『遅刻は認める。異論は認めない』
こんな春風の心地よい昼下がりには、あの時のことを思い出してしまう。
それはまだ、『3人』が仲良しだった時のこと。
ーーーーーーー
魑魅魍魎蠢く王城で開催されている社交パーティ。ありとあらゆる者が着飾り、虚飾と虚栄を存分に輝かせる。
そんな大人達を鼻で笑いながら、子供サイズの良質のジャケットを着こなし、まばゆい金髪を輝かせる少年が、親友から教えてもらった隠し通路を通って『秘密の花園』に向かう。
そこはザクロ王国の王城が建てられている台地の地下にあたる部分であり、本来ならば陽の光など入り込まないはずのその場所に、工夫を凝らされた城の設計によって天まで開けられた1つの穴から太陽の光が差し込んでいた。
その穴は直径4メートルほどであり、穴の上の方は王城の壁を構成している灰色の石材の壁によって作られている。
それらの部分には窓がなく、もしも『空から』王城を眺める者がいれば、入り組んだ造りの城の屋根が並ぶ中、一箇所だけ緑色の穴があることに気付くかもしれない。
ーーーもしかしたら、あの時助けてくれた『天使』は、この穴とその先の花園に気付いたのかもしれない。
そんなことを考えながら、オーラ=ジ=サンドレアは約束の時刻の1分前にその花園に辿り着く。
天から差し込む光が照らすのは一本の木。
この国の名前の由来にもなっているその『ザクロの木』は、思っていたよりも小さい。
それでも天からの太陽の光を浴びて緑色の葉を茂らせるその木が、建国以来、王国の繁栄の象徴とされてきたことは本で読んだことがある。
そんな『ザクロの木』の木陰に座り込み、白い花で冠を弄っている子供が1人。
この国の王女ウリエラ=レジア=ザクロである。
「悪いっ!遅くなった!」
「もうっ!時間ギリギリ!」
「キョロキョロして何か探してんの?」
「いや、この前までここにあった小さな木が無くなってて。枯れちゃったのかな?別に綺麗でも無かったし良いんだけど」
「へぇ。てっきり、その冠の為の花を探してるものかと思ったよ」
「コレはもう完成したのっ!」
「え?そのグシャグシャの 『柘榴の暴君』 わかったからこんなんでいちいち『能力』使うなよ!」
「ふん!って、ルナは?」
「え?まだ来てねぇの?」
「……3人でパーティから抜け出してトランプをやる予定だったのに……」
「あいつが遅刻するなんていつものことだろ?もう何回目だか覚えちゃいねぇ」
「今回遅刻したから91回目ね!」
「……俺、お前だけは怒らせないようにするよ」
「私だけじゃなくて、みんな怒らせちゃダメよ?」
「はいはい。じゃあ先に2人だけでトランプやるか」
「……オーラってジャックの絵に似てるわよね」
「ウリエラは……クイーンに似てるっていうべきなんだろうけど、この芸術的な絵に似てるって言われて嬉しいか?」
「正直、かなりクセのある絵よね。あ!見てみて!ジョーカー!マギカお兄様にそっくり!」
「お前にはマギカ王子がどう見えてるんだよ!」
「さっきから『お前』『お前』うるさいわね!私にはウリエラっていう世界一可愛い名前があるの!何よっ!熟年夫婦みたいにっ!」
「……熟年夫婦か」
「そこじゃない!」
「う、ウリエ…お前ツッコミ多いよな」
「なんでそこまで出かかって最後まで言わないの!?残ってるの『ラ』だけじゃない!『ラ』!!!
アンタのことこれから『オーラ』じゃなくて『オー』って呼ぶわよ!?いいの!?戦場の掛け声みたいな名前でいいの!?」
「やだね。というかつくづく思うけどおま…..ウリエ...ラってマギカ王子の妹だよなぁ」
「それってどういう意味?頭が良いってこと?」
「皮肉が多いってこと」
「皮と肉が多い?それは貴方の叔父さんのことじゃなくて?」
「遠回しにデブって言ってる?だとしたらやっぱりウリエラはマギカ王子の妹だな」
「......あら?貴方達、随分と早いわね?」
「......いっつも思うけど、ルナってさも自分が正しくて相手が間違ってる前提から話し始めるわよね」
「......わかるか?お前は遅刻したんだぞ?俺らが早いんじゃなくて、お前が遅いの!」
「......私が遅刻?面白いこと言うわね」
「なんだと?」
「まず、『私の名前はお前じゃない』わ」
それは言外に『先ほどの会話を聞いていた』と告げるセリフだった。
「「......」」
「1分1秒のズレなくピッタリの時刻に来ようと思ってたのに、貴方達2人がイチャイチャし始めるからーーー」
「「イチャイチャしてない!!」」
「はいはい。じゃあ、ババ抜きからやりましょう。『ウリエ』3人分に分けてくれる?」
「......」
「ほら、『オー』もそのカード『ウリエ』に渡しなさい」
「「黙れ『ル』」」
「......流石に無理があるんじゃないかしら?」
「はいコレ。『ル』の分。コレは『オー』の分」
「なんか俺『王』みたいじゃね?」
「......オーラの分」
「「あ、戻った」」
ーーーーーーーー
太陽が空の頂点に浮かぶ昼頃にのみ、明るく照らされる美しき花園。
朝も夜も暗く静かで、昼にのみ存在できるその儚き楽園で遊ぶ3人。
ーーーああ、今日も実に騒がしい。
生物学、それは他学問と比較して専攻する者の多い学問分野であり、『コスモス』が他の『教育機関』と比べて圧倒的優位にある学問分野のひとつである。
専攻する者が多い理由は貴族、平民に関わらず、学び得た物が『直接生活に活き』からである。
『能力』が戦闘向きでは無い、即ち将来的に『軍人』にならない貴族の子女は保持する領地の農業の管理を行う仕事に就き、同様に『軍人』にならない平民達の多くは、一部『商人』になるなどの例外はあるとしても、農業を営むことになる。
短くまとめるのであれば『今後の人生でこの上なく実用的』な学問であるということだ。
故に自身の戦闘能力向上を早々に諦め、『武力』としてではなく『生産力』として国の役に立とうと考えている生徒達は、昼休みが始まるとあっという間に昼食を取り終え、『生物学』の授業が行われる予定の『生物実験室』に向かい、最前列の席から順番に座っていくのだった。
『コスモス』の事情を熟知しているアレスも、毎年繰り返されるこの事実を校長経由で認知しており、昼食中にセレスとアイシアに『先に行って席取っておこうか?』とそれとなく尋ねると、2人は軽く眉を顰め、不要と断じるのであった。きっとこの場に、現在『クリスタリア』に留学中のセントが居たとしても、同じように眉を顰める事だろう。
セレスの事情は全く知らないものの、パラドクス経由で得た『生物学は人気な授業』という知識だけ知っているアレスは、『女子って気難しいなぁ』と考えながら、運ばれてきたパンケーキに目を輝かせる。
彼の場合、紅い光を扱う能力者だからか、本当に目からビームが出ている様が想像でき、アイシアはその滑稽なイメージ図を勝手に頭の中で思い描き、笑いを堪える。
(アレスがパンケーキを食べるとは……なんだか意外ですわ)
(アレス、パンケーキ食べるの?……なんか、変)
