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第二話 カフェの看板キャラ

 すでに校庭の木々は、季節を先取りするように黄昏たそがれ色にがれはじめている。もう夕暮れ時は肌寒くなる時期だが、窓が締め切られているため、教室はほんのりと暖かい。

 髪と肌が焼ける微かな匂い。美咲さんの快活そうな声。深海に降る雪のように、ゆっくりと時間がすぎていく。


 そのまま呼びかけられなければ、陽だまりでまどろみすぎて絨毯になってしまった猫のように、とろとろになっていたかもしれない。


「……るみ君……おーい。睦月むつきくるみ君?」


 白い霧の彼方から、誰かが名前を呼んでいる。この可憐な声は、まさか……。


「――はいいいぃっ」


 急速冷凍されたシャチホコのように、背筋を正して立ち上がった。

 美咲さんの澄んだ瞳が、教壇から真っ直ぐに向けられている。


「みんなは睦月君を圧倒的に推薦してるけど、睦月君の意見はどうかな?」


 ま、まずい。聞いてなかった。なんのことだろう?


「睦月君がやりたくなければ、遠慮なく断ってもいいんだよ?」


 憧れの美咲さんに話しかけられると、校長先生に呼び止められたときのように、いつも緊張してしまう。しかも、今はクラス中が二人のやり取りに注目しているのだ。


 ばくばくと暴れまわる心臓をなだめ、気を落ち着かせた。話の展開から考えると、たぶん、なんらかの係りを割り当てられたのだろう。

 なんだか知らないが、この一年二組は『笑顔が絶えないアットホームなクラス』なのだ。それほど、ひどい役を推薦されたとは思えない。

 それに、ここで断ったら美咲さんにも悪印象だ。


「別に、俺は構わないけど……」


 顎を反らしたキメ顔で美咲さんに笑みを返し、精一杯に格好をつけて引き受けた。

 とたんに教室が、帽子でも飛び交いそうに、わっと沸き立った。担任であるテスト作りが趣味の男性数学教師、天ヶあまがさきひじり先生がもし立ち会っていたならば、満面の笑みで十個単位の難問を作成していただろう馬鹿騒ぎぶりだ。


 なんだ、なんだ?


「え? ほ、本当にいいの? 睦月君」


 美咲さんの麗しいお姉さん顔が、心配そうに曇る。


 ちょっと待て! 美咲さんが、激戦地に志願した弟を見送るような目をしてるぞー!

 お前ら、いったい、なにをやらせるつもりなんだー!

 嫌な予感が激しくしてきたが、今さら断っては男がすたる。


「大丈夫だって。どってことないよ」


 そういうしかないじゃないか。

 ふたたび沸き返るクラスメイトたちの声を聞きながら、力なく席についた。

 前の席に座る佐伯さえき一樹かずきが、身体ごと振り返った。


「よくもまあ引き受けたな、くるみ。いつから人生、投げ捨てたんだ?」


 クラスの女子代表が美咲さんならば、おもしろ荒くれ男子たちを束ねる旗頭は、この一樹だ。

 一樹は特段にイケメンではないし、背丈も中ぐらい。しかし、人目を惹きつける引力が中性子星並みに凄いせいで、すらりと引き締まったブレザー姿が、三割どころか三倍増しに格好よく見える、羨ましいやつなのだ。

 おまけに、化け物じみて運動神経がいいため、体育で球技でもやろうものなら、『どこの漫画キャラだ?』と呆れるほどのテクニカルプレイを連発して、点数と女子の声援を根こそぎ略奪していってしまう。


 そのせいで、高校に入学してまだ半年だというのに、三年の女子も多数加入している非公式ファンクラブまで存在していたりもする。

 そんなチートキャラの一樹が、演技過剰なほどの呆れ顔をしていた。


「なあ、一樹。一つ聞きたいんだけど」

「なんだ?」

「俺って、なにをやることになったんだ?」


 予想どおり、一樹はぽかんとなった。


「くるみ、ひょっとして脳味噌飛んでたか?」

「ああ。ちょっと、軽くクエーサーあたりまでな」


 一樹は頭を降った。『ご臨終です』と告げる医者のようだ。


「なあ、教えてくれよ。中学から、クラスも部活も一緒の親友だろ?」

「クラスがずっと一緒だったのは偶然だろ? 演劇部でも一緒だったのは、俺も演劇が好きだからだよ。まあ、高校で作ってみた『料理協賛部』にまで、くるみがついてくるとは思わなかったけどな」

