64.昨日のてれめとりー
*
「とおっ!」
「ぐふっ」
さて今日も飼い犬(?)のシビくんに飛び乗られて目を覚ました俺。
昨日から続いていた体の不調は気付けばすっかり消えていて、朝の風が心地良い。
「昨日はすごかったー! 大接戦だったね!」
ああすっかり忘れていたが、そういえば俺のファンだっけ。
「ありがとう……ていうかレース観てたんだ」
「大ファンのボクが観てないわけないじゃん!」
枕でバシバシ叩かれながら階段を降りると、俺のZがリフトに上げられていた。
何かあったのだろうか?
「おう、おはようさん。やっと起きたか」
下でデータを見ていたおっちゃんが俺に気付いて声をかけた。
「起こされたよ。Zに何か問題でも?」
「それなんだがな……」
俺はモニターに表示されているデータを見せられた。
周回数、エンジンの回転数、速度、ブースト圧、アクセルとブレーキの入力度、ステアリングの切れ角、などなど。
おそらく昨日のレースで得たデータだろう。
「これは昨日のテレメトリーだ」
「てれめとりー?」
シビくんが後ろから覗いてきた。
「テレメトリーっていうのは、レース中ピットに送られるデータのこと」
「なるほど」
「それでおっちゃん、このデータがどうかした?」
ちょっと不安になりつつも聞いてみる。
「ここだ、ここ」
おっちゃんが指差したのは、ファイナルラップのブースト圧。
ブースト圧はスーパーチャージャーの効きを表す重要な数値だ。
グラフはほぼ一定だが――――
「ここだけ切れているのが分かるか?」
最後の方だけ、ブースト圧が途切れている。
それが意味するのは、最終ラップのストレートだけスーパーチャージャーが機能していなかったということだ。
「つまり、スーパーチャージャーに何か不具合があった……?」
「そう思うのも無理はない。だが、違うんだ」
「違う?」
「レースの前と後、そして今朝エンジンを回してみた時も、スーパーチャージャーにおかしなところは見当たらなかった」
なるほど。
そうなるといよいよ訳が分からなくなってくる。
「そして、このデータに無線の音声波形を重ねてみるぞ」
無線の音声まで取ってたのか。怖い怖い。
「そうするとな……」
「あっ!」
音声の波が激しくなる部分と、ブースト圧が途切れている部分が、ピッタリ一致した。
「ここはお前さんが呻いていた部分だ」
「なるほど……」
つまり、考えられるのは大きく分けて二つ。
スーパーチャージャーが機能しなくなったせいで俺に痛みが走ったか、俺に痛みが走ったせいでスーパーチャージャーが機能しなくなったか。
どちらにしろ説明がつかない。
「……これ、どういうこと?」
「考えられるとしたら、魔法かもしれんな」
「魔法!?」
その考えはなかった。
この世界で16年生きてきても、いまだに前世での思考回路は抜け落ちないもんだな。
「つまり俺は、魔法使い……ってこと?」
「まあ、可能性としてだがな」
別に不思議ではないか。魔法使いは人口の10分の1ぐらいいるらしいし。
俺が魔法使いでも、あり得ない話ではない――――
「よほどのことがない限り、あり得ないとは思うが」
「え、そう? なんで?」
考えていたら真っ向から否定された。
どっちなんだよ。
「まず、魔法ってのは練習に練習を重ねてやっと使えるようになるもんだ。俺も工具の魔法を使えるが、これだって何か月も練習して、初めてレンチの穴の大きさを変えられるようになったんだ。1mmぐらい」
なるほどなるほど。
「例えるなら、初めてピアノで曲を弾こうとしたら何か月も練習が必要だろう。それと同じさ」
例えが分かりやすくて助かる。
俺はピアノは弾けないが、聴くのは好きだ。
「そしてもう一つ」
おっちゃんは話を続ける。
「車ってのはものすごく複雑な作りでできているのはお前さんも分かってるだろう。魔法の難易度は、構造がどれほど単純か複雑かで大きく変わる。俺は金属の塊であるレンチならすぐ変形させられるが、この前のシャーシダイナモは精神を集中させて詠唱しなければ変形させられない」
構造がどれほど複雑か……
そういう意味では、確かに車の魔法はとてつもなく難しいだろう。
「例えるなら、プロのピアニストが弾くような難しいクラシック音楽をピアノ初心者がいきなり弾こうとするようなもんさ。不可能にもほどがある」
これまた分かりやすい例えだ。
「それらを踏まえた上で、言っておくぞ」
おっちゃんの表情が険しくなる。
「もしお前さんが魔法使いだとしたらの話だが、魔法は使うな。危険すぎる」
「危険?」
たしかにあのときは身の危険を感じたが。
「前にも言ったはずだが、魔法は精神と物との共鳴だ。複雑な物と共鳴すれば、精神のほうがブッ壊れちまう。そうはなりたくないだろう」
「……分かった」
どっちにしろ、レース中に魔法を使う余裕なんて俺にはないだろう。
さて、今夜あたり首都高でも行くか。