アレスは昼食のパンケーキにフォークを突き刺し、そのまま無作法にひと齧りする。
その様子を見てアイシアがまた少し眉を顰め、(と言ってもそれは先程と同じ不愉快さの現れではなく、困惑の現れとしてのものなのだが)アレスにナイフを使って一口サイズに切り分けてから食べるように食事マナーを教え、アレスは『パラドクスにも言われたなぁ。気難しいなぁ、どうせ食うなら一緒じゃねぇの?』と考えながら言われた通りにパンケーキを食べ、『この場にセントが居たらどうやって食べてたんだろうなぁ?』と遠く隔てた地に滞在している親友のことを考えるのであった。
アレスにマナーを教えたアイシアは食後の紅茶を楽しみながら、次の授業のことをーーー具体的には親友とその父親の確執をーーー懸念していた。
代々『コスモス』の『生物科教授』を生み出してきた彼女の実家のヴィロメント家の本家の邸宅は『コスモス』にあり、分家の人々は『始まりの世界』のザクロ王国のヴィロメント領の屋敷に住み、本家の子女、即ち将来的に『生物科教授』になる可能性の高い子供は『コスモス』内の邸宅に住むのが慣例であるが、彼女の場合、父親との確執により『コスモス』内の邸宅に住むことも、
また表立っては対立していないものの『生物科教授』の座を狙って戦う運命にあるやも知れぬ分家の人々の居る屋敷に住むことも、どちらも等しく難しかった。
それ故に彼女は父親の上司でもあるパラドクス校長の助言のもと、幾つかの貴族の家庭で幼少期を過ごすことになった。そのうちのひとつがアイシアの実家であるジオード家であり、彼女らが幼馴染かつ親友たりうる要因のひとつである。
幼少期の彼女から過去の悲劇を打ち明けられた当時は、アイシアは『柄にも無く』…..
……いや『柄にも無く』??………….『人柄通り』に怒りを覚えたのだった。
そんなアイシアからしてみれば、今日の授業は親友にとって人生の大半を共に過ごしていない父親との久しぶり邂逅であり、セレスの心情を慮らずにはいられなかった。
『きっとセントが居てもセレスの雰囲気から察するのでしょうね。それに対してこのアレスは・・・』と、自身のこめかみに指先を当て、セントとは対照に粗野で女心を理解しないアレスの方を向き、自身に向けられた視線に気付いたアレスと目が合い、照れ臭くて思わずプイッと目を逸らすのであった。この事がアレスに与えたショックは大きかった。
……セレスは父親のことなど考えもせず、何故か『セントがいつ帰ってくるのか……そもそも『コスモス』に戻ってくるのか?』といったことを考えていた。彼女はこの感情の名前をまだ知らない。
(……セント、友達、出来たかな……どうしてか、分からない、けど、女友達だったら、なんか嫌……)
(セレスったら、いつに無く心配そうにして……やはり、父親と会うのが怖いのでしょうか……いざという時は私が守ってあげませんと!)
(……め、目を逸らされた……もしかして俺、アイシアに嫌われてる?……俺なんかしたっけ?)
三者三様に考え事に耽り、昼食はいつに無くーーーというよりも入学初日の昼休みのそれに比べて明らかにーーー静かだった。
理由は明白だった。
(セントが居ねぇと静かになっちまうなぁ)
(セントが居ないと静かですわ)
(セント、早く帰ってこないかなぁ)
最終的に彼等の思考は、撚られた運命の糸のように、この場に居ない友人のことに収束するのだった。
当の本人のセントは……と言うとーーー、
ーーーーーーーーーーーーーー
「僕の歓迎パーティ!はっじまっるよ〜!!!!」
昼間だというのに暖色のランプに照らされ、煮詰めた紅茶のような色合いの木で作られた椅子と机と、、、そして一部樽をそのまま立てて机のようにしている席のある酒場にて、パーティ開始の音頭をとっていた。中にはセント、マギカを含め33名の生徒、それと店主が居るだけだった。その酒場は2階まで席があり、吹き抜けを通して1階から2階を見渡せるが客は座っていない。33名には1階だけでもやや広く感じられるほど広い店内には、しかし彼等しか客は居ない。貸し切りと銘打っているが、普段の客入りからするとプラス33名で上出来だった。つまり、普段は客が全く入ってこない店だった。
「良いぞ良いぞ〜!」「今日の主役はお前だ〜!」「かんぱ〜い!」
その琥珀色の酒場は、何もかもが白っぽく無機質な都市の中において、まるで喫茶ソフィアのように安心できるような場所であった。店主は代々続いてきた酒場を引き継いで経営しており、この酒場の経営は趣味の範疇であったが、赤字を垂れ流すこの店をそろそろ閉じるべきかと考えているところであった。
そんな店でセントは、貴族主義・エリート主義的『クリスタリア』で肩身の狭い思いをしていて孤立気味だった平民出身者達や、『グループ』や『派閥』に属していない生徒達を束ねて、酒場を貸し切り、自分の歓迎パーティを開いていた。とは言え、飲酒の出来ないセント達は果物のジュースや麦茶をジョッキに入れ、雰囲気を楽しんでいるだけなので、実際は酔っ払っているわけではないのだ。
「……その、なんだ、『セント』さっきは本当にすまなかった……俺がこの場にいても良いのか……?」
「良いんだよ!『リンド』!君はこれから僕の『友人』さ!友人がパーティに呼ばれない道理はないだろう?」
「……そうか。では楽しませてもらうことにするよ!」
「それが1番さ!」
セントの向かい側の席に座るルミルという名の生徒が、店主特製蜂蜜入りミルクを一気に飲み干し、勉強で疲れた頭に糖分を送りながら、セントに疑問を投げかける。
「ッッッ、プハァッ!それにしても、センティア!」
「セントでいいよ!」
「じゃあセント、よく貸し切りに出来たな!お前も俺らと同じく苦学生みたいなもんだろ?」
「ああ。僕もそれは思った。別に僕が奢ってもいいんだよ?セント。あの学校に馴染めてない僕らを誘ってくれたんだから」
「いやいや!ジェイド!君を誘ったのはそんな営利目的じゃないんだよ?僕は君らと友人になりたいだけなんだ。金を求めている訳じゃない。金なんて自分で稼げばいいし」
「そうかい?……なら、ルミルと同じ質問になるけど、どうやってこの店を貸し切ったんだい?マギカさんの名前を借りたのかい?」
「いえいえ!僕は何もしていませんよ?ただ誘われただけですって!」
「マギカ王子には別のことで手伝ってもらったけど、それはこの後話すとして……さぁ!種明かしと行こうか!」
セントは微笑みながら声を響かせ、パチンッ!と指を鳴らし、酒場に集いし自分以外の32名の生徒の注目を集めてから『タネ』を明かし始める。
「この店、趣があって素晴らしいだろう?」
「うんうん。こう言う店には入ったことがなかったし、衛生面が不安だったけど、入ってみたら意外と清潔でいい店だよね」
と大陸東方の国の伯爵家の息子のジェイドが言う。
「しかも意外とリーズナブルなんだよなぁ。酒場ってもっとボッタクリが多いと思ってたよ」
と大陸北方の国の平民家庭出身のルミルが言う。
「そうっ!正に今この2人が言ったことが大いに関係している!
