58.その音に挑め
*そして、春*
「ふぅ……」
ヘルメット越しに大きく息をつき、目の前のステアリングを握りなおす。
グローブを通してでも、タイヤと地面が擦れ合う感触を掌で感じるのは容易い。
「行こう」
ここはルガー・スピードウェイ。
ジルペインで一番高い山、ルガー山の麓に位置するサーキット。
クラス3全国選手権・北東ブロック第1戦の舞台でもある。
このルガー・スピードウェイは言わずと知れた高速サーキットで、ホームストレートの長さは約1.5kmと言われている。
長い全開区間を疾走できる気持ちいいサーキットだ。
『時間だよ、ピットオープン』
ヘルメットに内蔵されている無線からエルマの声が聞こえる。
レース出場にあたって、エルマは俺のメカニック(自称)なので当然のようにサーキットまでついてきた。
おっちゃんは、俺が店の広告塔として活躍することを条件に、週末限定で協力してくれることになった。
今日はレース日の二日前、金曜日のフリー走行。たった今エルマが走行時間の開始を教えてくれた。
俺はエンジンをかけ、ゆっくりとピットロードを走る。
一列に並んだガレージから続々と他のマシンも出てきた。
一台一台の外装やら音やらが、彼らドライバーの本気度を伝えている。
制限速度を守りながら慎重に。ピットアウトまであと少し。
今、目の前の車がアクセル全開でコースインしていった。
その官能的なエンジンサウンドが、俺の闘志を掻き立ててくれる。
だがこっちも負けてられない。
俺はアクセルをグッと踏み込んだ。
その瞬間、スーパーチャージャーの爆発的な加速力が俺の背中をシートに押し付ける。
ヴォォァァァアアアァァァン!!! (にゃー!)
そう、この感覚。
何者にも縛られず自由でいられる一瞬。
Zの中で揺さぶられている時間だけが、俺を幸せにできる。
今日もZは絶好調だ。
『焦らないで、ゆっくりタイヤをあっためてね』
「分かってるって」
冷えたタイヤじゃコーナーを攻めるのもままならないが、未知のサーキットを走る興奮はその程度で抑え付けられるものではなかった。
坂を登っていって……最終コーナー。
そしてここから1.5kmのメインストレート。
アクセル全開だ。
『次の周からタイム計測だよ、気合入れていこー!』
「っしゃあ!」
いつになく大声でヘルメットの中から叫んだ。
長い長い直線を走っていくZ。
スピードメーターの針は馬鹿馬鹿しいほどの勢いで回っていく。
Zの程よい重量感が助けとなって、高速域でも安定して加速し続けられるのだ。
左の観客席、右のピットガレージ、上のゲート、下の路面。
全てが形を失い、俺を取り残して後ろへ過ぎ去っていく。
さあ1コーナー、目の前に迫る右向き超急角度のヘアピン。
一歩間違えればすぐさま砂地の餌食となる――
「んっ……!」
進入のタイミングを数メートル単位で見計らい、全体重をかけてフルブレーキング。
ピッタリの位置にピッタリのスピードでアプローチできた。
左手と両足の巧みな連携術によってギアはすでに1速まで落ちている。
トントンとアクセルを小刻みに開けながら、縁石をかすめて最小限の角度で旋回する。
そして向こう側が視界に入った。
その瞬間、考えるよりも早く右足がZのパワーを解放した。
タイヤをわずかに鳴らしながら芸術的な軌道でアウト側へと逸れていく。
「なかなか気持ちよく決まった」
『いいね』
再び直線で加速し、緩いともきついとも言えない角度の2コーナーを難なく抜ける。
グルーっと大きく右に円を描くような、緩やかな3コーナー。
いったん左からアクセルをちょっとだけ抜いて減速し、そのまま右に近づきつつ加速。
脱出速度を上手く稼げた。
少しきつめの4コーナー。
ブレーキを遅らせ、わざとアウト側へ膨らんでいくラインを取る。
ここはそうした方が速い。
なだらかに直線を下っていき……待ち構えているのは急減速を強いられるシケイン。
安全策を取って早めにブレーキング、大きく外からインに振った。
間髪入れずハンドルを切り返して右、左と抜ける。
坂を登っていきながら、複合コーナーを左右に切り分ける。
そしていったん左ギリギリまで寄ってから、角度をつけて右に振る最終コーナー。
また来た、長い長いホームストレートだ。
空を飛んでいきそうな景色がフロントガラスに映る。
Zはどこまでも際限なく加速していく……
ボオォオオオォォォオオオンン!!!
「まさか、横!?」
『仕掛ける気だよ、どうする?』
俺の右隣からエンジン音が聞こえてきた。
ホームストレートで並びかける行為が意味するものはただ一つ。1コーナーのブレーキ勝負。
どっちがより遠くまでアクセル全開にできるかの度胸試しだ。
「挑戦、受けて立つ!」




