第一話・承:『プロローグ――そのとき、物語は変わりはじめた』
扉に大きな穴が空いている。
穴の向こう側からは外の空気と光が差し込む。月明りが差し込むのを見て、初めて今が夜であることにわかった。また、穴の向こう側からは潮風のにおいがする。
おそらく、ここはどこかの港湾の倉庫なのだろう。
男たちは、ここで梱包した商品を船に積み込み、国外へと輸出しているのだろう。
「な、なんだよっ、これっ!」
男が動揺した様子で叫ぶ。
そのとき、
「そこまでです」
幼くも、凛とした声が倉庫内に響き渡る。
「!?」
来た! ようやく来てくれた!
待ち焦がれていた人物の声を聞いて、胸が高まる。
穴の中からゆっくりと小さな足取りこちらへとやってくるのは――一人の少年。
「だ、誰だ!? てめぇはよぉ!?」
慌てて銃口を女の子から少年へと向ける。
しかし、少年は臆さない。それどころか銃を向けられているのにも関わらず、二コリと微笑んでみせた。
そして、倉庫内を一望する。
地面に這いつくばっている俺を見つけて苦笑いする少年。
声をかけてはくれない。
さらに少年は男たちに捕まったまま、泣きじゃくっていた女の子を見て、「間に合った……」と小さな声を漏らす。だけど、やっぱり、その女の子にも声をかけようとはしない。対して、女の子は少年の顔を見た瞬間、ずっと堪えていた感情を爆発させたように、よりいっそう激しく泣き出してしまう。
きっと俺や彼女の身を案じてくれてのことなんだろう。
銃口を突き付けられているというのに、俺よりもよっぽど危ないという状況であるにもかかわらず、他人の身を案じる少年。その精神的な強さと度量の大きさ、なによりも今のこの状況下で、落ち着いて考えて行動することができる彼の冷静沈着さが羨ましく、また、頼りになる。
「……どこの誰だかわからねぇが馬鹿なやつだぜ。1人で来るなんてよぉ」
男が自分を鼓舞するかのように嗤う。
「おっと、これは失礼いたしました」
今度は少年が微笑み、おもむろに腕を振り上げては指をパチンと鳴らす。
そのとき。
「なっ!?」
少年が背を向けていた穴の中から幾数人もの人々が雪崩を打った勢いで突入してくる。
彼らはみんな同じ兵装を着て、同じ拳銃で武装して、一斉に男たちに銃口を突き付ける。彼らの一挙手一投足には無駄がなく、隙というものがほとんど感じられない。
一目見て、彼らがよく訓練された練度の高い、統率された武装集団であることがわかった。
「な、なんだよ、これっ……!」
男が少年に突きつけていた銃口の矛先が揺れる。
その後ろで構える男の部下たちも明らかに動揺している。
「お前ら……王家の回し者か?」
「さぁ、どうでしょう?」
「とぼけるんじゃねぇ!!」
男が声を荒げる。必死に恐怖を振り払っているかのような声色だ。
「その武装、どう見たって国軍じゃねぇか!」
「ただの勘違いですよ。彼らが正規の軍隊だとして、どうして、私のような子供が統率しているんですか? 普通、そんなことありえないでしょう?」
「ああ、そうだなぁっ! だからこそ、俺はぁ聞いてんだっ! おめぇ、何者なんだよっ!?」
「名乗るほどの者ではありませんよ。ただ……私たちはあなたたちのことをずっと探していました」
「なんだと……?」
たじろく男に向かって、少年は告げる。
「担当直入に言います。抵抗は無駄ですので、諦めて大人しく投降してください」
「なっ!! 俺たちを摘発するつもりかよっ?」
「ええ。人身売買の現場を取り押さえた以上、言い逃れはできませんよ?」
「ふざけんなっ!!」
「!?」
男が銃を振り回す。怒りに身を任せるようにして、がなる。
「どういうことだ! 話が違うじゃねぇか!!」
「……なんのことですか?」
「こっちはちゃんと上から出された条件や命令を守ってんだっ! 稼いだ売り上げのうち、取り分はちゃんと納めてるし、そっちが指定してきた標的も、ちゃんと命令通りに処理してんだぞっ!」
「!?」
わずかに少年の顔が曇る。
「俺たちはなぁ、お前らの言い付けを守った上で仕事してんだっ!」
「……そうですか」
少年は細心の注意を払うようにして。
「では、そこにいる彼女も、上からの命令で?」
「あぁ、そうだよ! どこのガキかもわからねぇけどよぉ、馬鹿丁寧にあっちから俺たちに直接渡してきたんだよ!!」
「……そうですか」
「いいか、これで、わかっただろう。俺たちはちゃんと許可をとって仕事をしてんだ」
「……そのようですね。どうやら、あなた方の、この仕事は、ちゃんと国の合意を得ているようです」
「ああ、だから――」
「ですが。今回ばかりは相手が悪かったと思いますよ?」
「なんだと……?」
「その子」
少年は今も尚囚われている女の子を指差す。
「その子の父親が大切な1人娘を誘拐されて大激怒しているんです。自分が持つあらゆる権限と私財を投入して、事件解決に当たっているんですよ」
「ど、どういう意味だっ?」
「つまり――あなたは絶対に敵に回してはいけない人を敵に回してしまったんです」
「なっ!?」
「残念ですが、あなたは貧乏くじを引かされたわけです」
そう言ってから、少年は思い出したように。
「ああ、ちなみに。今回、投入されたのは彼らだけじゃないですよ?」
おもむろに指を鳴らす。
その瞬間、扉の向こう側から大きな音は鳴り響く。
そして、穴の向こう側から巨大な“何か”ががやってくる。
こ、これは……!