このお店は『貴族にも』『平民にも』入りにくい店だったということさ!」
「随分とひでぇこと言いやがるぜ……」
茶色い髭を蓄えた無骨な店主がカウンターでグラスを拭きながらため息をつく。
「無論、入ってみれば普通にいい店なのに、ね!」
「あたぼうよ……」
「つまりこの酒場はどの社会的地位の顧客も入りにくい店だった訳だ!
だからこそ、我らが『クリスタリア』の近くにあるという好立地にありながら、ついこの間まで閑古鳥が鳴いていて、店主は泣いていた訳だ!」
「別に泣いてねぇが……なんかセントの言い草聞いてると泣きたくなってきた」
「おいおい『我らが』って!セントお前まだ入学初日じゃねぇか!」
「店主さーん、セントはああ言ってますけど、普通にいい店ですよ〜自信持ってくださーい!」
「ハハハうまいこと言うねぇ!」
「こういった酒場というのも趣深い……ククク」
一同はセントの道化めいた言い草に爆笑し、酒場が笑いに包まれる。
「基本的に酒を飲むことを推奨されていない学生客が見込まれるこの立地で『酒場』っていうのもセンスが疑われるけど、店の雰囲気は素晴らしいと思うよ!自信持って!トッドおじさん!」
トッドおじさんと呼ばれた店主は、父親から受け継いだ酒場がしばらくぶりに活気付くのを見て、今度こそ別の意味で泣きそうになる。
「故に僕は提言した訳だ!『酒場』は午前中、客入りが少ない、そりゃあそうさ!
朝から酒をかっくらうなんて、僕の育ての親の神父様くらいなものさ!」
「ははは!聖職者がそれはどうなんだよ!あはは!」
「まぁ、確かに朝から酒を飲む奴は少ないな。特にこの都市では」
「そういうわけで、午前中は『酒場』としてでは無く、『喫茶店』として店を開くことを勧めたわけさ!無論、こういったビジネスモデルは前例があるし、実際そういう店もこの辺りにある。夜はバーとして、昼間は高級カフェとして営業している店は幾つかある!トッドおじさんがそこらへん疎いだけで、農村で伸び伸びと育った普通の子供にも思い付くアイディアだ!」
「普通の子供はそんなこと考えもしねーよ!ははは!」
「お前が特殊なだけだと思うぞ?ククク」
「そーだそーだ!あはははは!」
「無論、それは競合相手が既に存在している事を意味するわけだけど、他の店は高いッ!
昼に寄ってみたけどコーヒーをカップ一杯飲むお金で本が一冊買える!!こんなのボッタクリも良いところじゃないか!!」
「「「そうだそうだぁ!!」」」
主に平民出身者が同調する。
「そして格式ばっててなんか嫌だッ!彼女誘ってディナーって感じならいいかも知れないけど僕が普段使いする分には敷居が高すぎる!」
「「「そうだそうだッ!」」」
今度はそういったマナーだの礼儀だのドレスコードだのを嫌う貴族出身者たちが声をそろえる。
この場にはあらかじめ、セントが自分の意見に賛同しそうと思う人物しか集めていなかった。
「ありがたいことにトッドおじさんは今日の飲み代をタダにしてくれる事になった!
その代わりに君たちにお願いがあるッ!
諸君らの周りで僕らみたいな『はぐれもの』を積極的に誘ってこのお店を行きつけにしてほしい!
先輩だろうと、来年からの後輩であろうと構わないッ!
僕らみたいな『ぼっち』を救うのだッ!!」
「「「おおぉ!」」」
退屈な日常に刺激的な活動を提示された生徒達は、興味を惹かれる。
「『クリスタリア』でグループを作っている奴らは試験対策を集団で行なっている!
そうだろうッ!?リンド!」
「ああ。俺の派閥は今回の件で上級生達から嫌われてしまったがな」
「君らはもう僕らの『派閥』の一員さ!誇ると良い!
さて!そんなリンド達を前に言うのもアレだけどッ!
我々が授業中居眠りをしたら試験で詰んでしまう危険に晒されながら眠い目を擦って授業を受けている間にッ!!奴らは交代制で同級生同士でノートを共有しッ!上級生から仕入れた過去問を使って効率よく対策をしている!・・・こんなことが許されるかッ!!」
「「「「許されないッ!!!!」」」」
リンド達を含め、全会一致だ。
「じゃあ同じことを僕達がやる分には!?」
「「「「許されるッ!!!」」」」
……全会一致だ。
「ああッ!君たちは最高だッ!!
僕らは単体では、ただの『ぼっち』!『はぐれもの』!人脈もコネも仲間も少ないッ!!
