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『文学と魔法』

授業終了のチャイムが鳴るが、リーフレイ教授に質問をしたい生徒達の列はまだ残っている。リーフレイ教授は眼を輝かせながらその質問に答えていく。


太陽の光が差し込む生暖かい教室の端っこの席に座りながら、アレスは生徒からの質問を快く引き受けているリーフレイ教授の姿を見ながら、向かい側の席で課題のレポートを書いているアイシアとは対照に、両手を頭の後ろに回してダラダラとしていた。アイシアは課題に手を付けないアレスを見て『アレスって長期休暇の宿題を、長期休暇終了日に慌ててやるタイプなのかしら?』と僅かに呆れる。



「ーーーリーフレイ教授、今実家で栽培している果物の育ちが良くなくて......」


「ふむふむ!君の実家のある地域の土壌とその果物の相性が良くないのかもしれませんね!

その2つを教えて貰えますかぁ?」


「はい。『星飴(ほしあめ)の実』を『西方サンドレア領』の『バハル』という地域で育ててます」


「ああ!『アハト川』の近くの?」


「そうです!」


「ダメダメダメ!あの辺りは『アハト川』の堆積作用で作られた湿地でしょう?土砂の粒子がきめ細かいから『星飴(ほしあめ)の実』には最悪の土壌ですよ!

星飴(ほしあめ)の実』が実る『星飴(ほしあめ)の木』の根っこに最適な土壌っていうのは、適度に乾燥していて、空気と当たる部分があるような大粒の土で構成されてるものですから!


そもそも、最初にあの木が見つかったのは、砕けた火山岩由来の大粒の砂利がある地域。

......『乾燥』と『隙間の多い土』、この2つが揃わないと育たないわがままな植物というわけです!


対策としては、『レンガの破片』をそこそこの大きさに砕いた上で、それを入れた容器に植えるのが一番手っ取り早いですね!

適度な肥料と水を加えて管理すれば、大気の湿度や温度等々の気候自体はそれほど不適というわけでもないので上手く育つでしょう!


なんなら、向こうの『植物園』の方にその見本があるので、放課後にでも行くといいでしょう!ちなみに『生徒証』を忘れると入れないのでお気をつけて!


あと『星飴(ほしあめ)の実』やその他の果物の栽培に関する知識を学びたいなら、

『植物の生態とその栽培』というグラディエ連邦の植物学者が書いた本がお勧めです!」


「あ、ありがとうございますっ!」


「いえいえ!ハイ!次ッ!」



(へぇ〜。聞いてたよりも随分とまともな先生になってるじゃねぇか)



『緑系』は『狂人』が多い……血液型による性格診断で『B型』に対する評価だけが他の血液型と比べて悪口になりやすいのと似た、ある種の理不尽さを感じるこの『固定観念(ステレオタイプ)』は、その感情的な反発に反して、驚くほどよく当たる。



(『天使』は大体人格破綻してるヤツばかりだけど、中でも『緑系』の2人はなぁ......。

アダマシィアの方は環境による歪みが大きい気がするけど、テトラは......環境のせいなのかなぁ?

俺らの周りだって、セレスは結構まともな感じに思ってたけど、いくら誘拐犯相手だからって普通あんなに躊躇なく攻撃出来ないよなぁ。

『貴族』は『暴力的』......好む好まざるに関わらず、『戦闘』を生業とする連中が交配し続けたらそりゃ『気質』も洗練されていくのは自然の摂理であるとは言え……アイシアはまさにその例だったけど、セレスもかぁ。

......よくよく考えてみたら、『躊躇しない』っていう点ではセントも同じだな。

それにアイツ、下手したらルナと同等かあるいはそれ以上の策士だもんな)



アレスは2日前の入学初日の授業の昼休みにセントがクラスメイトの思考を誘導した時のことを思い出していた。



(ルナが知性に優れているのはわかる。ムーンフィリアっていったらザクロ王国の『外交』を長きにわたって担当してきた一族だ。確か今のザクロ王家の次男......ラストレシアだったっけ?ソイツの母親、つまり正妻はムーンフィリア家出身だったはず。

リグドシアとマギカとウリエラの母は確かサンドレアの血筋だったか?

今んところザクロ王国の王位を継承する可能性が1番高いリグドシアはよく言えば誠実、悪く言えば真面目すぎるってのがザクロ貴族らの評価......それに引き換え、ラストレシアは策略に強いって噂だし......それぞれ、しっかりと気質を受け継いでんなぁ。


......でも、それと同等くらいの知性を持つセントってなんなんだ?

......テトラみたいな突然変異ってとこか?あるいはそこそこの貴族が何らかの事情で棄てたとか?

......自分の子を棄てるなんてこと、繁殖能力が弱い『貴族』がするわけねぇし......突然変異ってところか?......まぁ、答えの出ない脳内議論は無意味だな。

テトラから『白色の記憶水晶』を借りれば無理矢理知るのも不可能じゃねぇが......そんなこと詮索しても何も生まないな。セントだって実の親とは顔も合わせたくないだろうし)


「......アレス?どうしたの?考え事だなんて、貴方らしくもないですわ」


「アイシア、流石の俺でもそれが『貶し言葉』ってのはわかるぞ?」


「......ん、夫婦、漫才は、よそで、やって」


セレスは憔悴したようにため息をつく。セントが居ない今、アレスとアイシアの夫婦漫才にツッコミを入れる役割が全てセレスに降りかかり、それがこうも続くとため息のひとつもつきたくなるというものだ。


