《幕間》 《花咲天使と生物狂師》
それは、2人の『狂人』の物語。
……リーフレイは今日も笑います。狂ったような甲高い声で。耳をつんざく不快な声で。
人を死に至らしめる光……そんな『死の光』に満ちた世界。
『実世』 にある数多くの『世界』のうち、炭素人の支配下にある『そんな危険世界』として挙げられる世界が2つある。
『極彩色の森林世界』と『空虚なる黄昏世界』
いずれも死ぬまでに一度は目にしたい、と評されるほど美しい世界でありながら、実際にその世界に足を踏み入れることが出来る能力者は少ない。
……いや、言い方が悪かった。『踏み入れて正気を保っていられる』能力者は少ない、の方がきっと適切だろう。
赤紫色の葉を黄色い幹の上に生い茂らせた毒々しい木々が群生している森の中。
陽の光が殆ど届かない地表にて、動物や虫の死骸によって有り余るほどの栄養を含んでいるであろうドロドロの腐った土を皮のブーツで踏み締める音が鳴る。
本来ならば教師からの推薦を得なければ足を踏み入れてはならない『危険世界』に、
まだ1年生だというのに、ルールを無視して足を踏み入れている生徒がいた。
数ある『教育機関』の中でも、生徒の自由度、悪く言えば『身勝手さ』については自他共に認める世界一の『教育機関』であり、『 真理を知る秩序の花』という名前とは正反対の校風を持つ『コスモス』……その2,000年にわたる長い歴史において、記録されている事例に限って述べれば、『歴代最年少』として入学から2ヶ月後という短期間の後に『危険世界』に足を踏み入れた少年。
自身の記録が……
後に『入学初日の夜』に『石壁の迷宮世界』という『危険世界』に足を踏み入れたとある少年によって塗り替えられるなど、知る由もなく、また、『そんなもの』に露ほどの興味も持たずに、その少年は極彩色に染まった『異世界』の土を踏み締めていた。
「…………キャハハ……いや〜、こりゃあ誤算だったなぁ!キャハハ!」
父親からよく『耳障り』と評された笑い声を極彩色の森林に響かせながら、淡緑色の髪と眼を持った少年が突然、血を吐く。
「......流石は『危険世界』といったところですかねぇ!すっかり舐め切ってましたよ!キャハハ......ゴフッ!」
......空が見えない。
比喩表現ではなく、本当に見えないのだ。
天を仰ぎ、広がるは無機質なまでの赤紫色に染められた天蓋。
陽の光を余さず得ようと、赤紫色の葉が互いにせめぎ合って空で場所取り合戦を繰り広げていた。
......時計石はひび割れた。
元々時間を気にする性格ではなかったが、遭難してからどれほどの時間が経ったのかすら分からないのは流石に辛い。
......食糧が尽きていた。
『植物』から『食糧』を錬成する『技能』は身につけていたが、どうやらこの地域の植物は何らかの『重金属原子』を含んでいるようで、合成が阻害されてしまう。毒々しい極彩色はそれらの構成元素によるものだろうか?
最後の手段として、『不完全な変換』を施した『植物』を食べることもできるが、きっと死期を僅かに先延ばし、その代わりにその先の僅かな生存時間を、重金属に身体の中を侵される苦しみに塗れた耐え難いものに変えるだけだろう。
「......はぁ、やれやれ。歩いていても仕方ありません。ひと休みしますかぁ......」
少年は黄色い幹に寄りかかろうと左手を木の幹に突き、左手に付けていた手袋の手のひらの部分から『フシュー』という音が鳴り、手袋が白い煙を上げ始めた所で慌てて木の幹から手を離す。
「......寄りかかることさえ許さぬ......と。......はぁ。ケチですねぇ……」
少年は仕方なく慣れない『技能』を使い、半分液体のようになっているドロドロの地面を凍らせて、その上に背中のリュックから『鉛で出来た寝袋』を取り出し、その中に入り込み、寝袋の入り口をしっかりと閉じる。
地面を凍らせたのは寝袋ごと、底なし沼のような地面に飲み込まれないようにするためであり、『技能』は『長時間経っても溶けない』ことに特化させた『冷却技能』だった。
鉛は『死の光』を防ぐことができ、この世界での睡眠中、すなわち『技能が使えない』期間はこの寝袋に入っておく必要があった。
寝袋は完全に外気とは遮断されているため、本来ならば酸素不足で死に至るが、その対策として寝袋の中には自動で『魔素』から酸素を作り出す結晶が備え付けられており、少なくとも窒息することは防ぐことができるため問題はない。
「......幸い、この『木』の毒性の所為なのかは分かりかねますが、この辺りには巨大な捕食者が全くといっていいほど居ない......何時間ぶりか分かりませんが、お昼寝といきましょう......今が昼なのかも分かりかねますが」
目を閉じると殆ど同時に、少年はまるで後ろから鈍器で殴られ気絶したかのように、深い眠りへと落ちていったのであった。
………それは、実に57時間ぶりの睡眠だった。
ーーーーーーーーーーーーー
《1ヶ月前》
灰色がかった白色の髪と眼をした20代後半くらいの男が、教卓の上に出席簿を置く。
......5分の遅刻だ。
しかし、その男は遅刻を反省する素振りを見せるどころか、欠伸さえしながら授業を始める。
「......ふぁぁぁ。ああ......今年の学年はこれが最初の授業か。それじゃあ、自己紹介からだな。オレの名前はクロノス=レジア=ザクロ。一応ザクロ王族の血筋だ。よろしく」
何もかもが適当そうなその男は、そっけなく自己紹介を終えた。
「さて、一応『世界科』の教授なんかをやっているわけで、異世界についてはそこそこ詳しい自負がある。質問があれば、状況を見て出来る限り早く質問しろ。あと、別に遅刻や欠席は自由にしろ。テストはやるからそれに合格できればなんでも良い。……ルールはそれくらいだ。
質問あるか?…………無いみたいだから、授業を始めるぞ。
そんじゃ、まずは『危険世界』の解説からだ。教科書の3ページを開け。
……『危険世界』の定義はいくつかあるが、有名なヤツだと『高い魔素濃度』と『高い危険性』が挙げられる。
後者はまんまだが、前者が意外と盲点だ。テストに出すーーーー」
『サラサラサラサラッ!!』
生徒達が教科書に万年筆でメモを書き留める音が充分になり、生徒達が手を止めたところで、
「ーーーーーーわけじゃねぇが、覚えとけ」
「「「…………」」」
「……なんだ?勝手にメモったのはそっちだろ?学問に王道なしってな。ざまあみろ」
「「「(なんだコイツ)」」」
「さて、冗談はさておき、この定義は覚えておいて損はない。まぁ、忘れようったってこんなことがあったら忘れねぇだろうがなぁ。
一般に『魔素濃度』が高い『世界』では生物の代謝が跳ね上がりやすい。
こりゃあ、一流の能力者がそこらの一般人よりもメシを多く食うことからもわかるだろ?
『門番』だなんてイレギュラーがなけりゃあ………」
クロノスはそこまで喋ったところで、一度言葉を切り、喋る言葉を忘れてしまったかのような……いや『喋るという行為』さえ忘れてしまったかのように、口を半開きで虚空を見つめ、ぼーっとした後に、ようやく自分が考え事に耽っていたことに気付いてハッとした顔をして………どうしようもなく自嘲気味な笑いを浮かべた後に、何事もなかったかのように取り繕い、解説を再開する。
「……そう。そんなイレギュラーが無い『危険世界』では『生態系が閉じる』……まさしく『外来種』が入ってこないってわけだ。
必然、その場には『その場にだけ』適した動物なんてのがじゃんじゃん生まれてくる。
『魔素濃度』が高いってことは、それだけ『魔素』から栄養なんかを生み出す植物だったり、それをエネルギー源に活動する動物達へのエネルギー供給が活発ってことだ。
言っちまえば薪が投入され続ける釜みたいなもんだ。
必然的に『省エネルギー』なんて戯言をほざく生物から先に淘汰され、最終的に莫大なエネルギーを消費して、デタラメな活動をするような生物が環境を支配する。
だが、長い目で見ると『世界の寿命』が尽きていくにつれて、『魔素』の供給源である『実世の入江』がドンドン閉じちまう。これを『薪切れ』なんて言うこともある。
暖炉だって、山ほどの薪を燃やしてちょっとしか暖かくならねぇ欠陥品もあれば、効率良く最大限の熱量を薪から生み出す優良品だってあるわけだ。
俺らは前者を『燃費が良い』……後者を『燃費が悪い』だなんていう訳だが、要するに、最終的にはそういう『燃費の悪い』生物は滅ぶ運命にあるってわけだ。
……『いずれは滅ぶ運命にありながら、仮初の栄華を謳歌する』
……そんな悲しい宿命を負って生きてるのが生物ってモンだ。
……….……なんだか、感傷的になっちまった。柄にもねぇのにな」
クロノスは窓の外の景色を見つめる。
その先に聳え立つは二股のフォークを大地に刺したかのような尖塔。
その最上層ーーー厳密には上から2番目の階にある『校長室』の方を眺める。
ーーーきっと今もそこにいるハズだ。生物の業から逃れた者が。
『滅べぬ運命にありながら、永劫の栄華と苦しみに身を焦がし続ける』……そんな天使のことを考え、ふと我に帰り、授業を再開する。
「……おっと。今日は気分がノらねぇなぁ。……話を戻そう。
『危険世界』は『高い魔素濃度』と、それによって生み出された生態系に基づく『高い危険性』を特徴として持ち、それと反対に、、、あんま言わねぇが『安全世界』ってのは『低い魔素濃度』と、そのせいで活動限界がかなり縛られている生物達による『理不尽ではない危険性』を特徴として持つ。
ガキでも分かるように噛み砕くんなら、『危険世界』は『出来立ての世界』で、『危険世界では無い世界』は『出来てからかなりの時間が経過した世界』とも表現できる。例外はあるがな。
……ここまでで質問は?」
「はぁい!」
「んじゃ、そこの緑の」
「『極彩色の森林世界』について教えて下さいっ!」
「「「…………」」」
脈絡を完全に無視し、己が好奇心に突き動かされた狂人の口から飛び出た質問に、生徒一同は『一名を除いて』絶句する。
隣に座っていた専属のメイドは、そんな主人の『いつも通りの行動』を戒める訳でもなく、むしろ微笑ましげな表情さえ浮かべるのだった。
「あー。お前が空気読めないヤツだってことは分かったよ……授業内容に関係ないとは言えないからタチが悪りぃなぁ......緑色、名前は?」
「リーフレイ=ド=ヴィロメントです!」
「......ああ、なるほどな。あの緑野郎の息子か。血は争えねぇと......。空気読めない性格を受け継ぎやがったか」
「キャハハ!1日に5回は言われます!」
「..... 『極彩色の森林世界』の解説に移る。文句あるヤツいるか?」
「「「......」」」
「今年は随分と静かなヤツばっかりだなぁ。ここは『コスモス』、自分の意見を言わねぇと何も始まらないぞ?」
「「「......」」」
「よし。じゃあ『賛成多数』ってなわけだな。
今日の授業内容は『極彩色の森林世界』の解説だ。全員、教科書の156ページを開け」
「「「!?」」」
「『極彩色の森林世界』の特色として挙げられるのは、
『死の光』と『生物種の多さ』だ。2,000年前に『序列第5位天使』があの世界で能力を行使した。その際に生まれた生物種を便宜上『第一世代』と呼ぶことにする。
そうすると、現在あの世界を闊歩しているのは『第二世代』と呼ぶべき生物種ということになる。
今はもう滅んじまったが、かつてあの世界は『花皇国』っていうひとつの国の領土だった。
そこの皇帝が『序列第5位天使』の実の父親であり、その皇帝が『不老不死』を目指した結果、『世界の絶対法則』に抵触し、癇癪を起こしたガキみてぇな報復にあった......ってのがパラドクス達の推測だ」
「ガキみたいな報復とは!?」
「……プリン見たガキみてぇに嬉しそうな笑顔浮かべて聞くんじゃねぇよそんなこと......