されどチリも積もれば山となるッ!!
小さな分子同士集まって、ミセルコロイドを形成しッ!
大いなる溜まり場をこの店に形成しようではないかッ!!!!!」
「「「「おぉッ!!!!」」」」
集まった生徒たちは半分狂乱しながら口々に賛同の意を表す。
「ははは!早速今日の化学の授業の振り返りしてやんの!」
「俺もう二度とコロイド関係の知識忘れる気がしねぇや!」
「僕らはセッケンということだな。ククク、不正に塗れた奴らを浄化してくれよう」
「お前も上手いこと言うなぁ!あははは!」
「手始めにッ!明日の小テストの過去問を入手し、対策プリントを作ってきたッ!!ここに丁度『100枚』あるっ!」
「「「「おおおおッ!!!!!!」」」」
生徒達から狂気的とも言える喜びの声が上がる。
成績の上昇を無慈悲に要求し続ける『クリスタリア』という学舎において、それは勝利を約束する特別チケットだった。・・・そして『派閥』に属する者達にのみ配られ、自分達には一生縁のないものだと思っていたものだった。
『派閥』を形成していたものの、先輩とのコネクションが切れてしまったリンドの『派閥』のメンバー達も同じだった。
『ーーどこで手に入れたの?』
(君は知ってるだろう?自分の『心象世界』に入り込めば『その時自分のいた場所の周り』が見れる。半径50メートルくらいの円柱の中だけだけどね。じゃあ、その円柱の中に職員室があれば、僕は侵入し放題なわけだ!)
『ーーアルミとかガラスで完全に覆われている場合は無理だよ』
(……え?それまさか『質問権』使ってないよね?)
『ーーさっさと演説に戻りたまえ』
(……あとで覚えておいてね?)
「……このプリントの印刷にはマギカ王子の最新の印刷機械を貸してもらった!諸君ッ!マギカ王子に拍手ッ!!」
『パチパチパチパチパチパチパチパチパチッ!!!!!!』
拍手が怒号のように鳴り響き、酒場の窓がカタカタと揺れ、店の前を通っていた人々が軽く驚く。
(印刷自体はそこら辺の印刷機でも出来るけど、『マギカ王子に協力してもらった』という事実が重要!他の『派閥』のヤツらが悔しがる様が目に浮かぶようだ!一体どんな印刷機なんだ!?って感じだろうね!まぁ!僕も仕組み知らないんだけど!ハハハハハハ!)
「僕らは僕を含めて33名ッ!そしてここにはその3倍ほどの『プリント』があるッ!
諸君らは各自3枚ずつ取り!1人で試験対策をしている同級生に無償で配るのだッ!
そして、その際にこの店の情報をそれとなく与えるんだッ!!
救いを求めている同志たちはやがてこの店に集う事になるだろうッ!!
今回僕が入手した過去問然り、
授業中にひっそりと先生が漏らした言葉然り、
優等生のノート然り、
上級生からのアドバイス然りッ!!
ありとあらゆる情報を授業が無い昼間にこの酒場兼喫茶店で互いに共有しッ!
リーズナブルなコーヒーと紅茶を楽しみながらッ!
最短効率で最大効果を発揮しようではないかッ!!
そして諸君らはッ!!!
『クリスタリア』の如何なる『派閥』にも勝る史上最強の『派閥』のッ!!!!
偉大なる創始者33名としてッ!!!!!
『クリスタリア』の歴史にその名を刻むのだァッ!!!!!!」
「「「「うおおおおおおおおッ!!!!!」」」」
ーーー後にクリスタリア生に語り継がれるクリスタリア史上最大派閥『試験対策連合軍』
通称『クリスタリア連合軍』……蔑称『ぼっち連合軍』の歴史の幕開けであった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『始まりの世界』にて友人が『派閥』を立ち上げているとも知らず、昼食を取り終えたアレス達はそのまま『生物科教室』へと向かう。
『生物科教室』は『生物科区画』という専門区域の中にあり、『コスモス』の中心からかなり離れた位置にある。これは『生物』を扱うという都合上、『危険世界』を含んだ『世界中』の生き物を飼育する必要があり、その為に必要となる広大な土地を確保する為には『コスモス』の本校舎から離れた場所のほうが都合が良いからである。
一年生の時間割にて昼休み後の5限に『生物科』の授業が集中しているのは、
大いなる魔境に足を踏み入れたばかりの一年生達に対する、せめてもの餞別なのであろう。
『コスモス』の二年生から一年生へのアドバイスとして、最も重要なものの一つが『移動手段を確立しろ』というものである。
これは小さな国にも匹敵する広さを誇るこの『コスモス』において、授業と授業の間の10分程度で目的の教室へ向かう事の難しさを、一年生時のカリキュラムでは体感できないからである。
5限の授業枠が一年生に占められている分、その皺寄せは二年生以降の生徒に押し寄せることとなる為、最も辛いと言われるのは二年生時である。
真面目な生徒達は授業で好成績を取った報酬として教師から習う『技能』を用い、不真面目な生徒達は『幹』や『枝』といった『近道』を利用する。
『幹』には、1000年ほど昔に作られたトロッコが現存しており、不良生徒達は『地下鉄道』と呼ぶこのトロッコを『魔素』を用いて動かすのだ。
もし乗り遅れたら?ーーーーー無論、遅刻あるのみである。
『幹』や『枝』は便利であるが、相応のデメリットも存在する。
『幹』にはまともな治安維持機構が存在せず、かつて『幹』にこしらえた隠し部屋で違法薬物の製造を行った生徒もいたほど、治安が悪いのだ。
アレスはつい先日危険な目に遭ったばかりのアイシアとセレスをそのような場に連れて行くのは気が引ける為、昼休みの残り時間をかけてゆっくりと歩いて向かうのであった。
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教室の中の風景は今までの教室のそれとは大きく異なっていた。
4人が共同で使う大机が2つと、その2つの間に備え付けられた流し場、それらによって構成された細長い1本の塊が横に3列、縦に3列、合計9つ並べられている。
つまり、最大で72人が座ることができるということだ。
最も、教室の真ん中の机には実験に使うと思しき器具が置かれている机があり、その机を使えないことを考慮するとクラスメイト50人分ギリギリしか席がないことになる。
アレス達が到着した時には、既に黒板近くの席は満席であり、残っていたのは最後方の大机3つだけだった。特に何も考えることなく、教室の左後ろの隅の方の席に3人で座る。
残りの座席は8人と1人分。
本来は残りの席に座るべきだった友人のことをぼんやりと考えながら、アレスは教室の後ろ側の出口を眺めていた。
チャイムがなるギリギリになって、サンドイッチを咥えて焦った顔のウリエラと彼女の分の文房具まで抱えて涼しい顔をしているソニアが入ってきて、その後チャイムが鳴り終わった後にオーラとクラーク兄弟がゆっくりと入ってきて、最後に何食わぬ顔でルナが入ってくる。
(……生徒会長目指してる3人が遅刻ギリギリってどうなんだ?)