知っている。俺は、これを知っている。
一目見ただけで、俺はこれがなんなのか理解することができた。
それは高出力のエンジンによって動く、ぶ厚い装甲に覆われた巨大な鉄の塊。
両側面の下限部にはいくつもの駆動式の車輪が平行線上に並べられており、それらが一斉に回ることで、まるでひとつの生き物のように巨大なチェーンがうねりをあげながら回転する。
そして……その鉄の塊には、巨大な砲塔と機関銃が付いている。
これは戦車だ……!
同時に、俺の中で、とある疑問が生じる。
どうして、俺はこれが戦車だということがわかったんだろう?
拳銃は見たことがあるけど……いくらなんでも戦車なんてのは見たことがないのに。
「な、なんだよ、これ……!!」
男の顔に恐怖と焦りが浮かぶ。
「大戦時に軍と会社が共同で開発した最新鋭の新型兵器です。搭載された主砲の破壊力もすごいですが、並装された機関銃の命中精度もなかなかのものですよ」
おそらく、相手の気迫を削ぐことを期待して、わざわざ持ってきたのだろう。
恐怖で顔を強張らせる男たちに向かって、少年は一歩も引かぬ忽然とした態度で語り掛ける。
「もう一度、言いますが抵抗は無駄です。投降してください」
少年の凛とした声が倉庫内に響き渡る。これは勧告でなければ、懇願でもない、命令だ。
「外にも多くの兵がおり、あなた方は完全に包囲されています。今すぐに武器を捨てて、子供たちを解放し、投降してください」
そして、武力をチラつかせた脅迫でもある。
明らかに怯えている男とその部下たちに向かって、少年は努めて温和な声で詰め寄る。
「素直に投降してくださるのならば、あなた方の身の安全を保障します」
「ふざけんじゃねぇ!」
「ふざけてなどいません。私は本気です」
「信じられるわけねぇだろうが!」
「なぜですか?」
「上は俺たちのことを裏切るつもりなんだよっ!」
顔を真っ赤にしながら男が叫ぶ。
「お前らが俺たちのことを逮捕しようとしているのが、その証拠だ! ちくしょうっ!! あいつら、今までさんざん俺たちのことを利用して私腹を肥やしていたのに、俺たちのことを切り捨てやがった! お前の甘言に釣られて、バカ正直にノコノコと投降したところで、俺たちが余計なことを言わないよう、口封じのために殺されるのは目に見えてんだよっ!」
激情に駆られるままに一気にまくしたてる男。
おそらく、自分がなにを言っているのかさえ、理解できないくらい、精神的に余裕がないのだろう。
そのことを理解しているからだろうか、少年は神妙な顔で甘言を囁き続ける。
「では、私は尚のこと、あなたたちを保護しなくてはなりませんね」
「なんでだよ? お前も、あいつら側の人間じゃねぇか!」
「ええ。たしかに、そうです。しかし……王家の中に、あなたたちを利用して私腹を肥やしている人がいると知った以上、私はなんとしてでも彼らを見つけ、いぶり出し、裁かなくてはなりません。そのためにも、あなた方は大切な情報源……証人です」
「どうだかな……俺たちを利用するだけ利用した挙句、あいつらと一緒に裁く腹積もりなんじゃねぇのかぁ? あぁん?」
「…………」
「どうなんだよ!」
「……ご明察です。私個人の意見としては、そうしてしまうのが一番理想的です。しかし……」
苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべる少年。
「しかし、人権は守らなければいけないんですよ。最近できた国際法に則ってね」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味です。先の大戦以来、世界平和世界の維持のためにも法を順守せよという声がうるさくて……たとえ犯罪者であっても人権は守られなければいけないのです」
少年は自分に銃を突きつける男の顔を真正面から見る。
「私や王家のことを信じられないのも無理からぬ話でしょう。それならべつに、それでも、かまいません。しかし……私たちが信用できなくても、たとえ犯罪者であっても人権を尊重し、法に則った形で裁かなくてはならないという我が国の不安定な国情なら信用できないでしょうか?」
