第七話 目安箱
「それじゃ、今日の料理協賛部の活動を始めるよぉ。まずは目安箱のチェックからだね」
部室の前に備えつけてあった目安箱を運んできた宮原が、調理台に中身をぶちまけた。
料理講習会の感想や次回の要望などが書かれた用紙や手紙が、何十通と積み上がる。
さっそく一樹が、用紙や手紙を開いて検閲しながら仕分けして、お子様の目にふれても大丈夫なものだけを、一流マジシャンがトランプを配るような流麗さで宮原の前へ滑らせていく。
「その手前にわけてる山、ぜんぶ一樹あてのファンレターだろ? あいかわらず、おモテになることで」
皮肉そうに笑ってやると、一樹にまったく同じ表情を返された。
「そういえば、くるみも自分がどれほど『女に磨きがかかった』のか見つめ直せたんだから、もう隠す必要もないか。今まで黙ってたけど、この手紙の半分はくるみ宛てだぞ?」
「え? 俺っていつの間にか一樹並みに、女子にモテるようになってたのか?」
「聞かなくてもわかるだろ? ――全部、男子からの熱烈なラブレターだ」
「ですよねー」
はううと机にとろけると、一樹がメモの山を押しつけてきた。
「まあ、そう深刻に考えずに読んでやれよ。こういうのは、アイドルを応援するのと同じで、別に本気で相手に近づこうとしてるわけじゃないんだ。現実をすべて理解したうえで、相手に夢中になる行為を含めて楽しんでるだけさ。『高度なプロレス』みたいなものなんだから、声援を受ける側の俺たちも、ファンの期待通りの役を演じて一緒に楽しめばいいんだよ」
さすがは一樹。ファンの扱いにも慣れている。
不幸の手紙を確かめる気分で、恐る恐る便箋を開いてみた。
〝俺は女子にしか興味がない普通の男だったが、君だけは特別だ〟
〝睦月くるみ君。君は僕の『金閣寺』だ〟
〝十三枚目の手紙を許してくれ、睦月くるみ君。君に無視されるのも当然だと思っているし、最近はむしろ快感になってきた。どうか、学園祭の後夜祭で一緒に踊ってくれ。俺はもう三年生だから、それですべての思いから『卒業』できる〟
ほぼ全員が、いわゆる『そっち系』の人ではなく、ごく普通の男子からの切実な手紙なのが、なおさら恐怖だった。
「これ、ぜんぜん冗談って感じじゃないよ! みんな、もの凄く本気そうで怖いんだけど! ――宮原。今度、料理で呪詛するときに、一緒にお焚き上げしてくれ」
「ぶー。料理で呪ったことなんてないよぉ。いつも勝手に相手が倒れちゃうだけで……」
ようやく一樹の仕分けが終わり、司会役の宮原が、ひときわ可愛らしい便箋に書かれた手紙を手に取った。
宮原は一樹の幼馴染みだけあって、なかなかの演劇馬鹿だ。
普段はとろとろと喋る破局的なドジっ娘なのだが、いざ役者のスイッチが入ると別人と化す。声優ばりに声色を変えられるだけでなく、『冷凍されたナマケモノ』から『狩りの得意な小動物』に生まれ変わったように、動作まで機敏になるのだ。
とくに快活な少年役を演じるのがうまく、幼げながらも凜とした声を響かせて、危なげなく舞台を跳ね回って観客の期待を煽る姿は、まさにピーターパンだった。
すうっと一息吸ってから手紙を読み始めた宮原の声は、小学生もどきの喉から出ているとは思えないほど、落ち着いた女性の声色になっていた。
「本日も、ラジオ料理協賛部の時間が始まりました。司会はわたくし『宮原クリステル』です」
いつからラジオになった。そして『宮原クリステル』って誰だ。
「まずは、『ふつおた』のコーナーからです。一枚目は常連さんですね。ラジオネーム『一樹君、大好きっ子ちゃん』からのお便りです」
どうやら本日の司会は、ラジオパーソナリティになりきるようだった。つっこむのも面倒くさいので、黙ってリスナーに回ることにする。
ちなみに、この昭和チックな匿名を使っている常連女子は、一樹ファンクラブの会長だ。
