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第九話 委員長さんの攻撃

 家庭科準備室の扉を見た一樹が、なにかに気づいたように、にやりと笑った。


「その唯沢散華はいまだに復帰してないけど、もしこの半年間くるみが演じてた恋物語を見てたら、『さっさと告白しなよ、このへぼ役者が』って幻滅してただろうな。――いや、今日のくるみの捨て身のアクションを見てたら、手を叩いて喝采してるか」

「唯沢散華は関係ないだろ。美咲さんとのこと、思い出させるなよ」


 失態がよみがえって落ちこむとともに、眼鏡っ娘に変身した美咲さんの姿が脳裏に浮かぶ。

 赤ぶち眼鏡越しの大きな瞳を上目遣いにして潤ませ、白頬中を紅潮させて、「あううぅ」と桜色の唇を震わせる怒り顔は、もうアリクイの威嚇ポーズ並みに逆効果だった。


「こんなこと思ったら悪いんだろうけど、眼鏡かけて『委員長さんモード』になった美咲さんって、もうっ反則なくらい、とんでもなく可愛いよなー!」


 つい拳を握って力説してしまうと、準備室の扉に、ごつんとなにかがぶつかった。

 扉の向こうにいたらしき人物が、転びそうに慌ただしく走り去っていったが、用事を思い出したのか、すぐにペタペタと戻ってくる。


 嫌な予感がした。


 やがてカラリと扉が横に滑ると、予想通りの人物が立っていた。

 形のいい大きな膨らみを隠すようにブレザーの背中を丸め、さらさらと胸元にかかる艶やかな毛先を両手でもてあそんでいるのは、やはり美咲さんだった。


 扉にぶつけたらしきおでこがほんのりと腫れており、ぐるぐるとした渦巻きが見えそうなくらい動揺した目には、大きな赤ぶち眼鏡をしっかりとかけている。

 美咲さんは、普段のお姉さんキャラが二回りは縮んだように、もじもじとうつむいていた。


 ――えええっ! 美咲さん、なんでまだ『委員長さんモード』なの?


 美咲さんの眼鏡っ娘形態は、M78星雲から来た銀色の人と同じく三分ほどしか続かない。

 つまり扉の前で、先ほどの恥ずかしい力説を聞いてしまったせいで、またもや極度に動揺して、視力が落ちて心が不安定になってしまったのだ。


 美咲さーん! いつもの最新戦車並みに鉄壁な姉御モードはどうしたんですかあー。そんなに美人さんなんだから、『可愛い』だなんていわれ慣れてるでしょうに!

 なんでこっちが攻撃したときだけ、そんな豆腐戦車になるんですか!?


 してやったりとした顔で一樹が肩を揺らしているので、扉の磨りガラスに映った影で、美咲さんの接近を察していたのだろう。だから、美咲さんに関する話を振ってきたのだ。

 一樹は恋のアシストでもしたつもりなのだろうが、爆弾の詰まったサッカーボールをパスされて、知らずにタイガーショットを放って、森崎君ごとゴールポストを爆破してしまった気分だ。


「み、美咲さん。こ、こんな時間に、どうしたの? 料理協賛部になにか用事?」


 重ね重ねのやらかし具合に、脳と顔面が茹だって声が震えてしまうが、美咲さんはさらにぼろぼろになっていた。入室して後ろ手に扉を閉めると、きつく瞼を閉じたままか細い声を絞り出す。


「む、む、睦月君と佐伯君に連絡事項があるの。……あ、あの、あしたの十時じゅうジュワ」


 思わず、『日本語でおk』といってしまいそうになる。

 このまま、美咲さんのカラータイマーが点滅して、変身がとけるのをまっていようかとも思ったが、一樹が助け船を出してくれた。


「まあ、落ち着きなよ。『委員長』になっても立ち去らなかったくらいなんだから、なにか重要な連絡があるんだろ? ――おい、里美。委員長に、あまってる座布団を出してやってくれ」


 いわれた宮原が、小学生な身体をぴょこりとはねさせた。

 舞台度胸はプロ並みな宮原だったが、知らない人を前にすると、すぐに一樹の顔面に抱きついてコアラと化してしまうほどの、ものすごい人見知りだ。

 他のクラスの面識のない女子。しかも美咲さんはかなりの美人さんなので、おどおどとしていても迫力を感じる。


 椅子から立ち上がった宮原は、今の美咲さん並みに混乱していた。

 お尻に敷いていた座布団を調理台に置くと、なぜか机の上で正座になってしまう。机の下から出した予備の座布団もその前に置くと、あわあわと両手を差し出して机に座るよう勧める。