「…………」
「そして、同時に……今なら、まだ私の権限内であなたたちを保護することができます。私としても、今回のことを世間に知られたくありません。外貨獲得のために自国民を他国に奴隷として輸出していたことを
王家の一部が率先して行っていたことが世間に露見すれば、王家の信用の失墜は免れません。だから……私としましても、なんとか秘密裏に処理したいんです」
少年は深々と頭を下げる。
「お願いします。投降して素直に自白……私たちに協力してください。あなた方の身の安全は必ず保障します」
「…………」
無言のまま、少年を見下ろす男。
その顔は、最初に女の子たちを吟味していたときと同じ目をしている。
「……本当にだろうな?」
「はい……我が王家の名に誓って」
「…………」
男は尚も押し黙っていたが、やがて突き付けていた銃を下ろした。
「あー……くそっ! わかった! 投降すりゃあいいんだろう、投降すりゃあっ!」
「!?」
少年はホッとした様子で胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます……賢明な判断ですね」
「そりゃあ、どうもっ。くそっ!」
「では、その銃をこちらに投げ捨ててください」
「ほらよ……受け取りなっ」
男は持っていた拳銃を投げ捨てる。
それを見て、男の部下たちも諦めたのか素直に持っていた武器を下ろした。
投げ捨てられた拳銃は地面に落ち――――兵がすぐに回収する。
た、助かった……!
それを見て、ようやく俺は安堵した。
助かったという思いが身体中を駆け巡り、張り詰めていた緊張の糸が途切れて一気に脱力してしまう。それは捉えられていた他の子供たち全員が同じ気持ちであったらしく、みんな腰を抜かして地面にへたり込んでいた。
「では、次に両手を上げてください」
「……あいよ」
男が素直に従う。
このまま男を確保して、部下たちも確保して……そうすればあとは子供たちを救助するだけだ。
間一髪だったけど……これでもう一安心だな。
本当、間に合ってくれてよかった……そんな風に思いながら、顔を上げた瞬間――。
――――なっ!? あ、あいつ!?
それを見つけた。
男が来ているスーツの中には胸の脇には両タイプのホルスターが。
もちろん、中身も詰まっている。
男が持っている銃はひとつじゃない! もうひとつあったんだ!
俺がそのことに気が付き、なんとか他の誰かに伝えようとするよりも先に――。
「動くんじゃねぇぇ!!」
「~~~~!!!!??」
もうひとつの銃を取り出しては、すぐ近くにいる女の子を捕まえては頭に銃口を突き付ける。
自分の服が汚れるのも気にせずだ。
「なっ!!!」
しまった! 誤算だった!
まだ銃を持っているなんて。気を抜かず、もっと携行する武装を確認するべきだった。少年の顔にはそんな焦りの気持ちが浮かび上がる。
「動くなよぉ……! 少しでも動いたら、このガキを殺すぞ!」
男は再び大声をあげて、俺たちのことを牽制する。
「このガキがいったいどこの誰なのか、なんてことはわからねぇが……こいつがここで死ぬのはお前にとっても避けたいことなんだろう? 違うか?」
「…………」
なにも言えずに黙りこくってしまう少年。今の状況で無言になってしまうのは明らかに悪手だ。
「沈黙は肯定だぜ? 坊ちゃん、よぉ」
「……もし、彼女の身になにかあったら、そのときは私でも庇いきることができませんよ?」
「はんっ、お前の保護なんか最初から期待してねぇんだよぉ。いいか? あいつらが俺たちを裏切った時点で俺たちに後ろ盾なんてものはねぇんだよ!」
少年のささやかな脅迫を男は鼻で笑い、切り捨てる。
「いいか、俺たちを逃がせ。俺たちはこのまま船を出港させて、この国を出る。それまでの間、俺たちの後を追おうとするな。海上でも俺たちのことを襲おうとするな。そうじゃなきゃ――」
握り締めていた銃をもう一度女の子に押し当てる。
「!?」
女の子はまた悲鳴をあげる。もう精神的に限界なのだろう。すでに足に力は入らないらしく、ムリヤリ男が立たせている。
ちくしょう! どうすればいい!