質問に答えると、『世界が融けた』だとよ。
しかも、巨大な爆発がダメ押しみたいに何度も起こった結果だ。
当然、その世界で暮らしていた人々は根こそぎ滅んだ。確か数十人は助かった筈だが、それだけだ。残りは全員焼けて融けた」
目の前の厳しそうな男は、何か悲しい過去の事を噛み締めるかのような顔をした後に、生徒達を改めて見渡しながら、無表情を取り繕う。
「......暗い話はこれくらいにして、話を戻すぞ。
『花皇国の悲劇』と呼ばれるこの悲劇によってあの世界に起きた変化が2つ。
『土壌の汚染』と『死の光』の蔓延だ。
融けたとは言うものの、元々『デモニア』達が暮らす世界や『万物融ける火山世界』みてぇな『恒常的に高温な世界』って訳じゃねぇし、そういう『高温世界』特有の生態系を有しているわけじゃねぇから、冷え固まるのは時間の問題だった。
冷え固まった世界の大地には、奇妙な黄緑色のガラスが点在していてな。他にも、元々鉄なんかをよく含む土壌だったなんてこともあって、資源の採掘が始まった。
その当時は『死の光』も『土壌の汚染』も認知されてなかったから、被害者がどれくらいになるのか......考えたくもない。
莫大な屍の山が築かれた時には、『外界』から持ち込まれた生物達が『異様な進化』を始めていた。
汚染された土壌には、本来ならさほど含まれていないはずの重金属元素が通常の数千倍の濃度で含まれていてな。本来なら生命にとって劇毒となる筈のそれらを吸収して自身の代謝システムに組み込む生物種さえ生まれ始めた。
それらの重金属を含む植物や生物は禍々しく毒々しい極彩色の体色を持つようになり、
その世界は『極彩色の森林世界』と呼ばれるようになったってわけだ。
ここまでがオレの大っ嫌いな『歴史』の話。こっからは世界についての実用的な知識だ」
『実用的』という言葉を聞き、生徒達の眼の色が変わる(比喩表現である)
校風から研究者や専門職に就く生徒の多い『コスモス』では、『実用的』な知識だけを求める『現金な』生徒もかなりの割合で存在する。
知識の為の知識を重んじる『コスモス』の校長の望みに反し、
社会の役に立つ知識を愛するどこかの校長が好みそうな生徒達だ。こういった生徒は大抵2年生以降『クリスタリア』や、ザクロ王国の他の教育機関に移ることが多い。
クロノス自身、そういう生徒は何人も見てきたが故に、今回も彼はため息をつくことしかしない。彼としては自分の語った知識のうち、どの知識を重んじるべきかについてあれこれ講釈を垂れることが許されるほど、自分が偉いわけではないと十分に弁えているつもりなのだ。
「......あの世界に滞在するなら、最低限『死の光』から身を守る『技能』と、あの世界の生物達......あの世界の場合、『動物』だけじゃなく『植物』も含む......と渡り合う戦闘力が最低限必要だ。
長期滞在を視野に入れるなら『鉛の寝袋』も必須だ。『死の光』は鉛を通過することが出来ない、言い換えれば普通の服なら平気で貫通するから気をつけろ。あと、『鉛の寝袋』の中に酸素を生成する機構を組み込むのを忘れるな、寝ている間に窒息するぞ」
「ふむふむ!」
「......目を輝かせてるとこ悪りぃが、1年生は『危険世界』に立ち入り禁止だ。せいぜい、上級生になるまでに実力を磨くんだな......生きていればの話、だがな」
誇張表現ではないのが『コスモス』の恐ろしい所である。
生徒の自由を保障する代わりに、その結果の責任を負う義務を課すのが『コスモス』という学び舎であり、『危険世界』ではない世界であっても、行方不明になる生徒は後を絶たない。例え身の程にあった探索をどれほど推奨しようとも、それで立ち止まる生徒など、もとより『白亜の大門』を潜ろうとしないのだろうから。
「......ちなみに!ゲートは何処にあるのでしょう!?」
自身の欲望を隠そうともせず曝け出しながら、文字通り『目的地』への道を尋ねる少年。
「............3号館の地下4階の部屋のひとつにゲートが設置されているが、身分証が無ければ通過はできない」
「......ふむふむ。鉛の寝袋と身分証が必要......っと!」
滲み出る狂気を周囲に感じさせながら、少年はメモ帳の上で万年筆を走らせる。
クロノスは、自身の探究欲を隠そうとさえしない少年の振る舞いを見て、
『実にコスモス生らしい』と思いながら、嬉しさ半分呆れ半分でため息をつく。
目の前の少年は、身分証が無いならば『誰かから借りればいい』
......心の底から、そう考えているようだった。
入学してからさほど経っていないというのに、彼は学者に必要な『狂気』を持っている。
『禁止されているからやらない』のではなく、
『禁止されているから仕方なくルールを破る』
まるで、他者の思いやりを理由に自分の探究の道を諦める、などという選択肢は頭の中に浮かびさえしないようだった。
『コスモス』以外の『教育機関』の教員や生徒は、これらの『ルール』が、生徒らを案ずる教師の思いやりによって作られたと誤解するだろう。
......『思いやり』であることに間違いはないが、『コスモス』の教員らは生徒の命などそれほど大事に思っていない......少なくとも、そういう人間が多数派である。
自身の探究に取り憑かれた教師......いや『狂師』達が最も警戒していることは、
生徒達がルールを守ろうとするばかりに、彼らの探究に制限が掛かってしまうこと......
......そしてその結果として、進歩する筈だった学問が停滞してしまうこと。
『コスモス』の教師達は『それ』を『校長』の次に恐れる。
......生徒の好奇心に基づく探究を阻害するもの......例えば倫理や常識、ルールや固定観念......そんなものに生徒が縛られるだなんて『可哀想だ』......それが『コスモス』の教員達の嘘偽りのない総意であり、それは比較的温和な『校長』にとっても同じである。
故に彼らはそんな思いやりのもと、時にルールを破る手順さえも丁寧に説明するのだ。
『常人が越えてはならない一線を越える手伝いをする』......それを非難する人間は余りに多い......だがそれは見当違いというものど。『コスモス』に繋がる『白亜の大門』を越えた時点で、生徒達はもう『こちら側』なのだから。
『この門をくぐる者は一切の無関心を捨てよ。』
......『白亜の大門』に彫られた『校長』の言葉は、誇張でも虚言でもなく、遵守すべき純然たる命令に他ならない。
そんな教育機関の最上位権力者の一員である教授として、クロノスは少年の判断を咎めるつもりなど、微塵も無かった。
......とはいえ、彼が『今』『目の前で』ゲートに飛び込もうとしていたら、流石に止めに入るだろう。そんな彼が生徒の蛮行への警戒を怠っていたのは、目の前の少年がどれほど優秀であろうとも、最低限の『技能』を身に付け、不良生徒御用達の『金の身分証』を手に入れるために、どう見積もっても1年くらいは掛かるだろう……そんなふうにクロノスは楽観視していたのだ。
……だからこそ、その少年が1週間後に行方を眩ましたと聞かされた瞬間、流石のクロノスも角砂糖6個入りのロイヤルミルクティーを溢したのだ。
貴族の子息として与えられていた法外な小遣いで『鉛の寝袋』を特注し、
現職の『生物科教授』である父の財布から『身分証』を抜き取り、
『死の光』から身を守る『技能』や、植物の細胞から糖類を錬成する『技能』を独学で習得し、
……かくして少年は、溢れ出る好奇心と期待を胸に抱き、
自身にとって楽園のような『異世界』へと旅立ったのだった。
ーーーーーーーーーーーーー
「おや?知らない天井ですねぇ?あと近いし暗いっ!