「あら......それは失礼......」

「セントが居ねぇとブレーキがかからねぇからなぁ。悪りぃ悪りぃ。まぁあと少しの辛抱だろ。もうすぐセントも戻ってくるだろうし」


「「......もうすぐ?」」


「あれ?言ってなかったか?クリスタリアとの交流戦が来週から始まることになってな。クリスタリアの校長からクロノス経由で知った情報だから多分間違いねぇ。

一年から六年まで戦い合う最高のイベントだぜ!」


「ん、楽しみ」「ふふふ。それは楽しみね」


好戦的な貴族の令嬢2人はキラキラと輝く笑顔を浮かべる。最も、セレスが楽しみとしているのはセントの帰還の方なのだが、それに言及するのも野暮というものだろう。

そんなふうに和気藹々とする3名に近寄る少女が1人。

紫色の長髪と黄金色の眼を持った少女、ルナ=ジ=ムーンフィリアだ。


「ふふふ。3人とも随分と乗り気のようね。心強いわ」


「ん?ああ、ルナか。なんか用でも?」


突然話しかけられ、アレスは声の方向へ振り向き、そこで微笑んでいたルナに対して、純粋な疑問として言ったのだが、


「あら?用がなければ話しかけちゃいけなかったかしら?

......だとしたらごめんなさいね。私、嫌われちゃったのかしら」


どうやら『話しかけるな』というふうに取られてしまったようだった。


「あぁ!?いやいや違う違う!単純に質問しただけだ。他意はねぇよ!こっちも言い方が悪かったな」


「あら?そう?まぁ、用がないわけではないのだけれど......3人とも、少しお時間よろしいかしら?」


「......私達も?」「ん、別に、暇だし」


ルナは僅かに目を細め、思索に耽る。


(ふむ。アレスさんからは罪悪感を引き出すことができた......と。セレスさんは素直そうな方ですし、説得を重点的に行うべき対象はアイシアさんかしらね。見たところ、私がアレスさんに話しかけるたびに僅かに眉を顰める......アレスさんに好意を持っているのかしら、でも、自覚はしていない......全く。オーラにせよ、みんなどうしてこうも自分の心情に対して鈍感なのかしら?......まぁでも、感情が『恋心』ならそれはそれで扱いやすいわね)


刹那の熟考の末、ルナは僅かに微笑み、目線をセレスに向ける。


「ありがとう。クリスタリアとの交流戦がもうすぐ、と小耳に挟んだのだけれど?」


「ん、ちょうど、さっきまで、話してた」


(3人の中で決定権は分散されている。なら、1番落としやすいこの子から落として、他の2人はなし崩し的に落とせばいい……)


「私も先輩達に色々と聞いていたのだけれど、どうやら4人組で戦う可能性が高いそうなの」


「……まぁ、確かに、例年通りだと4人組の団体戦形式をとってるよなぁ」


「ええ。そして『出来れば』でいいのだけど、貴方達には私と一緒に出場して欲しいの」



「あー、セントがいるから無理かなぁ」

「その頃にはセントも戻ってきますし」

「ん、セントが、くるから、たぶん、むり」


三者三様に、しかしほとんど同じ内容を、同時に合唱する。

ルナは、想定通りの回答を受け、予定通りの回答を返す。


「えぇ。ただ、もしかしたらセントさんがクリスタリア側で出場するかもしれないでしょう?その時は、アイシアさん、セレスさん、そして出来ればアレスさんにも協力してもらいたいの......私の取り巻きの子達、この前の『実戦』ですっかり震えあがっちゃって......無理強いはできないし、それは貴方達にも同じなのだけれど......」


まるっきりの嘘である。ルナの取り巻き達は洗練された貴族の子女であり、アイシア達と同様に来るべき交流戦に向けて興奮する心を何とか抑え込んでいるような状況である。


アレスは軽く目を見開き、アイシアは顎に手を当て、セレスは空中を舞うチリを眺めてぼんやりとしている。


(やはり、言い方って重要よね。これでもし『是非ともアレスさんの力をお借りしたい』と説得したらアイシアさんが反発したに違いないわ。プライドが高そうで、かつアレスさんへの独占欲を微かに持っているアイシアさんを欲していると言うのが重要。

もしもアイシアさんとセレスさんを説得できれば、アレスさんは間違いなく私のグループに入ってくれるわ。アイシアさんはアレスさんが自分と別のグループに入ることを嫌がるでしょうし、アレスさんもその要求を断る可能性は低い)


ルナの目的は最初からアレスという戦力の確保であり、残り2人は、言い方は悪いが『おまけ』にすぎない。もっとも、2人とも戦力としては申し分がない為、参加してくれるに越したことはないのだが。



(取り巻きの子達に調べさせてところ、アレスさんは入学して以来、セントさん、アイシアさん、セレスさん、そしてオーラやウリエラやソニア達としか交流をしていない。掛けた時間の長さからしたら私よりもオーラの方が長いし、その分オーラのグループに入る可能性もあるけれど『仲良し組』は崩したくない......つまり、アイシアさんやセレスさんとは離れ離れになりたくないはず。なら、今のうちに『私ひとり』が3人組に加わることで満場一致に導くことも容易なはず)


何気に忘れられている『実戦』時の2人組とクラーク兄弟のことは置いておくとして、ルナの見込みは概ね正しかった。

セントが集中治療中で、アイシアが気絶中、セレスが二度寝をしている間、アレスは確かに『実戦』に2人のクラスメイトと参加した。


しかし、それはまるでチームプレイとは言い難く、各々が順番に一対一で戦うというもので、駆け引きに満ち溢れたセントチームとオーラチームの前戦と比べると、観客目線でとてもつまらないものだった。

結果は2勝1敗でアレスチームの勝ちとなったが、その時のチームメイトとオーラやウリエラであれば、よほどのことがない限り後者を選ぶであろうと、赤の他人であるルナが思うほどの『連携の無さ』だった。さながら『一匹狼』×3といったところだった。