けっして表に姿を見せない謎の人物だが、ファンの女子たちが暴走して、一樹や周囲に迷惑をかけたりしないよう、影から色々と取り仕切ってくれるありがたいお方でもある。
宮原の声色が、綿菓子のように甘軽いギャル風に切り替わる。
「〝先日の料理講習会、『クッキーとタルトを極めてみよう』は最高でしたっ! 駅前にある『アンティーブ』の名パティシエによる講義も高尚でしたし、その話をわかりやすく伝えながら、私たちのテーブルを回って一緒に作業してくれた一樹君が、もう素敵すぎましたっ!〟」
おい、宮原。その声、キャピりすぎだろ。
「〝え? なんで詳しく知ってるのかって? ふっふっふっ。実はあの参加者三十人の中に、私もいたのです! でもでも、私の正体は秘密です。クッキーの生地を練るのを手伝ってもらったときに、一樹君のしなやかな指が私の指に重なりましたが、私は耐えました。心は天国へ旅立ってしまいましたが、鉄壁の無表情は崩しませんでした。ほめてください。私はこれからも一樹君だけでなく、料理協賛部の面白おかしいみなさんもまとめて、影から見守っていきますのでっ〟」
ファンクラブ会長には、もうすっかり『面白おかしい』面々として認識されているようだ。
「〝鉄の掟、『料理講習会のファンクラブ員参加は五人まで!』も、守り続けますのでご安心を。さてさて。学園祭が迫ってますが、料理協賛部は『部活参加』をするのでしょうか? もし参加するなら、わくわくがとまりませんっ〟
――だってさ。一樹、部活参加はどうするのぉ?」
学園祭のクラス参加はもちろん強制だが、部活参加は自由意志に任されている。
「それなんだがな。俺たち一年二組の出し物が、俺がコーヒーをいれて江口がパンを焼いて、ついでにくるみがプリンセスに女装する、童話モチーフの仮装カフェになったんだ」
その『ついで』が、もの凄く余分だ。
「間違いなく面白いことになりそうだから、クラスの出し物に専念したい。部活としての参加は、なしにしていいか?」
「それは、面白そうだねぇ。とくにくるみ君の『一人エレクトリカルパレード』が」
宮原が、にへらと笑って見てくる。
女装はするが、電飾をつけて『エレクトリカる』つもりはないぞ。
「うん、いいよぉ。私たちの一年四組も、出し物が『昭和の駄菓子屋』に決まって、大忙しになりそうだからね。エリヤも紫草君も賛成だと思うよぉ。二人とも日本に馴染みのない帰国子女だから、店のセット作りにすごく張り切ってるしぃ」
宮原と同じクラスである谷山エリヤさんと綾瀬紫草君は、料理協賛部の残りの部員だ。
公然とつき合っているこの二人は、帰国子女で言動がずれまくっているだけでなく、色々と漫画のように冗談めいたキャラをしているため、校内一有名な凸凹カップルでもあった。
「なら、クラスの出し物に専念することで決定だな。紫草と谷山さんには、里美から伝えといてくれ。ただ、料理協賛部の出し物に期待してる人たちをがっかりさせるのも悪いから、学園祭前に『出店向けの料理講習会』でも開いて、埋め合わせしようか」
一樹部長の提案に、宮原と同時にうなづいて了解する。
「じゃあ、次のお便りにうつるよぉ。次は、……うわぁ。鋼の生徒会長さんからの『おこおた』だね」
宮原の声色が、凍りつくように冷厳な女性のものにかわる。
「〝拝啓。料理協賛部部長、佐伯一樹様。料理協賛部のめざましい活動ぶりは、生徒会にも届いております。それだけに、既存の料理部との軋轢が懸念されます。『料理部』『製菓部』にも少なからず男子部員はおりますし、私と同じく、『佐伯一樹氏に欠片も魅力を感じない女子』もいる事実を肝に命じてください。そろそろ既存の料理部とも、部活名にふさわしい『協賛』をして、合同で講習会を開くなどして軋轢を解消する時期にきているかと、僭越ながら具申させていただきます。
敬具。生徒会会長、伽藍美翠〟」
伽藍美翠さんは二年生の女子でありながら、春から生徒会長をしている。
