19.敬語じゃなくていいよ
痛い。
目が覚めて最初に俺が感じたのは痛覚だった。
寝てる間に頭でも打ったか……?
いや、そもそも俺は寝てなかったはずだ。
慌てて目を開ける。
やはり、俺は見たこともない場所に横たわっていた。
どこだここ……。
「ん、目が覚めたかな」
誰かの声がした。
「痛みはいくらか落ち着いた?」
おそらく俺に向かって言っているのだろう。
痛いかどうかでいえばかなり痛いが、言われてみれば少し良くなった気はする。
とりあえず
「……はい」
と答えておくことにした。
「それはよかった」
誰かは少し安心したように返した。
朦朧とする意識の中で、誰かに聞く。
「あの……どちら様ですか?」
「あ、私?」
周りには俺と誰か以外いないはずだ。
俺が気づいていないだけかもしれないが。
「私はエルマ。この店の従業員だよ」
なるほど、従業員か。少し納得した。
おそらくは頭を打った俺の身を心配してどこかへ運んだのだろう。
だが、だんだんと意識がはっきりしてきた俺の目が、エルマと名乗る女性は働くほどの年齢ではないことを俺に伝える。
「従業員にしてはお若いんですね」
「あ、そう? ありがとう」
別に褒めたつもりはないんだが。
「従業員ってのは冗談。私の父が仕事で忙しそうだから、店を手伝ってるだけ。あなたとは同い年だから、敬語じゃなくていいよ」
意識が完全に戻った。
そういえば、おっちゃんは俺と同い年の娘がいるって言ってたな。
それを思い出してあたりを見回すと、車のパーツがたくさん飾ってある。
「ここは……?」
「店の休憩室。あなたが頭を打って倒れたから、父が運んだの」
俺の予想は当たっていた。これまでの記憶を遡ってみよう。
俺は店を手伝いに来て、エンジンを吹かして、車を――
あ、そうだ、コケたんだった。それで頭を打ったのか。
手伝うと言って店に来たのに、迷惑をかけている自分が情けない。
せめて謝りにいかないと……。
起き上がろうとした俺の体は、激痛によって押さえつけられた。
「いった……」
「大丈夫? 無理しないで」
「ごめん。ありがとう、エルマ」
とエルマの名前を呼んで、まだ自分が自己紹介をしていないことに気付く。
「俺の名前は、レイナーデ・ウィロー。店を手伝いに来たんだけど……」
「――転んで頭を強く打った。父から聞いたよ」
笑顔を見せて、エルマは自己紹介をした。
「改めて、私はエルマ・クライス。よろしく、レイナーデ」
「レイでいいよ。こちらこそよろしく、エルマ」
そう言って握手した後、俺はどうにか立ち上がった。
とりあえずおっちゃんに会わないと。
そう思ってガレージのほうへ向かったが、そこにおっちゃんの姿はなかった。
リフトの上にあったはずのシノレは、いつのまにか消えている。
「あれ、シノレが……」
「あそこにあった車? あれなら、父が今届けているはずだよ」
エルマが教えてくれた。
俺が倒れている間にターボの取り付けを終え、お客のところへ届けているのだろう。
帰ってくるまでにできることを探して、俺はガレージの掃き掃除を始めた。
掃除を始めてから20分ぐらい経った頃だろうか、おっちゃんが歩いて帰ってきた。
「ただいま。お、もう動いて大丈夫なのか?」
「はい。迷惑かけてすいませんでした」
「いいさ。店の人手が増えるだけでもありがたいしな。ん、二人そろって店を掃除してくれたのか。助かるよ」
二人そろって?
後ろを振り返ると、エルマも掃除をしていた。
「おっちゃん、シノレは……」
「ターボの取り付けが終わって、今届けてきたところだよ。協力してくれてありがとうな」
おっちゃんは笑顔で俺に礼を言った。
「あの、今週の金曜日まで暇なので、毎日来てもいいですか?」
勇気を出して聞いてみる。
「もちろん、大歓迎だ。ぜひ来てくれ。働き手が増えれば、仕事が捗って楽になる。それに、お前さんの車の知識とやらが必要になるかもしれないからな」
「ありがとうございます!」
俺は全身全霊で感謝の言葉を言った。
これ以上贅沢な一週間の使い方があるだろうか。
ここで毎日のように車やパーツを見てられるのだ。
最高と言わざるを得ない。
「娘ともよろしくやってくれよ」
と言っておっちゃんが笑った。
「これから1週間お世話になるけど、迷惑かけないように頑張るね」
「こちらこそ、店を手伝ってくれるなんて嬉しいよ。ありがとう」
エルマもこの店を手伝ってると言っていた以上、今後も一緒に作業するかもしれない。
「ハハハ、仲が良さそうで何よりだ。だが、お前さんはそろそろ帰ったほうがいいんじゃないか? もう日が暮れるぞ」
おっちゃんに言われて空を見上げると、もう太陽が沈みかけてる。
母さんとの約束がアバウトすぎて不安だが、早く帰るに越したことはないだろう。
「そうですね、今日はもう帰ります。明日からよろしくお願いします!」
「おう、じゃあな!」
おっちゃんの笑顔が、夕日に照らされて眩しかった。