 普通の人ならば、見なかったふりをして椅子に座るところだが、今の美咲さんは、借りられまくったサーバルキャットのように動揺しきった、『委員長さんモード』になっているのだ。


 美咲さんは上履きを脱ぐと、薄いベージュのスカートを押さえて恥ずかしそうに調理台へ上がり、座布団にきっちりと正座してうつむいてしまう。


 なぜか机の上に乗って、見えない将棋盤を挟むように正座して向かい合う、小学生もどきと小心お姫様もどき。

 そのエア対局をすぐ間近で、記録係のように無言で見つめる男二人。

 ……なんだ、このカオスな光景は。


「俺以外の全員が面白いことになってるな。ハーブティーいれるから、みんなちょっと落ち着こうか。――委員長。帰りは誰も急いでないから、ゆっくり一つづつ話しなよ」


 一樹がポットに軟水のミネラルウォーターをそそいで、ハーブティーをいれる準備をはじめた。ポットをコンロの火にかけて、給湯器から出した熱湯を深型のバットにためて、ティーポットと三人分のカップをあらかじめ温める。

 ドライハーブだけでなく窓際に並ぶ鉢植えからも葉を摘んで、二十種類近くもハーブを用意して、一つ一つ香りを確認しながら、特段にハンサムでもないのになぜか人目を惹く顔を愉悦で緩ませ、薬皿に調合していく。


 喫茶店のマスターというより、怪しげな薬を作るマッドサイエンティストの顔だ。


 ようやく話しはじめた美咲さんだったが、やはり可哀相になるほど、どもっている。


「あ、あのね……せ、生徒会にクラスの出し物を報告したら、や、やっぱり飲食関係の模擬店が多いみたいで……に、二週間後にコンペを開いて、せ、選考する必要があるらしいの……」


 机の上に正座する美咲さんの指が、なにかを求めるようにもがいていた。

 そういえば、美咲さんは『委員長さんモード』になるといつも、近衛隊長である御劔さやかさんの袖を、お守りのようにギュッと握っていたのを思い出した。


 美咲さんを安心させたくてたまらなくなった。照れ臭いだなんて、いってられるか。

 ブレザーの右袖を握りやすいようにあまらせて、小心お姫様のもがいている指の前に置いてやる。


 猫じゃらしに飛びつく猫のように、美咲さんの左手が袖を握ってきて、微笑ましさでにやけてしまった。

 ――が、その手が袖口へと滑ってきて、しっかりと手の甲をつかまれると、ひゅっと息を吸いこんでしまう。


 えっ? ちょ、ちょっと委員長様!?


 美咲さんは完全に無意識のようで、繊細な指をふにふにと動かして手の甲を揉んできて、お気に入りのおもちゃを発見した猫のようなご満悦顔になる。

 そうしていると心が落ち着くようで、美咲さんの話にもよどみがなくなり、ひんやりとしていた華奢な手も、ぽかぽかとあたたかくなってくる。


 だが、四月からずっと片思いをしている女子に、右手をもてあそばれている男子高校生からすれば、心が安まるはずもない。美咲さんの動揺を、そっくりそのまま引き受けたように心臓が暴れ、隠しようもなく頬が紅潮していく。


 連絡事項を伝えながら、美咲さんが意識せずにやっている指遊びは、どんどん大胆になってくる。手相を読み取るように手の平を撫でていたかと思うと、なんと指先が五指の隙間に潜りこんできた。二人の指を、深く深く絡め合わせてくる。

 ぞくりと背筋が震えて、口から心臓が飛び出しそうになる。


 美咲さーん! それはいわゆる、『恋人つなぎ』というやつではないですかー!


 なりませぬ、なりませぬぞ美咲姫!

 理性をつかさどる心の『ご家老』が『ご過労死』しそうになったが、美咲さんはあくまでも無意識でやっているのだ。ここで騒いで気づかせてしまうと、またもや大混乱に陥ってしまう。


 透明ガラス製の大きなティーポットにお湯がそそがれると、二十種類以上ものハーブが対流して、濃密で複雑な香りが準備室一杯に広がる。滝の清水のように鮮烈な芳香だったが、すでに天界に召されて天使と『きゃっきゃうふふ』真っ最中な心には、まったく効果がない。


 美咲さんとまさに恋人のように指を絡め合わせて、かりそめの『いちゃいちゃ』をしているのは、いまだに人見知りコアラと化している宮原には気づかれていない。


 だが一樹の固くつぐんだ口端はもう、『絶対に笑ってはいけない二十四時』の出演者のごとくプルプルと震えていた。

 ……あとで『友情のタイキック』でもぶちこんでやろう。

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