103.変化する環境と
「……よし」
俺は何歩か後ろに下がり、じっくりとフェアレディZの横顔を見つめる。
傷一つ見当たらない。完璧だ。
「修復、終わり!」
――――――バンパー以外は。
ドアとフェンダーの擦り傷は跡形もなく消すことができたが、リアバンパーはそうもいかない。
一つ一つは小さいものの、あちこちがへこんだり歪んだりしている。
早々に諦めて交換することに決めた。
そしてリアバンパーを変えるなら、せっかくだしフロントバンパーも変えてしまおうということで、両方買ってしまった。
よりダウンフォースの強いパーツを装備し、コーナリング性能の向上を図る。
もちろんこの世界にZのためのパーツは存在しないが、汎用品で案外どうにかなることはオーバーフェンダーが証明してくれた。
俺は届いたばかりの新品のバンパーを前にしてあれこれ思案している。
まあ、兎にも角にも見てみなければ仕方がない。開封しよう。
フロントバンパーは、中央に大きな開口部が空いたシンプルなデザイン。
その両サイドには二段のカーボン製カナードが付いている。
カナードというのはフロントに取り付けられるエアロパーツの一つで、角度のついた小さな板によって気流の剥離を抑制して安定性を向上させるパーツだ。
今のバンパーは三つの開口部があり、角度がついた左右の穴には昼間に光るデイライトが一対装備されている。
正直言って見た目の好みだけで言えば、変えたくはないのだが――所詮はストリート仕様にすぎない。空力という観点で見れば交換するほかないだろう。
それに、新しい方も悪くはない。慣れれば気にならないはずだ。
リアバンパーも開封しよう。
こちらはナンバープレートの下ギリギリまで抉れたスペースの中に、派手なディフューザーが付いたデザインが、完璧に俺のストライクゾーンを撃ち抜いた。かっこよすぎる。
ディフューザーについてはあえて説明するまでもないが、車体底面に負圧を発生させてダウンフォースを高めるための整流板のようなパーツのことだ。
さてこれらを加工して取り付けるのだが、もちろんネジ穴の位置も違うので、ポン付けできるとは思っていない。
FRPとパテを使って地道に合わせていこう。
「おはよう、レイナーデ。今日も頑張ってるな」
「おはようございます」
寸法を測っていると、チーム代表兼オーナーのヘインズさんがガレージの様子を見に来た。
いつもは資金繰りなど事務的な作業をしているらしい。
「あ、後で塗装ブース使っていいですか?」
「いいよ。マスクと服はあっちね」
「了解です」
バンパーの加工が終わったら、ボディーカラーと同色に塗装しなければならない。
俺のフェアレディZはバイブラントレッドという名の赤を身にまとっているが、当然この世界に日産の塗料は存在しないので、似た色で誤魔化すしかない。
とはいえこのZはもともと中古で買ったものだし、劣化した塗装をショップでコーティングしてもらったりもしていた。本来の新車のバイブラントレッドとは異なる色と言っても過言ではないだろう。
フェンダーとの段差を処理しながら、塗料について考える。
バイブラントレッドはソリッドカラーだ。つまり、メタリックやパールと違って粒子が含まれておらず、単色で塗られている。
しかし、フェアレディZにはスクラッチシールドが採用されている。
これは日産が開発した特殊塗装で、軟質樹脂を配合したクリヤーを上塗りすることで小さな傷なら自己修復で消える魔法のような塗装だ。
もっとも新車購入後5年も経てば効果は失われてしまうらしく、俺もスクラッチシールドについてほとんど忘れかけていた。ついさっきコンパウンドで傷を磨いてしまったし(本来コンパウンドで研磨してはいけない)。
「ん……?そろそろ寿命かな」
ふと目に付いたフロントタイヤの溝は、かなり浅くなっていた。
ちなみにクラス2のレースはスリックタイヤ――溝が一切ないレース専用タイヤ――が使われる。
もちろんスリックタイヤは公道使用不可なので、どっちみちこのタイヤは交換しなければならないのだが。
クラス2では供給されるタイヤの数などがレギュレーションで決まっている。
タイヤメーカーは一社のみのワンメイクではなく、チームごとに欲しいタイヤを選ぶマルチメイクだ。
スクーデリア・ヴェントはボイドロープ社と契約しているので、レース毎にボイドロープ社製のタイヤが、レギュレーションで決められたセット数分供給される。それを計画立てて使っていくというわけだ。
長丁場となるクラス2のレースには、今までになかったピットインという概念が新たに加わる。
ピットに入って瞬時にタイヤを交換する作業もまた、レースの醍醐味の一つだろう。
当然チームの力が試されるし、ドライバーにとっても最適な戦略を組み立ててそれを実行する能力が問われる。
実のところ、かなり不安だ。
タイヤの摩耗やピットインのタイミングについて考えを巡らせるのは、ラ・スルスの卒業式以来。
これからずっと、あのときみたいに散々頭を悩ませる羽目になる。
アンダーカットかステイアウトか、スティントをどう分けるか――――――
――――――弱音を吐いている場合ではない。