……ああ!そういえば私は寝袋の中に居るのでした!
キャハハ!僕ってば、お茶目ですねぇ!」
《 『耐γ線の障壁』 》
自分の周りに薄い緑色のガラスのような膜が生まれたことをしっかりと確認した上で、鉛でできた寝袋の出口を開き、外に出て背筋を伸ばす。
「うーん!いい目覚めですっ!……先程血を吐いていたとは思えないほどに……ね」
少年は子供らしい表情を崩し、冷徹な科学者としての表情をその顔に浮かべ、手で顎を撫でながら周囲の観察を始めた。
(……僕の身体の容態はかなり改善されている。何かしらの薬を飲んだわけではありませんし……あの吐血の原因として考えられるのは……例えば『毒』でしょうか。
寝袋の中にいた間は『魔素』から適度に生成された酸素を吸っていたわけで、その間、寝袋の中は外界から隔絶されていた……その隔絶された環境において体調が良くなり、逆にこれから先『外界』で活動している間に体調不良が再発した場合……
……『危険なナニカ』がこの辺りに蔓延している可能性が高い。
……加えて、その危険物はきっと即効性の毒物ではなく、長時間にわたって体内に蓄積されることによって初めて毒性を示すようになる類の毒物、あるいは単なる遅効性毒物である可能性が高いですね。
前者の場合、体内における解毒自体は行われているものの、許容量を超える量の毒物を体内に取り込んでしまうことにより、解毒が追いつかなくなり、体調不良に繋がる、といった具合でしょうか。なんだか花粉症みたいですねぇ。
後者の場合、例えば原因物質が血管をめぐり、特定の臓器に流れ込み、その場のなんらかのタンパク質などと反応することで初めて毒性を示すようになる、といった場合、寝袋で寝ている間新たに吸い込む毒は無いから、その臓器へ原因物質の流入が止まる……その間に私の身体の酵素か何かが解毒作用を起こし、既に臓器に流れ込み、体調不良の原因となっていた毒素の在庫が減少し続ける……そう考えれば体調不良が治った説明が一応できますね。
つまり、いずれの場合であっても、こまめに寝袋の中で休憩を取れば危険を回避できるということ……手段のひとつとして考えておきましょうか。
……どちらであるかの判断は、現時点では難しい……いずれにせよ、今は経過観察をするしかありませんね。
……では、別のアプローチを考えましょう。
僕の身体の変化から毒の種類を予想するアプローチではなく、今度は周囲の観察によって直接毒物の特定を試みることにしましょうか)
少年は周囲を見渡しながら、思考を続ける。現時点で分からないことを追究し過ぎても何も生まない。とある真理を見極めるのに時間が掛かるというならば、待っている間に別の真理を探究すべき......それが少年の考えだった。
科学や魔法の探究の歴史において、真理に一直線で辿り着いた例というのは数えるほどしかない。学史において、全く関連を疑われていなかった分野の知見が、別の分野の真理探究に活きたという事例を数え始めたらキリがない。
故に少年は別の視点から物事を観察し始めたのだった。
(この辺りで毒物を撒き散らしているであろう主犯は、まず間違いなく『この木々』ですね。この木々の他に動植物は見当たりませんし、消去法に基づき、とりあえず諸々の原因をこの木に帰すこととしましょう。
...... 赤紫色の葉に、黄色い幹......『紫の木』とでも名付けましょうか。
いやはや、それにしても木というものは緑色の葉に、茶色い幹というものだとばかり......確か、重金属元素によってこのような特異な色を......重金属?
......重金属元素は人体を構成する細胞や酵素と反応し、代謝を妨害することで毒性を示す。
もしかして犯人は『落ち葉』?
空中を舞う落ち葉の破片、目に見えないそれらの粒子が肺に蓄積し、毒性を示している?
......いえ、それならば、体内に蓄積された重金属を体外に放出していない、より直接的に言い換えるならば、まだ尿や糞便を排出していないというのに、寝袋の中で寝ただけで回復するのはおかしい。
重金属を含む落ち葉の破片を吸い込む......それはそれで毒が蓄積しそうですが、直近の体調不良がそれによるものであるとは、少々信じ難い。
では、他に何が?
葉っぱは違うとなれば、次は幹?……はっ!『樹液』!!!そうでした!樹液に触れた僕の手袋は、煙を出して溶けた……毒性を持つと考えるには十分過ぎる反応ですね。
僕の手袋を溶かした『樹液』が揮発することで肺の中に入り込み、毒として機能している……仮に樹液が諸悪の根源であると仮定しても矛盾が生じるでしょうか?
外界からの隔絶によって体調が回復する……気化した樹液を吸わなくなったのだから、樹液の毒素を僕の身体が少しずつ分解していると仮定すれば、矛盾は生じない……。
一応は常温で液体として存在している『樹液』なのですから、凝固点自体はきっと低い......
......ならばっ!)
《 『冷却』 》
技能の発動により、リーフレイの口の近くの空気が冷却され始め......
『ポタッポタッ』
『0℃』に達するどころか、まだ10℃程にも下がっていないであろう空気から、無色透明の液体の雫が生み出され、地面に自由落下していく。
湿地のようになっていた地面に敷かれた赤紫色の落ち葉の絨毯にその雫が落ち、
『ジューーー』
落ち葉達が、あっという間に焼け焦げたのだった。
口元の近くの空間から滴り落ち続けている雫が靴の上に落ちないよう気をつけ、足元に蜂の巣のような深く小さな穴を幾つも開けながら、リーフレイは自分の立てた仮説が正しかったことを認識する。
(やはり......原因は気化したあの『樹液』でしたか。とりあえず、呼吸をする際に『冷却技能』を使用すれば問題ないハズ......他にも原因がある可能性も否定しきれませんがね。
......とはいえ、いつまでも『冷却技能』を使い続けるわけにもいきません……魔臓が疲弊し切る前に、なんとしても、この木々が存在しない地域へ移動しなければ……
……あるいは、この辺り一帯の木々を完全に伐採する?例えば燃やすとか……いえいえ!燃やしなんてしたら、高温で一気に気化した樹液が襲いかかってくること間違いなし!
……そもそも、あの木が燃えるのかすら分かりかねますし、なんとか逃げるしかありませんね……はぁ。もうちょっと予習してからくるべきでしたねぇ……)
少年は溜息をつき、『浄化された空気』が吹き飛んでしまった事に気付いて息を止め、改めて冷却した空気を少しずつ吸い込む。
まるで、水がたっぷりと入った穴の無い狭い鉄箱の中に閉じ込められているような閉塞感だ。
天井近くまで水が満ちていて、酸素を求めて天井にキスをするかのように、天井と水面の間にある3センチ程の僅かな空気にむかって唇を突き出し、息をする。
下手に動けば水面が波打ち、生まれた小さな津波が唇の堤防を超え、肺に流れ込み、咳き込む。
咳き込む拍子にさらに大きな波紋が生まれ、黄色系ばりに癇癪を起こしがちな水面の感情が落ち着くまで、息を止めて耐え忍ぶ。
……このような努力を続けても、新たに空気が補充される訳でもなく、酸素は減り、二酸化炭素は増えていく。
『いずれは滅ぶ運命にありながら、仮初の栄華を謳歌する』
クロノス教授が悲しげに語った言葉だ。
だが、今の僕の状況はそれよりも悪い。
『いずれは滅ぶ運命にありながら、仮初の寿命を必死で延ばす』
……ああ、助からないと.......そう決まっているなら......
......諦めがつくというのに......
「......キャハハ!いけませんね!こういう時には笑うのが1番!
いつだって『こうやって』生きてきたじゃありませんか!」
肺から貴重な空気を力一杯吐き出し、笛のように笑い声を吐き出す。
頬の筋肉に力が入り、口角が上がる。
気分が高揚してきた気がする。
.........よかった。いつも通りだ。
「………キャハハ……ハハ......」
ーーーーーーーーーーーーーーー
あれからどれくらいの時間が経っただろうか?
『ドチャッドチャッ』
あれからどれくらいの距離を歩いただろうか?
『ドチャッドチャッ』
口の前の空間から滴り落ちる雫が靴にかからないように、ゆっくりと一定の速度で歩き続けた。
『ドチャッドチャッ』
いつまでも変わらない景色。
『ドチャッドチャッ』
赤紫色の天井に、黄色い地平線と、赤紫色の絨毯。
『ドチャッドチャッ』
まるで同じ場所をグルグルと回っているような錯覚さえ感じる。
『ドチャッドチャッ』
しかし、皮肉な事に、後方にどこまでも続き、今なお足元に穿たれ続けている蜂の巣状の直線が、彼がおおよそ人間離れした精度で直進し続けてきたことを、
これ以上なく明確に......これ以上なく残酷に......彼に告げ続ける。
「......キャハハ......流石に......」
『疲れた』......彼はその言葉を声に出すのを躊躇った。
彼の足は既に限界を迎えていた。
元々、人間の身体は『百時間も歩き続けられるように』出来ていないのだ。
彼は糸が切れたマリオネットのように地面に背中側から倒れ込み、
地面についたズボンの尻側から『ジューーー』という音が鳴るのを聞き、飛び上がりーーー切れずにまた倒れる。
なんとか立とうとするも、立てた小枝に100キロの重石を乗せたかのように、足が曲がる。足が真っ直ぐ伸びない。
仕方が無いので、背中に背負っていた鉛の寝袋を地面に敷き、一度寝ることに決めた。
ーーーーーーーーーーーーー
「............どうして......どうして、そんなことがわからないの......」
お母様の悲痛な嗚咽が聞こえる。
「......生き物は......命は......遊んでいいものじゃ無いのよッ......」
悲痛に憤怒が混じる。2つの絵の具が混じり、理解不可能な化け物に対する嫌悪の色が生み出される。
「......お前は......何を......」
お母様の隣でお父様が青ざめている。真っ青な両親の顔色とは正反対に、真っ赤に染まった両手で、真ん中に描かれた『イキモノノナカミ』を汚さぬようにスケッチブックの両端をつまみながら、子供らしい甲高い声で文字通りの『自画自賛』を始める。
「見ての通りですよ。お父様。どうです?このスケッチ!我ながらかなりの傑作だとーーー」
ーーーーーーーーーーーーー
「ーーーおっと!夢でしたか!また間違えてしまったのかと!!あぁ!良かった良かった!」
現実の世界の寝袋の中は、窮屈極まりなかったが、それでも夢の世界なんかよりは遥かに居心地が良かった。
外に出て、背伸びをし、深呼吸ーーーをしたいところだが、まずは『冷却』だ。
《 『冷却』 》
『ポタッポタッ』
「.........すぅ!ふー!」
(……寝袋の中に備え付けられている『酸素生成機』を取り外して、マスクみたいにして持ち歩いた方が良いかもしれませ………ッ!!!!!!!!)
