第三話:御園影美
御園影美。
小柄で華奢な体格に見たものを吸い込みそうな大きく深い漆黒の瞳が印象的な少女。
これだけを説明するとクールで冷たい印象を持つが、それは彼女の服装を除いた話。
「学校中の先生どころか全校生徒にまでおたずね者になってるよ、人気者の皐月蒼汰くん」
とことこ歩き俺の横にしゃがみこむ影美。色彩の束がふわりと揺れた。
影美の着ているワンピースはパステルを基調としたカラフルで明るい。揺れるスカート部分は動く虹のようだった。
クールな顔のつくりと真逆のコーディネートだが、とてつもなく似合っている。
彼女の内面を色で視覚化できたら、きっと、このワンピースのように色鮮やかなんだろうな。
影美のことは、四年一組に入りたての時から「かわいい子がいるな」と認識していた。
名前は思いきり間違えたが、印象に残る子だった。
だから、クラスで彼女に“起きていること”を俺はよく知っていた。
「そんな珍獣ハントみたいになってるのか俺」
「ここならしばらく見つからないかもね。ドンマイ」
「あんまりだ……俺すごくウキウキで、本当にクラスみんなが俺を心配してくれるって思ってたのに……あんな、呼ばれた理由があんな内容なんて……!」
「恥ずかしいよねぇ。死にたくなるよねぇ。でも、あの絶叫退場は笑っちゃったけど」
ぷぷぷ。口を固く引き結びながら笑いを押し殺そうとする影美を見て俺は憤る。
「あのさあ、そもそも俺のイス壊したの影美ちゃんだろ。あんたがケンカだか何だかで俺のイス壊さなかったら、俺は今日こんな惨めな思いしなかったんだぞ!」
「だって阿久津さんがムカついたんだもん」
阿久津って名前はたしかクラスのリーダー株で女子グループで一番偉ぶってる阿久津ユリナのことか。気のキツい性格の阿久津は俺も苦手だった。
きっと女子のいざこざでカッとなったんだろう。
「ごめんね。私も限界だったのよ」
「なんだよ、限界って」
「イケニエ制度。蒼汰くんも知ってるでしょ?」
「まあ、一応。俺も四年一組の人間だから」
「私も限界だったの。あんな制度、大嫌い」
御園影美は四年一組のイケニエだ。
週一でイケニエが入れ替わるシステムを「自分がずっと引き受けるからイケニエを変える必要ない」と影美は一人きりでイケニエに立候補した。
言っちゃ悪いが、被虐的な性格で何にも苦しんでいないバカな女生徒という印象だった。
でも影美は言った。限界だと言った。大嫌いだとも。
「じゃあ何でそんな思いまでしてイケニエなんて引き受けるんだ」
「私ね、すごく弱いの。人が傷つけられたり理不尽な扱いを受けていたり、そういうの見るのが耐えられない。まだ自分が攻撃されて他人のいじめを見ずに済む方がマシ。だからイケニエも引き受けちゃって……でも、結局耐えられなかった」
「中途半端なダメな奴だね、私」三角座りで自身の身体を抱え込む少女は小さくてか細い。儚ささえ感じた。
「ダメな奴は四年一組の奴らに決まってるだろ。なんだよ。超がつくほどのただのお人好しだったのかよ」
「お人好しかー。あはは、そうかもね」
こんな善良な彼女を利用して、クラスメイトたちは彼女をサンドバッグに、担任も黙って見過ごしていたのか。
どうして……なんて考えるのも野暮なんだろうな。なんせ四年一組は悪魔の学級。
「お前も俺みたいに学校やめちゃえば?」
「え?」
きょとん、と俺を見る瞳が瞬いた。
「誰かをイケニエにさせないために通うのも偉いけどさ、それって自分を大事にしてないじゃん。誰もが自分が一番かわいいんだ。あんただって、自分を守るために、自分のために逃げてもいいんだよ」
「……!」
「ていうかこんなとこにいる必要ない。転校なり編入なりすればいいじゃん」
「転校って……簡単に言わないでよ。そういうの手続き大変なんだよ? 親にも迷惑かけちゃうし」
「じゃあ簡単に自分の人生は諦めるか?」
「私は蒼汰くんみたいに強くなれないよ!!」
