75.幽霊とからくり人形と
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俺がレイをガレージまで送ってから、そう時間は経っていない頃。
「お、もう大丈夫なのか?」
フェアレディZの中からレイが降りてきた。
見たところ怪我はなさそうだが……つーと、あいつはなんで意識を失ってたんだ?
「ウラク? ……なんで俺は、家に……」
まあ、そりゃ戸惑うよな。
「どこまで覚えてんだ?」
「首都高で、幽霊とお前と三人で走ってて……あっ!」
レイは息を飲んだ。
やっと思い出したのか?
「Zは!? ――――ん、無傷……なのか?」
今自分が降りた赤いZのボディーを隅々まで見ながら、レイが神にでも縋るように聞いてきた。
それより混乱しているであろう記憶を整理するのが先決だろう。
「まあまあ、とりあえず説明するぜ」
と言って俺は今までのことをザッと話した。
あいつにインを刺され、ストレートで抜き返してやろうと思った時だ。
Zのリアが急に流れた。
原因はおそらくアクセルの開けすぎか、そんなところだろうな。
コーナー出口で急激にアクセルを踏むと、リアタイヤがそのパワーを受け止めきれずに、ほんの少しのステアリング操作でスピンする。
だが信じられなかったぜ。あのレイが、まさかそんなミスをする奴だとは思いもしなかった。
ともかく、スピンしてそれっきり動かないZに心配した俺が駆け寄ると、あいつは中で意識を失ってたんだ。
どこか悪い所でも打ったのか何なのかは知らないが、その後幽霊と相談した結果、Zの助手席にレイを移してここまで運んできた。
そしてしばらく経ったのち目を覚まし、今に至るってわけだ。
「じゃあ、ウラクがZを運転して首都高を降りたってことか」
「おう」
「どっか、おかしい……所は、なかった? エンジンに、ん……ダメージとか、あるいは――――」
まるで……広場で遊んでいるはずの子供を見失った親のような表情で、心臓を抑えて呼吸も乱れているレイ。
そりゃあ心配するだろうな。気持ちは痛いほどよく分かる。
「何もなかったぜ。幸運だな」
「はぁ……よかった……」
レイは肺に溜まった不穏な空気を全て吐き出し、そのまま安堵に沈んで幽体離脱していきそうだった。
そうそう、幽体離脱といえば。
「そういえばレイ、幽霊から伝言だ」
「ん? 俺に?」
「ああ。『ふっ、コーナー出口は気を付けろ、思わぬ慢心が形になって暴れる。俺も昔、雨の日にスピンしたことがある。あの日ほど自分の過ちを呪った日はないさ、ふっ』だってよ」
俺は幽霊の口癖まで一字一句再現した。
「なるほど。『ふっ』までご丁寧にありがとう」
「んで、その幽霊の話だけどよ」
ここから本題だ。
ある意味じゃ、俺が一番話したかったことでもある。
「奴が乗ってる、エネシスのタイプX。あれのエンジンだ」
「なかなかに良い音してると思うけど、それがどうかした?」
俺はついさっき耳にしたエンジン音から、可能な限り多く正確な情報を貪る。
意識を集中すると、思いもよらなかった意外な事実でさえ明らかになるからな。
「知っての通り、エネシスはNA――――つまり自然吸気エンジンだ。そこまではいいよな」
「うん」
「んで、あの音からして排気量チューンはしていない。つまり、幽霊のマシンは3.2リッターNAだ」
「……ヤバくない?」
レイも気付いたようだ。
そう、俺の乗るイライザ350は3.5リッターで、しかも過給機という武器が付いている。
それで500馬力ギリギリ。
しかし幽霊のエネシスは、過給機に頼らずしてイライザと同等のパワーを発揮していることになる。
そもそも自然吸気エンジンなら、リッターあたり100馬力も出れば上々だろ?
500馬力の俺を3.2リッターで追い回すあのエンジンには、何かからくりがあるはずだ。
「――――ってことだ」
「なあウラク、単純に考えて自然吸気エンジンでハイパワーを狙うなら、高回転化だよね?」
「小細工が効かないから、それが定番だろうな」
ターボがついてりゃ、もっと大容量のタービンに積み替えるだとかターボの制御を変えてみるだとか、そんな手段だってある。
だがそれに比べて非力な自然吸気エンジンは、純粋なポテンシャルの高さそのもので勝負しなけりゃならない。
そしてそれを手っ取り早く行えるのが、エンジンの高回転化だ。
エンジンは回転数を上まで回せば回すほど、パワーが出る。
多少の例外はあれど、基本的にはこれだ。
「そう考えると、結構扱いづらいエンジンなのかな……純正じゃ強度面も不安だろうし」
と呟くレイの推測は、ある意味じゃ正解だ。
だが、またある意味じゃ、間違っているとも言える。
「あの音からして、軽く10000回転まで回っていてもおかしくない」
「そこまで……!?」
狼狽するのも無理はないが、聞いてくれ。
「つまり、奴はそもそも純正のエンジンじゃない――――というのが、俺の考えた説だ」
いくら頑張ったところで、市販車のエンジンであそこまで無茶なことはできないだろう。
つまり、エンジンの載せ替え……あるいはそれに近いことをやったんじゃないか。
「……じゃあ、一体何のエンジンを?」
「それを突き止めるために、俺はシリンダーの内径と行程を」
「は?」
レイに遮られた。
「ウラク、お前まさかエンジン音で内部のサイズを……? ミリ単位で……?」
「んなバケモノ見る目でこっち見んなよ。さすがにそこまでのことはできねえ」
全く何言ってんだよ。
俺だって音だけを頼りにあれこれやってる訳じゃねえんだよ。
「俺は音と記憶を頼りに、ありえそうなエンジンを考えた」
同じ排気量だが、より高回転までストレスなく回るエンジン。
それでいて、耐久性に問題が出ないエンジン。
「計算してみた結果がこれだ」
俺はポケットから計算式に埋め尽くされた手書きのメモを取り出す。
「ボア95ミリ×ストローク75ミリ、総排気量3188cc。ってな感じのエンジンだ」
「す、すごい……」
レイが関心したような目でメモを見た。
「この条件に引っかかるエンジンを、俺は一基だけ知ってんだけどよ……いまいち思い出せねえ」
「なんで知ってるんだよ……」
まあそりゃ寮生活には暇な時間も多かったからな、なんて心の中で返しておく。
「少なくとも世に出回っているエンジンではないだろうな。記憶の限りでは……何かの車がこのエンジンで市販する計画だったのに頓挫して、没になったプロトタイプ……だったっけな」
思い出せそうで分からない、そんな状況の自分に若干の苛立ちを覚え、俺は空を見上げた。
しばらくの間、唖然としていた。
「……もうこんな時間かよ。悪かったな、長々と喋っちまって」
黒かった空はやがて紺となり、そして深い青となっていた。
夜明けもそう遠くないだろう。
「いや、いいんだ。送ってくれてありがとう。そのエンジンの話……俺の方でも詳しく調べとくよ」
予想もしていなかったレイの申し出を、俺が断る手はないだろう。
「いいのか? 助かるぜ、サンキューな」
レイは頷き、眠そうな目を擦った。
「じゃあね。あ、また今度走るか。ちゃんと勝負ついてなかったし」
「もちろんそのつもりだ。……身体、気を付けろよ」
「分かってるって」
ガレージを出た俺は、涼しい風に晒されて冷え切ったイライザのエンジンに火を灯した。
不意に出た小さな溜め息に気付き、俺はその意味を噛みしめる。
俺は、レイに一つ嘘をついた。
悪いな。だがお前のためだ、と謝っておく。




