『幾何学と花火』
『クリスタリア』編入2日目。
セントはジェイドや他のクラスメイト達と共に『クリスタリア』の校舎の『数ある』中庭のひとつに集っていた。
第4限である『幾何学』の授業を受ける為だ。
中庭と言っても、花壇が置かれているわけでも、噴水が備え付けられているわけでも、ベンチが設置されているわけでもない。
『黒板』……そう、まさしく黒板だ。
貝殻から作ったチョークを使って文字や絵を描くためのもの……出来ることならば使用量を抑えたい貴重な紙の代わりに、教会や教室で使われる代物。
普通は壁に備え付けられている『黒板』が、
『床一面』に広がっていた。
言い換えれば、その中庭の床には、『黒板』のような材質の正方形のタイルが敷き詰められていて、中庭ひとつを丸々使った黒板のような異様な光景を生み出していた。
「……幾何学って、紙と万年筆を使って、教室の中で学ぶものだと思っていたのは僕だけなのかなぁ」
「……セント、僕もだよ。まさかとは思うけど、『床に描く』のかな」
「……俺が先輩から聞いた話では、課題が終わるまで次の授業に進ませて貰えないらしい」
「リンド、怖いことを言わないでよ……」
一部の生徒を除いて、クラスメイト達はこれから始まる授業への不安を語り合っていた。
そんな少々騒がしい中庭に、メガネをかけた赤紫色の髪と目をした先生と思しきおばさーーー女性が歩いてきた。かなり個性的な化粧をしている先生だ。
その人物は自身の喉に親指を立てると、真っ赤に塗られた唇から、常識からは考えられないほど大きな声を出す。
きっと、『技能』を使っているのだろう。
「皆さん、初めまして。
皆さんの『幾何学』の教鞭を取ることになりました。
カルスト=ド=アークレイです」
淡々と述べられたその名前に、セントは聞き覚えがある。
「アレ?もしかして、ゾルスト校医の?」
セントの何気ない問いかけに、カルストはこれでもかというほど眉を顰める。
「……ああ、センティア君でしたか?君はあのスラム街から我らが『クリスタリア』に這い上がってこられたのでしたね?
……彼女のことを知っているようですが、彼女は我々アークレイ家の恥晒しです。2度と私の前で彼女の『薄汚い名前』を呼ばないで頂けますか?」
「4文字中3文字同じなのに?」
クラスメイト達が数人、思わず吹き出す。
カルスト先生は額に青筋を浮かべながら、忌々しげに声を捻り出す。
「……今笑った者は評定マイナス1です」
「えぇ!?そんなぁ!」
セントはこの教育機関に数年単位で長居する予定はないのだが、それでも成績は良い方が精神衛生上良いというものだ。
(ゾ、ゾルスト校医はお世辞を言ったら喜ぶタイプだった。……この人もプライドが高そうだしお世辞を言えばなんとかなるかも!)
「いや〜、あの!カルスト先生!」
「……なんですか?」
(ヤバい!どんなお世辞を言うか決める前に先走っちゃった!『科学者』を使う暇もないし!)
自称人心に長けたセントが、その優秀な頭脳をフル回転させ、瞬きの間の後に捻り出した答えはーーー、
「せ、先生って!化粧がお似合いですね!
…ハ…ハハ!」
クラスメイトがまとめて吹き出す。
「……今笑った生徒はマイナス2。センティア君、あなたはマイナス3です」
「……100点満点中?」
「……5段階評価です」
ーーーーーーーーーーー
「さて、まずは皆さんにチョークを配ります。ひとり一本受け取ってください」
カルスト先生が腕を振ると、校舎の中から木箱がひとつ飛んできて、中には新品のチョークがギッシリと詰まっている。
生徒達が各々一本ずつ取り出し、全員が自分の分を取り終えたことを確認すると、ちょうど授業開始の鐘が鳴った。
鐘が鳴り響く中、カルスト先生は授業を始める。
「まず『幾何学』とは何か?そこから語るとしましょう。
世界は『物質の世界』と『意味の世界』に分けられる。これは皆さんご存知ですよね?」
(……知らないんだけど……
『実世』と『虚世』のこと?)
