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第六話 料理協賛部

 ふらふらと部室にたどり着いて椅子に座ると、家出していた魂がようやく戻ってきた。


「――ああああっ、やっちゃったああああああぁっ! 絶対に、美咲さんに嫌われたあっ」


 突っ伏した調理台はひんやりとして気持ちよかったが、押しつけた頬の熱はまるで引いてくれない。羞恥で顔中がとろけて、どこまでも身体が沈みこんでいく。


 所属する料理協賛部の部室であるこの小さな部屋は、二口コンロとシンクがついた調理台が中央に据えられた、家庭科準備室だった。

 料理協賛部の部長でもある一樹が、調理台の向かいに座ってなぐさめてくる。


「いや、あれは見事な逆転満塁ホームランだったぞ。あの一発で、委員長との距離がかなり近づいたんじゃないか?」

「どこが満塁ホームランだよ。自軍のベンチに座るエースに全力ピッチャー返し叩きこんで、負傷退場させたくらいの、やらかし具合だよ」


 おおっぴらに笑ったらさすがに悪いと思ったのか、一樹は両肘をついて顔を隠していたが、『いい男キャラ』が崩れるほど肩を痙攣させていたのでは、爆笑しているのが丸わかりだ。


 ……むかつく。


 一樹は高校に入学すると、なぜか演劇部ではなく料理系の部活を選んだ。

『料理部』と『製菓部』はあったものの、やはり部員は女子ばかりで、一樹は体験入部の一時間だけで上級生のお姉さんたちをめろめろにしてしまい、本能的に危険を察知したらしい。


 そんなところにチートキャラの一樹が飛びこめば、ほんわか料理系部活が女子プロレス部になって、そこかしこで『閃光魔術シャイニング・ウィザード』や『月面水爆ムーンサルト・プレス』が放たれる、一樹争奪バトルロイヤル会場と化してしまう。


 そんな理由で仕方なく設立したのが、この料理協賛部だった。

『協賛』の名のとおり料理を作る手助けをして、共に楽しみながら調理技術を向上させていくことを活動方針とした、一年生五人しか正式部員がいない小さな新設部だ。


 一樹が演劇部に入らなかったのは、中学時代に燃え尽きてしまったからではない。

 むしろ逆で、今後どんな職業につこうとも、その片側では演劇活動を続けているだろうと確信できるほど、魂に火が灯ってしまったのである。

 演劇漬けの人生になると悟ったからこそ、あえて高校では演劇から距離を置いて、その他のやりたいことをやりつくしてやろうと考えたのだそうだ。


 今回は一樹に手を引かれていないが、その人生観には共感してしまった。

 ――もはや一生離れられないと確信できるほど、演劇の魅力に取り憑かれているのは同じだ。

 だからこそ一樹と同じ理由で、高校演劇部の熱烈な勧誘を蹴ってまで、このあやしい新設部に加入して、親友と高校生活を楽しむ道を選んだのである。


 本日の部活動は、校内一有名な凸凹カップルが休みなため、部員三人のみの参加だ。

 ほわほわとした舌っ足らずな口調で話しかけてきたのは、女子部員である小動物キャラ、宮原みやはら里美さとみだった。


「くるみ君、なにがあったのぉ? 可愛い顔がとろけて、ゆるキャラみたいになってるよぉ」


 高校生どころか中学生にすら見えない、ちんまりとしたブレザー姿を調理台に乗り上げさせ、宙に浮いた小さな足をばたつかせて、台の中央まで這いずってくる。栗色をした肩までのショートヘアがふわりと広がり、サイドに小さく結われた三つ編みが揺れる。

