第三話 女顔の受難
「ちなみに、プリンセス役を選出したさっきの挙手投票では、委員長にダブルスコアをつけて、くるみの圧倒的大勝利だ。喜べよ」
「喜べるかよ。なんで美咲さんを差し置いて、俺が圧倒的に推薦されなくちゃいけないんだよ」
赤くなった額をこすりつつ顔をあげると、一樹が『なにをあたりまえのことを』といいたげな半眼になっていた。
「そりゃあ、お前の顔が、可愛いからに決まってるだろ」
カレーにはソースだろ、とでもいうような口調。一樹に遠慮なく串刺しにされて、のたうち回りたくなってきた。
ああ、そうさ。どうせ、生まれながらの女顔さ。変な意味で男にもてるさ。
思えば昔から、この顔のせいで、ろくなことがなかった。
なにしろ幼い頃は、初対面の人から一度も、男の子だと思われたことがなかったのだ。
ショッピングモールで男子トイレへ入ろうものなら、店員のお姉さんに「お嬢ちゃんは、こっちじゃないのよ~」といって連れ出されていたし、両親や一つ上の姉に女物の服を着せられて、おもちゃにされるのは、ざらだった。
小学生の頃に初告白を受けたのは男友達からだったし、ホワイトデーにはいつも、抱えきれないほどのキャンディーやマカロンをもらった。みんなは洒落だと笑って渡してきたが、ほとんどのやつらが本気の目をしていたのは、子供心に恐怖だった。
それに、忘れもしない中学二年。初めておつきあいした年下の彼女に、誰もいない家へ招待されたときのことだ。
彼女は部屋に招き入れると鍵をかけ、恥ずかしそうに頬を赤らめながらこういった。
「あ、あの。くるみ先輩にお化粧してもいいですか?」
その後のどたばたは省略するが、とにかく、万事がこの調子なのだ。
それにしても、学園祭で喫茶店で女装とは、あまりにもベタすぎる。
だが、そんなありふれた内容でも、実際にやらされるとなれば別だ。
いくら異世界転生ものが流行っているからといっても、誰も蜘蛛になったりスライムになったり骸骨になったり幼女になったりなど、したくはないだろう。
「だいたい、いくら女顔でも、高校生にもなって女装したって、気持ち悪いだけだろ。俺も高校に入ってから、こんなに男らしい見た目になったんだからさ」
小声で話したつもりだったが――、
「「「「――その顔の、どこが男らしいんだよ!!」」」」
クラスの男女全員から、激しく突っこまれてしまった。
なんと美咲さんまで男口調の声を重ねて、教壇からびしりと指をつきつけている。
――な、なんで集中攻撃? しかも美咲さんまで。
はっと我に返ったらしき美咲さんが、目元を片手で隠して肩を揺らした。照れ隠しなのか、背筋が震えそうに魅力的なテノールを作っていいわけをする。
「まったく、君ってやつは……。ついつい、一年ぶりに突っこんでしまったよ」
芝居がかった男声を響かせて、美咲さんが頭を左右に振ると、みんながどっと笑った。
さすがは、美咲様。抜群の乗りのよさだ。
一樹が美咲さんに目礼して口端を弛めてから、ふと片眉をぴくりと持ちあげた。
「ああ、そうか。くるみは、鏡を見るのが苦手だったもんな。自覚がないはずだ」
この女顔は、もうすっかり諦めモードに入っているため、今ではそれほど嫌いではない。だが中学までは、容姿が軽いトラウマになっていたせいで、いまだに鏡を見るのが苦手なのだ。
朝に身だしなみを整えるときも、鏡で注視するのは顔のパーツのみで、全体の容貌はぼんやりと確認するだけ。外では、鏡やガラスに映った姿を、あえて意識から外している。
そんな曖昧な認識だが、高校生になってからは、だいぶ男らしくなった自信はあるのだ。
「容姿のトラウマは中学で克服できたんだから、そろそろ鏡くらい、普通に見られるようにならないとな。自分の顔なんだから、せめて自分は愛してやれよ」
一樹が机の横にかけてある鞄を探り、大きな折り畳み鏡を取り出した。
中学の頃から演劇用のメイク術を勉強している一樹は、その冴えたセンスを買われて、高校でも演劇部のメイクを頼まれることが多いため、こうした化粧道具を常備しているのだ。
