100.やっと会えたね
ようやく港まで来た。
ちょうど正午ごろの太陽が照り返す眩しい海を前にして、エルマとシビくんのテンションは限界を迎えていた。夏ならともかく、もうすぐ年明けだというのに。
「海だー!!」「すごい、綺麗……!」
足を滑らせて落ちてしまわないか不安になるが、さすがに杞憂だろうか。
とりあえず俺はタッフィ555のグローブボックス――助手席の目の前にある収納スペース――から必要な書類を取り出し、二人の背中を眺めながらゆっくり歩いて後を追った。
確認しよう。
税関からの許可証はしっかり持っている。その他の書類も足りないものはない。フェアレディZの車検証などもちゃんとある。
向こうの方には多数の大きな貨物船やクルーズ客船が停泊していて、クレーンは絶えず大量のコンテナを積んでは降ろしている。
横一列に並んで建てられた倉庫のうちいくつかは扉が開いていた。フォークリフトが中でせわしなく木箱を移動させているが、荷物はその外側にも積まれていた。
――――――どうすればいい?
辺りを見回す。美しい景観が広がるばかりだが、だんだんと不安になってくる。
このコンテナの中からフェアレディZが入っているものを見つけ出さなければならない。どうやって? 見つけたところで俺は何をするつもりなのか。まさか無理やりこじ開ける訳にもいかない。
「……なあ、一体どうしたってんだ。まさか迷ったのか?」
振り返ると、コンテナヤードのオペレーターとみられる男性が立っていた。
頼るしかない。
「あの、こういう者なんですけど……」
荷渡し指図書を差し出す。とりあえずこれさえあればコンテナは受け取れるはず。
「荷物を貰いに来たのか。どれどれ……分かった。付いてきな」
一発で分かってくれた。頼もしい限りだ。
この人に付いて行く前に二人を呼び戻そう。
「エルマ! シビくん! 行くよー!」
「「はーい」」
広い港を数分歩いた先に、大きめのコンテナが一段ずらっと並べられている区画があった。
このサイズ感には見覚えがある。
「ここが自動車のエリアだ。悪いが、もっかいD/Oを見せてくれ」
言われるがままにさっきの書類を取り出すと、彼は一瞥してすぐに横から4番目のコンテナを指差した。
あそこにZが入っているのだろうか。
「あれだな。ここで開封するか、それとも持っていくのか?」
もちろん、コンテナを乗せて引っ張っていくトレーラーなど持ち合わせてはいない――今更だがひょっとして、ヘインズさんに頼めばトレーラーを借りられたのでは?
まあ過ぎたことを考えるのはやめておこう。
「ここで開けます」
「おう、じゃあ開けていいぞ」
開けていいらしい。普通に、開ければいいのか?
海上を輸送するコンテナなのだから、誰かが勝手に開けられないように封印されているはずだが。
元の世界では確か、ボルトクリッパーと呼ばれる巨大なペンチのような工具を使って、南京錠のような金属の鍵を破壊して開けるという手順だったはず。
戸惑いつつ側面に付けられている四か所のロックを順当に外していくが、三個目のロックに手を触れた瞬間――
「痛っ!」
強い静電気のような痛みを覚え、反射的に手を引っ込めた。
気を取り直してもう一度開けようとする。
しかし、“鍵”が掛かっていた。
「なんだ、これ……」
金属の取っ手を覆うように形成されている、ドーム状の薄い膜。
表面にはどこの言語か見当もつかない文字が刻まれた、二重の鎖のような輪。
俺の理解を超えている。
「アンタ知らないのか。もしかして、こういうのは初めてか?」
「はい。どうなってるんですか? これ」
「封印だ。輸送中、持ち主以外がコンテナを勝手に開けられないように、魔法で封印されてる」
魔法。そういえば今まで目にする機会は少なかったが、やはりこの世界では常識なのか。
つまり魔法で封印されているということは、開けられるのは俺しかいないのか?
「持ち主にしか開けられない、ってことですか」
「ああ、そうだ」
なら俺は開けられるはずだ。――どうやって?
