78.東西南北の級友よ
*数日後*
「ぐー…………んー……」
助手席でぐっすり眠っているエルマを起こさないように、慎重に車を停めた。
時刻は朝5時、予定通り到着だ。
クラス3全国選手権・最終戦の舞台、ベルディサーキット。
言わずと知れたモータースポーツの聖地であり、この国で最も有名なサーキットでもある。
タイヤが左右均等に摩耗する、立体交差を挟んだ8の字レイアウト。前半はテクニカルセクション、後半は高速サーキットという相反する二つの特徴を併せ持ったこのベルディサーキットは、世界からの評価も高い。
俺はZを降りて、大きく深呼吸した。
エルマはもうしばらく寝かせてあげよう。
俺が手続きしたりピットに物を運んでいる間に、ほんの少し空は明るくなった。
駐車場も数々の車やトラックで埋まり、サーキットに活気が生まれる。
これだ。この雰囲気こそが、最終戦の舞台にふさわしい。
「おーい、エルマ。起きろー」
「ん、あれ? ……私……寝てた!?」
「爆睡してた」
「ごめん! 急いで準備しよ!」
突然スイッチが入り、いそいそと作業を始めるエルマ。
もう少ししたらおっちゃんとシビくんも来るだろう。
と思っていたとき、後ろから声を掛けられる。
「よう。やっぱ朝には強いんだな、昔っから」
俺は瞬時にその声の主を理解し、思わず笑みがこぼれた。
「そういうウラクは、今日も寝坊したのか?」
「へっ、してねぇよ」
振り返り、握手する。
「なんだかんだ言って、俺はレイと勝負するの楽しみにしてたんだぜ」
「俺もだよ。サーキットで争うのは……二年ぶりか」
「ああ。卒業式以来だな」
あの頃の思い出は依然として脳裏に深く刻まれている。
何年経っても忘れないものなのだろうか。
「長いんだか短いんだかよくわかんねえよな……まあ、お互い頑張ろうぜ。勝つのは俺だけどよ」
「相変わらず自信だけはあるんだな、お前」
「今日ばかりは自信だけじゃなく、最高の車とそれに見合うテクニックも揃えたぜ」
「はいはい。じゃあな」
こっちにだって最高の車ならあるんだよ、と俺はZをなでる。
*ウラク*
あの様子じゃ、レイは自分が勝つと信じて疑ってねえようだな。
安心して待ってろ。んな幻想は、俺が満を持して砕いてやるよ。
俺が割り当てられたピットに向かって歩いていると、エルマとすれ違った。
レイが働いてるガレージの従業員で、あいつのメカニック。
「ん……なあ、エルマ」
振り返ったときの表情からして、俺の存在に驚いているようだった。
ったく、俺がランキング上位に入らない訳ないだろ。
まあそんなことは今はどうでもいいが。
「あれ、ウラク。久しぶり――――あの話?」
「察しが早くて助かるぜ」
あんま大っぴらにする話でもねえからな。
俺はなるべく誰にも聞かれずに、会話を続けた。
「結局あの後、あいつのZに目立ったダメージはあったのか?」
「んーと、サスペンションに亀裂が入ってたから交換した。あと……なんか、スーパーチャージャーがおかしいんだよね」
「やっぱ結構大きかったか……」
あの後。
レイが首都高でスピンした日、俺は『Zは無傷だった』とあいつに伝えた。
あれは嘘だ。
そもそもレイは自分のミスでスピンしたと思っているが、実際のところはZの右リアタイヤがパンクしたことによってコントロールを失った。
意識を失ったレイを乗せて俺がZを運転できたのは、Zのトランクに予備のタイヤがあったからだ。
ほんと、あいつはこういうところに妥協しないよな。
ともかく俺がなぜ嘘をついたかというと、一言でいえばレイに心配をかけないためだ。
だってそうだろ? 少なくともあいつは外傷や衝撃によって意識を失った訳じゃねえ。
つまり、スピンで――――例えば昔のトラウマが蘇ったとか、そんなところだろうな。
別に俺はそこに関して深く突っ込むつもりはないぜ。
とりあえずレイをいったん安心させ、Zの修復はあいつにバレないように、エルマにこそっと依頼した。
あいつの様子が普段通りなところを見ると、成功したっぽいな。
にしてもサスペンションにダメージか。
知っての通り、タイヤとボディーを繋ぐ役割なだけあって、ドライバーはその変化に敏感だ。
人一倍鋭いレイにバレなかったのか?
