49.見覚えのある配達員
*翌週*
あれから俺は毎日ガレージでZを整備している。
エンジンのオーバーホールだけではなく、サスペンションやブレーキもぬかりなく。
「暑くなってきたな……」
「ついこの前までは長袖だったのにね」
作業の合間にエルマと喋っていると、どこかで聞いたような声が耳に入った。
「郵便でーす!」
おっちゃんから留守番を任されている俺が受け取りに行くほかない。
「今行きます!」
そろそろZに組み込むピストンが届くころか?
もしそうなら、とりあえずエンジンは近いうちに完成するはずだ。
そんなことを考えながら店のカウンターへ行くと、思いもよらない人物と遭遇した。
「あれ、レイじゃねえか。そうか……お前のバイト先ってここだったのか」
「えっ!? ウラク、なんで……?」
俺の目の前で段ボール箱を抱えている配達員。
帽子をかぶっていようが、俺が気づかないはずがない。
「久しぶりだな。元気にしてっか?」
「あ、うん……配達員始めたの?」
「開幕戦まで暇だからな。資金調達も兼ねて仕事してんだ」
開幕戦、か。
やはりウラクも全国選手権に出場するつもりらしい。
「それなんだけど……俺は今年のレースに出られるか分からない」
「どういうことだ? 車は?」
「ちょっと訳ありで」
「へえ」
「なあ、ウラクは何の車買ったんだ?」
「せっかくだから開幕戦までのお楽しみってことにさせてもらうぜ」
「楽しみにしてるよ」
俺とウラクが長話をしていると、店の奥からエルマが来た。
「なんか……長くない? どうしたの?」
さすがに配達員とずっと立ち話していては、何事かと思うだろう。
そういえばエルマとウラクは面識あったっけ?
そう思っていたらエルマが口を開いた。
「あ、この人見たことある。最終コーナーで盛大にスピンしかけた人だ」
なんて失礼な。
否定はできないが。
「は? ……もしかして、ラ・スルスのメカニックか?」
「そうだけど」
これは話がややこしくなりそうだと判断した俺は、一回仕切りなおすことにした。
「えーっと、こいつはウラク。俺の幼馴染で、ラ・スルスでは同じ部屋だった」
「へっ、腐れ縁だけどよ」
「ウラク、こっちはエルマ。チーム3のメカニックを務めていた」
「よろしく~」
その後もなんだかんだあって、とりあえず二人は打ち解けたようだ。
俺にとっては受け取った荷物の中身の方が気になるが。
「結構重いな、これ」
ずっしりと重量感のある箱の中身は――
「おぉっ、来た!」
間違いなくZのピストンだった。
さっそく開封する。
「ツヤっツヤ……」
95.5mmのアルミ鍛造ピストンは、太陽光を反射して銀色に眩しく輝いている。
どうやら『特殊モリブデンコーティング』なるものが備わっているらしい。
「よし、組み付けだ」
俺は気分上々で作業に取り掛かった。
*翌日*
「出来たー!」
やっとエンジンが組みあがった。
と、安心したのもつかの間。
「おー、意外と広いんだな」
「えっ?」
いつのまにかウラクがガレージの外に立っている。
しかも今日は私服。
「な、何しに来たの?」
「全国選手権のエントリーしてきた帰りだ。ちょっと寄ってこうかと思って」
「なんでだよ……」
俺が脱力気味にツッコミを入れると、予想もしなかった人物が姿を現した。
「ふぅ、やっと追いついた……あ、ホントにレイいた。久しぶり」
「えぇ!? なんでフィーノまで連れてきたの?」
ウラクがここを知っているのは分かる。
下級校からの友人だし、そもそもこの辺は俺とウラクの地元だからだ。
なんでフィーノまで連れてきた?
「なんか俺が話したら、行きたいって」
「なんで……」
こんな個人経営のガレージに面白い物なんかない――
そう言おうとしたら、ウラクがZを見つけてしまった。
「ん、なんだあれ? なんか見慣れない車だな」
フィーノも見つけてしまった。
「あれか、なかなかかっこいいね」
もうしょうがない。
この際、話すか。
「あれが俺の愛車だ」
「マジかよ! 車種は? 全然わからねえ」
「フェアレディZ」
俺はZをこの世界で買った時、日産の名を口に出さないと決めた。
ただでさえここには存在しない車名なのに、存在しない企業まで喋ったらどうなるか分からないからだ。
「フェアレディZ……か。聞いたことねえなぁ」
「僕も初めて聞いた」
予想通りの反応が返ってきたが、俺が対応する前に話題が逸れてしまった。
「なあ、これってそのフェアレディZのエンジンか?」
「え? あぁそうだよ」
「スペックを教えてくれ」
「3.7リッターV6スーパーチャージャー」
しまった、ちょっと喋りすぎたか?
「じゃあ結構馬力出そうじゃん」
エンジンを観察するフィーノの手には、いつのまにかミルクティーのペットボトルが握られていた。
いつ買ってきたんだよそれ。
しばらく話を楽しんでいたら日も暮れてきたので、今日のところは帰ってもらった。
フィーノはここから家遠いだろうに、わざわざ来たのはよっぽど暇だったからだろうか?
*
「なあ、レイ」
「何? おっちゃん」
めずらしく深刻そうな顔をしているので、俺まで不安になってくる。
「フェアレディZのECUなんだが……ウチの店のECUを使う気はないか?」
「いいけど、なんで?」
ECUというのはエンジンを制御する小型のコンピューター。
現状、Zのエンジンに使っているECUはユニットⅢのままだ。
「ハッキリ言うが、得体の知れないECUじゃセッティングもままならない。店にあるデータを活かすためにも、これを付けておくべきだと思うがな」
そう言ってECUを渡された。
どうせ前世で使ってたECUはもうここでいじれないだろうし、付け替えて損はないだろう。
「よーし、完成!」
改めて、エンジンが完成した。
さすがに一人で車に積めるはずがないので、おっちゃんとエルマにも手伝ってもらう。
「エンジン積むから手伝ってくれる?」
「はいよー!」「ついに組みあがったか」
エンジンを鎖で上から吊るし、慎重に降ろしていく。
「ゆっくりゆっくりー、もうちょっと右かな」
「もっと右?」
「違う、私から見て右」
「そっちか」
「よいしょっと!」
どうにかエンジン搭載、そして外していたボンネットの取り付けを終えた。
肉体的にも精神的にも重労働だから、できればもうやりたくない作業だが。
「これで、ひとまずZは完成ってこと?」
エルマが質問してきた。
たしかに、見た目上ではエンジン搭載で終わりのように見える。
「まだ。肝心な慣らし運転が終わってない」
「そっかー」
オーバーホールしたら、慣らし運転を忘れてはならない。
エンジンを組んだときには必ず誤差や歪みが生じる。
オーバーホール後いきなりエンジンをブン回すと、その誤差や歪みがエンジンにダメージを与えてしまう。
それを防ぐために徐々に負荷を掛けながら部品を慣らしていくのが、慣らし運転だ。
というか、今回の場合はそれ以前にエンジンが掛かるかどうかなのだが。
「記念すべきエンジン初始動だな」
おっちゃんがそう言いながらZをリフトから降ろす。
上手くいくことを祈るしかない。