「……数人、分かっていないようなので説明しましょう」
カルスト先生は呆れたような表情で続ける。
「『物質の世界』とは正しく我々がこの身で『触れられる物』によって構成されている世界……というよりも『世界の内我々がこの身で触れられる部分』を指します。
その反対に『意味の世界』とは『世界の内我々がこの身で触れられない部分』を指します。
例えば目の前で雷が落ちたとしましょう。
雷は莫大なエネルギーを伴った自然現象であり、そのエネルギーは災害として破壊をもたらします。
では我々は『雷』に触れることが出来るでしょうか?
……電流をその身に流すことは出来るでしょう。しかし、それは『電子』であって『電流』ではない。
あるいは、川で例えてみましょう。
皆さんは川の水をコップで掬うことができる。川の水に触れることが出来る。
しかし、皆さんは『川の流れ』を掬うことは出来ない。『川の流れ』に触れることは出来ない。
触れられるのは『川』ではなく『水』です」
(何?哲学かなにか?そんなこと考えて何になるの?)
「今の2つの例えに困惑している生徒もいることでしょう。2つの例えに共通して言えることは、
『エネルギーがもたらす物質的結果に触れること』は出来ても『エネルギーそのものに触れることは出来ない』ということです。
さて『幾何学』の話に戻りましょう。
皆さんは『三角形』を描くことが出来るのか?
……いいえ、出来ません。
どれほど精巧にインクを垂らそうと……
……『コスモス』の野蛮人達の言葉を借りるならばーーー『原子レベル』で見れば、歪な形になってしまう事は必須です。
世界は『原子』……我々の崇高な言葉で表すのであれば『真球』によって構成されているのですから、完成したものはどこまで行っても真珠のネックレスのような物にしかなり得ないのです」
(『真球』?)
「この世で『完全なる図形』は『真球』、つまり『世界の最小単位』であり完全に歪みのない球体以外には存在しないのです」
「……カルスト先生?ひとつ質問良いでしょうか?」
「……センティア君、それは授業に関係ある事ですか?」
「僕を何だと思ってるんですか!純粋な疑問ですよ!」
「……続けなさい」
「先生の解説では『完全なる図形』……例えば『歪みのない正三角形』などは描けない、ということでしょうか?」
「……ええ。その通りです」
「であれば、『原子』、いや『真球』を用いないで描く図形、例えば『光線』を用いて図形を描く場合はどうなるのでしょうか?」
「……思っていたよりも良い質問ですね。評定プラス1です。
我々が描こうと考える図形のうち、直線によって構成される図形として最もわかりやすいものとして『正多角形』が挙げられます。
残念ながら、『幾何学』で特定の現象を起こす際には『円』の中にそれらの図形を描き込んだ『魔法陣』を用いる必要があり、光ではその『円』を形成するのが難しいのです。
よってそもそも『幾何学』に応用できないということは今述べた通りですが、『完全なる図形』を光で描くことが不可能な理由は別にあります。
センティア君。
光が曲げられない状況。
つまり、光を反射するものが無い状況。
さらに言い換えれば『虚無』……『コスモス』での言い方に変換するのであれば『真空』の状況下。
確かにこの状況下では光によって完璧な直線を描くこと自体は不可能ではありません。
しかし、曲げる為には『鏡を用いる』あるいは『複数の光源を用意する』必要があり、その際の微調整が人間には不可能なのです。
正三角形単体では何も生み出しませんが、最も簡単な正多角形なのでこれを例に話すのであれば、
完璧な直線を3本用意出来たとしても、それらを『完璧な60度』で交わらせることは不可能です。
以上の理由から、光を用いたとしても『完全なる図形』を描く事はできません。
ですが、着眼点は素晴らしいです。
現に、周りを内側が銀の鏡に覆われたチューブと幾つかの鏡、そして『光源となる結晶』を用いて空中に魔法陣を描く可動式兵器の開発が計画されたことは歴史上数回ほどあります。
馬車にその機械を積み、砲台のように用いようとしたそうです。
しかし、現実的には運用効率が悪すぎると言う理由で断念されてきました」
「なるほど。ありがとうございます」
「いえ。良い質問であればいくらでも受け付けます。
さて、続けましょう。
『幾何学』とは『完全なる図形』では無いものの『完全に近しい』図形を『特定の素材』を用いて描き、そこに『魔素』を加えることにより『魔法』を発動させる学問です」
(魔法?)