「......ふむ。セントがこちら側で参戦しないのでしたら、私は構いませんが」

「......ああ、別にアイシアが良いって言うなら俺も構わねぇ」


「ふふふ。ありがとう。セレスさんはどうかしら?」


ルナは心の中で『チェックメイト』と呟き、微笑みが浮かぶのを何とか堪えて、不安そうな表情を取り繕い、セレスに尋ねる。


「............ん、ふたりが、良いなら」


「嬉しいわ。どうもありがとう!それじゃあ、次の『自由時間』の授業、一緒に行きましょうね!」


「あぁ。もちろん」


「それでは私はこれでお暇させて貰うわね。アイシアさん達、また次の授業で」


「ええ。さようなら」


ルナは駆け足で教室から出ていく。廊下の方から『ごめんなさいね、待たせてしまって』という高い声が聞こえてくる。きっとルナが取り巻きの生徒達に言っているのだろう。


「……それにしても、随分と高評価なこって......」


「あら?アレスったら私達が高く評価されているのが気に入らないのかしら?」


「いやいや。適切な評価だと思うぜ?ただ......」


「ん、アイシア、多分、気付いて、ない」


言葉を濁すアレスと、アレスの言いたいことに気付いている様子のセレス。2人が自分の知らない秘密を共有しているようで、少しムッとしながら、アイシアは髪を軽くかきあげながら、


「セレス?私が気付いていないって、一体何の話かしら?」


「ん......アイシア、詐欺師に、騙されそう」


親友の回答は要領を得ない。とは言え、セレスは言葉足らずなところがあるが、妙に勘のいい所があり、物事の本質を捉えている場合が多いので、彼女の発言にはきっと重要な意味があるのだ。だから、自分がすべきことは彼女が十分な言葉を紡ぐ時間を与えることだ。


「続けてくださいまし」


「ん、じゃあ、聞くけど、アイシア、私、強いと、思う?」

「あー、やっぱセレスも同じとこ気になってたワケか」


「もうっ!アレスは黙っててくださいまし!......言うまでもなく、セレスは強いでしょう?私と同じく伯爵家の血筋ですし、能力も申し分無い威力。そんなの自明.........あら?」


「ん、気付いた?」


「......セレスが能力を使ったのは『自由時間』と『誘拐された時』だけ......『実戦』の時は寝ていただけ......」


「そーそー。なのに、ルナは何て言った?」


アイシアの頭の中で数十秒前のやりとりが再現される。

『アイシアさん、セレスさん、そして出来ればアレスさんも協力してもらいたいの』


「私とセレス、そして『出来れば』アレスも、と......」


「ん、普通の、みんな、多分、強さ順だと、アレス、アイシア、私、って、なるはず。なんで、アレス、最後?」


「こんなこと自分で言うのも良くねぇ気がするけど、俺ら3人で単純に戦力比べたら俺が最強だろ?」


傲慢な物言いだが、否定することはできない。


「......癪ですが、その通りですわ」


「なら『俺とアイシア、そして出来ればセレス』って順になるはずだ。

......少なくとも、ルナが本気で優勝を目指していて、戦闘力の高い順に引き抜こうとするような『常識的な(フツーの)』思考の持ち主ならな。


なぁアイシア、お前が勧誘されるとして、『アレスさん、セレスさん、そして出来ればアイシアさんにも』なんて言われたら、どう思う?」


「それは......アレスとセレスが1番目、2番目に勧誘したい人物で、私は参加してもしなくてもいいオマケみたいな言い方ですわね」


「......まぁ、いや、それは、確かにそうなんだけど、 (女子って怖いな)


「何か?」


「いや?ただ、結構穿(うが)った見方をするなぁ、と」


「人を被害妄想の激しい人間みたいに言わないでくださる?」


(実際そうだろ)


「……なにか?」


今度はしっかりと聞こえた。2回も聞き逃してたまるものか。だから、アイシアは反意と威圧と少しの冗談を含めて発言したのだが......


「ん、アイシア、アレス、『実際そうだろ』って、言った」


......純粋無垢な親友には、皮肉が通じないようだった。


「「............」」


「あれ?私、変なこと、言った?」


「いや?そんなことないぞ、うん。多分」


「ええ。何の話だったかしら?」


「言い方の問題の話だ。シャルル先生って言われちまう前に話を戻すぞ。

さっきのアイシアの捉え方は、若干被害妄想が過ぎる所があるが概ね正しい。

アイシアの言った通りに捉えるなら、

『アイシアとセレス』が欲しくて、俺はオマケってことになる。


でも、さっきも言った通り『常識的な』人間なら俺を真っ先に欲しがるはずだし、能力の不明なセレスを欲しがろうとは思わない......少なくとも俺よりも優先して勧誘したい、とは思わないはずだろ?」


「......確かに」


「じゃあ、なんでわざわざ俺を最後にして、セレスを優先順位2番目に勧誘した?」


「......そんなこと言われたって、わかりませんわ」


「ん、可能性、2つ」


セレスは、まるでクイズのヒントを出す幼子のように少し嬉しそうにしながら、たいしてヒントにならないヒントを出す。


「2つ、ですか............セレスが強いことを知っていた、から?」


「ああ、片方の正解だ。で、もしそうだとしたら?」


「私達が誘拐されているのを知っていて、助けを呼ぶことさえしないで傍観していた?」


「所々被害妄想が入っているのが気になるけど、恨むんならアルフレッドを恨めよ?傍観者に怒りをぶつけるのはお門違いってもんだぜ?」


「......わかってますわ」


「そりゃあよかった。それはそうと、もしそうだとしたら、ルナの誘いに応じるか?」


「とてもじゃあありませんが、応じたいとは思えませんわ」


「オッケー。じゃあもうひとつの正解の方を考えてみてくれ」


「...............」


しばらくの黙考の後に、アイシアは眉をわずかに顰める。それはアイシアが怒りを覚えていながら、それを抑えている均衡の表情であり、正直周囲の生徒達は本能的な恐怖を感じる。