アレスがそんな彼女らを眺めていると、彼女らは誰が真ん中の机を使うかで揉め始めた。
すでに最後方の左側の机はアレス達が座っており、残りの机は2つのみ。
故にその3人の候補者のうち2人は同じ机に座る必要がある。
オーラとルナは、学生寮の部屋決めでは自分達が譲歩したと言い、ウリエラは、ジャンケンの勝利による正当な権利と主張。
……生物科の教師はまだ到着していなかった。
黒板側の席に座っていた勉強熱心な生徒達でさえ生物学の予習の手を止め、後方で燃え上がる闘争の炎を好奇の目で観察し始めた。
(別にこんだけ後ろに離れりゃ黒板の見え方なんて大差ねぇだろうに。まだまだガキだなぁ)
自分のことを棚に上げたアレスは、流石にこのままでは授業に差し支えると判断して立ち上がり、口論をする3人の元へ歩み寄る。
「だーかーらー!どう考えたって俺とルナの番だろっ!?」
「そんなこと言ったって、アレはジャンケンに勝った私の特権でしょ!?」
「2人とも、見苦しいわよ。大人しくそっちの左側の席に座りなさい」
「おいっ!ルナ!ここは協力する流れだろ!つーか、お前、今取り巻きいねぇんだから、別に構わないだろっ!?ウリエラとソニアと座れば良いじゃねぇか!そうすりゃあ、3人グループ2つにわかれて丁度いいだろっ?」
「ぐぬぬ、オーラのくせに生意気よッ!」
「『くせに』ってなんだよっ!『くせに』って!」
「おいおい、お前ら仲睦まじいのは勝手だが、一応もう授業始まってんだから、口喧嘩してねぇで3人で真ん中に座れば良いじゃねぇか。ソニアもクラーク兄弟も、それで構わないだろ?」
「「……別に良いけど」」
「ウリエラ様がそれで良いと言うなら……」
「はい決まりだ。さっさと座れ」
「ちょっと待って、この机、左右に2人ずつ座る感じだけど、1人分席が余るじゃない!そしたら、1人で2人分のスペースを使える席、私のねッ!」
「はぁっ!?俺のだっ!」
「………」
アレスは呆れて肩をすくめる。
「……アレスさん?数秒前は仲裁して貰ってどうもありがとう。大変でしょう?この2人。いつも口論してばかりで」
そんな2人の口喧嘩から一歩引いたルナが、仲裁役を買ってくれたアレスに話しかける。
「……えーと、すまん、アンタの名前は?」
「ルナ=ジ=ムーンフィリア……親愛を込めてルナと呼んでくれると嬉しいわ。
……急な話しで悪いのだけれど、貴方達の机、1人分席空いているわよね?」
「ん?まぁ、今は空いてるけど……」
『今は』……それはいつか帰ってくるであろう親友の為の言葉だった。
「ええ。知ってるわ。貴方達のご友人のセンティアさんは今『クリスタリア』に滞在しているのでしょう?」
「……ッ!?」
「どこで知った?と言わんばかりね。私はこう見えて顔が広いのよ。
さて、本題に移りましょう。今回ばかりは彼の席に座らせて貰って構わないかしら?」
「……別に良いけど」
「ふふふ。そんなに警戒しないで。別に他意はないし、貴方の敵にはなりたくないわ。
……ただ……」
「ただ?」
ルナはオーラの方を向き、姉がヤンチャな弟を慈しむように、少し微笑んで言った。
「従弟の恋路を応援してあげたいのよ」
「……ん?ああ、そーいうことね。なら歓迎だ。セントが戻ってくるまでは俺らの方に座ると良い」
「分かってくれて嬉しいわ」
「おーいっ!そこの2人!ルナがこっちの班に移ってくれることになったから、その机に2人で座れ!」
「「……」」
アレスの声を聞いた2人は黙り込み、互いに視線で火花を散らした後に、
「「フンッ!!」」
互いにそっぽを向くのであった。
「……ルナさん、大人だなぁ」
「だよな。なんか、お姉さんって感じだよな〜」
「こういう時に譲れるって、生徒会長のとしての器の大きさを感じますわ」
『『ピクリ』』
教室前方から漏れた声に、2人はわかりやすく反応する。
「「…………」」
「ふふふ。みんな、ちゃんとわかってくれたみたいで嬉しいわ。席を勝ち取る為に頑張るのは素晴らしいけど、何でもかんでも固執するのは我儘な子供と何も変わらないもの。
……それがクラスメイトの自習の妨げになるなら尚更…ね」
大人っぽい余裕の表情で、艶やかな声が2人の耳に突き刺さる。
「ルナッ!やっぱりお前に譲ってやるよ!なぁ、アレス!一緒にクロノス爺さんの異世界で過ごした仲だろ?兄様からのアドバイスによれば、初回の『生物科』の授業はグループワーク……初対面のルナよりも俺の方が協力しやすいだろ?なっ!?」
「いや、まぁ、別に良いけど」
アレスはチラリとルナの方を見る。ルナはやれやれ、といった顔でアレスの方を向く。彼女は『別にオーラに譲っても構わない』と微笑んだ表情と目で、無言のうちに語っていた。
そんなルナの表情を見て、オーラは勢い付き、ダメ押しと言わんばかりにアレスと肩を組み、教室の隅っこへ連れて行き、周りに聞こえないような小さな声で呟く。
「それに、お前気付いて無いみたいだから言うけど、さっきから無言のアイシア『さん』、多分めちゃくちゃ怒ってるぞ?」
「え?」
アレスがコッソリとアイシアの顔色を伺うと、そこには絶賛不機嫌中のアイシアがほんの僅かに眉を顰めて微笑んでいた。経験から語って、彼女が眉を顰めて微笑んでいるときは、怒りの感情を抑える為の微笑みであることが多い。『霜嵐の世界』をぶっ放してこないだけ、分別がついたということだろう。
当のアイシアの心情としては、
(全く、アレスったら、女子3人に囲まれてハーレムでも築くつもりかしら?……別にアレスがどんな女の子と仲良くしようと、私に何かを言う権利があるわけでもありませんけど…
……なんだかとても不愉快ですわっ!しかもオーラさん達がアレス達とクロノス教授の異世界で過ごすことになった理由は…….ああ!不愉快極まりないわ!)