そしてスーパーチャージャー……。
「作動しなくなったのか?」
「いや、なんか高回転でも切れなくなっちゃったんだけど……レイが手動で切ってるっていうか?」
「手動で……? よく分からねえけど、不安だな」
「とりあえず替えのスペアタイヤは積んどいたし、サスは適当な理由で納得させた。大丈夫だよ。ただ、スーパーチャージャーはどうしようかな……今は不調って思ってるっぽいけど、壊れてるってバレたらおしまいだからね」
「そうか……」
「まあでも、大丈夫。こっちでなんとかしとくよ!」
上手くやってくれて本当に助かったぜ。
「ありがとな。レイに何かあったら、俺まで大変だ」
「ふーん、案外優しいんだね」
「――――っ、別にそういう訳じゃねえ……」
俺は早足でその場を立ち去った。
とにかく、Zにもレイにも問題はないようで何よりだ。
*レイ*
「そろそろ開会セレモニーの時間か。行ってくる」
俺は配られたタイムスケジュールその他もろもろを持って、エルマに伝えた。
「行ってらっしゃーい。あ、この前導入した新しいサスペンションだけど、どうする?」
「ベルディサーキットは前半と後半で一気に性格変わるからな……とりあえず回頭性重視で、後はエルマに任せるよ」
「はーい」
パワーのあるZなら、後半の高速セクションはあまり心配しなくていいだろう。
あとは前半のコーナーをモタモタせずに走れれば勝算は十分にある。
まあ結局のところセッティングより走りが全てなのだが。
開会セレモニー(もといドライバーズミーティング)には、今までの地方ブロック戦とは全く違う雰囲気が流れ込んでいた。
やはりここにいるのは、全てランキング上位の猛者たち。
にしてもチームで参戦しているドライバーも少なくないな。
俺やウラクみたいなのは少数派なのか?
「――――――以上、解散」
と主催者が締めくくり、ドライバーたちはまばらに散っていった。
とりあえず警戒しておくべきチームは一つだけだろう。
ここ数年で若手レーサー育成に力を入れている、新興チームのネオスレーシングだ。
チーム自体の戦闘力もさることながら、驚異的なスキルを持つ優等生ドライバーが一人。
俺はその姿を見て、迷わず肩を叩いた。
「……誰かと思えば、レイか。久しぶりだな……やっぱり最終戦にいると思ったさ」
「もちろん。リュードの方こそ、今シーズンは快調だったな」
リュード・プレスト。
ラ・スルス自動車上級校の元同級生で、卒業式耐久レースのパートナー。
俺の教え子――――とまではさすがに言いすぎだが、当時はD級ライセンスだったリュードも今や地方ブロックのチャンピオンだ。
「ありがとう。にしても、お互い敵として走るのはまた面白そうだな」
「そうだよな。これでウラクもいるんだから、俺らにとっちゃ遠足みたいなもんか」
「ハッ、全くだ」
話しながら歩いていると、紺を基調とした派手なマシンが目に留まった。
ドアにかけて大きく“ネオスレーシング”の文字。間違いない。
「リュード、色塗り替えたんだ。この前は銀一色だったのに」
去年の開幕戦あたりで俺はサーキットに連れられたが、その時にリュードが乗っていた銀のルクスはいまだに印象に残っている。
「ああ。エース待遇というやつで、チームカラーに全塗装してもらった。……俺には少々荷が重いが」
改めて、ルクスを一周見回す。
光沢はあるがそれでいて落ち着いた色合いのブルーを基調とし、そこにシルバーの直線的なペイントが絡むように施されている。
ところどころにアクセントとして入れられたショッキングピンクとの相性も抜群だ。
「かっこいい……いいなぁ、カスタムペイント。俺のZは赤一色だからなぁ」
「レイのマシンならその方が似合ってるさ」
「お世辞?」
「本心だ」
これはますますレースが楽しみになってきた。




