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第五話 美咲さんの変身

 フラッシュモブのストップモーションのごとく、教室の時間が止まった。

 あまりのやらかし具合に、塩の柱と化してしまう。


 美咲さんの両目が見開かれ、大きな瞳が急に色褪せて弱々しくなり、視点が遠くなる。


「と、と、突然、なにを恥ずかしいこと聞いてくるのかな!? 睦月君は!」


 やばいと思った。

 ――美咲さんが『変身』してしまう!


 美咲さんの腰には、特注品の眼鏡ケースが拳銃のホルスターのように巻かれている。なぜそんなものをつけているのかといえば、急に目が見えなくなっても即座に対応できるようにだ。


 ケースのボタンを押して飛び出してきた眼鏡を、美咲さんがまさに早撃ちするような速度で抜いて顔に装着する。

 キッと見つめ返してきた瞳は、大きな赤ぶち眼鏡越しにもわかるほど潤んでおり、ぐるぐるとした渦巻きが見えそうなほど揺れ乱れていた。


 美咲さんは極度に動揺すると、視力が著しく落ちてしまう疾患があるのだ。

 そうして目が見えなくなると精神的に不安定になり、どうしても気弱になってしまうらしい。


 包容力に満ち満ちた、頼れるお姉さんキャラはどこへやら。

 借りられまくったサーバルキャットのように縮こまって震える美咲さんが、「あううぅ」と潤んだ上目遣いで威嚇してくる。


 これは美咲さんが誇張して振る舞っているわけでも、ましてやあざといキャラ作りでやっているわけでもない。この身につまされそうな動揺と混乱ぶりを見れば、笑い話にできない深刻な疾患なのだと、誰もが肌でわかってしまう。


 突然、物が判別できないほどに視力が落ちたら、不安にならない人間なんていないだろう。美咲さんはその動揺が、たまたま強くでてしまうだけなのだ。


 本人には深刻な問題だとしても、二回りは縮んで見える小動物キャラへ変化した美咲さんは、その落差もあいまって、もうとんでもなく可愛い。

 こうなった美咲さんは『委員長さんモード』と呼ばれて、クラスを率いるお姉さんはたがしらから一転、みなで忠誠を尽くして庇護せずにはいられない、大名だいみょう駕籠かごに入った小心お姫様へとジョブチェンジするのだ。


 そんな眼鏡っ子キャラに変身してしまった美咲さんが、あわあわと唇を開く。


「わ、わ、わたしに彼氏がいたことなんて、ま、まだ一度も……――――――っ!!」


 正直に告白してしまった美咲さんが、声にならない叫びを漏らした。

 眼鏡の赤ぶちと同じくらいボッと紅潮した小顔を伏せると、ふらふらと歩き出してしまう。壇上へ戻るのかと思えば、混乱した美咲さんは教室をジグザクに横断して、茂みへ分け入るように机と椅子の迷路を無理矢理抜けていく。

 そのまま、教室の中心にある自分の席につくと、机に突っ伏してしまった。


 美咲さんに集中していた全員の視線が、教卓へ向けられる。

 ……生徒HR(ホームルーム)の司会がいなくなった。


「こらあっ、睦月君! 姉御をいじめるなあっ!」


 女子の中でも小柄な御劔みつるぎさやかさんが、ショートボブの髪を揺らして立ち上がった。

 クラス委員の補佐もしている御劔さんは、憧れていると公言する美咲さんが小心お姫様におなり遊ばされると、いつも真っ先に助けに入る近衛隊長だ。


 他の女子からも一斉に、からかい混じりの柔らかいブーイングが浴びせられる。


 それにしても、彼氏がいるか聞いただけで、なぜここまで動揺するのだろう。

 いくら男性恐怖症とはいっても、美咲さんはクラスを束ねる気丈なお姉さんなのだ。たとえセクハラまがいの言動をされても、三倍返しで反撃できる対応力はもっているはずなのに。


 女子たちに非難されるまでもなく、猛烈に自己嫌悪してしまう。美咲さんの疾患を笑い物にしてしまったようで、心がキリキリと締めつけられる。

 居ても立ってもいられなくなり、慌てて美咲さんに弁明した。


「と、突然、変なことを聞いてごめん! 今の美咲さんと同じで、もの凄く混乱してたんだ。で、でも美咲さんをからかったわけじゃ絶対なくて、本当に聞きたかったことがつい口に出ちゃっただけで、なんで彼氏がいるか聞きたかったかっていうと、俺はずっと美咲さんを……」


 あ、あれ? これ公開告白になってない?

 またも暴走しているのに気づいて、危ういところで口をつぐんだが、

 ――もう手遅れだった。


 その告白の続きを察したのだろう。机に突っ伏した美咲さんの黒髪から、なまめかしくのぞいている首筋や形のいい耳が、みるみる可愛らしい朱色に紅潮していく。

 美咲さんはますます机と一体化して、ゆでたてのエスカルゴになってしまった。


「こらあっ、睦月君! 姉御をHR(ホームルーム)中にナンパするなあっ!」


 御劔さんが怒鳴ると、教室中がどっと沸いた。

 女子だけでなく、おもしろ荒くれ男子たちにもはやし立てられ、正気に戻った脳味噌がぐらぐらと沸騰する。美咲さんに負けないほど赤面して、顔から火を噴きそうになる。


 斜め後ろの席から、がたりと起立して窮地を救ってくれたのは、意外にも江口だった。

 巨体をくねらせ、野太い声を裏返らせて、クラスメイト全員の腰を砕いてくる。


「もう。ちょっと男子ぃー! うーるーさーいー。そんなに騒いでると、隣のクラスから苦情が来ちゃうでしょお? 早く静かにしないと、クラスの『第二お姉さん』が大胸筋と腹直筋で謝肉祭カーニバルしちゃうぞー」


 このおちゃらけ筋肉お化けは、ことあるごとに気持ち悪いオネエ言葉になったり、ことあるごとに筋肉を見せつけてきたりして、教室全体に致命的な脱力デバフ攻撃をしかけてくる。


 ――いや、お前もバリバリの男子だろ?

 そして、隙あらば脱ごうとするな。


 ブレザーを脱ぎ捨てた江口が、死へのカウントダウンをするようにシャツのボタンを外していくと、教室中が戦慄してざわついた。

 そんな中で糸目をニコニコとさせたまま、拾ったブレザーにブラシまでかけて畳んであげている斉藤みつる君は、さすがにほとけすぎると思う。


 美咲さんが退場したときの真打ち、一樹が頭痛をこらえるように額を押さえて立ち上がった。


「放課後の時間がもったいないから、さっさとHR(ホームルーム)を終わらせようか。それから、お前ら。『いない者』の相手をするのはよせ。やばいんだよ、そいつは。呪い殺されるぞ」

「死者みたいな扱いはやめてえ! ここにいるから! 筋肉が健気に生きてるから!」


 半裸になりかけた江口に構わず、一樹が壇上に立った。


「くるみが暴走したせいで、委員長が『委員長モード』になったまま戻りそうにないからな。あとは決定事項の確認だけだから、司会は俺が引き継ぐぞ」


 一樹がてきぱきと処理してくれたお陰で、ようやく狂乱のHR(ホームルーム)が終わってくれた。

 以前の『farcical cafe』では、美咲さんのキャラが弱いという意見を多数いただいてましたので、色々な意味で三倍にしてみました。

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