リーフレイ教授への質問を終え、自分の班の机に......絶対零度のアイシアから3メートルほどの机に、自分の荷物を取りに行こうとした哀れなる男子生徒が、形容し難い表情をして、回れ右をして帰っていく。きっと、本能的に察したのだろう。あの辺りに行ったら、何かとんでもない悲劇に巻き込まれるかもしれない、と。


「その表情は......わかったってことで良いか?」


「......ねぇ、アレス。もしも私とセレスがルナさんのグループに入るとしたら、貴方はどうするのかしら?」


「なんか拒否権ねぇ気がするけど、俺も参加するだろうなぁ。んで、多分それはルナどころか他の生徒達にとっても自明なことだろうなぁ?」


「ですよね......はぁ。つまり、私とセレスが『簡単に誘えそう』だから、と?」


「ああ。だって、ほら。セレスもアイシアもチョロそうだろ?」


「…………え?」

セレスは『私も?』といったようにポカンとした顔をし、アイシアはーーー

「………はぁ、アレス。霜嵐の世界(コキュートス)


やれやれ、と額に手を当てたアイシアは、ノーモーションで『能力』を放つ。

水色の光がアレスに向かって放たれ、氷の結晶でできた檻に閉じ込める。

もはや何回目かも分からぬほど閉じ込められてきたアレスは、いつも通り身体を紅光の粒子に変換し、氷の檻から逃れる。

檻から離れたところで、檻の中で冷やされた皮膚は元には戻らず、残る寒さに声を震わせながら文句を呟く。


「………言い過ぎた……でも……流石に躊躇い無さすぎだろ……」


「……ふ、ふふ、ふふふふふ」


アイシアはそんな文句には耳を貸さず、満面の微笑みを浮かべる。

その理由を察した親友が、一応の確認をする。

「ん、アイシア、耐えれた?」


凍ったアレスに微笑むアイシア。アイシアは『能力』を発動した直後だというのに、『いつもの』気絶を起こすことなく正気を保っていた。


「えぇ。どうやら、1発なら耐えられるようになったみたいですわ。ふふふ。これからは安心して能力が使えると思うと、胸が躍りますわ!」


「ん、それは、良かった(踊る、胸、ある?)」

「安心されても困るんだがなぁ(胸?)」


「ふふふ!とりあえず次の授業に向かいましょう。......えーと、アレス、次の授業は?」


「俺はお前らの予定帳じゃねぇんだぞ?別に良いけど......次は『文学』だな」


「教室はどちら?」


「......間違えても文句言うなよ?」


「言いませんとも。ねぇ?セレス」

「ん、いままで、言ったこと、ある?」


「......お前ら、怖ぇよ。ま、いっか!行くぞ!」


「ええ」「……ん」


教室を出る際にアレスとアイシアは、まるで後ろ髪を引かれるかのように、セレスがリーフレイの方を向き直したことに気付いたものの、それについて言及するほど野暮な2人ではなかった。

ーーーーーーーーーーーーーー


チャイムが鳴る1分ほど前に教室にたどり着いた3人組は、特に前に座る理由もないので、教室の後方で空いている席を探す。教室は床、天井、壁、その全てが赤いレンガで作られており、その表面には所々焦げたような跡が見受けられる。使い古された工房のような雰囲気を感じさせる教室の席は殆ど埋まりかけており、何とか3人で近くに座れる席はないものか、そんなふうにキョロキョロと辺りを見渡すアレス達を見つけたルナが、嬉しそうな顔で駆け寄る。


「先ほどは突然お願いを突きつけちゃってごめんなさいね?お詫びと言ってはなんなのだけれど、席をとっておいたわ。喜んでもらえると嬉しいのだけれど、貴方達、後ろの方の席で良かったかしら?」


ルナが指差す先には横に連続で3つ空いている席があり、その近くにはルナとその取り巻きが待機していた。

彼女と長話をしたことによって、彼らが次の授業で不利益を被ってはならない。

それは、ルナと関わることがアレス達にとっての不利益につながるという意味になり『自身に利益をもたらすものに利益をもたらす』というルナの帝王学に反することだ。


「お!そいつはありがてぇ!別に怒ってねぇから気にすんな!」

「ええ。怒ってませんとも......もちろん......」

「ん、はやく、座りたい。歩くの、疲れた」


(アイシアさん、かなりご機嫌斜めなようね。もしかしたら気付いたのかしら?......だとしたら無理もない話ね)


「それじゃあ、失礼するわ。最後に。本当にごめんなさいね?」


ルナはアイシアの方を見ながら言う。それは先ほどのアレスとセレスの予想を肯定するものだった。


「......これじゃあ、私が悪者みたいじゃないかしら?もう気にしていませんわ」


「そう言ってもらえると嬉しいわ」


ルナが前の方の席へ向かって歩いていき、ルナが着席すると同時に教室前方のドアからひとりの老婆が『椅子に乗ったまま』、空中を滑るように飛行して滑り込んできた。


老婆は大きな丸眼鏡をつけており、そのガラスの奥には深海のように深い藍色の眼が君臨していた。髪も瞳と同じように深い藍色で、三つ編みの束をいくつか後方にぶら下げている。

女生徒達は絶句した。三つ編みでこれほどの長さならば、三つ編みを解いたらどれほどの長さになるのか、と。編まれし三つ編みは椅子の足の途中まで伸びており、長年にわたって手入れをしてきたと感じさせられるほど艶やかだった。深い川のような三つ編みを辿って上に向かうと、古めかしいとんがり帽子が城のように被せられている。とんがり帽子には、白いリボン付きの金属製の校章が付けられている。