少年はまだ『障壁』を纏っていない!!!
言い換えれば『死の光』を素の身体で浴び続けている!!
《 『耐γ線の障壁』 》
慌てて『死の光』から身を守る障壁を張る。完全に忘れてしまっていた。今の10秒ほどで身体が致命的なダメージを受けていないといいが……それは楽観的すぎるというものだろう。
「.........僕としたことが......これは、流石に……………………
………………………いえいえ!こんな時こそ笑いましょう!キャハハハハハ!」
気にしないでおこう。なんだか、身体の節々に違和感を感じるが、気にしないでおこう。
気にしてしまったら、きっと引き返せない。もう歩むことも、立つことも出来ない。
ーーーーーーーーーーー
「………いい加減、この木々が無い場所に出てもおかしく無いと思うのですがねぇ。果たしてどこまで続くのでしょうか……」
『ドチャッドチャッ』
「……気分が盛り上がりませんねぇ。こういう時は、楽しいことを考えましょう!
せーの!最近あった楽しかったこと!
まずは〜!モニカの作ってくれたフレンチトーストが美味しかった!
次は〜!………えーと……フレンチトーストが美味しかった!
次は〜!…………えーと!……あれ?頭がうまく働かないですねぇ……最近甘いものを食べていないからでしょうか?…………
………やっぱり考えるのをやめましょう!エネルギーの無駄遣いな気さえしてきました!黙って歩い続けてれば良いんですよ!キャハハ………」
少年は、ここ最近甘いものを摂取していなかった。
ある哲学者が言った。
『語り得ぬものについては沈黙しなければならない』と。
ーーーだから、経験していない私が、したり顔でこれを語るのは、間違いなのかもしれない。
『ピカッ!!!!!』
『何もかもが唐突だった』
『遥か彼方の地平線から光が刺す』
『それはまるで日の出のようで』
『でも、日の出であるわけがなくて』
『そんなこと最近一度もなくて』
『咄嗟の判断で身を屈めて』
『ドォォォォンッ!!!!!』
『背中の上をナニカが走り去った気がした』
『それはとてつもない轟音で』
『それはとてつもない突風で』
『赤紫色の天井を吹き飛ばし』
『黄色の木々を吹き飛ばした』
『丸まっていた少年はボールのように転がり』
『身体が焼け焦げている事に気付き』
『咄嗟に治療を始める』
《 『遡行再生』 『生命力増強』 『細胞分裂活性化』 『水分生成』 『水分吸収』 》
焦げた皮膚を削ぎ落とし、正常な皮膚をなんとか取り戻す。
立っていたならば、四肢がバラバラになっていただろう。
ここまでで約1分。
天下のコスモス生にしても、圧倒的な再生速度だ。
だが、もしかしたら。
もしかしたら、再生しないで命を終えていた方が、幸せだったかもしれない。
『ガコンッ』
それは、鎧を纏った騎士のような、何か固くて重いものが、地面に落ちた音だった。
リーフレイは治癒を終え、樹液による『ジューー』という音をさっさと止めようと状態を起こし、
ちょうど視線の先に、落ちてきた『ナニカ』があった……いや『居た』……
『ギギーギーギー』
『それは、まるで黒板を金属で引っ掻いた時のような音だった』
『聞く者によっては、生理的嫌悪感を感じる音』
『……リーフレイには心当たりがあった』
『それは、自然には出ないものを無理やり捻り出すような声で』
『リーフレイにとっての笑い声のようなものだった』
『だが、間違いなく、目の前のものが出している音は』
『笑い声なんかではなく、』
『……怨嗟の声』
『苦痛を嘆く悲痛な声』
『……鳴き声……いや、泣き声だ……』
『まるで、両手両足をノコギリで切られている最中の子供のような声』
リーフレイは様々な生物を見てきた。
ヴィロメント領にて飼育されている多種多様な生物を観察してきた彼であっても、目の前に蹲っている奇妙な生き物の正体を看破することはできなかった。
銀白色の体には、黄色い斑点が毒々しく付いており、ピクリとも動かない金属製らしき顔に浮かぶ表情は、人間の苦悶の表情が凝縮され、金属として固まったような、悍ましさと悪意を感じさせるものだった。
そしてーーーーーー苦悶の表情を浮かべた、『人型のナニカ』は、
……不規則な……不気味な……無機質な……どこか子供のような……
……『泣き声』を捻り出した。
『-・- ・・ ・-・・ ・-・・ -・-- --- ・・-』
『ギーーーギーーギーギギッギギギギギギ』
徐々に泣き声の感覚が短くなっていき、
『Gyaaaーーー!!!!!!!!!』
『何万もの人々の悲鳴を束ねたような』
『恐怖と悲しみと悲痛を呼び起こす泣き声を轟かせーーー』
『キュルルルルルルルッ!!!!』
これまた、思わず顔を顰めるような耳障りな音が鳴った。まるで、高速回転するナニカで金属を穿つかのような。
見れば、金属でできているらしき化け物の身体を貫くガラスのような槍が一本。
その長さは化け物の身長よりも長く、音から察するに、目では追えないほどの速度で回転していたようだ。
化け物は、突然、動きを止める。まるで魂を抜かれた生き物のように。
リーフレイは槍の飛んできたであろう方向をーーーすなわち空を眺める。
ーーーそこには何もいなーーー
「……ここで、なにを、してるの?」
突如背中の方から聞こえてきたのは、途切れ途切れの言葉で、甘く優しい言葉で、だが、何かを咎めるような鋭さも含まれていて、聞く者によっては『子供の身を案じる』と表現する声だが、生憎、リーフレイの辞書の『子供の身を案じる母』のページは破り取られてから久しい。
「ッ!?いつの間に後ろに!?」
「ん、私が、質問、してる。はやく、答えて」
「......観光に来たのですが、道に迷ってしまったようで!」
「......そ。なら良いよ、気をつけて、ね」
リーフレイが後ろを振り向くと、そこには緑色のワンピースを着た少女が立っていた。
身長はかなり小さく、12歳のリーフレイよりも少し小さいほど。
肌はリーフレイにとっては見慣れない小麦色で、大陸東方の出身なのだろうか?
そんな少女が背中から、イバラのようなものでできた翼を広げ、先ほどまで奇声を上げていたバケモノを右手から伸ばしたイバラで絡めとると同時に、ゆっくりと空に飛びたつ。
「ちょっと待って下さぁいッ!!」
せっかく天から降ろされた救いの糸を逃してなるものか、とリーフレイは残っている体力の限り叫ぶ。
「ん、なに?」
出発早々空中で止まった少女は、意外にも普通の反応……まるで街中で後ろから声をかけられたような、そんな不思議そうな顔をして首を傾げる。
ワンピースを着た少女を真下から見上げるのは、よろしく無いのだろうが、そんなことは言っていられない。こちとら命が懸っているのだ。
「いや〜、あの、出来れば......道案内をお願いしたいのですがぁッ!」
「......え〜」
とても嫌そうだった。用事があって急いでいるのに、不審者からナンパされた女性のように、ものすんごく嫌そうな顔をしている。
「いや!そんな嫌そうな顔をなさらないでください!貴女遭難した事ありますか!?」
「............」
「あるならわかるはずです!どこまで歩いても景色が変わらないので気が滅入ってしまいますよ!」
「............」
「遭難したことが無いならば、貴女は素晴らしい土地勘を持っていらっしゃる事になる!是非とも案内して頂きたい!」
「……………そういえば、丁度、この辺り、だったっけ」
少女は2000年と少し前の記憶を遡り、砂の山を登り降りしていた時のことを思い出して少し悲しげな表情を浮かべる。
そんな少女の反応を気にもとめず、狂人は声を上げる。
「お礼は必ずしますから!お願いしますよ!」
「………いいよ」
「そんな殺生なーーーって、え?」
「いいよ?」
「本当ですか!?いやー!渡りに船とはまさにこのこと!貴女はまるで天使のようだ!」
「…… 」
「え?何かおっしゃいましたか!?というか、空に浮いてないでこちら側に降りてきて下さいよ!大声出すのもキツいんです!」
「わがまま、だね、別に、いいけど」
リーフレイと少女は隣り合って進み始めた。
片方は歩き、片方は浮遊しながら。
「……歩くの、おそくない?」
「実はかなり疲れてまして!かれこれ数日は何も食べてないのですよ!」
「......なんで、生きてるの?」
「それは哲学的な問いですかぁ?」
「いや、ふつう、死ぬ、でしょ?」
「ああ!生物学的な問いですかぁ!......答える前に、そのーーー」
「?」
「そちらの銀色のヤツと同じように、運んで頂けませんかね?」
「......わがまま」
「あるがままのお願いです!」
「......別にいいけど」
「あ!トゲは無くして下さいね!?」
「…………」
トゲのあるイバラではなく、トゲのないツタを生み出し、少女の左手とリーフレイを繋ぐ。
生み出されたツタは、まるで後付けの腕のように動き、重荷を2つ運んでいるはずなのに、まるで2匹の犬の散歩をする人のように、少女は軽々と浮遊し移動し続ける。
「で、正解、は?」
「実は僕、結構身体を弄っていまして!周囲の光のエネルギーを生命活動の源にできるように植物の葉緑体を髪に取り込んでいるんですよ!