「そんな冷たいこといわないでさ。一樹えも~ん」

「だれが、一樹えもんだよ」


 一樹は昔から妙に落ち着いたところがある。言動が大人びているうえ、この人目を惹く雰囲気のせいで、冗談と本気を見分けるのが今だに難しい。

 だが、その憎まれ口の九割が、洒落なことくらいは知っている。


「つまりな、くるみはカフェの看板キャラにされたんだ」

「看板キャラ?」

「ようするに、カフェの顔だな。注文を聞いたり飲み物を運んだりしながら、客に愛想をふりまく仕事だ」


 なんだ、ウェイターか。それほど酷い仕事ではないじゃないか。まあ、カフェの顔となるからには、それなりに大変なんだろうけど。

 訳がわからないといった顔をしていると、一樹が聞いてきた。


「で、どこまで話を聞いていたんだ?」

「えーと。クラスの出し物が、ベーカリーカフェになったってところまで」

「俺がカウンターの中をやって、江口がパンを焼くってことは?」

「あ、聞いてた気がする」


 一樹の家は、自家焙煎が人気の喫茶店を営んでいる。そのためか一樹のいれるコーヒーは、有名カフェチェーン店のブレンド程度では太刀打ちできないほどおいしい。


 対して江口の家は、全国版の情報誌に載るほど評判のベーカリーショップを経営している。小学生の頃から店を手伝っているそうで、今では店の全仕事を一人前にこなせるらしい。


「俺と江口が組めば、学園祭の出店レベルじゃすまないだろ。そんじょそこらの喫茶店には、負けないと思うぜ?」


 一樹と江口は専門分野だけでなく、あらゆる料理の腕もセミプロ級だ。コーヒーとパンだけでなく、どんな軽食やスイーツもメニューに入れられるだろう。

 この二人が組んだカフェならば、東京のグルメ街に出店しても成功しそうである。

 心がぴょんぴょんするほど楽しみだ。


「ただ、ちょっと演出面で物足りないかなって話になってな。なにせ郷翔高校学園祭は、全国的に有名だ。目と舌の肥えた一般客も多いだろうからな」


 愛知県神柳(かみやなぎ)町にあるこの私立郷翔高校は、かなり特殊な学校だった。

 生徒の社会的自立を尊重しているため、仕事などの正当な理由があれば自由に学校を休んで、夜間や休日に行われる補習で単位をまかなえるようになっているのだ。

 その自由な校風のお陰で受験倍率も高まるばかりで、近年の偏差値は県内トップレベルにまで上がっている。


 生徒の六割が、家業の手伝いや専門職の見習いとして働きながら通学しており、役者やご当地アイドルなどの活動をする生徒もいるため、周囲からは『芸能学校』とも呼ばれて羨望されている人気校なのだ。


 そんな校風もあって、十一月三日の文化の日から二日間行われる郷翔高校学園祭は、なんらかの専門知識を身に着けている生徒が多い関係で、どの出し物も非常にレベルが高い。

 生徒のみで行われる初日こそ平穏だが、一般公開される二日目ともなると、毎年一万人以上もの来場者が詰めかけ、複数のメディアが取材に来るほどの有名イベントとなっているのだ。


「だからな。クラスの全員で、童話をモチーフにした仮装をすることになったんだよ」

「仮装喫茶ってわけか。本格カフェが、いきなり色物になったな。――で、看板キャラの俺は、どんな仮装をやればいいんだ? やっぱり、着ぐるみか?」


 美咲さんがあれだけ心配しているのだから、かなりモコモコな着ぐるみウェイターにさせられるのかもしれない。

 接客するのは体力的にきつそうだなと考えていると、一樹に肩をすくめられた。


「おいおい、童話の主役キャラなんだぞ? そんなの決まってるだろ。――プリンセスだよ」

「んあぁっ!?」


 思わず奇声を発してしまった。


「ど、どうしたの? 睦月君」


 驚いた美咲さんが、大きな目をぱちくりとさせた。


「いえ、なんでもないでちゅる」


 動揺のあまり、語尾がちゅるってしまった。

 呆然となりながら、恐る恐る一樹に聞いてみる。


「ようするに、俺の役割って、まさか……」


 一樹が、にこりと唇をゆるめた。ファンクラブの女子が見たら卒倒せんばかりの、色気あふれる大人びた笑みを作り、容赦なくとどめをさしてくる。


「そうだよ。きらびやかなドレスで女装して、お姫様に変身チェンジ・プリンセスフォームだ。がんばれよ、カフェの看板娘」


 ごつんと教室中に響いたのは、うなだれた拍子に机へ打ちつけた頭の音だった。

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