「とりあえずは、今のくるみが、どれほど『男らしい顔』に成長したのかを、確認することから始めてみようか」
仕上がりぶりを誇る美容師のような得意顔になった一樹が、開いた鏡を突き出してくる。
ひいき目が作用する家の中以外で、鏡を直視したのは数年ぶりだった。
いつの間にか、
――もう女顔どころでは、なくなっていた。
目と耳にかかる、さらさらとしたショートヘア。瞬きのたびに長い睫毛が艶を散らして、くりくりとした瞳の大きさと澄み具合が、目の奥に吸いこまれそうなほど引き立てられる。
白くきめ細かな顔肌には、髭どころか産毛すら生えていない。小さくも通った鼻筋に、桜色の小さな唇。それら顔のパーツが、卵型の輪郭にそつなく収まっている。
男子のブレザーを着ているというのに、男を感じる要素が欠片もない。どう客観的に見ても、いかにも男の目を惹きそうな、まことに可愛らしい女の子が映っていた。
せめてもの抵抗に、きりりと男らしい顔を作ってみると、少女らしい造形が引き締まって、切れ長になった目や伏せた睫毛から、大人の女性の色気まで滲み出してしまう。
中学時代の演劇部で、表情筋を鍛えすぎた影響だろう。ほんの少し感情を揺らがせただけで、笑ったり怒ったり憂いを帯びたりと表情がくるくるかわり、魅力的な百面相を演じてしまう。
なかばやけくそで、親指と人差し指と小指を立てた右手を頬に寄せて、『キラッ』と決めポーズをとって微笑んでみる。
密かに盗み見ていた男子二人が、光の矢に貫かれて、真っ赤な顔になって突っ伏した。
「どうだ? 『女らしさ』に磨きがかかっただろう?」
一樹に駄目押しされ、机に両腕をついて、がっくりとうなだれてしまった。
「お、俺はこんな顔で、のうのうと高校生活を送って、周囲に恥を振りまいていたのか」
「安心しろ。くるみが所構わず振りまいてたのは、恥じゃなくて魅力と愛嬌だ。もう男子四クラス分は、『人心掌握』が完了してるぞ」
鏡を鞄にしまった一樹が、憎らしい笑顔で、びしりと親指を立ててくる。
脱力のため息が、はううと漏れた。
「そんな掌握、嬉しくない……。高校に入ってからは、顔を見て硬直されることは増えたけど、女顔は指摘されなくなったから、てっきり男らしい見た目に成長したんだと安心してたのに……」
「そりゃあ、くるみの女顔は、気軽にからかえるレベルを超えてるからな。このクラスの連中はやさしいから、くるみが気にしてるだろうと、あえて容姿にふれないようにしてきたんだよ」
「だったら、なんでクラスの『やさしさ』が『激しさ』になったんだ? クラスの運営会社が、『任×堂』から『フ×ム・ソフトウェア』にかわったのか?」
顔を上げると、一樹の視線が、世界記録並のクロールで泳いでいた。
「あのな、くるみ。一つ、謝らなきゃいけないことがある」
「……なにかな? 容疑者その一」
最高に険悪そうな顔をなんとか作り、一樹を冷たく睨んだ。
「いや、事の発端は、俺が江口に貸したDVDなんだけどな」
「DVD?」
「江口が、俺たちの演劇を見たがってたから、中学時代に制作した記念DVDを貸したんだ」
「どのやつだ?」
「見せる映像なんて決まってるだろ。俺たちの集大成。中学三年のときに出場した、全国中等部演劇大会のやつだよ」
頭を抱えてしまう。シェイクスピアの喜劇、『十二夜』を現代風にアレンジした劇で、男装した少女であるヴァイオラを演じたやつだ。
「あれを見た江口が、お前に惚れたらしくてな。『この男装してる女の子を紹介してくれ』ってしつこかったんだ。そりゃあ最初は、違う高校に行ったやつだとか、ごまかしてたけどな。江口の入れこみようが本気だったから、内心怖くなってきたんだ。で、江口の目を覚ましてやろうと思って……」
「で、話したのか? これは『男装してる女の子』じゃなくて、『男装してる女の子を演じてる男の子』だって?」
「ご名答」
「はうう」
なめくじのように脱力して、机にへばりついた。いっそ、塩でもかけてほしい。
以前より、くるみ君の女の子ぶりが三倍になってます。