私立郷翔高校の個性豊かすぎる生徒たちを、毅然とした言動で見事に統率しており、実績不足の新設部を二十以上も容赦なく取り潰して、『鋼の生徒会長』と呼ばれるにいたった女傑だ。
きらりと光るおでこを全開にした、腰まで届く漆黒のひっつめ髪。
薄ぶちの眼鏡越しに白刃めいた鋭い眼光を向けられ、凜とした口調で命令されると、たとえ上級生の男子だろうと、
「Ураааааааааааааа!!」
と叫びをあげて、色々な意味で真っ赤に染まって傾倒してしまうほどのカリスマ性がある。
美咲さんの可愛らしい『委員長さんモード』とは、まさに対極の眼鏡っ娘キャラだった。
確かに、料理協賛部の講習会は、回を重ねるごとに評判が高まっており、最近では参加希望者があふれて抽選が必要なくらいだ。そろそろ、面白く思わない人も出てくるかもしれない。
「そうだな。いい機会だから、次の『出店向けの料理講習会』は、料理部と製菓部にも話をもちかけて、合同開催にしようか」
「異議なし」と一樹の意見に賛成すると、宮原はしきりに首をひねっていた。
「ねえねえ。これ、どう見ても筆跡が一緒じゃなぁい?」
宮原が調理台に開いた手紙の一つは、一樹ファンクラブ会長のものだ。
軽快な文体とは裏腹に、毛筆でしたためられた美麗な明朝体だ。
もう一方の手紙も、まったく同じ筆跡で、祝詞のごとく冷厳な文面が綴られている。
――その文末には、〝生徒会会長、伽藍美翠〟と署名されていた。
「まじかよ! 『一樹君、大好きっ子ちゃん』の正体って、あの鋼の――」
愕然となって声をあげてしまったが、一樹が唇に人差し指を立てているのを見て、慌てて口をつぐんだ。
隣にある広い家庭科室では、料理部が活動中なのだ。
「くるみも里美も、気づいていないことにしてやれよ。生徒会長が秘密にしてる趣味みたいなものなんだからな」
「おいおい。一樹は知ってたのかよ」
「そりゃあ、お前らほど鈍くないからな。伽藍女史は真面目すぎる人だから、どこかでこうやって壊れてバランスを取ってるんだよ。ああいった真剣に生きてる人のバランスメーカーになれるなら、アイドル扱いされるのも悪くはないさ」
一樹の言動は、中学一年の頃からこんな感じで達観している。
こいつは本当に同い年なんだろうか。マトリョーシカのように上半身を外したら、『説教好きな老師』が入ってそうだ。
「あ、『一樹君、大好きっ子ちゃん』から、今日の日付の手紙も届いてるよぉ。
〝生徒会から最新情報を聞きましたので、放課後ダッシュで投函してみましたっ。一樹君のクラスの出し物、ベーカリーカフェにするそうですね! しかも童話モチーフの仮装喫茶で、一樹君がマスターをして睦月君がプリンセス役をするだなんてっ! これはあれですか? あの『十二夜』のシーンを、この目で見られるのですか? あ。一樹君のクラスで噂になってた演劇の映像はもちろん、ファンクラブの資産として共有済みですっ。えへんっ。オーシーノ公爵がいれたコーヒーを飲みながら、ヴァイオラとの絡みを鑑賞できるだなんて……。もう心が天国へ旅立つどころではすまなくなりそうですが、私は耐えてみせますっ。私の正体は、絶対の絶対に秘密なのですっ。
――敬具。生徒会会長、伽藍美翠〟」
宮原が悪乗りしてつけ足したのだと思ったが、「ん」と差し出した手紙を見ると、文末にしっかりと署名がしてあった。
……しかも、赤いでかでかとした『生徒会承認』の印鑑まで、興奮気味に力強く押してある。
――おーい、鋼の生徒会長さーん! みずから正体をばらしてどうするのん!
「あ、あの人は真面目すぎる人だから、こ、こうやって壊れすぎる日もあるさ」
さすがの一樹も、額を押さえて動揺していた。
話があまり進んでませんが、せっかく枚数制限のないweb小説なので、キャラが動くがままに書いていくつもりです。