コスモスの教授(ロード)である証だ。

生徒の視線を釘付けにしながら、澄ました顔の老婆は教壇の中央にてゆっくりと降下し始め、


    『コトッ!』


4本足の木製の椅子が全く同時に教壇に接触し、心地よい軽い音を奏でると同時に、老婆は膝の上に置いていた資料を教卓の上に置く。

生徒達のざわめきが老婆の登場により急激に小さくなり、十分に静かになったところでチャイムが鳴り響く。


老婆は重々しく、威厳のある声でポツリと呟く。



「みなさん。ご機嫌よう。

文学の授業を担当する『文学科教授(ロード・リテラ)』……

……フィネラル=ジ=ペンタグリアです。以後お見知り置きを」



その声は僅かに掠れているものの、まるで大樹のような生命力を感じさせるもので、人々の畏怖を呼び起こす声だった。生徒達は思わず背筋が伸びる。それは入学式の時に校長に対して抱いた感情を水で割ったような感情だった。すなわち『本能に基づく恐怖』である。


「さて。私の自己紹介……おっと。『自己』紹介なのですから『私の』は不要でしたね。撤回をします。『自己紹介』が終わったところで、授業の概要を語るとしましょう。


まず『文学』とは。『教育機関』と『その他の世界』……これらの間で『文学』に対する認識に確固たる差が存在しています。後者では文字通り文学作品や小説や詩を。前者では『能力や技能に関わる文系統』を指します。


この授業含め、このコスモスで『文学』と称する場合、それは『教育機関』での認識に準拠することを理解して頂きましょう」


生徒達の頭の中に浮かんだ疑問を見透かし、老婆は語り続ける。



「では、『能力や技能に関わる文系統』とは?これは大きく分けて2種類。


魔言(まこと)』と『詠歌(えいか)』です。


これより私が実演します。見逃すことも聞き逃すこともないよう、お気をつけて」


老婆は着ているローブのポケットからそこそこ大きな瓶を取り出す。

ガラスでできた瓶の中で、銀色の液体が蠢いている。

老婆はその瓶を教卓の上に置くと、再び開設に戻る。


「こちらは『金属世界(メタラニア)』に生息する水銀種のスライムです。

正式な呼び名ではありませんが、『蠢く水銀』という呼称の方が一般的でしょうか。

この『蠢く水銀』を退治する為には高威力の冷却能力を駆使し、凝固させる必要があります。まずは『魔言(まこと)』から。


……我が左腕は凍て(ニヴル )つく槍なり(ニル)


老婆がニヴルニルと唱えると同時に、老婆の左腕がバキバキと音を立てて白い煙を出し始める。それは結露した空気中の水分であり、老婆の腕が……少なくともその表面が、0℃を遥かに下回る温度になっていることを表していた。


老婆は教卓の上に置かれた瓶に向かって左手を近付けていく。

それに伴い、凝固を避けるためなのか、『蠢く水銀』は瓶の反対側、すなわち瓶の中で老婆の左手からもっとも離れた壁に貼り付き、老婆の左腕と距離を置こうとする。


「先ほど、私は心の中で『左腕』を冷却するイメージで『魔言(まこと)』を告げました。

今度は『右腕』を冷却するように『魔言(まこと)』を告げましょう。

…… 我が右腕は凍て(ニヴル )つく槍なり(ニル)


今度は老婆の右腕からも白い煙が出始めた。左腕と同様に右腕も極寒の冷気を纏っているのだろう。

老婆は躊躇なく右腕を瓶に近付け、それに反応するように『蠢く水銀』は瓶の中央で細い柱のように変形する。


「『蠢く水銀』からしてみれば、凝固は死に至る病。故にこの生き物は本能的に冷気から逃れようと足掻くのです…………さて、これくらいで良いでしょう」


しばらく経ち、老婆は両手を教卓の上から椅子の肘掛けに戻し、その際に白い煙が掻き消えた。きっと冷却を停止したのだろう。老婆の服は傷んだ様子もなく、あれだけの冷気を自身や自身の服にダメージを与えることなく操る老婆の技量の偉大さを暗黙のうちに生徒達に思い知らせる。


『蠢く水銀』はまだ中央で細い柱のような形状を保っているが、冷却が止んだことに気付いたのか、ゆっくりと瓶の床にて水溜まりのように広がり始める。


「……先ほど私は2回に分けて『魔言(まこと)』を告げました。『魔言(まこと)』を告げることを『詠唱』と呼ぶこともありますが、個人的には『詠歌』と似た響きなので好みではありません。しかし、実戦の場では指示を出す際に『詠唱せよ』と告げる方が早く済むため、この授業でもこれ以降は『詠唱』と呼ぶことにします。


さて。言い直しましょう。私は2回に分けて『詠唱』しました。

前者は左腕を、後者は右腕を冷却するものでしたが、みなさんには区別がつかなかったでしょう。どちらも『ニヴルニル』と詠唱しただけですから。


さて、今ので3回(●●)です。

3回目はどの部位も冷却されなかったでしょう?これは技能の発動をイメージしていないからです。


このように、詠唱は発言する言葉が重要なのではなく、あくまでそのイメージが重要なのです。


初心者に有りがちなミスとして、『魔言(まこと)』を口に出すたびに技能が暴発してしまう、というミスがあります。例えばそちらのMs.ジオードはまだこのミスから逃れられていないのでは?」


「……え?私?」


「ええ。貴女です。貴女のお父様もかつて私の生徒でしたが、彼もやはり能力の制御が苦手でした。これは悪いことではありません。能力者としての成熟度と比較して持ち得た能力が強すぎるだけなのですから、言い換えれば溢れ出る才能を御しきれていないということ。

…… 『実戦』の試合を観たところ、貴女は能力名を告げると能力が暴発してしまうのでしょう?」


「……そうでしょうか?私自身では自覚がありませんが……」


「では、試しに、隣のMr.ライトニアに向かって『コキュートス』と告げてみなさい」


「えっ!?ちょ」「ええ。霜嵐の世界(コキュートス)