勿論、こんな暗い森の中じゃ気休め程度にしか栄養が確保できませんし、もしも太陽に照らされていても何も食べなかったら収支はマイナスになるくらいのエネルギーしか得られませんが……まぁ、焼け石に水を掛け続けて生き残った感じですね!」
「水は?」
「大気中から『技能』で回収しました!」
「………ああ、そっか、今の子は、標準装備、だった、ね」
「何がです?」
「ん、魔臓」
「そりゃあ、魔臓もなしに遭難なんて、ねぇ?」
「…………」
「それこそ、1日もてば奇跡みたいなものじゃありませんか」
「……だよね」
「んん?……まぁ!そんなことよりも、自己紹介がまだでしたね!
私の名前はリーフレイ=ド=ヴィロメント!貴女のお名前は?」
「ん、アーーーセレス」
「『アーーーセレス』さんですか!いやぁ!個性的な名前ですね!」
「ん、ちがう、セレス」
「ありゃ?セレスさんでしたか!これは失礼……ところで、その肌の色、出身は東の方ですか?」
「ん?東って?」
「東は東ですよ!北南東西の東です!」
「……どこ基準?」
「そりゃあ、『聖神都市』でしょう?」
「わからない。私、この世界、出身。『始まりの世界』出身じゃ、ない」
「おやおや!?『極彩色の森林世界』出身!?こりゃまた珍しいですねぇ!?こちらに人の住む集落なんてあったんですか!?」
「..................」
少女は黙り込む。フワフワと浮きながら、少年と銀色の怪物を携えて、無言で直進し続ける。ただならぬ哀愁を感じさせるその反応に、常人ならば『故郷を失った』と察するだろう。
......だが、少年はリーフレイだった。
「あれ?僕、またなんか変なこと言っちゃいました?」
「............空気、読めないって、言われない?」
「たまにしか言われませんねぇ!ハイ!」
「............昔、ここには、人の暮らす国が、あったの」
「ふむふむ!?詳しくお願いします!」
「.........他言、しないって、約束、できる?」
「もちろん!」
「......ん、なら、いいか.........。
.........昔、ね。この辺には、砂漠しかなかったの」
「随分前の話から始まりますねぇ!?」
「.........うん。随分......前の話」
「......おっと!僕が口を挟むと話の腰が折れる、と良く幼馴染に言われるのですが、黙っていたほうがいいですかね!?」
「......ん、その方が、いい」
「了解です!」
「......その世界は、飢えと渇きに、支配されてた......」
「......」
「みんな、苦しんでた............みんな、もがいてた......」
「......」
「しばらくして、世界を、緑で包んだの......ごはんも、たくさん採れるように......
......人の数が、増えて、村が、国に、なって、そしたら、おとーー、国の、1番偉そうな、人が、間違っちゃって......故郷は、無くなっちゃったの」
「............」
「............故郷を、殺した、犯人が、これ」
少女は動かなくなった銀色のバケモノを指差す。
「......では、敵討ちが成功したと?」
「ん、そう」
「.........なるほどぉ......ところで、お嬢さん?」
「ん、何?」
「......やけに淡々と話しますね?故郷を失ったというなら、普通は悲しむものじゃあないんですか?知らないですけど」
「......わからない。もう、みんなの顔、忘れちゃった......」
少女は、無表情で答える。悲しさも、苦しさも、感じる感情はもう......生きていない。
「............まぁ、人間、そんなもんですよね!キャハハ!」
ーーーだから、この時、狂った少女は、狂った少年の反応に対して『驚く』ことができた。
その感情は、残っていた。
「え!?」
「『えっ』てなんですか!?『えっ』て!悲しいことや苦しいことなんて覚えてて何になるんです?忘れた方がよっぽどいいじゃないですか!」
「............意外......みんな、忘れたがらない、のに.........」
「はぁ!そんなのは楽しいことだけ経験してきた頭お花畑ちゃんの意見ですよぉ!
知り合いを失った悲しみなんざ、さっさと忘れて、幸せに生きるだけ生きて、あの世で再会して初めて思い出すくらいで丁度いいんですよぉ!」
それは、今まで出会ってきたどの人物とも異なる視点で、自分と驚くほど重なる視点で。
思わず少女の口から笑い声が漏れる。
「.........ふふ。面白い、ね」
「あ!僕はこれでも、話が上手いって言われるタイプなんですよぉ!運賃の代わりといってはなんですが、この森を抜けるまで、雑談しましょうよ!」
「......... ......」
「ん?なんか言いました?」
「いや、なんでも、ない」
「?まぁ、旅は長いですし、語り明かそうじゃないですか!」
「.........ん」
かくして、狂った2人の奇妙な長旅が幕を開けた。
ーーーーーーーーーーーー
ぷかぷかと空中に浮きながら滑るように進む少女と、その両手から伸びたツタとイバラに絡め取られた二つの影。そのうちツタに絡み取られていてまだ動く方の影から明るい声が飛ぶ。
「いやぁ!このマスク素晴らしいですねぇ!吸い込んだ空気を濾過してくれる万能マスクですか!こんな発明品『コスモス』の先生方でも不可能なのでは!?」
口元につけた青白いマスクをいじりながら、リーフレイは感激の声を上げる。これで気化した樹液を吸わずに済む。
「ん、『コスモス』の、学生、なの?」
「ええ!ピカピカの1年生です!」
「どんな、ことを、研究、してるの?」
「良くぞ聞いてくれましたぁ!『完璧なる生物種を作る』......これこそ我が使命!」
「完璧な、生物?」
「ええ!この世のありとあらゆる生物は、まるで精緻なるカラクリのような複雑なシステムと、秀麗なる彫刻のような洗練された美しさを持ちますが、どの生物も何かしらの欠点を持ってしまっている!実に嘆かわしいと思いませんか!?」
「......ん」
「これは、いわばピースが2、3個欠落しているジグソーパズルのようなもの!
世界がここまで築き上げたのです!あとは私が最終調整を行い、完全で完璧なる生物を完成させますとも!」
「.........ん、完璧、なんて、無理」
話半分に聞いていたと思っていた少女が突如、僅かに強い口調で反論してくるとは思いもよらず、リーフレイは軽く目を見開く。自分の夢を達成不可能と評する人々を、彼は片っ端から説き伏せてきた。ゆえに、今回も反論を試みる。
「無理とは!?」
「......完全な、生物は、生まれないし、生まれたとしても、繁栄できない」
「というと!?」
少女は口籠る。言っていいのかいけないのか、頭の中で葛藤しているようだった。
「他言無用ですとも!貴女の仮説を是非とも聞いてみたい!これこそ学者冥利に尽きるってもんでしょう!?」
「......あなたが、言いふらしても、きっと、真に受ける人は、居ないね。ん、いいよ、話す」
「1人だけ反例が思い浮かびますが、まぁいいでしょう!」
少女は銀色のバケモノを指さし、
「.........このバケモノ、単一の、生物種だけが、住んでる場所に、落ちてくる」
「ほう!?」
「.........この世界は『完全』を嫌う......いつだってそう。
......不老不死を目指したり、完全なる生物種に『成ろう』としても......多分、世界は、それを許さない」
「.........そういえば、貴方と会うほんの少し前、地平線の彼方から地面に太陽が現れたような光が刺してましたね」
「......ん、それは、このバケモノ......『太陽の尖兵』の、爆発」
「つまり、貴女の仮説を要約すると、
『花皇国の悲劇』のように『不老不死を目指す』のも、
この森のように『単一の生物種のみが繁栄する』のも、
そのバケモノが邪魔するせいで、完遂できないと?」
「ん、そういう、こと」
「それはおかしいですよ、それならどうして、この私が!そのバケモノに殺されていないの……」
リーフレイは反論できると確信して浮かべていた笑みを、少しずつほどいていく。
顔からは笑みが消え、血の気が引くように青ざめていく。
「あの時......貴女がいま抱えているそのバケモノが、突然現れたのは.........
.........『僕』の目の前だった............」
「ん、気付いた?......多分、あなた、『狙われて』た」
「で、でも!だからと言って貴女の仮説が正しいとは!」
「......ん、『世界は正解を教えてはくれない』......」
科学者であるお父様からよく聞かされた言葉だった。
「......『科学教典ー第1章ー第1節』ですか」
『科学』という、暗闇に包まれた世界のルールに光を当てる『科学者』......その心構えを記した書物として『聖神教』の『教典』のひとつである『科学教典』は他の追随を許さない文字通りの聖書だ。
「......昔は、よく暗唱させられたものです。
『世界は正解を教えてはくれない。我らが成すは経験論に過ぎず、真理にあらず。科学者よ、ゆめゆめ傲り高ぶるなかれ』
......過去の事例を鑑みる場合、貴女の仮説が『正解である可能性が高い』ということですか......」
「ん、難しい、言葉、好きなの?......でも、そう。少なくとも、『偶然』で片付けるより、『仮定』して『警戒』するのが、1番、いい」
「......貴女に口喧嘩で勝つには、まだまだ時間がかかりそうですねぇ」
「…………ん、2000年、早い」
「しかし、完璧な生物という夢は諦められませんねぇ!キャハハ!」
「.........生命は、不完全......
……だから『環を成し、つくる』の」
「?」
「緑系が、よく使う、ことば、なの。
『環ヲ成シ創レ』、って。
欠けた、部分、補い合って『環境』を、つくる。
完璧な、生物、この関係の、完全否定に、他ならない、でしょ?」
「......キャハハ!『補い合う』?面白いことを仰る方ですねぇ!
