39.交流会の約束
*秋*
「今朝はだいぶ涼しいな」
珍しく俺もウラクも早起きしたので、朝食を済ませてから部屋で駄弁っていた。
「そうだな、もう秋だし。そういえばレイ、なんか届いてたぜ」
「えっ?」
届いてた?
寮には部屋ごとにポストのようなものがあって、何か個人への連絡がある場合はそこに配布される。
といっても、月に1回ぐらいか、下手したら学期に1回ぐらいだ。
「ほら、お前宛だぞ」
ウラクから封筒を受け取り、慎重に開く。
中から出てきたプリントには――
4・5年生交流会
5年生代表 レイナーデ・ウィロー
「あぁ、そういえば代表を決める時期だったな。よかったじゃねえか」
後ろからウラクに覗き込まれていた。
4・5年生交流会というのは今年度から始まった秋のイベントで、春に卒業を控える5年生から一人代表者を選んで4年生と一緒に過ごす日のことだ。
これが終わればあとは卒業式までのんびりできるらしい。
4年生から聞かれるいろんな質問に答えるのはもちろん、ドラテクの実演なんかもあるため、5年生のなかで一番優れている生徒が代表に選ばれる。
「そりゃあ5年生のなかじゃ代表はレイが妥当だろうな。この前のセッティングテストも満点だったし。一日頑張って来いよ」
「あれ? てっきり恨まれるかと」
ウラクにしては珍しく、本心から祝福してくれているようだ。
「いや、俺はあんまり年下と関わるの苦手だからよ。むしろ選ばれなくてよかったぜ」
「ふーん」
俺から4年生に何を教えられるかはわからないが、こんな俺でも役に立てるなら精いっぱいやろう。
そう思いながら俺はレーシングドライバー学科4年生の教室へと向かった。
そろそろ時間だ。
待機していた廊下の窓から新鮮な空気を吸い、教室のドアをノックして入る。
先生が「今日一日いろいろなことを教えてくれる、レイナーデ・ウィローくんです。拍手!」と紹介してくれた。
ホワイトボードの前に立ってお辞儀をすると、4年生からは拍手と歓声が飛び交った。
思った以上に歓迎されたので、思わず口元が緩む。
「どこまで教えられるかはわかりませんが、今日を通して少しでも車への理解を深め、技術の上達を手助けできたら嬉しいです。よろしくお願いします」
午前は教室で俺が講師となって、特別授業を行った。
生徒から与えられるテーマや質問に沿って、俺はできるだけ深く分かりやすく解説した。
テーマはレースの勝ち方やルールなどはもちろん、エンジンの改造やら何やらと多岐に渡った。
その一つ一つを全員が真摯に聞いていて、俺は嬉しかった。
もしレーサーを引退したら、教師にでもなろうかな――
そう考えさせられるほど、真面目に話を聞いてくれた4年生たちの表情が俺に喜びを与えてくれた。
そして、午後。
教室のみんなは実習場のサーキットへと移動し、俺が車を使って実演することとなった。
「さて、何からやろうかな……」
俺がそう言うと生徒からはリクエストの嵐。
指名するこっちも大変だ。
これだけの数を相手に授業してると、まだ当ててない人を平等に指名するのも難しくなってくる。
とりあえず俺は、真ん中あたりで手を伸ばす女の子を指した。
「あの、私ヒール&トウが苦手なんですけど、どうすればいいですか?」
ミアという名前の女の子は、俺を期待に満ちた眼差しで見ながら質問した。
なるほど、ヒール&トウか。
俺も慣れるまでは苦労した覚えがある。
「俺が運転するから、隣に乗って見てなよ」
「あっ……ありがとうございます!」
このぐらいお安い御用だ。
俺はヘルメットを取って、女の子を連れて一緒にガレージのルクスに乗った。
「じゃあ、行くよ」
「はい!」
エンジンをかけて、ピットレーンから誰もいないコースへと合流する。
バックミラーから後ろへ目をやると、残された生徒たちが並んで観ていた。
1コーナーを抜けて、直線を加速していく。
助手席に座る女の子へ視線を送り、俺は解説する。
「いい? 大事なのはリズム感。でも変に意識するとズレるから、気持ちはクラッチとアクセル同時のつもりで」
眼前に迫る2コーナーへと、フルブレーキング。
左手が瞬時にシフトレバーを掴み、俺の両足が安定したヒール&トウを決めた。
「速い……」
隣の子は目を輝かせている。
そのまま加速して3コーナー、切り返して4コーナーへ。
「左手に意識を置くよりは、あくまで足に集中したほうが上手くいく。シフトダウンはおまけ」
減速、旋回、加速。
5コーナーに続く。
「慣れないうちは、タイミング合わせのために最初から右足を捻った状態でブレーキングするのもあり。ちょっと踏力は弱くなるけどね」
「なるほど……」
これで少しでも、この子の運転が上手くなれば。
それだけで嬉しい。
加速してS字を抜け、最終コーナーをゆっくり回ってピットへと戻った。
「はい、お疲れ様でした」
俺はそう言って女の子を車から降ろした。
友達らしき生徒が「どうだった?」と聞いている。
その背中を眺めながら、俺もいったん車を降りた。
そんなことを何度か続け、日が暮れる少し前に4年生はサーキットを後にした。
「ありがとうございました!」
教室の全員からお礼を言われると、少し照れる。
「今日学んだことがちょっとでもみんなの糧になればと思います。こちらこそありがとうございました」
もっとじっくりみんなと話したかったが、思いをこらえて俺は教室を出た。
公式的にはこれで今日の交流会は終わりだ。
だが先生から許可が出たので、俺は風呂から出たあと自分の部屋へ帰らずに4年生の階へお邪魔した。
廊下に設けられたラウンジスペースのような場所で、また俺は質問攻めにあっている。
もう授業というよりはほぼ雑談だが。
「レイさんってなんでそんなに運転が上手いんですか?」
「んー、車が好きだからかな」
夜が更けるにつれて一人、また一人と4年生は自分の部屋へ帰っていったが、それでも俺は残っている生徒のために話を続けた。
「――――――だから、スポーツカーは維持費が高いんだ」
「なるほど……」
気付けば廊下には、俺ともう1人の4年生だけになっていた。
「レイさんはいつまでここで話ができるんですか?」
「消灯時間までならいつまでも」
「……暇なんですね」
年下にからかわれるというのも新鮮だ。
「君こそ、俺の話を聞いてるよりヒール&トウの練習でもしたら?」
「覚えててくれたんですか」
「名前は忘れちゃったけど」
俺は人の名前を覚えるのがあまり得意じゃないんだ、と心の中で呟く。
「ミアです。できれば私も、レイさんと一緒に走りたかったな」
「気持ちはわかるけど、さすがに俺だと監督責任が務まらないからな」
「わかってます。あの、卒業したら夏休みにはここへ走りに来てくれますか?」
夏休みか……ずいぶん先の話だけど、たしかに夏休みなら卒業生も走れる。
「いいよ。そのときになったら、また俺が教えてあげる」
「約束ですよ」
廊下の窓から刺す満月の月明りに照らされながら、俺は約束を心に刻んだ。