凍てつく霜嵐がアレスを囲み、アレスの身体をガラスのような氷の中に閉じ込める。

流石にこの短期間で2発を撃って力を使い尽くしたのか、アイシアは気を失い、木の机の上で眠るような姿勢をとる。

……それは、丁度その隣で寝ていたセレスとまったく同じ姿勢だった。


「……と、このように制御が出来ないというのは危険な状況です。日常会話をしている最中に突然技能が発動してしまうことは、出来る限り避けるべきです。

例えば、かつて『光よ!眼を眩ませ!(バ・ルス)』という『魔言(まこと)』を使う教え子がいました。彼は良く暴発を繰り返す不良生徒として有名でした。


彼は後に『君の頑張る姿(バルスがた)に恋をしました』と……

情熱的と言いますか、陳腐と言いますか、そんな愛の告白をしたのですが、お察しの通り彼の全身が光り輝き、告白は失敗に終わりました」


淡々と述べる老婆とは正反対に、生徒達はその光景を思い浮かべ、笑い声を漏らす。


「例えばMs.ジオードであれば『実戦』の最中にでも、『呼吸とス(●●●●)トレッチが重要』などと言えば能力が誤発してしまうことに……おっと!Mr.ライトニアが凍ったままでしたね。溶かしてあげませんと。……小さき太陽よ(メルト・フォルマ)


老婆の詠唱と共に眩い火球が生まれ、凍りついたままのアレスのそばで煌々と燃え続ける。

やがて完全に溶け切り、雨に打たれた子犬のようにブルブルと震えながら、すぐさま逃げ出さなかったことによりビシャビシャの水浸しになってしまった制服の中でアレスは歯をガチガチと鳴らし、


「……短期間に、何度も、変質は、出来ねぇんだよぉ……ヘクシッ!……流石にさみぃな……えーと、なんだっけ?」


「......心配なさらなくてもその火球はそのままーーー」


老婆の言葉など耳に入っていない様子のアレスは、次の瞬間、何気なく見よう見真似いや、聞きよう聞き真似で詠唱した。


燃え盛れ熾天の星よ(メルト・フォルマ)、だったか?」


突如、先程の老婆のものと同じくらいの大きさで......しかし遥かに暗く、その分遥かに高温の火球が、その表面に渦を巻きながら空中に現れる。それは波打つ地獄の火のようで、瞬く間に最も近い物質......机を焦がし始める。


「やべっ!出力ミスった!?落ち着け落ち着け(ライル・ライル)!」


アレスの赤子を宥めるような詠唱の影響なのか、火球は徐々に小さくなっていき、やがて程よい暖かさの火に変わる。それは先程のような致死的な業火ではなく、さながら暖炉の火のような微笑ましいものだった。


「............ほぅ............」


老婆の口から思わず感嘆の声が漏れる。


「これまで多くの教え子達を導いてきましたが、中々の腕前です。

......例え、加熱に特化した赤系であったとしても......。

Mr.ライトニア、貴方、今までに訓練か何かを?」


「中々っすか、カカカ。いやぁ?別に特別なことはしてねぇですけど、単純にパラドクス...校長に色々と叩き込まれたんで」


「ああ、貴方が例の生徒でしたか……なるほど。今年の新入生は粒揃いと聞いていましたが……『楽しめそう』で何よりです」


老婆は、慈しみ半分、好奇心半分の微笑みを浮かべ、椅子の背もたれに寄りかかる。

年季を感じさせる4本足の椅子がギシッという音を奏でる。


「カカカ。少なくとも、楽しめそうな生徒のうち1人は『クリスタリア』に出向中ですがね」


「……それは楽しみです。えぇ、本当に」


いまだに(こご)えているアレスは、机の上に浮かべた火球で暖をとりながら、隣で机に突っ伏して寝ているアイシアとセレスの頭を軽くビンタする。


「おーい。お前ら〜、まだ授業中だぞ?」


「......こきゅーとす」「ん、ばいおろじー」


「2人して殺意高ぇなぁオイ!?」


もしも彼女らの言葉に『能力』を発動させる意思がこもっていたならば大惨事になっていただろう。

(アイシアは肝心なところは加減してくれるから……いや、凍らされておいてそんなこと言うのも変な話だが……でもなぁ。セレスの方はなぁ……手加減って言葉が辞書に載って無さそうだもんなぁ……)


ザクロ王国近衛騎士団団長アルフレッド=ニトロレイとの戦闘……いや、アルフレッドは実力の5分の1程度しか発揮していなかったのだろうから『戦闘』というよりも『命懸けの手加減試合』のようなものなのだが、それでも命懸けであったことには変わりなく、そんな戦いの最中にて花開いたセレスの戦闘能力は、アイシアと同様に一年生のものとは思えないほど凄まじいものだった。いや、むしろアイシアよりも強力かもしれない。回数が増えたものの、依然として回数制限の存在するアイシアに対し、セレスの方はそもそも回数制限などというものがあるのかさえ怪しい。


「奇しくも彼らが実演して見せてくれましたが、どれだけ発動のイメージをしていたとしても『魔臓』や『霊核』つまりみなさんが『精神』や『魂』と呼ぶもの......が疲弊していた場合には、どれだけ詠唱しようと効果はありません。


夢の中でどれだけ走ろうと試みたとしても、現実世界の肉体の足は動かない......それに似ています。


......では、今日の授業の後半では実技の練習をしてもらう予定ですが、今日最後の座学としてみなさんに『詠歌』を実演して見せましょう。皆さん、教卓から離れてください。

さもなくば、安全を保証し兼ねます。......いきますよ?」


生徒達の喉が、ゴクッ、と鳴る。後ろで見るに耐えない低俗なケンカを繰り広げている3人組(いつものウリエラ達3人組ではない)を除くすべての生徒達の視線が教卓の上の瓶とそれのそばに掲げられた老婆の右腕に集まる。



「……『深藍の氷嶺(アヴィド・ペルキア)』......