この世は所詮『弱肉強食』......捕食するか捕食されるか、そんな関係を『補い合う』と?こりゃあ滑稽ですねぇ!」
「被捕食者、いないと、捕食者、死ぬ、捕食者、いないとーーー」
「ええ!その手の話はよく知っていますとも!要するに生態ピラミッドの話でしょう?
生態系に属する各段階の個体数のバランスが崩れると生態系全てが瓦解するというアレでしょう?」
「ん、そう」
「しかし、それは自然の世界でのルールなき『闘争』の果てに得た均衡に過ぎないでしょう?」
「......ほんとに、難しい言葉、好きなの?」
「丁寧に言い直すなら、生態ピラミッドのバランスというものは、
『補い合う』ことによって保たれる優しい予定調和の均衡ではなく、『闘争』の結果両者の妥協案として成立する無慈悲で不確定な均衡だって言ってるんですよぉ!
国同士の関係で例えるならば貿易などによって利害を一致させることで国境での平和を維持するようなものではなく、両国が軍拡を続けて軍事的衝突を続けた結果軍人達の攻撃が飛び交う戦場にて築かれる『最前線』に過ぎないって言ってるんですよぉ!
自然の中で個体同士のやり取りは3つだけ!
『奪う』『奪われる』『等価交換をする』
3つ目のやり取りが可能なのは、ある程度の知的生命体に限られますけどね!」
「じゃあ、私は、どうして、あなたを、助けてると、思う?」
「そりゃあ、『等価交換』だからでしょう?僕はこれでも貴族の倅ですし、お礼はたっぷりとしますとも!」
「......あなたとは、ほんとに、意見が、合わなそう」
「価値観の差異こそ対話の醍醐味というものでしょう?」
「ん、ほんと、おしゃべり、だね」
「『雄弁は銀、沈黙は金』だとでも!?そんなのは喋るのが苦手な人が考えたことわざに決まってますからねぇ!」
「なんで?」
「どこに疑問符の生じる余地が?」
「雄弁が、沈黙に、勝つって、ことでしょ?」
「えぇ?逆でしょう?金は銀よりも珍しいんですから」
「え?なにが、あったの?」
「え?」
「だってーーー」
……それは、変わらぬ世界の中を進み続けるだけの旅。
その本質は何も変わっていないというのに、共に歩む相手がいるだけで、
……一生の記憶に残る愉快な思い出に変わりつつあるのだった。
ーーーーーーーーーーーー
何度目かもわからぬほどの夜を越し、今夜もまた今まで通り焚き火を2人で囲む。
「ん、今日は、ここで、寝よ」
道半ばで少女が手を振ると同時に、地面から幾つもの芽が伸び、それが樹木に変化し、ある木は床に、ある木は壁に、ある木は天井に。
それは『生きたままのログハウス』であり、意味は違うが文字通りの『ツリーハウス』だった。
幾つもの木が入り組んで構成されている床の中央には暖炉に丁度いいくらいの大きさの円形の隙間があり、そこに向かってリーフレイと少女は歩み寄る。木でできた床は歩きやすく、その床で寝転びながらリーフレイは明るい焚き火が生み出されるのを心待ちにする。
少女は再度指を振り、即興で建てられた家を構成している木々の一部が、綺麗な断面を残して切りとられ、空中で薪のように割られると、円形の隙間に落とされ、さらにその上から空中からサラサラと黒い粉が落ちて小さな山を作る。
少女曰く『火薬』なのだそうだ。火薬を『技能』で生み出したのちに、少女は指を鳴らーーーそうとして鳴らないのがいつもの光景である。
『ポスッポスッ』
音は鳴らないものの、いつものルーティンを受け、『魔臓』は『着火』技能を発動させる。
『ボォォ……パチパチッ』
「おぉ!いつ見ても炎というのはいいものですねぇ!見ているだけで安心できる!」
「ん、ごはん、なにが、いい?」
「昨日は魚を食べましたし、今日はお肉だと嬉しいですねぇ!」
「……わがまま」
「聞いておいてそれはどうなんですかぁ? …………」
リーフレイは咄嗟に顔を背ける。
「ん、冗談」
少女は、リーフレイの僅かな変化に気づかない。
料理を続ける少女に気付かれなかったことを心の底から安堵しながら、不都合な真実を頭から消す。
「…………キャハハ!!このやり取りもいつかは終わりを迎えると考えると悲しいですねぇ!」
「そう?じゃ、料理、するね」
「お願いしまぁす!」
少女は先ほどと同様に、指をクルクルと回し、その後空中に生成された肉を炎の側で浮かし、じっくりと焼く。
どうせ『技能』で生み出すことができるなら最初から焼けた肉を生成すればいいのでは?というリーフレイの質問は、趣がないから、という理由でバッサリと切り捨てられた。
『変なところにこだわるなんて、緑系らしいですねぇ』と緑系のリーフレイがぼんやりと考えるのも、これで何回目だろうか?
あっという間に形式重視の調理(火で焼いただけ)が終わり、塩を生成し、生成した木の皿の上に置き、各自の両手を合わせる。
「いただきまぁす!」「ん、いただき、ます」
食事中は他愛もない会話をするのが2人の習慣になりつつあった。
同じ緑系同士、中々に濃い人生を送ってきたお互いの経験談を話し合うこの時間が、2人はなんだかんだで1番好きだった。
「へぇ!貴女もお父様と諍いがあったのですか!奇遇ですね!僕もですよ!」
「ん、でも、部族、追い出されたこと、ある?」
「『家族から』追い出されそうになったことは数えきれないほど!キャハハ!」
「ん、もしかして、今代の私役、君?」
「ちょっと何言ってるかわかりませんけど、貴女と僕の境遇、結構似てますねぇ!まぁ、僕は家族から追放されてないだけマシですけどね!」
「そもそも、なんで、そうなる?」
「最初にどこで間違ったのかを考えると、誕生日に貰ったモルモットを解体した時ですかねぇ?」
「なんで、解体した?」
「だって気になるじゃ無いですか!見たことない生き物ですよ?それの所有権を与えられたら、そりゃあ誰だって詳しく知りたいと思うでしょう?」
「たしかに、それは、そう」
「なのに、命が大切だの、なんだの……。
そんなに命が大切なら金庫にでも仕舞っとけってんですよぉ!」
「ん、分霊箱、ダメ」
「ん?なんなんですか?それ」
「え?御伽話で、貴方、みたいな、魔法使いが、使った、魔法」
「ほう!さぞ偉大な魔法使いなんでしょうねぇ!僕も鼻が高いですよぉ!」
「ん、そのひと、鼻、無い」
「………えぇ???」
ーーーーーーーーーーーー
「......... 」
「ん、なにか、言った?」
「!!いえ!?何も言ってませんよ?」
「どうしたの、なんか、焦ってる?」
「いえいえ!焦ってなんかいませんとも!ええもちろん!旅なんてものはゆっくりのんびりするに限りますよぉ!そう思いませんか?」
「......?......帰りたく、ないの?」
「............ッ、いえいえ?帰りたいですよ?愛しい彼女が向こうで待っているでしょうし!」
「............ん、半分、うそ?」
「さぁ?どうでしょうねぇ?キャハハ!」
「............ん、なまいき」
「ピチピチの青二才なもので!そんなことより、貴女の昔話、もっと聞かせて下さいよぉ!僕よりお若いのに僕よりも壮絶なイベントを経験してきたようですから!」
「ん、君、何歳?」
「もう12ですね!」
「じゃあ、私のほうが、歳上」
「それにしては身長低く無いですかぁ?」
『それ、関係、ある?』
「うわっ!なんか『魔臓』がビリビリしましたよ!?なんかの『技能』ですか!?」
「ん、ちょっと、怒った、だけ」
「......低身長でも、そのうち伸びますって」
「......ごはん、抜き」
「そんなぁ!!?今の何が逆鱗に触れたんですか!!?3日前も昼ごはん抜かれたばかりじゃ無いですか!!貴女、そこらの毒性植物からでもご飯生成できるくらいの能力者なんですから、僕の分作るのもお茶の子さいさいでしょう!?