 のぞきこんできた大きな瞳は、珍妙な蝶でも見つけた幼女のように爛々と輝いていた。


 世界一幸せな動物として知られる、クアッカワラビーにも負けないあどけなさ。

 宮原の必殺の笑顔を見ていると、なにもかもがどうでもよくなるほど脱力してしまう。


 一瞬なんでここに小学校低学年生がいるのかと思うが、宮原は一年四組に所属する、れっきとした女子高校生だ。

 一樹の幼馴染みであり、中学の演劇部でも一緒だった腐れ縁だが、ちんまりとした外見が三年前からまるでかわっていないのは、かなりのミステリーである。


「可愛いだけ余計だ。ゆるキャラ名誉グランプリの小学生にいわれたくないよ」

「ぶー。私もう高校生だよぉ。一樹と一緒なら、一番凄いジェットコースターでも係員に止められないしぃ。それに、『名誉ぴちぴち女子高生』のくるみ君にはいわれたくない」

「……宮原。お互い、容姿をけなしてボディーブローを打ち合うのはやめようか」

「うん、わかった。お互い、ほめるだけにしようね。くるみ君は今日も世界一可愛いよぉ」

「だから、肝臓打ち(レバーブロー)はやめて」


 宮原が餌をねだる猫のように、丸めた手でちょいちょいと空の菓子皿をつついた。

 小動物もどきの意図を察した一樹が、先日の部活動で作ったチョコチップやドライフルーツが入ったクッキーを冷蔵庫から出して、菓子皿にどさどさと投入する。


「飲み物作るけど、なにがいい。くるみが落ち着くように、ハーブティーでも入れるか?」


 一樹はコーヒーだけでなく、あらゆるホットドリンクを作る腕前もプロ級だ。

 一樹に任せれば、十種類以上も常備しているハーブを調合して、間違いなく気持ちが晴れやかになる『至高の一杯』を作ってくれるだろうが……。


「うーん。今は落ち着くより、自分の馬鹿さ加減をぶん殴りたい気分だから、宮原に頼むよ。一樹の特訓で、だいぶ上達したんだろ? 濃いめのコーヒーを一杯いれてくれ」

「いいのぉ? 私がコーヒーいれると、アメリカンのつもりでも特濃のエスプレッソになっちゃうけど」


 宮原は、破局的なドジっ娘なうえに、いわゆる『メシマズ』女子だ。

 パスタを湯切りすれば三角コーナーに『天空落とし』をかますし、どの料理も調理中に悪霊が出たのかと思うほど『盛り塩』されている。

 一樹の手料理による甘やかしの影響で、舌が異様に肥えた美食家に育ったせいで、自分が作る料理の味見をしたがらないのも、メシマズの一因だろう。


 ただ、根気強く教えれば常人程度には上達するため、部活主催の講習会では、『宮原が理解できるように教えれば、誰でもレシピをマスターできる』という便利な指針ともなっていた。


「豆の量を守って、口の中で人力ドリップが必要なくらい、粉まみれにしなければいいよ」


 オーダーを伝えると、宮原が「やたっ」と喜んで、調理台から飛び降りた。

 準備室にある棚を開けていそいそと器具を準備し始めるが、調理台ではしゃいでいたため、ブレザーの背中やスカートがまくれ上がって、背中どころか白い下着まであらわになっている。


 同い年の女子のぱんつが見えているのに、微笑ましさしか感じないのが宮原の凄いところだ。

 母親モードになった一樹が、呆れ顔でスカートを直して、ブレザーの下にあるシャツの裾をしまってやっている。


「おい里美、はしたなさすぎだ。高校生になった自覚があるなら、くるみを見習って、もう少し女らしい気品を身につけろよ」


 ……別に、女らしい気品を磨いてるつもりはないんですけど。


 お菓子やコーヒーが常備されていると誤解されそうだが、専門職志望が集まる私立郷翔高校の文化部は、漫画やアニメにありがちな『おしゃべり部』のように甘くはない。


 生徒の社会的自立を尊重する校風のお陰で、文化部の新設こそ簡単にできるが、明確な活動実績を残せずに一か月が経過すると、その時点で容赦なく廃部にされてしまうからだ。

 そのため料理協賛部も二週間に一度は、和洋中の人気料理や各種スイーツなどのテーマを決めて、専門知識をもつ生徒や一般料理人を臨時講師に招いて、講習会を開いているのである。


 エスプレッソを作るためのマキネッタやフレンチプレスもあったはずだが、初級バリスタの宮原が用意したのは、ごく普通のドリッパーだった。


 一樹の一番弟子だけあって、コーヒーを作る手つきは宮原らしくもなく洗練されていた。

 一・五倍量の豆をハンドミルで細挽きして、ペーパーをセットしたドリッパーに粉を入れる。

 沸騰してからしばらく冷ましたポットを傾け、粉を蒸らして十分に膨らませてから、豆のすべての成分を抽出するように、数回に分けてゆっくりとお湯をそそいでいく。


 上質な豆の湿った香りが準備室一杯に広がり、乾いていた頭の芯が潤されていく。

 やがて差し出されたコーヒーは、見た目と香りだけならかなり美味しそうだった。


 まずはスプーンで黒い液体をすくい、唇を尖らせてフーフーと冷ましてから、

 ――手の甲に、ぽたりと落としてみた。


「パッチテストから入るなぁ! いきなり口に入れても大丈夫だから!」

「ごめん。宮原作の劇薬だと思ったら、つい怖くなって毒見の手順に入っちゃった」

「劇薬いうな。毒見の手順って、次はどうするのぉ?」

「試しに口にふくんでみて、すぐに吐き出す」

「ひどい!」


 さすがに宮原に悪いので、カップに唇をつけて口内へ一口分そそいでみた。

 とんでもなく濃厚で、ガツンと頭の奥をカフェインで殴られるような衝撃があった。

 だが一樹が常備している高級豆の旨味があますところなく抽出されており、鼻腔に染み入った濃密すぎる香りも、鬱屈を無理矢理洗い流すように爽快だ。

 ごくりと飲みこんでみると、暴力的な苦みがこみあげてきたが、その刺激がかえって大人の気分にひたれる心地よい後味になっている。


「うん。香りと苦みの暴力が凄い。痛めつけたいと思ってた心に、いい感じに継続ダメージが入ってくれる。のんびり毒の沼を散歩してるみたいだ」

「いいかたあ!」

「冗談はそこまでにして、これはこれで美味しいよ。ちゃんとしたエスプレッソもどきになってる。ドリッパーだけで、ここまで濃く苦みと旨味のバランスよくいれられるなら上出来だろ。一樹には当然かなわないけど、もう俺よりはコーヒーをいれるのがうまくなってると思うぞ」


 ついほめてしまうと、宮原がちんまりとしたブレザー姿をそらせて調子に乗りだした。


「むふふふっ。こう見えて私も、日々成長してるからねぇ。くるみ君にはわからない事情を、色々と秘めているのだよぉ。ほら、いわゆる『わけありの女』ってやつ?」


 おい、宮原。言葉の意味を間違えてるぞ。

 この小学生もどきに、いったいどんな『わけ』が存在するのやら。

 半眼になった一樹が、幼馴染みの小動物を見る。


「なんだ里美。もう賞味期限ぎりぎりなのか?」

「『わけあり商品』じゃないよ!」


 むふうと宮原がむくれた。

 カフェシリーズのメインキャラの一人、宮原里美の紹介回です。

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