......我今ここに凍てつく停滞を乞い願う。


我は氷気を手繰る者!冷やし凍らせっ(チカラ)の限りッ!!


蒼く輝けッ!氷華水月(ペルリアメトルナ)!」




思わず見惚れるほどの濃く美しい藍色の光が教室を照らしーーー




   『バァンッ!!バキバキッ!!!!』





『蠢く水銀』は、ガラス瓶ごと......教卓ごと......蒼い氷の檻に閉ざされていた。


教卓さえ閉ざした蒼い氷の塊から放たれる冷気は、アイシアに凍らされたアレスから放たれていたものとは比べるのもおこがましいほど冷たく、誤って手を近付けようものなら、氷の表面から20センチほど離れていたとしても凍傷により腕が丸ごと損壊することは避けられないだろう。


……窓の隙間から枯れ葉が一枚、風に揺られて青い空間に吸い込まれていく。


初歩的な物理学を修めていた生徒は、瓶を中心として広がる冷気が周囲の空気を冷却し、冷却されるにつれ空気の体積が減り、その分さらに外部の空気を中心へ吸い込んでいく、そんなサイクルが起きており、枯れ葉はそのサイクルによって生じる気流に呑まれたのだと、そう理解することだろう。

瓶の周囲には泡立つ液体があり、シュワシュワと音を立てている液体へ近付くにつれ枯れ葉の色が白っぽくなりーーー


  『パサパサ』


泡立つ水面に降り立つと同時に、本当に微かな乾いた音を出してバラバラに砕け散る。

それは、まるで凍てつく美しさに触れようとした報復を与えられた愚者を暗示するかのようで、生徒達は青ざめた顔で瓶からさらにもう一歩離れる。




老婆は、不覚にも崩れてしまった平静を再び取り戻すと、年甲斐もなく子供のように興奮してしまった数秒前の自分を恥じるようにわずかにバツの悪い顔をし、授業を再開する。


「......と、このように、『詠歌(えいか)』は消耗や発動の手間が多大な分だけ、『魔言(まこと)』よりも高威力の技を出すことができます。

そして、これが何よりも重要なのですが、『魔言(まこと)』と異なり、

ひとつの『詠歌(えいか)』は、この世でひとりしか使えないのです。

この世に同じ『詠歌』を使える能力者は2人として存在しない......少なくとも、2,000年の歴史上、観測されたことがありません。

先程のMr.ライトニアのように『他者から学ぶことが可能』な『魔言(まこと)』と、己が修練によってのみ得られる『詠歌(えいか)』この2つの違いはよく理解しておきましょう。


さて、『詠歌(えいか)』にはもうひとつ特徴があります。

それは『選べない』こと。私が先程の長文を『決めた』わけではないのです。

修練に修練を重ねていくうちに、いつのまにか記憶の中に『在る』ことに気付くのです。


皆さんもその内『詠歌(えいか)』を『得る』ことになるでしょう。

詠歌(えいか)』というある種の『天啓』を得られる能力者は一握り、しかし、この場にいるすべての生徒にはその才能があって然るべきです。

なぜなら貴方達は、コスモスの歴史に名を連ねているのですから」


老婆の発言を受け、青ざめていた生徒達の目の色が変わる(もちろん比喩表現である)

未知に怯える愚者の顔から、強欲に知恵を求める賢者の顔へと。


ああ、それで良い。それでこそ、我らがコスモスの生徒だ。

老婆は自身がこの学びの園で生徒として過ごしていた時と何ら変わらぬコスモス生の在り方を好ましく、愛おしく思いながら、知恵という食物に飢えたケモノ(学者)達へエサを放る。


「......尚、ひとりが得られる『詠歌(えいか)』はひとつではありません。

稀有なる才能を持ち、然るべき研鑽を重ねたならば、短き人生の中であっても、複数の『詠歌(えいか)』を習得することが可能です。

具体例を挙げましょう。私が現在保有している『詠歌(えいか)』は『3つ』

世界で最も偉大な能力者である我らが校長の『詠歌』は『9つ』です」


生徒達の頭の中に『?』の文字が浮かぶ。

『それだけ?』と。『あの校長が(●●●●●)?』と。


そんな毎年恒例の反応を見て微笑みながら、老婆は語る。



「……皆さんはきっと『少ない』と思ったことでしょう。あの校長のことだから、きっと20や30、いや、100くらい行くのでは?……そう思うのも無理のない話です。

しかし、これは冗談でもまやかしでもなく、あの方の自己申告によるものです。


……あの方は、傲慢ですが、自分の出来ないことを出来ると言ったりなどしません」


生徒達はうんうんと頷く。まだ会ってさほど時間が経っていないものの、生徒達には十分なほど理解できる。パラドクス=コスモスはそういう天使だ。

紳士的な言動をしながらも、端々に絶対的な自信に基づく傲慢さが滲み出ている。

だがそれは、自己に対する過剰な評価ではなく『正当な』評価なのだ。


「......『天使』ではない常人の身での最高記録は『4つ』です。

みなさん、共に極みを目指して歩みましょう。その『極み』は、さながら天上の星々のように、遥か彼方にて輝いています...遠方の星に恋焦がれる痛みは耐え難い物です...それでもただひとつ確かなことに『星はその先に在る』のです。『極み』までの距離は永遠ではない......」