わりかし本気の『一生に一度のお願い』ですよぉ!」
「それ、言われるの、3回目」
「5回くらい使わせてくださいよぉ......」
「.........ん、わがまま」
「ハハハ!」
それは、耳をつんざくような甲高い笑い声ではなかった。
長い旅の中で、いつの間にか思い出していた笑い声だった。
遥か昔、もう覚えていないくらいの昔に、忘れ去ってしまったはずのものだった。
「ん、そういえば、笑い声」
「あれ?あぁ!笑い方ってこうでしたね!ハハハ!ようやく思い出せましたよ!ハハハ!」
「ん?今までの、高い声、偽物?」
「いえいえ!楽しいと思った時はああやって声を出すと笑っている感じになるでしょう?楽しくない時であっても、ああやって声を出すと笑っていると思えるでしょう?そうするとなんだか本当に楽しい気分になるからよく使ってたんですよぉ!」
「つまり、自己暗示、てこと?」
「えぇ。まぁ、そんなところです。でも、ホントに楽しくなるんですよ?こんど、騙されたと思ってやってみると良いですよ!僕もよく泣きそうな時はこの技に助けてもらってますよ!」
「ん、自分を、偽り続ける、良く、ない」
偽らずにいれたなら、どれほど良いか。
リーフレイは、そんな言葉を頭に浮かべ、掻き消すのだった。
ーーーーーーーーーーーー
実に幸せな旅だった。今までの人生全ての記憶を塗り替えていくかのような新鮮で楽しい旅。自分の記憶の半分はこの旅のことが占めていると言っても過言ではない、それくらい、この旅が……少女が自分の考えにもたらした影響は大きかった。
だが、そんな幸せは長く続かない……続いてはくれない。リーフレイはそのことを他人の10倍は理解していた。
例に漏れず、この旅にも閉幕が迫りつつあった。
ーーーーーーーーーーーー
いつも通りぷかぷかと浮かぶ3つの影。ただ、今日は『いつも通り』ではなかった。
「ん、今日は、上で、寝よ」
それは、突然の提案だった。普段は赤紫色の屋根の下で木製の家を生み出して宿泊してきたというのに……きっと、毎晩彼女が『能力』で生み出す『木製の小屋』で寝ていたとはいえ、かなりの長旅をしてきたことによるリーフレイの疲労を感じ取ったのだろう。
少女が見つめた地面から、みるみるうちに太い樹木のようなものが生え始め、赤紫色の天井を突き破り、天へと伸びる。
それはまるで、月を射んとする矢のように空に向かって直進し、その太い幹の直径はゆうに4メートルを超えていた。
赤紫色の天井に穿たれた穴の先に、黒い幹と緑色の屋根が見えた。
思わず、小さい頃に......両親がまだ自分を普通の子供として愛してくれていた時に読み聞かせてもらった絵本を思い出す。少年が植えた豆の木が天へ天へと伸びて、雲の上の王国で略奪の限りを働くという絵本だ。両親にその絵本に出てくる『豆の木』の種を強請り、架空の植物だといわれ、そのうち創ろうと思った記憶がある。
「............えぇぇぇ?お嬢さん、貴女、何者なんですか?」
これまでの長旅で、数々の秘密を暴露してきた少女。しかし、その質問にだけは、今まで一度も答えたことはなかった。そして、今回ももちろんーーー
「............ん、秘密」
10回目のそのセリフ......それが......加速開始の合図だった。
『ビュオオオッ!!!!』
突如、少女はバケモノを絡めているのとは別のツタで、瞬く間にリーフレイを絡め取り、天を向き、飛び立つ矢のように加速し、その反動でリーフレイは内臓が背中から飛び出かける。音を置き去りにしながら、少女と少年とバケモノは天へ落ちる。
「あばばばばばばばば!!」
唇が突風に煽られ、目を開くことさえできない。
いや、突風というのは正しくないのかもしれない。
留まっていた空気に、非常識な勢いでぶつかりに行っているのは、僕たちなのだから。
『ギュオンッ!!』
突然方向転換をし、円弧を描くかのように空を突き進む少女と、それにつられて死にかける少年と、すでに死んでいるバケモノ。
振り回される振り子の気分を嫌というほど味わったのちに、少年は緑の絨毯に降ろされる。
「.........し、しぬぅ!な、なんなんですか!いきなり木を生やしたかと思えば!僕と僕を殺しにきたであろうバケモノの死体を振り回しながら加速!!!
文字通り『振り回される』こちらの身にもなってくださいよ!」
「ん、元気そうで、よかった」
「今更ですけど!貴女も『緑系』でしょう!?まったく!貴女みたいな『緑系』がいるから『緑系』全体の評判が『狂人の可能性大』って変なのになるんですよぉ!」
......いったい、どの口が語るのであろうか?
「ん、どの口が」
「......それを言われると黙るしかありませんねぇ!まったくもうっ!............って......これは......」
「ん、その顔が、見たかった」
『少年は絶句していた』
『あまりに美しい景色だった』
『月は青白く』
『空は藍色で』
『赤紫色とばかり思っていた下には』
『数え切れないほどの色が』
『まるで床に散らばった宝石のように』
『美しき混沌を生み出していた』
「......なぜ、こんなにたくさんの色が.........」
「ん、幹は黄色いけど、上にはいろんな、色がある。低いところには、最初に生える、赤紫色の葉しか、ないけど、上に伸びると、いろんな色になる。最後はみんな、同じ高さに、なるから.........綺麗、でしょ?」
少女は、まるで愛する我が子を誇る母親のように、どこか自慢げに言うのだった。
「……仰觀宇宙之大俯察品類之盛」
「ん?なんか言いました?」
「……ん。故郷の、言葉」
「ことわざか何かですかぁ?」
「厳密には、『詩』、かな」
「その内容は?」
「……仰げば、広大な、宇宙が、見え、見下ろせば、万物の、盛んな様子が、伺える」
「......まさしく、この景色に相応しい詩ですねぇ......ええ……とても。
よもや、こんな『世界』があったなんて……長生きするものですねぇ……」
「ん、まだまだ、人生、長い」
「厳密には、貴女のお陰で長引かせて頂いていることになるのでしょうかね?」
「ふふふ」
月の光に照らされた世界は美しく、静かで、まるで時の止まった神殿のような荘厳さに満ちていた。
「............ガフッ」
だから、そんな美しい世界の、美しい緑の絨毯を、赤黒く染める液体に気がついた時、少年は不快そうに眉を顰めた。
「ん、どうしたの?」
「..........キャハハ、どうやら、長引かせた寿命もそろそ、ガフッ」
「!吐血!なんで......」
「キャハハ、天才の僕としたことが、『障壁』を張り忘れてしまいましてねぇ!
貴女と会う少し前に『死の光』を直に浴びてしまったのですよぉ、ハイ」
「............なんで、はやく、いわない?」
「逆に聞きますが、言ってなんになると?」
「............」
それは、少年らしい純粋な疑問などではなく、微かな苛立ちの籠った『嘆き』だった。
「......シャボン玉をご存知ですか?」
先の無い少年が、緑の絨毯に横たわり、天に浮かぶ星々を見つめながら話し始める。
脈絡が理解できないものの、少女は横槍を入れたりなどしない。彼の性格を十分理解しているから。この場では確固たる意図があっての発言しかしないと、分かっているから。
「ん、知ってる」
「では、あの美しいシャボン玉に触れてしまったことくらいあるでしょう。
美しいですよね......あの宝玉は......昔、幼い頃に、思わず触れてしまったのですよ。本能的に」
「............」
「僕の指があの美しさに触れてしまった途端に、あの美しき宝玉は、まるで夢だったかのように消え失せてしまいました......。
......触れるべきでは無かったのです......横槍を入れるべきではなかったのです」
「............」
「貴女と会ってから、どれくらい旅をしたんでしょうねぇ!キャハハ!
思い返せば、とても......とても充実した時間でした。
変わり映えのない景色の中で、貴女は美しく輝いていた。
ああ!勘違いはしないでくださいね?貴女は魅力的な女性ですが、口説いているんじゃないですよ?僕には世界一可愛い彼女がいますから!
......ただ.........セレスさん、貴女との旅は......楽しかった。
貴女の言葉は、優しかった。温かかった」
「............」
「......『何故』ですか......
......壊したくなかったんですよ。この美しい旅を。
......喪いたくなかったんですよ。この儚い●●を。
......僕よりも歳下の女の子に言うべきことじゃあないのかもしれませんが、最期なので言っておきましょう。
……貴女が......僕の母なら良かったのに」
それは、悲しき子供の嘆きだった。
「......わたし、おかあさん、みたいだった?」
「ええ、理想の母でした。道を違えば正しき道を示し、時に愛情深く、時に厳しく......キャハハ、僕は何を言っているのでしょうね!キャハハ!」
狂人の狂笑が哄笑が嘲笑が……作り笑いが……藍色の夜空と虹色の地平に響き渡る。
「......なんで......なんでっ!......あと、もう少しで、死ぬかも、って、言ったら、旅が、終わるの!?」
少女の質問の意図が、少年には分からない。
異質で異常で狂気に満ちた価値観を持つ2人は、この長旅で数多くの『価値観の相互理解』を試みてきた。それは、とても充実したもので、とても面白く……
……だが、聞いていない。そんな対話の最後が……最期が、こんな難問だなんて、聞いていない。相手の価値観を『完全に理解する』ことができると考えるほど傲慢じゃない、それでも、少しは分かるつもりになっていた。だからこそ、何も分かっていなかったと、分からないまま彼が死ぬと、それを認めるわけにはいかない。認めたくなんかない。
故に少女は問うた。『何故?』と。
「......だって、『要らなくなる』でしょう、僕」
返ってきた答えは、あまりに見当違いで、あまりに馬鹿馬鹿しく、あまりに残酷で、あまりに悲しい考えで......