それと同時に、ウリエラも行動に移していた。ウリエラは、右後ろの端の机に向かうと、ソニアの隣の空いていた席に座り込み、ニッコリと笑って言った。
「私!やっぱりルナに譲ってソニアのグループに移るわ!ソニアっ!クラーク兄弟!よろしくね!」
クラーク兄弟は、『オーラだけが席を譲った』状況にすることが最善だと考え、その申し出を拒否しようと同時に決心をし、ウリエラに向き合おうとしたまさにその時、
『断ったらアバラ折っちゃうぞ♡』という意思の込められた暴君の恐ろしい微笑みと、その隣で『主人に恥をかかせたらどうなるかわかっていますね?』と脅す剣姫の剣幕に心臓が止まる思いをし、それでも親友でありリーダーでもあるオーラの名誉の為にアバラと拷問を覚悟し、勇気を奮い立たせて声を絞り出す。
「「…………お、おう……」」
決意に反して、、、捻り出された声はなんとも頼りないものだった。
生存本能には抗えなかったのだった。
「一緒に頑張りましょう、ウリエラ様」
「うんっ!」
こうして、オーラがアレス達の席に座り、アイシアの心情が幾らか落ち着き、昼食を食べた後の睡魔に身を委ねたセレスがすやすやと昼寝を始め、笑顔のウリエラとソニアが雑談をし、それを見ながらクラーク兄弟が肩を振るわせ……ルナが1人で最後列の真ん中の机に座り、それを見たオーラが首を傾げる。
「………つーか、ルナ、お前ぼっちでどうすんだ?さっきも言ったけど、多分今日の授業はグループワークだぞ?」
「…………ふふふ。オーラ、ウリエラ、貴方達は本当に可愛らしいわね」
その艶やかな声には、溢れんばかりの慈愛と……僅かばかりの嘲笑が含まれていた。
「え?」
『ガタンッ!』
『カツカツカツ』
突然、前の方の3つの机から1人ずつ、3人が立ち上がり、無言で最後列へ向かい、
ーーー何の躊躇もなくルナの座る机の周りの席に座る。4人の席が埋まった。
その3人は、教室の前方にバラけて座っており、先程ルナを賞賛した生徒達だった。
「「…………え??」」
ウリエラとオーラが突然起こった出来事を理解することができず、思わず声が漏れる。
「ふふふ。席を譲ってくれてどうもありがとう。
貴方達2人は本当に優しくて………本当に『純粋』よね?」
最後のひとことには、かなりの割合の『嘲笑』が含まれていた。
ようやくオーラとウリエラは気付く。先程自分達に『聞こえるくらいの声量』でルナを褒め称えていた者達は、最初からルナに仕込まれていた『サクラ』だったのだと。取り巻きがルナの周りにいなかったのは、あらかじめ教室に待機させていたからなのだ、と。
生徒達は目の前で起こった非日常的な出来事に湧き上がる好奇心を輝かせ、ルナ達の方に注目をする。
それはまるで、舞台でスポットライトを当てられた奏者に向けられるような、『面白いことを期待する』眼差しだった。
彼らのその視線を存分に感じながら、ルナは言葉を紡ぐ。
紫水晶のような艶やかな声が教室に響き始める。
「ごめんなさいね、クラスメイトの皆さん。驚かせてしまったかしら?だとすれば、この場で謝罪します。ごめんなさいね」
まずは謝罪から入った。それは建前上のもので、謝罪の意識など微塵も含まれていなかったが、観客達は『そんなこと』を気にも留めない。彼らが聞きたいのはそのようなつまらないものでは無いのだ。無論、ルナもそれを理解した上で、禍根を残さぬように念には念を入れてその言葉を発したのだった。『立つ鳥跡を濁さず』、立ち去る白鳥は美しく空を飛ぶばかりでなく、澄んだ湖に汚れを残さないのだ。それでこそ一流、それでこそ完璧、そこにルナなりの流儀があった。
「私は予め、私を慕って下さっているクラスメイト内の3人に協力して頂いて、ある程度早い時刻からこの教室に座っていてもらいましたの。3人には感謝してもしきれないわ」
協力してくれた者への賞賛と敬意を惜しみなく告げる。これは先ほどの空っぽな謝罪とは打って変わって『心の底から……本心からそう思っている』という事実を、クラスメイトの心に叩きつける。
勿論、先ほどの『空っぽの謝罪』が『本心からの感謝』を引き立てるスパイスの役割を果たしていることも、それを見越して『空っぽの謝罪』をしたのも、すべてルナの計画通りである。
「子供の頃からウリエラとオーラは時間にルーズでした。仮にも生徒会長を目指そうというならば、それくらいは守って頂けないと困りますわ。
……『時間』を守れない者が『選挙公約』は守れる!などとのたまって信じる者がどれ程いるというのでしょうか?」
当然、ある一定数は『そういう』生徒もいるだろう。しかし、ルナの言い方には『クラスメイトへの信頼』と、『時間を守れない者を生徒会長に推す愚か者に対する軽蔑と嘲り』が込められており、すっかり彼女のペースにのせられたクラスメイト達は無意識に思う。
『愚か者側にはなりたくない』と。
「勿論、この2人にお灸を据えるために意図的に最後にこの教室に入る必要があった私も、時間を守れない者に入るのかもしれません」
少し悲しそうに言うルナに、クラスメイト達は同情と理解を示す。
元々自身の信奉者を教室に忍ばせていたということは、昼休み時点でこの計画を練っていたということ。そんな彼女が時間通りに教室に入るのはきっと容易だったのだろう。
言い換えれば、彼女は『計画の為に遅刻せざるを得なかった』ということ。
そんな彼女の遅刻を咎めるような輩は居ないだろう。
ーーー2人の幼馴染を除いては。彼らは知っている。彼女がそんなセリフを言ってよい人間でないことを。
ーーー幼馴染同士、今まで数々の遊ぶ約束をしてきた。
そして、遅刻するのは『大抵ルナだった』のだから。
2人からしてみれば、『どの口が?』という話である。だが2人はルナを糾弾することができない。ウリエラもオーラも『遅刻を責められる立場』ではないのだ。それは常識的な考えからも理解でき、むしろ異常なのは『遅刻をしたのにそれをやむを得なかったと正当化したルナと、それを受け入れる大衆達の在り方』であった。
だが、クラスメイト達にも疑問が浮かぶ。
『なぜわざわざそんな回りくどいことを?』という疑問だ。
クラスメイトがその疑問を浮かべるであろうことを見越して、ルナは雄弁に語る。
「私は2人に『遅刻』をしないように伝えたかった。それが自身らの信用にどれだけの悪影響をもたらすかを自覚して貰いたかったっ!