カルスト先生はズボンのポケットから1枚の折り畳まれた紙を取り出し、それを皆に見えるように広げて、
「例えば、今ここに私が先ほど描いた魔法陣があります。
この『魔法陣』には『幾何学文字』が使われていませんが、実用的な『魔法陣』を描く為には『幾何学文字』が必要不可欠です。その事は覚えておいてください。
『全ての魔法陣に必須の円』の中に、
火を司る『正7角形』と発生させる現象の方向を狭める『正5角形』が3つとも互いに接するように描かれています。
そして、その2つとは別に、加えられた『魔素』を蓄え、面積に応じた時間の後に『魔素』を流し始める機能をもった『楕円』を外周の『円』とだけ接するように描きました。
危ないので皆さん3歩ずつ下がってください」
カルスト先生の指示に従い、生徒達が中庭の中央から離れる。
カルスト先生は中庭の中央にその魔法陣の描かれた紙を置くと、
楕円の部分に人差し指を当て、すぐさま小走りで離れる。
5秒が経ったところで、
『ゴァァッ!』
と、かなりの火柱が一瞬立ち昇ったかと思うと、もうそこに魔法陣の描かれた紙は残っていなかった。
「……今のが『魔法』というものです。
ちなみに『正5角形』を描いていなかった場合、紙面に垂直な方向に火柱が立つのではなく、まるで魔法陣の中心を中心とした小さな炎球のように炎が広がります。
実技試験でのケガの殆どが『正5角形』の描き忘れによるものです。赤点をつけられたくなければ、あるいは腕を吹き飛ばしたくなければ気をつけることです。
さて、皆さんには『図形や幾何学文字が持つ意味』
それらを『円の中に詰め込むための計算』
そして『図形を構成する素材の役割』を学んで頂きます。
ちなみに、『魔法陣』によって引き起こされる現象の規模は、
それらを囲む外周の円
即ち『外接円』の『面積の平方根』
『込められる『魔素』の量』
そして『図形の正確さ』比例して増加し、
それと同時に必要な『魔素』も増加します。
『図形の正確さ』が求められることにより、
『天然の魔法陣』というものが少ない理由もわかるでしょう。
『真球』がどれだけ『完全なる図形』であり、それらが成す図形がどれだけ『幾何学』的に美しいもので合っても、その小ささでは蟻を動かす威力さえ出ません。
湖がどれだけ大きかったとしても、それが成す図形は歪であり、そんな歪さでは風を起こす威力さえ出ません。
故に、我々『魔法使い』による正確な図形の『計算』・『設計』無しには、
『魔法陣』による『魔法』というものは起こり得ないと考えて良いのです。
図形を成す素材全体、例えば先ほどの『魔法陣』であれば『人の血』
それらの全体に『魔素』を生き巡らせることは容易ですが、これが巨大化すれば『最低限として』必要な『魔素』も、それを流していくのにかかる時間も増えていきます。
『魔法陣』そのものは空気中の『魔素』を勝手に吸い取っていきますが、それでは『魔法陣』を『発動したい時に発動させる』ことが難しくなります。
故に『時間調整』の役割を果たす『楕円』は必須となります。皆さん、『魔法陣』を描くときは真っ先に『外接円』、その次に『楕円』を描くようにしましょう。
計算と設計が面倒だから、先に『正7角形』を描いて、後からそれらに合った『外接円』を付け足そうとしたら、『外接円』を描き切った瞬間に燃え始めるだなんて事は初心者のやりがちなミスです。
『楕円』を描く事で『込められる魔素』を増やすだけでなく、『空気中の魔素』によって『魔法陣』が『魔法』を発動させるのに必要な『最小限』の『魔素』を満たした瞬間に、意図せず『魔法』が『発動』してしまうことを防ぐことができるのです。
さて、ここまで解説したところで、
