5.前世:独学のドライバー
目を開けた先は、室内だった。
さっきまで日差しがきついサーキットにいたせいで明暗差に目が慣れないが、ここが自分の母校だということに気づいた。
それも教室の中だ。
一応閻魔に確認をとってみる。
「俺が通っていた中学の、3年の時の教室か?」
「うん。時間的には、進路を決めなきゃいけない時期だよ」
そう言われてもう一度教室の中を見渡すと、確かに俺と母と担任が座って話をしていた。
おそらくは夏休み前の三者面談だろう。
悠長に高校を選べるのも今日までで、これから受験生には高校に向けた気の遠くなるような勉強が待ち構えていた。
受験生には。
閻魔といっしょに机に近づくと、話の内容が聞こえてきた。
「実はこの子、高校受験をしないつもりでいるんです」
母の声だ。
きっと三者面談の何日か前に、俺から相談を受けていたのだろう。
自分の息子が高校受験をしないということに普通の親なら反対するだろうが、母は俺のやりたいことをとことん追求させてくれる人なのだ。
担任に打ち明けるその声に、不安の色は見えなかった。
「受験をしない……つまり、中卒ということでしょうか?」
担任が確認するように母に質問する。
先生に反対されるだろうと思って怒鳴られる覚悟もしていた当時の俺は何を考えているのか気になった。
「なるほど。その選択肢もないとは言えませんが、リスクが伴います。これから社会で生きていく上で、そのリスクを息子さんが受け入れられるかどうかはわかりません」
担任の落ち着いた声色から察するに、俺の話を真面目に考えてくれるようだ。
俺が中学3年のときの担任の先生は、俗にいう熱血教師と呼ばれるタイプだった。
自分が受け持つクラスの生徒全員を心から愛し、生徒の心に寄り添い、常に元気づけてくれる。そんな人。
生徒が言うどんな言葉にも耳を傾けて相談に乗ってくれる、その優しさに俺の思い切った決断は救われた。
「お前は高校受験をあきらめてでも、何かやりたいことがあるのか?」
担任が俺に質問した。
「実は俺、レーシングドライバーになろうと思ってるんです」
「レーシングドライバーか、なるほどな」
担任の落ち着いた口調が、突拍子もない俺の答えを受け止めてくれた。
俺の話は続く。
「こんなこと言ったら失礼かもしれませんが、俺は生きていくだけなら中卒で問題ないと思っています。それでもみんなが高校に通うのは、自分で仕事をして、お金を稼いで、自立していかなければならないから。そのための知識や経験を学びに、高校へ行く。そうですよね」
「そうだな」
「だから俺はこう考えたんです。『高校へ通うよりももっと効率的に、将来に向けて勉強できないか』と」
「つまりお前は、独学で勉強してレーシングドライバーになろうとしてるのか?」
「おっしゃる通りです」
担任は熱血教師とはいえ地頭は良く、こちらの言いたいことをすぐに理解してくれた。
「俺が目指しているのはレーシングドライバー。お世辞にもあまりメジャーな職業とは言えません。だから高校へ行っても無駄なことばかり学んで、俺が本当に勉強したいことはあまり勉強できないのではないかって考えました」
「だから自分にとって本当に必要なことだけを独学で勉強しようっていうわけか」
「はい」
うーん、と担任は黙り込んだ。
母は何も言わずに、二人のやり取りを見守っていた。
「わかった」
「え?」と驚いて顔を上げる。
「筋は通っているし、何よりお前が自分で考えてたどり着いた結論だからな。俺はその決断を尊重するぞ」
やった。
俺の主張が先生に認められたのだ。
嬉しくて飛び上がりそうな俺を、母が「よかったね」と微笑みながら見つめる。
今にも叫びたい俺の気持ちは、担任の声によって遮られた。
「ただし、後悔だけはするな。俺が思いつく限り一番嫌いなものは、後悔が残る人生だからな」
「約束します」
「いい返事だ。これからも頑張れよ」
そんなこんなで三者面談が終わり中学生の俺と母が教室を出たので、俺と閻魔は取り残される形になった。
「まだ14才なのにしっかりしてるね」
閻魔が俺を見て言う。
「このころには既にレーシングドライバーになりたいって気持ちが行動力に現れてたんだろうな」
と答える。
「オッケー。次に行くよ」
と閻魔が言うと、視界が白く霞んだ。
この現象にもだいぶ慣れてきた。
消えゆく視界の教室で面談関係の書類を整理しているかつての担任に俺は頭を下げてお礼した。
「お世話になりました」