生徒会長という大いなる責任を伴う役割を務めようと望むなら……
……その立場に立った者が『遅刻』することがどれ程の被害をもたらすのかを考えて貰いたかったっ!!」
ルナは子供の身を真剣に案じる母親のように、涙ぐましく声高らかに宣言する。
ウリエラとオーラは絶句し、頭の中で絶叫する。
『『どの口がァッッ!!??』』と。
しかし、反論は許されない。今この場でどれだけ反論を試みたとしても、それは『子供っぽいわがまま』と取られることだろう。故に沈黙。それだけしか許されなかった。
まるで生徒を叱る教師のように、子を躾ける母のように、
オーラとウリエラに諫言するルナは、『双方の圧倒的な立場の上下差』をクラスメイトに見せつけたのだった。
「………2人とも、これからは気を付けてね?」
そのセリフは、クラスメイト達には『遅刻しないでね』という意味だと誤解されただろう。
しかし、ルナの本心はそこになく、ウリエラとオーラの解釈もそうではなかった。
3人の中でこの言葉はこう翻訳される。
『政治って、こういうことを言うのよ?生ぬるい覚悟で参加するようなものじゃない。身の程を弁えて生徒会長を目指さない方が良いんじゃないのかしら?
……それでも尚、私に立ち向かって生徒会長を目指すと言うのであれば……私の計略の惨さはこの比ではないわ。……せいぜい、気を付けてね?』
煽りと侮りと、僅かばかりの心配を込めたセリフ。
しかし、全力で生徒会長を目指している2人からしてみれば、『心配』など、上から目線で何様のつもりだろうか?と憤慨すべきものである。
当然2人は、目の色を変え、これからはルナと渡り合う為に努力することになるだろう。
そんな2人を見て、ルナは微笑む。
(ああ、退屈しなくて済みそうね。良かったわ)
ーーーーーーそんな2人の決意さえも、ルナの計画通りであった。
その光景を傍目から眺めるアレスは、熱狂しつつあるクラスメイトから心情的に一歩離れて状況を客観視し、その計画に関心する。
(性格的にあの2人が自分と真ん中の机の奪い合いをするであろうことは見越していたわけか。
しかも、あの2人が『サクラ』のルナを讃える声に対して行動をしなければ、2人は『譲ってもらった席にしがみつく子供っぽいわがままなやつ』という雰囲気のまま授業を受けることになり、さらにその悪印象はしばらく消えない。
かといって行動しちまった結果が今の惨状。
2人がケンカに乗るって部分だけが賭けだったわけだが、それはほとんど無視できるよなぁ。
そんなに2人のことを知ってるわけじゃねぇ俺から見ても、2人がケンカを始めない確率は、コインを投げてコインの表裏じゃなくてコインの側面が上になるような…そんな低すぎる確率だ。
他人が盤上でどう足掻いたとしても、自分に都合の良い結果になる。
………………似てるなぁ)
アレスは、白い髪をたなびかせる陽気な………それでいて策略深い友人を思い出す。
(つーか、『色彩差別』て言われそうだけど、テトラにしろルナにしろ、紫髪のヤツってこういう策略系強すぎねぇか?)
『操作者』………それは生まれついて他者を支配する性質に恵まれた者達。
支配といっても、その多くの場合において、操られている者達は自身が操られていることに気付くことが出来ない。
歴史上名を残す支配者や………あるいは『名前を残さない黒幕』といった者達は、この性質を持つことが多い。
『序列第9位天使』はそんな稀有で悪辣な才能を、躊躇なく存分に振るう狂人であった。
(セントも、こういうの得意だったよなぁ)
どうしても思考が、今この場にいない……なんなら『この世界』にもいないかもしれないセントの方へ向いてしまうアレスなのであった。
その時、アレスはアダマシィアがかつて語った話を思い出していた。
......『沈黙は金、雄弁は銀』という古い諺がある。
現在の人々からすれば、金は銀よりも価値の高いもので、沈黙は雄弁に勝るという意味に取られる諺である。
だが、2000年を生きる天使達、特にその諺が生まれた『砂漠世界』にて暮らしていたアダマシィアはその解釈に首を傾げる。
……『金が銀に勝る道理はない』と。
当時の『砂漠世界』では『金』は砂から採れるものである反面、銀は地中深くの鉱石状の塊を見つけることでしか手に入らなかった。なんなら鉄はそれよりも価値が高かった。
故に当時の諺の意味を厳密に問うのであれば、
『金は銀に劣る』という意味になる。
『黄金』と『太陽』が、『白銀の月』に敗北したのだ。
......そして殆ど同時に、全く同じことを考えている人物がいた。
若き日に『極彩色の森林世界』に単独で訪れ、致命傷を負ったところをたまたま居合わせた『序列第5位天使』......当時は『セレス』という偽名を用いてヒトに扮していた彼女に助けられた男が、その際聞かされた雑学を思い出し、僅かに思い出し笑いをする。
『懐中時計を開く』
『授業開始予定時刻から5分が経過』
『......ふむ。いつも通りだ』
『ガラガラガラッ!』
『生物科教室』のドアを開ける。
『カツンカツンカツン』
その足取りは軽く、『遅刻』を誹るルナの発言を心の底から笑い飛ばすようなゆっくりとした歩み。
『ドサッ!』
教卓の上に出席簿だけが置かれる。
自身の遅刻をまるで恥じる様子もなく、
そんな厚顔無恥な狂人が、
淡い緑の髪と眼を輝かせ、
教室に明るい声を響かせる。
「はいは〜い!初めまして!皆さんの『生物科』の講義を担当するリーフレイ=ド=ヴィロメントですっ!まず、授業に際し、ルールを説明しますねぇ!」
突然のことに面食らう生徒達を一瞥し、リーフレイ教授はとんでもない事を口にする。
「まず、『遅刻』は認めますっ!」
「「「......えっ!?」」」
「僕の行う講義は、僕が出した課題をクリアしたものから自由時間、という形式とします。あぁ!自由時間といってもクロノス教授の『私有世界』に行くわけじゃあ、ありませんよ!キャハハ!!話を戻しましょう!遅刻をしても課題を終わらせる為の制限時間が短くなるだけです!なので!自分の能力に自信があればいくらでも遅刻して貰って構いません!