今まで聞いたことのないくらいの影美の叫びに驚く。
「蒼汰くんはいいよ。自分の好きなように学校休んだり自由にできてさ。そういうのができない弱い私の気持ちなんてわからないんだ!」
影美の悲鳴めいた叫びにこちらも負けじと叫んだ。
俺が強い? どこがだ。
「俺が強いわけないだろ!? お前らのいじめ見たくなかったから休んだんだ。逃げたんだ! 逃げるが勝ちって言葉を知らんのか。俺だって弱いなりに生き延びる知恵しぼってんだよ」
「蒼汰くんのそういうところだよ!」
「どういうところだ!?」
「そういうところも!!」
「そういうところも、どういうところだ!?」
「ほら、そういうところもー!」
ゼエハァ……、大声で荒い息を吐きながら口論して、俺たち小学四年生の体力は根こそぎ激論のための消費カロリーとして持ってかれた。
二人して金次郎像にもたれかかる。少しだけ冷静さが戻ってきた。
「俺は弱い。クラスでのあんたを助けられない。怒鳴ってごめん。いや、これだけじゃないけど……いろいろごめん」
「ううん。蒼汰くんがさっき言った、学校やめちゃえばって言葉、目からウロコだった。私、転校とか、一回も考えられなかったもん」
「一回も? 今まで?」
「うん。もう、ずっと中学校もこの地域で過ごしてくって決まってると思い込んでた。死ぬまでずっと」
視野は広くもたなきゃダメだね。影美は目を伏せながら少しだけ口許を綻ばせた。
「でもやっぱりここからは出られないや! 私ひとりの問題じゃないし! お母さんたち困っちゃう」
今度は急に吹っ切れたように明るい態度になる。その態度は勘だが空元気なような気がした。
「あんた、大丈夫か」
「それ、何に対しての大丈夫?」
「いや……何に対してだろ」
なんとなく口から出てしまったものの、自分でもこの言葉を口にした感情の正体がわからなかった。
ただ、これだけはわかった。
「もっと早くクラスメイトになりたかったな俺たち。お前となら良い友達になってたかも」
惜しかったな。
なんて、恥ずかしいのを誤魔化すように意地悪な笑い。
しかし顔を向けた方向には、黒目がちの大きな瞳をキラキラと潤ませた少女の顔があった。
え、思ってた反応と違う?
照れと焦りが入り交じってオロオロしてしまう。
「先生ーっ。もうここしか残っていませーん!」
「よーし! 残りの金次郎付近をみんなで捜索しよう!!」
「「ついに見つかるか!」」
二人して珍獣皐月蒼汰ハンターたちの声がした方角を見る。
大人数の捜索班が豆粒程度だが、獲物を狙うチーターの如く猛ダッシュしてくる。このままだと一緒にいた影美までとばっちりをくらってしまう。
俺は金次郎像の後ろの雑草が背高く生える茂みに彼女を隠して、自らハンターたちに向かっていく。
うおおーーッと先程の教室脱走時よりも大きな声で叫び、襲いかかる珍獣は、運動神経最悪ながらもハンターたちに悪質なタックルをお見舞いする。
「俺をッ、つまんねー理由で呼び出すんじゃッ、ねーーッ!!!!」
机イスなんてくれてやる! もうこんなところ行かねーから! 武器にでもして投げてそのまま処分しちまってくれええぇッ!!
俺は叫ぶ。五十メートル先で茂みに隠れてる影美にも届くらいの声量で叫んだ。
すまん、俺はもう登校なんて出来ないけど。
ここに残るお前には俺の席という即席武器を託すよ。
俺なんかが泣いて座るよえな家具でいるより、お前を守るためのアイテムにした方がマシだろ。
俺が言っても響かないかもしれないが、負けるなよ!
どこぞのヤンキー漫画のような燃える展開なのはここまで。
その後あっけなくハンターに捕獲された俺は職員室でこってりしぼられた。
家に帰っても泣いてた。母の膝元で。
こうして、悪魔の学級・荒津小学校四年一組だった俺の地獄は始まり、この先には両親との永遠の別れとなる運命がもうすぐ迫ってくる。
第三話です。ここまで読んでくださりありがとうございます。
ちょっと塩辛いエピソードになりました。