そもそも魔法というのは、人間の精神の波長と特定の物との波長が一致してのみ使える限られた力。そして、波長が何と共鳴するかは人それぞれだ。
おっちゃんは工具。幽霊ことアイギス・イルハッシュは電気。そして俺は、車だったはず。
その理論で言えば、この鍵と共鳴する波長の魔法使いでなければ開封できないのでは? というかそもそも魔法が使えない人はどうするのか。
「あの……俺、この鍵の魔法は持ってないんですけど……」
果たして『持ってない』という表現が適切だったのかは分からないが。
「何言ってんだ、汎用魔法だよ。……知らないか?」
「し、知らないっす……」
彼の口ぶりから察するに、知っていて当然の知識らしい。俺の異世界教養不足だ。
「簡単に言うとだな、汎用魔法は誰でも使える簡単な魔法の事だ。どんな波長の奴でも使えるし、もちろん魔法使いじゃない奴も使えるようにできてんだよ。例えばこの鍵は、出港するときの港で採取した波長に合わせて作ってある。だから、同じ波長の奴が来ないと開封できないんだ」
なるほど、言われてみれば出港の手続きをするときに何か身体検査のようなことをされた気もする。いや待て。
「じゃあ、同じ波長の人が来れば誰でも開封できるじゃないですか。俺と同じ波長の魔法使いだって、いるかもしれませんよ。それに魔法を使えない人はどうやって波長を……?」
「波長っていうのは一人一人違うんだ。たとえ同じ物と共鳴する魔法使い同士だとしても、波長そのものは異なる。そして波長は全ての生き物が持っているもんだ。魔法使い以外もな」
「そうなんですか……」
頭が痛くなってきた。今度、魔法についてきっちり勉強しよう。
今はこのコンテナを開封しなければならない。
「それで、この鍵はどうすれば開きますか?」
「手をかざして念じろ。そこまで強い魔法でもないから、すぐに封印が解けるはずだ」
困惑しながらも言われた通り目を閉じて集中すると、絡まっていた鎖がほどけるような感触が流れ込んできた。
これでいいのか。
全てのロックを外して扉を掴み、慎重に引く。
重厚感のある音を鳴らしながら、コンテナの中身が露わになった。
「……久しぶり、Z」
会えなかった数週間、俺が片時も忘れることなく毎朝毎晩想い続けたフェアレディZは、まさに女神のような尊さを纏って鎮座していた。
しかしよく見ると、ドアからリアにかけて擦り傷とボディーの歪みが目に入る。
輸送中に付いた訳ではない。ゲメント峠で幽霊に追いかけられたときのものだ。
凛々しくも可憐な貴婦人には、最高のドレスを着てもらわなければ。
Zをスクーデリア・ヴェントのガレージに連れて帰ったら、何よりもまず最優先で修復しよう。
ゆっくりと一歩一歩近づき、電子キーでドアロックを解錠する。
運転席のドアを開けてバケットシートに腰を降ろせば、そこはこれ以上ないほど落ち着ける我が家だ。
ブレーキとクラッチを両足で踏み、エンジンを掛ける。
――――――俺の中で、何かが弾けた。
脳内にガソリンが飛び散るような感覚。抗えずZに全てを預けると、突如として溢れ出てきた途方もない快楽に身体が浮き上がりそうになる。
全身を恍惚とした多幸感の濁流が駆け巡り、そして解き放たれる本能的な愉悦。
さっきから心臓が不規則なリズムで脈を打っている。運動してもいないのに、息が切れる。
フェアレディZは、これほどまでに俺の精神を深く巣食っていたのか。
それを強烈に実感させられて、思わず心がキュッと締め上げられる。
さあ、どこを走ろうか? 今すぐにでもアクセルを踏み込みたい。俺とZにはスピードが必要だ。誰も追いつけないほどのスピードで疾走することだけに意味がある。ほら早く行こう。
いや駄目だ、忘れてはいけない。俺はまずZの傷を完治させなければ。俺のせいであんなことに巻き込んでしまって、本当に申し訳ない。向こうに着いたらすぐ作業に取り掛かる。直るまで一瞬たりとも手を休めずに奉仕し続けるから、どうか許して――――――




