でも持って行こうかな?」
やがて、貴族達が昼間から社交パーティーを開いている陽の間の中枢に通りかかり、廊下にたむろする貴族達は、男女を問わずに、その佇まいに心が揺れるのを感じる。
優しげな少年にも、あどけない少女にも見える中性的な容貌。
虹色に輝く鍵の形をした髪留めを付けている彼女は、まるで絵本の世界から飛び出してきたかのような儚げな風貌で……
……しかし、彼女の両手についた『人類最高傑作を倒した証』は赤く艶やかに光を反射している。
歩きながら、彼女はふと、バスケットを持っていない方の指先を見つめ、口元に持っていく。
品性と知性、そしてあどけなさを感じさせる美しい口が、血のついた指先を艶かしく舐める。
「ん〜〜〜幸せ!」
本来は『品のない行為』とされるような……そんな振る舞い。
それでも、彼女がやれば、正解だった。
誰も、彼女の両手に血がついていることを疑問視しなかったし、驚きもしなかった。
しかし、誰も彼女を口説こうとはしなかった。
明らかに『格が違う』から。
彼女を前に全ての人間達の自尊心は一度砕かれ、砕かれた自尊心が彼女への尊敬に移り変わる。
「………『王っていうのは、愛されるだけじゃダメ。恐れられるだけでもダメ。その両方じゃないと』……かぁ。あの人も、言い得て妙なことを言っていたものね〜。まぁ、私は王なんかじゃないからどうでもいいけどさ」
彼女の独り言を聞いたところで、貴族達は何も思わない。
彼ら彼女らから、『思考力』というものは一時的に剥ぎ取られている。
廊下を歩く『教皇』の姿を、彼ら彼女らが覚えておくことはできない。
それはさながら、見た夢を忘れる『人間』のように。
儚き人の記憶が忘れ去られるのと、
テトラが血濡れのブドウを一粒食べるのと、
悪魔がリンゴジュースのおかわりを取りに行くのは、
同時だった。
『黒柘榴の唯一神』
《禁忌》
・50歳以上を迎えること。
・負けること。
・他者に気を許すこと。
・心が人のように揺れ動くこと。
・誰かを愛すること。
《詠歌》
・天にて俯く唯一神
ザクロ王国民を自負する者達の魔臓を『端末』として、国民の精神・身体状態や、位置情報、現在進行形の五感、思考内容を知ることができる。応用として、ザクロ王国民の心に直接語りかけることが出来る。
・宣告・■■■■
国民の魔臓を介して技能を発動させることを可能とする詠歌。
■■■■の部分に入る技能を発動させることが可能。
かつてジャスティミシア公爵を殺害した際には、彼自身の魔臓に彼自身の脳、心臓、魔臓を攻撃させ、死に追いやった。
放たれた『お前は世界に要らない』という技能は、教皇テトラが使用した『死せ』と同じく、『格下の相手を即死させる技能』である。
本来はゴキブリなどを消滅させる為に用いるものだが、フィーアにとってジャスティミシア公爵の力など、踏み躙る気さえ起こらぬ虫ケラ同然だったのだろう。
……教皇テトラが本格的に彼を警戒し始めたのは、まさしくこの詠歌の存在を知った時からだった。
・目次参照
国民の中でもフィーアに強い忠誠心を抱く者の能力に限り、それを使用することができる。
適合性そのものは落ちるため、魔素や体力の消費効率は悪いが、フィーア自身のスペックが常人とは比較にならないほど高い為、多くの場合において原典よりも大規模な出力が可能。
雨が終わり、日が差した。
雨に濡れて凍える男は、切に願う。
想い人が、晴れた世界で生きられることを。