次に罰則規定!これを破ると成績が悪くなってしまいます!皆さんお気をつけて!
まず、他の生徒の妨害!そんな暇があったら横になって寝てれば良いんですよぉ!
二つ目は、授業終了時刻までに課題を終えないこと!
これだけです!分かりやすいですねぇ!キャハハ!」
「......先生!質問ですッ!」
「ハイ!そこの君!どうぞ!?」
「どれだけ真面目にやったとして、それでも課題が終わらなかった場合も罰則、ということですか?」
「うん?当たり前じゃあないですか!
ここは『コスモス』!諸君らは『コスモス生』!
あの程度の課題を制限時間内に終わらせられないなら『クリスタリア』にでも移れってんですよ!キャハハハハハ!
まぁ!安心してください!僕は悪魔じゃあありません!まだ『天使』ではありませんが、天使のような寛大な心を持って、次の授業の課題を予め宿題として課しておきます!
時間掛けなきゃ仕事ができない無能はサァヴィス残業すりゃあいいんですよぉ!
おっと!そう身構えないでくださいぃ!すぐに分かりますよ、こんなの授業時間内に終わるに決まってますから!あと!今日は課題は出しませんのでご安心を!今日は概要を話すだけです!
まずは次回の課題、そして今回の宿題!
『教科書に載っている生物からひとつ選び、『どのように進化』すればより生存競争に生き残れるようになるか考察し、レポート用紙2枚分にまとめなさい』
まぁ、20分もあれば出来るんじゃないですかぁ!?」
......どうやら、グループワークではないようだった。
「改めてまとめるとしましょう!
要するに、皆さんは僕から課せられた課題を、次の授業の終了時刻までに終わらせればいいだけです!
『授業』は『僕に質問出来る時間』と考えてくださいぃ!質問をするときは一列に並んで頂くので、質問がある方は早めのうちに並ぶことをオススメしますっ!
あと、僕は結構遅刻するんで、よろしくお願いします!
そんじゃあ!あとは質問タイムといきましょうかぁ!
レクリエーションタイムといきましょ〜!
質問がある方は手を挙げてください!何でもいいですよぉ!」
「……じゃ、じゃあ!質問です!」
「ハイッ!そこの君!」
「生物学って、何を目的としている学問なんでしょうか?」
「おぉ!いきなり哲学的な質問ですねぇ!素晴らしい!
お答えしましょう!生物学の目的、それは担当教員によって大きく異なります!
ここでは『僕の授業』と来年以降任意で選択できる複数の『生物系科目』担当の教師の方々それぞれの考え方を語らせていただきましょう!
最初に僕にとっての『生物学』の存在意義を語りましょう!
まず!この世の生物種には必ず何らかの欠点があります!
例えば炭素人!
知性に優れながら、『魔臓』が無ければ戦闘力もほとんどないデクノボウになってしまいます!
では、武力に優れた『龍種』はどうでしょうか?彼らはヒトとさほど変わらぬ武力を持ちながらぁ、されど『魔臓』をその身に宿すことはできません!
現在確認されている生物種の中で最も『完璧』に近いもの、それは『天使』です!
『天使』は老いず、『天使』は知恵に優れ、『天使』は武力の極みに位置するっ!そんな生物種である『天使』に欠点は無いのかぁ!?
それでは質問した君っ!『天使』の『生物として』の『欠陥』を答えて下さいっ!制限時間は1分っ!」
「えっ!?.........勉強不足ですみません、知りません……」
「いえいえ!『無知は罪』なんてのは頭がダイヤモンドで出来ている『クリスタリア』の校訓ですっ!
我らが『コスモス』の校訓は『無関心は罪』!知らぬことは罪ではなく、疑問を解消する努力を怠ることが罪なのですっ!深く考えましょう!ヒントをあげますから!
『生物』の学問的定義は①自己と外部を仕切る膜の存在。②代謝を行うこと。③自己の複製を作ること。この3つです!まぁ他にも挙げることは出来ますが、これが学会内での一般常識です!」
「.........膜はある。代謝......は行うはず。食事は不要、でもそれは魔素のエネルギーを利用しているから.........なら、消去法的に『繁殖しないこと』?
具体的には、『天使』同士が交わっても生まれる子供は『天使』じゃない、ということでしょうか?」
「大正解っ!!続けましょう!『天使』でさえも『不完全』な生き物に過ぎませんっ!
では皆さんっ!『完全なモノ』......創り出したいと思いませんかっ!?
思いますよねぇ!人として......いやっ!『生き物』としてっ!当然の感情でしょうっ!
皆さんも子供の頃、一度は考えたことがあるはずですっ!
『カブトムシの頭にクワガタのハサミをくっつけてみたいっ』と!
そして挫折したはずですっ!
焼き付けようとしても!ハンダを使おうとしても!テープを使おうとしてもっ!!
どれだけくっつけようとしても、組織同士が拒絶反応を起こしてしまうっ!
クワガタの頭から取り外した瞬間からハサミは緩やかに腐り始めるっ!
そんな挫折と絶望ともどかしさを、皆さん一度は経験したはずですっ!!!!」
クラスメイトの心の声が重なる。
『そんなの経験、したことないッ!』と。
「世界の育みし最高傑作であり、緻密で精密で性格で機能的で時に不条理な秩序を形成する『生命』を理解し!
そんな最高傑作でありながら各々に『欠陥』を持つ生命を次の段階へと引き上げる!
それこそが私の考える生物学!!!
さぁ!皆さんっ!『より良い生物』を目指して頑張りましょうっ!!」
生徒達はまだ知らない。
リーフレイが『コスモス』の平均的な教師像であるということを。
『あの』クロノス教授でさえ、『まとも』な教師であったということを。
リーフレイ教授が満面の笑みで両手を広げ、演説を終えるのと、
セレスがあくびをするのは、同時だった。