……少女が本当の本当に心の底から世界のどこを探してもこれより嫌いな考え方がないほど大嫌いな考え方だった。
「貴女だって、言ったじゃないですか、生命は補い合って生きている、と。
ならば『他者を助けられない足手まとい』は生きちゃダメでしょう?」
『そんなッ!ことッ!ないッ!』
その絶叫は、夜空に轟いた。
少女の嘆きが響き、木々がざわめく。
「なんで......足手まといが、要らなく、なるのッ!弱い、ものを、消していって、なにが残るのッ!?」
「.........」
「どうして......どうしてッ!……ニンゲンは、変わらない、変わって、くれないッ!あの時から、ずっと、ずっと!ずっと!!ずっとッ!!!!」
少女は過ぎ去りし過去を追憶し、飢えと渇きに支配された人々と、かつての自分を思い返す。
「…………貴方は、親から、友達から……あの人からッ!いったい!何を、学んだのッ!?」
「……何を、って…………だって、そういうものでしょう?」
「……なんで……わたしが、貴方を、見捨てると……」
「だって、対価が払えませんし」
「対価が、無いと、助けない!?なんで!?」
「そりゃあそうでしょう?」
何を当たり前のことを、と少年は星を見ながら軽く眉を顰める。
「火が欲しければ、薪が要る。愛情が欲しければ、成果が要る。至極当然のことじゃないですか?」
少年は、眼を閉じる。彼の身体は、彼の心と同様に、もう既に正常なものではない。
めぐる血の成分の秩序の天秤は傾き、ちぐはぐの身体が終わり始める。
眼を閉じたまま、少年は最期の言葉を紡ぐ。
「僕たちはお互い『緑系』ですし、もとより分かり合えるわけがなかったのかもしれませんね......ただ、これだけは言わせてください」
少年は血を吐いた後に、赤く染まった口で弧を描き、眼を細め、
『キャハハ!楽しかったですよ!』
《リーフレイ=ド=ヴィロメント.........死亡》
「…………おねがい、優しく、なって......わたしが、優しく、してあげるから......おねがい、自分にも、他人にも、優しく、なって......」
少女は......いや『天使』は、少年の亡骸をそっと抱きしめ、長く伸びた髪を操り、その幾千もの針を少年の亡骸に刺し始めるのだった。
死の運命に抗うその姿を照らすは青白い月。
かつてこの世が砂漠だった時と同じように、月が地上のものを嘲笑うかのように輝いているのだった。
ーーーーーーーーーーーーー
「ーーーーーー?アレ?私はーーー」
「............ん、おかえり」
「ーーーおや?私は......確か死ん「ん、死んでない、いま、生きてる」
少女はその事実を認めない。決して認めさせない。
「......『あの黒い景色』は夢だったのでしょうか?」
「ん!!?ダメッ!それ、考えちゃ!ダメッ!!」
これまでの長旅で1番強い口調だった。まるで真っ赤になったケトルに触れようとする赤子に向かって叫ぶ母親のようだった。
「?まぁ、別に夢なんて、楽しむために見るようなものですし、考えるだけ無駄ですか」
「ん!2度と考えないで!」
「......それはそうと、どうして私はまだ生きているのでしょうか?」
「ん、『記憶』読んで、再現して、増やして、ダメなの消した」
「……なるほど、まったくわかりませんけど、世の中は広いですねぇ」
「ところで、ここ、ゲート」
「ん!?」
起き上がって見てみれば、そこにはゲートと見慣れた景色が。
言うまでもなく、リーフレイがこの世界に入ってきた時と同じゲートだ。
ゲートの先に広がる金属製の部屋を見て懐かしさを感じているリーフレイの頭には、既に先程まで『見ていた』もののことなど、露一粒たりとも残っていないのだった。
「あれま!意識ないまま運ばないで起こしてくれればよかったのに!!はぁ、旅はもう終わりですか?もう1ヶ月くらいは楽しみたかったのに……貴女はこちらに残るのですか?」
「ん、後で、そっち、行く」
「こちらに来た際には是非とも僕のもとに立ち寄ってください!可能な限りのお礼をしましょう!」
「べつに、お礼の、ためじゃ、ない。こんど、困ってる人居たら、助けて、あげて。それで、チャラ」
「キャハハ!助け合って、『環ヲ成シ創レ』、ってことですね!」
「ふふふ。わかって、くれたみたいで、嬉しい。
……じゃあ、ね。次、来る時は、もっと、成長、してから、ね」
「………またこちらで会った時は、また助けて下さいね!キャハハ!」
「…………ん、やっぱ、わがまま」
ーーーーーーーー
8:40
リーフレイ、『コスモス』に帰還
8:50
リーフレイ、学生寮に到着
9:00
リーフレイ、授業が既に始まっているため貸切状態の大浴場でまったり。
9:40
リーフレイ、荷物を持って学生寮から登校開始。
9:50
………
ーーーーーーーー
「んで、『第3世界』は『始まりの世界』や『幻想世界』みてぇな環境の世界だったってのもあって、植民が進んでいった。ただ、千年前に鉱石人達との戦争や、かの有名な『叛逆者ムジカ』がパラドクスらと交戦した結果、大地がズタボロにーーー『ガチャ』ーーーなっちまってな」
「「「..................」」」
「………………………」
「あぁモニカ、席取っておいてくれたんですねぇ、ありがとうございます」
「お帰りなさい、リーフレイ様。今、教科書の54ページです」
「どうも。ところで、今っていつですか?」
(なんだその質問?)
(おい、クロノス教授の顔見てみろ、青筋立ってんぞ)
(まじか。笑うな、真面目な顔して、なんとか堪えるんだ)
「リーフレイ様、質問の意図は読めますが、質問の仕方が滑稽ですよ。9月1日です」
「えぇっ!?夏休み終わっちゃったんですかぁ!?」
「「「ブフーーッ!」」」
流石のコスモス生達も笑いを堪えきれなかった。教室の中で笑い声が怒号のように響き続け、教室のドアがカタカタと揺れる。
「………………おい、随分と久しぶりだな。緑色」
「えぇ!お久しぶりです!クロノス教授!」
これでもかというほど眉を顰め、額に皺を寄せた白灰色の髪と目をもった男が腕を組み、教卓と黒板の間で仁王立ちしている。
そんな皺のよった鬼のような形相を見たリーフレイは、心配そうに尋ねる。
「.........あれ?クロノス教授、老けました?」
「「「ッ!?ははははは!!!」」」
もうダメだった。生徒達はリーフレイの奇天烈ワードに腹筋を壊されてしまった。
「............はぁ………」
クロノスは教師だ。『コスモス』の教師だ。
『コスモス』の教師らしく、『能力行使』をしてみせる。
「……最高の夏休みを味わいやがれ」
『フォン』
リーフレイが周囲の物ごと、クロノスの私有世界に送り込まれる。クロノスはリーフレイの付き人であるモニカに向かって語りかける。
「あー、そこの金色、緑色の隣のやつ。そう、お前。アイツのこと手伝いに行くか?」
「いいえ。あの人のことですし、1人でも何不自由なく過ごせるでしょう。彼の為にノートを取っておいたほうがよっぽどお役に立てるというものです」
「......なんか、お前ら狂ってんなぁ」
(突然生徒を異世界に送っておいて......)
(あなたがそれ言うの?)
(クロノス教授にだけは言われたくないと思うなぁ)
「まぁいいや。じゃあ、授業を再開するぞ。まずはーーー」
ーーーーーーー
長い廊下を悠然と歩く天使が2羽。
片や黒いコートを纏ったパラドクス=コスモス。
片や緑のワンピースを揺らすアダマシィア。
2人、いや2羽の天使は天気の話をするかのような能天気な口調で、人々を震え上がらせた怪物について語る。
会話内容が会話内容だけに、校舎内で彼らの他に使える人物が殆どいない『旧デモニア語』で会話をする。
「アダマシィア。『太陽の尖兵』の確保、心の底から感謝します。どうもありがとう。これであれらの戦闘力の秘密がわかるかもしれません」
「ん、頑張って。あと、パラドクスの、教え子で、危ない子、いる」
「危ない子とは?」
「リーフレイって、子。わかる?」
「ええ、もちろんですとも」
「あの子、一回『向こう』行ってる」
「…………」
もちろんあり得ないことではあるが、この会話を理解することができる生徒がいたならば、一年生なのに『異世界』に行ったことを指していると勘違いすることだろう。
だがこの2人の間で『向こう』という言葉が指すものは、
決して『極彩色の森林世界』ではない。
「なるほど。重症でしたか?」
「ん、そう。で、治した。私の細胞、吸着良かった。多分、私と、ヘキサの、子孫」
「いつも通り、勘が鋭いようで。確かにヴィロメント家は貴女達の血を受け継ぐ家のひとつです」
「あの子、多分、大分強く、なってる。私の細胞、入ったから」
「例え数%だとしても、天使の中で最も才能に溢れる貴女の細胞を移植したならば……それによる能力向上は計り知れません。ましてやーーー」
「ん、そう。そっちが、怖い。『条件』、満たすかも」
「……貴女のことです、きっと彼の同意も得ずに治したのでしょうが、時にはそれが余計なお世話となる可能性もあることをお忘れなきように」
「もうひとつ、気をつけて、欲しいこと、ある」
「……わざわざ『太陽の尖兵』を捕らえてきてくれたのですから、ある程度のことでしたらお任せを」
「あの子の、子供、もしかしたら、私の、一個下かも」
「……つまり、貴女達の血が薄まったリーフレイとは異なり、貴女とヘキサの間に生まれた子供と同程度の『血の濃さ』……すなわち才能を示しうる、と?」
「そう。それが、言いた、かった」
「わかりました。本来ならば他人の家庭に足を踏み入れるなど言語道断です。
しかし、今回は例外ですね。
『歴史は繰り返す』というこの世の法則に従うのであれば、彼には娘ができ、その娘は父、すなわちリーフレイと諍いを起こすことになる……
……流石に『条件』を満たしてしないため、『羽化』とまではいかないでしょうが、貴女の時と同じような災害を引き起こす可能性が高い、と?」
「災害?祝福じゃ、なくて?」
「……まぁ、何はともあれ、了解です。彼と彼の子供の関係には気を配るとしましょう。避けられる悲劇は、何としても避けるべきですから」
「いやぁ!スケッチブックが全ページ埋まってしまいました!なかなか有意義な1日でしたよぉ!」
「それは何よりですね。次の授業はあちらの教室で、科目は『文学』です。ところで、夕飯は何にしましょうか?」
「モニカの作るものならなんでも!」
そこには、天使の介入によって守られた幸せがあった。
アダマシィアはリーフレイ達から見えない位置に、わざわざ移動する。
彼ら『人間』の営みに、パラドクス以外の『天使』が介在するなど、非日常以外の何物でもない。
アダマシィアは、パラドクスの後ろに隠れ、保たれた平和の環を微笑ましげに覗き見る。
「…………」
「ね?幸せ、そう。生きたく、ないわけ、ないもん」
「アダマシィア、それは傲慢です。他者に生存を強制すること、それは許されざる傲慢です。
それはそうと……私の生徒を救って頂き、本当にありがとうございました」
「ん、経過観察、よろしく」
「ええ。お任せを。それでは、さようなら」
「ん、さようなら」
天使達が軽く会釈し合うのと、長い廊下に甲高い笑い声が響きわたるのは、同時だった。
リーフレイは今日も笑います。狂ったような甲高い声で。耳をつんざく不快な声で。
人生という長旅の最期で、
楽しかった2人での旅の最後で、
そうやって笑ってしまったから。
『楽しかった』と言った時、その時の笑い声が、
作り物だっただなんて、彼は認めない。
それが作り物ではなく、本心からの感想だったと、
偽物ではなく、本物だったと、
……『貴女との旅は楽しかった』と。
胸を張ってそう叫ぶために、
……彼は今日も、甲高い声で笑い続ける。