7.前世:飲み込まれる二人
視界が開けるより先に、エンジン音が耳を包み込んだ。
本能でここがサーキットであることを察する。
目を開けると俺の予想は当たっていて、ここは筑波サーキットだった。
俺が人生初めてのレース出場を飾った場所だ。
そして、眼前のスターティンググリッドで2列にきっちり並んでいる車列が意味することはひとつしかない。
もうすぐレースが始まるのだ。
20台近い出場車の中で前から7番目に位置する自分の愛車を1秒もかからずに見つけた俺は、すぐ閻魔に聞く。
「これって俺のデビューレースだよね?」
「うん! いよいよ始まるよ!」
あの閻魔大王のテンションでさえぶち上げてしまうレース前の活気は恐ろしい。
まあ、このサーキット特有の湧き立つような空気に飲まれれば誰でも興奮するか。
にしても、買ってまだ数か月のフェアレディZでよくレースに出ようと思ったな、当時の俺。
夢にまで見た憧れの舞台にやっと立つことができた気持ちはわかるが。
なんて考えていたら、1つのシグナルが赤く光った。
20台以上の車から聞こえてくるエンジン音と観客の熱狂は、より一層増していく。
1つしか光っていなかったシグナルが2つ、3つ、4つとどんどん光っていき、5つすべてのシグナルに赤いランプが灯る。
観客の興奮とドライバーたちの湧き上がる緊張感、そして彼らを鼓舞するそれぞれのエンジン音がひとつになった瞬間――
5つのシグナルが、消えた。
刹那遅れて、各々の車が勇ましい唸りを上げながら地面を蹴り進みだす。
2列の秩序は一瞬にしてバラバラに崩れ、散らばった20台の車が我先にと1コーナーへ突き進んでいった。
「うわあ、すごい……!」
閻魔が大はしゃぎでサーキットを見つめていた。
1コーナーで目まぐるしい順位の変動があった頃には、先頭集団がもうS字へ差し掛かっている。
展開の速さに圧倒されながらも必死になってレースの行く末を見守る閻魔の姿には、昔の俺に通ずるものがあった。
一方の俺は。
「うーわ、あそこのコーナーってあんなライン取りでもクロス抑えながら抜けるんだ」
「スリップストリームの抜け方も考えないとスローイン・ファーストアウトができないな」
独り言が止められなかった。
引きこもり時代にテレビでずっと何かしらのレースを見ながら勉強していた俺は、いつのまにか誰かの走りを分析する変な癖がついてしまった。
いや分析するだけならまだいいが、声にだしてブツブツと独り言を呟いてしまうという傍から見たら変人極まりない癖だ。
幸い今の俺の声は閻魔以外の誰にも届かないが、閻魔に変人扱いされると裁かれるときに困る――と思っていたが、当の閻魔も俺そっちのけでレースに夢中なので別にいいか。
俺がひとしきり喋り散らかした後には、気づいたらもうファイナルラップだった。
「たしか7周だから、これで最後だよね?」
と閻魔が聞いてきたので、頷いた。
フィニッシュラインではすでにチェッカーフラッグが、振られるのは今か今かとばかりに待機している。
視界の端から猛スピードでゴールに向かっていく集団は最後までデッドヒートを繰り広げていたが、その先頭で誰よりも速くゴールを迎えたのは真っ赤に輝くフェアレディZ。
俺の愛車だ。
「わぁ……! 最後まで接戦だったね! 優勝、おめでとう!」
隣の閻魔は目を輝かせながら俺のほうを見ている。
その光景はやはり昔の俺を見ているようで、微笑ましかった。
ガレージで車から降りている当時の俺を真っ先に褒め称えたのは、兄貴だった。
そういえばあの時はびっくりしたな……まさか兄貴が見に来てくれるとは思ってもみなかったからな……。
と物思いにふけっている俺に閻魔が声をかけた。
「次でラストだよ。行こう」
視界が白く霞み始める。
きっちりと仕事をこなしてくれた俺の愛車は、真っ赤な車体が西日に照らされて燃えるように輝いていた。
その姿はまるで、これからの戦いに向けて闘志を燃やす勇ましい戦士のようにも見えた。