老婆は窓の外の方を向き、その先に聳え立つ一本の尖塔を見つめる。

黒い尖塔......その頂点......厳密には最上階である屋根裏部屋からひとつ下の階に君臨する最強の天使の住まう部屋を。


コスモスの中央に聳え立つその尖塔は、たとえ部屋の主人が席を外していようとも、

コスモスという魔境の中で他のどの建物よりも気高く天に伸びているのだった。


「……栄えあるコスモス一年生諸君。6年間、お互いに研鑽し合えることを期待しています」


フィネラル教授が魔女らしい笑顔を浮かべるのとーーー、




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




ーーー先の見えない闇の世界。上から下に流れ落ちる闇の滝の奥には、地平線という名の目の保養など存在しない。


暗い世界。暗く昏く、上から下に闇が流れていく滝のような世界。

始まりの世界(ガイア)』や『幻想世界(アカデミィア)』のものとは比べ物にならないほど過剰な『重力』によって、先の見えない無限の奈落へ引き摺り込まれ続けるという、異常で異質な『異世界』だ。


所々に浮かぶ浮島を除けば陸地など存在せず、自由落下の末にそれらの浮島にぶつかり、赤い花火となることができたものは『幸い』だろう。それは紛れもない祝福であり、幸運である。

......何が『祝福』だ?何が『幸運』だ?そう考えるのは間違いだ。

真に不幸なもの達が辿る道は『無限にも思える自由落下』である。

空気も無く、それにより音も無いこの世界で、ひたすらに落下し続ける恐怖は、実際に身をもって体験すること以外の方法では、決して理解できないだろう。



そんな心を塗り潰すような闇の世界にて、虹色に輝く浮島がひとつ。


異質な重力の力場にも、この世の道理にも、(ことごと)く抗い、叛逆してきたものがそこにある。


虹色に輝く鉱石の島。コスモスの本校舎と同程度の大きさのその島に。

重力をものともせず、音さえ立てずに降り立つ天使が1羽。

着地音は立てなかったというのに、足音は殺そうともせず、コツコツ、と石と革靴が小突き合う心地良い音が響く。

音が響きーーー浮島からそこそこ離れたところで掻き消える。


音を伝播する空気が無いのだ。


この浮島の周りにだけ例外的に空気が留められており、その外部は完全なる真空に支配されている。


傲岸不遜に歩く紳士的な天使はーーー本来ならば『聖神教会教皇』との面談を行なっているはずの世界最強の天使はーーー周囲の人間達に嘘をつき、古き友を尋ねていた。


黒衣を纏った天使は、浮島の上の広場にて、虚空に向かって話しかける。


「......最後にこちらに来たのは、何年前だったでしょうか?」


『ーーーーーー』


世界を揺らすようなーーーそれでいて鈴の音のような清らかで美しい声が島中に響く。

それは決して大きな声ではなく、それは決して小さな声ではなく、

まるで脳の中に直接語りかけているかのような、不思議な声だった。


「ああ。10年ですか。思ったよりも最近でしたね。体調は如何ですか?」


『ーーーーーー』


「それは何よりです。ところで、悪いニュースと良いニュース、どちらから先に聞きたいですか?」


『ーーーーーー』


「先に悪いニュースを選ぶとは。実に貴方らしいですね。無論、最後は良いニュースが良いに決まっています。悲劇はできるだけ早くに乗り越えるに越したことはありませんからね。

さて............どうやら人々の間で、また『魔王』が生まれたようです」


『..................』


返答はない。


しかし、その沈黙がどのような心情を表しているのか。


よく傲慢と評されるこの天使も、その心情を理解しようなどと思い上がれるほど、傲慢ではなかった。


わかるはずがないのだ。


そう、わかる、などと気安く語るべきではないのだ。


「......『 世界の悪戯(パンドラ)』......テトラは『異端審問会』という専門機関を設立し、それらの収集に努めていますが、ついこの間『悪魔の黒檻』が新たに収容されました。


それを見つけた少年は、『石壁の迷宮世界(ストーン・ダンジョン)』にて『悪魔の黒檻』を見つけた後に、遭難し、帰還を果たしました」


『ーーーーー同ジ』


「ええ。その通り。同じなのです。1000年前と殆ど変わらず。

『歴史は繰り返す』、この世を動かす強大な摂理のひとつですが、これほど恐ろしい摂理はありません。かつての過ちが、災禍が、惨劇が、悲劇が、時を重ねるにつれて再来し続けるということなのですから」


『ーーーーーーー』


「ええ。もちろん、テトラはその少年が『魔王』である可能性を真っ先に疑いました。

故に『行方不明者1名』を探すにしては大規模が過ぎるほどの人員を投下しました。

ところが、彼は数多の捜索員と顔を合わすこともなく、挙げ句の果てに知り合いの……弟と偶然出会い、彼の案内で帰還することに成功したのです」


『ーーーーー奇跡』


「ええ。『奇跡』です。まさしく『勇者』のような」


『ーーーーマサカ』


「ええ、そのまさかです。『 世界の悪戯(パンドラ)』のひとつに『勇者』の名を示す鏡がありますが、なんと、彼の名前が記されていました。


Scientia ■■■■■■■■■■■と。」


『ーーーーーペンタ、ト、同ジ』


「ああ。貴方の人間関係ではそうなりますか。ええ。そうですとも。彼はペンタの子孫です。

勇者の名が刻まれたということは、すなわち、既に『魔王』が胎動を始めているということ。

このまま行くと、鉱石人(デモニア)達の侵攻の時期と『魔王』による叛逆の時期が重なることはほぼ確定です」



『ーーーーーヤハリ、繰リ返シ、カ』


「ええ。さて、良いニュースの時間です。

............まもなく、貴方が完全なる力を振るえる日がやってきます」


『........................』


またもや返事は返ってこない。

しかし、かれこれ2000年以上の付き合いだ。これくらいの心情は察することができる。


期待、興奮、高揚、待望。



「......楽しみにしていてください............フィクタ」







ーーーとある天使が古き友の名を口ずさむのは、同時だった。


































「…………あーあ。初めましてしたばかりなのに、もう、さようならかぁ………何もしてあげられなかったけど……幸せに生きてね!」











「……………………… (ごめんなさい)

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