ひとつ例え話をしましょう。
『正5角形』を描かなかった場合、先ほどの魔法陣の縦横を2倍ずつにして面積を4倍にしたと仮定すると、この際に生じる火球のサイズと必要な『魔素』は、先ほどの『2倍』になる一方、描く為に必要となるスペースや素材は『4倍』になります。
これらが何を意味するのかといえば、
デタラメに『巨大な魔法陣』を描けば良いというわけでは無い、ということです。
『100倍の威力』を出す為には
『10000倍の素材』と『10000倍の面積』
そして『10000倍の魔素』
が必要であり、さらにそんな巨大な『魔法陣』を『できる限り誤差の無いように』描く必要があります。
とても現実的ではありません。
『その場にあった大きさ』の『魔法陣』を『素手』で描けるようになれば、やっと1人前の『魔法使い』になれると言うわけです」
カルスト先生はポケットからもう一枚の白紙を取り出す。その紙はトランプのような厚紙で、しかしその両面には何も描かれていない。
『ヒュッザザザッ』
カルスト先生の手が紙の上を素早く動き、カルスト先生はその紙を空に向かってうまく投げる。
東の島国に詳しい者が見れば『手裏剣のよう』と形容する光景だ。
その紙は先ほどの『魔法陣』の描かれた紙と比べると明らかに小さいものの、適度な強度を持っているようでクルクルと回りながら、風を切り、空へ飛んでいく。
『パァァンッ!!』
その紙が空中で爆発し、
色とりどりの炎を炸裂させ、
それらの炎が雪のように降ってきたかと思うと、
空中から地面に落ちてくるまでの間に、
霧のように儚く消えた。
絵本で読んだことがある。
それは、東の島国の伝統芸能のひとつだったはずだ。
……『花火』……
……そう、正しくそれは咲き乱れる花のように美しく、散りゆく花のように儚く、極彩色に輝く『一瞬の絶景』だった。
「……まぁ、皆さんが私レベルに到達するにはあと50年ほど掛かるでしょうがね」
そんな奇跡の絶景を、2秒ほどで描き切った自他共に認める『魔法使い』は、絶対的な自信との驕りを込めた笑みを浮かべる。
「さぁ、皆さん。教科書を配ります。床にある『黒板』に!好きな『魔法陣』を『編み』なさい!」
かくして、『科学』に慣れ親しんだセントにとっては初めての『魔法』の世界。
好奇心旺盛な少年は、
嬉々としてその『異世界』に足を踏み入れるのだった。
ちなみに、カルスト先生はあんなことを言っていましたが、実際のところ、『石壁の迷宮世界』由来の鉱石のわけわからん効果って、その全てが『結晶構造の幾何学模様が発する魔法』に由来するんですよね。
『コスモス』の学者達はその事実に気付きつつあり、
化学科教授こと、
フェルミ=クロライド(アレスの脳内予測変換に出ていたうちの、クロノスじゃない方です)は結晶構造を観察し、そこから『魔法的意味』を読み取る研究を始めています。
微小な図形といえども、規則正しく、沢山集めれば、そりゃあ威力だって高まります。
とはいえ、2倍の数集めれば威力が2倍になるか、といえばそういうわけでもなく(それなら巨大な鉱床なんかはデタラメな魔法を発動し続けることになりますし)、鉱石にもよりますが、基本的に鉱石のサイズが変わっても性能はそこまで変わりません。
要するに『記憶水晶』は色によってのみ……言い換えれば構成元素によってのみ、性質が変化するのです。
サイズが倍になっても、記録可能時間は大して増えません。ただし、ある一定のサイズ以下になると途端に効果が無くなる(認識できないほど弱く)なります。
そうならなかったら、みなさん割り続けるでしょう?砂粒くらいになるまで。実際そうなってないわけで。
世の中、うまくいかないものですねぇ。