考えろ! 考えろ、考えるんだ!
「くっ……!」
「さぁ、どうするっ! 早く答えろっ! 俺たちを逃がしてこのガキを救うか、俺たちを捕まえるためにこのガキを見捨てるか! さっさと選べっ!」
やがて、少年はひとつの決断を下す。
「わかりました……あなたたちのことを見逃しましょう……」
「いい子だ。懸命な判断だぜ」
「その代わり、もし約束を破ったら……!」
少年が凄む。しかし、すでに主導権は男が握っている。
「いいだろう。ただし――このガキはこのまま俺たちと一緒に船に乗っけていく」
「なっ! 話が違うっ!」
「ちゃんと五体満足で解放してやるから落ち着け! いいか? 俺たちがお前らの包囲網を完璧抜けてから、第三者経由でこのガキを返してやる」
「そんなこと、信用できるわけがないっ! その子の解放が先ですっ!」
「信じろよ」
「!?」
男は意地汚く嗤った。
「俺たちのことを信じられないのは当然だ。だがなぁ、今の俺たちの、のっぴきならないところまで追い詰められている状況なら信じられるだろう?」
「…………!!」
少年は苦悶の表情を浮かべて、自分の唇を噛む。唇の端から赤い糸が垂れた。
先程までとは立場が逆だ。
そして、今のこの状況は自分たちがつくってしまったものだ。
「おい! てめぇら、さっさと出航の準備しろ!」
「は、はいっ!」
「おい、急ぐぞっ!」
「余計なもんは全部捨てていけ! とにかく、急げっ!」
「はいっ!!」
男の部下たちが我先に倉庫の奥へと消えていく。おそらく裏口でもあり、そこから出て、船に乗り込むのだろう。
「おい、船の周辺にいる兵隊共を撤去させろ! どうせ、いるんだろう!」
「…………」
少年は歯ぎしりをしながら、兵隊たちに伝令を出立させる。
なんとかしなくちゃ!
そんな思いから辺りを必死に見回す。すると――それが目に入った。
これは!
俺は細心の注意を払いながら地面に寝転がるようにして、それの上に倒れる。
先端部分……焼き鏝に足を近付けさせては熱によって足を拘束する荒縄を焼き切る。
ちょうど、そのとき、部下の一人が戻ってくる。
「ボス! 出航、準備整いました!」
「おしっ、今、行く――――」
「!?」
振り向く男が俺と言う存在に気が付く。
バレちまった! もう、今しかない!
俺は男へと一直線に走り、正面から体当たりする。
「てめぇ――!」
「ル、ルドルフ!」
「!?」
少年……俺の親友が俺の名前を呼んだ。
男は大きく仰け反り、そのまま水溜りへと倒れる。俺はすぐに女の子の身体を引っ張り、少しでも遠くへと走ろうとする。
だけど、女の子は走ることができない。それどころか歩くこともままならない。
なんとか、俺がおぶってでも、その場を移動しようとした瞬間。
背後で声がした。
「こ、こ、こっ、こんのぉ、くそがきぃぃがぁ!」
「!?」
激怒した様子で銃を俺――――ではなく、彼女に突きつける男。
ヤバイ、そう思った瞬間。
「死ね!」
「!?」
それは咄嗟の行動だった。
身体を付き出して、彼女の前に立ち、庇う。先程の女の子と同じことを俺はしていた。
そして、それこそが引き金だった。
物語を狂わせることとなる発端。
「!?」
撃ちだされた銃弾が俺の身体に抉り込む。
痛みを感じた瞬間、まるで身体全体が麻痺してしまったかのように硬直してしまう。動かせないまま、頭から地面へと倒れ込む。
声は、出なかった。
そんな余裕は、なかった。
「ルドルフ!!?」
親友の声が聞こえる。
同時に、大勢の人々がこちらへと走ってくるのが見えた。
銃が付き出される。銃弾が飛び交う。銃声音が聞こえる。
――誰かの悲痛に満ちた悲鳴が聞こえる。
だけど。今の俺にはとっては、どれもどうでもいい取るに足らないことだった。
それ以上に衝撃的なことが俺の脳内で起きていたから。
俺の脳内で情報が爆発する。脳裏に幾千万の風景が蘇り、再生する。
銃撃の痛みではない、頭が割れるような痛み。
そして、その痛みさえもが次第に薄れていく。徐々に視界が黒い暗幕に染まる。
やがて。
最後には意識を失った。
俺が最後に見たのは……泣きながら必死に俺のことを呼び続ける女の子の姿だった。