海沿いの列車
久しぶりに、海沿いを走る江の海線に乗った。
季節は夏の初めで、窓外には草花が生い茂り、その向こうの海は陽射しに輝き、水平線はくっきりと筋を引いたように見えた。
失業して間もなく一カ月が過ぎる。
ハローワークに通う以外、新聞の折り込み求人広告や求人情報誌を見るしかすることがなかった。しかしそれ以外の時間、家でごろごろするのも中学生のひとり息子である拓哉や、妻の手前格好がつかないので、仕方なく安いカフェに通い、百円で購入した文庫本を読んで過ごす日々を送っていた。しかしきょうはちょっと窓外を流れる風景でも眺めて過ごそうと、藤野駅まで足を延ばし、百九十円の入場券を買い、この列車に乗ってみた。
単線で、車両は二両しかなく、走る速度は自動車より遅いので、生活のことを暫し忘れ、のどかな気持ちを味わって、少し気分転換をするにはちょうど良かった。
失業してからというもの、なぜか幼い頃の父の姿がしきりに思い出された。
二十年近く労働にいそしんできた緊張が途切れ、再就職先が見つからないプレッシャーで内省的になっているのか、遠い幼少の記憶が、眠られぬ夜などにもくもくと湧いては消えた。
たとえば縁側に腰かけ、庭に向かって三歳くらいの私がトウモロコシを食べている。目を上げると、横に座っている父と目が合い、父はにっこりとほほ笑む。私は急に人見知りをし、あわてて目を逸らす。
庭では、母が一歳の妹を抱っこしてあやしている。
そんな古い記憶だ。
私はなぜ最近こんなに父のことを思い出すのだろう。今、列車に乗っていてもこうして父のことを考えている。
しかし七十になる父とは、ここ数年全く会っていない。
父は癇癪持ちで、私は成長するに従い、父とは考え方や気持ちが合わなくなっていった。
父と私は価値観も、性格もまったく違っていて、政治的信条や人生観も違うだけでなく、私はいつからか、父親の人間性を愛せなくなっていた。
母もまだ健在だが、父とふたりで住んでいるので、自然、母とも疎遠になっている。
列車は鎌田高校前駅に停車した。
ここには駅から歩いて行ける距離に、私の妹が生前通っていた男女共学の公立高校があり、その高校の生徒と思われる高校生たちが数人乗って来た。そろそろ下校の時刻かもしれない。
その中に、私の妹がいた。いや、妹ではない。妹は十八の夏に乳がんで美しい盛りの生を終えたから、妹によく似た女子生徒と言うべきだろう。
それにしてもよく似ていた。ポニーテールに結った髪型も、太めの眉も、一重の目も、そして筋の通った鼻にちょっと厚めの唇も、記憶の中の妹そっくりだ。
車内は比較的すいていて、空席も随分あったが、その女子生徒は私の座っている座席のちょうど正面に腰を下ろし、そして俯いてスマートフォンをいじり始めた。
私はできればその女子生徒に、目を上げてほしかった。そして妹ではないことをはっきり確認し、落ち着きたかった。
それに不覚にも、その日私はメガネを持って来ていなかった。私の視力は裸眼で0、一かせいぜい0、二くらいで、二メートル以上は離れている彼女の顔を、精緻に観察することができなかった。
でも、列車が走るにつれ、それはそれでよくなった。二十年前に逝った妹が、今、そのままの姿で目の前にいる。そして妹の背後には、眩しい光を放つ海原が広がっている。
それはとても私の心を明るくする光景だった。
私は、きょうこの列車に乗ってよかったと思った。
妹は終点の鎌田駅で降りる。私はそのあとをついて行く。妹は改札を出る。私は金を無駄にするわけにいかなかったので、百九十円の切符をポケットに、踵を返して、折り返す列車に乗り込んだ。
翌日、午前中はハローワークに行き、午後、昨日と同じ時刻に始発の藤野駅を出発する江の海線に乗った。
その時刻、列車は一時間に三本しかない。
妹はまた乗って来るだろうか。
列車は海沿いをコトコトと走る。心地良い潮の香りが、僅かな乗客を乗せた列車の中を満たしている。列車はやがて鎌田高校前駅に着く。七、八人の高校生が乗って来た中に、やっぱり妹はいた。
昨日と同じように私の正面に座り、スマートフォンをいじっていた。ゲームでもやっているのか、メールを打っているのか分からないが、妹はずっと視線を下に向けている。
私はその日メガネをかけていた。だから妹の顔をつぶさに観察することができた。私は妹に間違いないと思った。しかし、声をかけることはできなかった。本当は妹であるはずがないのだから、声をかけるわけにはいかないという理性が、僅かながら残っていたのだ。
列車は海辺を走る。妹は俯いたまま、「おにいちゃん、おにいちゃん」と私に何かを語りかけてくる。
結局私はその日もただじっと妹を見つめるだけで、終点まで行き、妹が降りるのを確認してまた折り返す列車で戻って来た。
なぜだろう。妹がこうして私の前に現れることが、私には少しも不思議とは思われない。
その晩、私は四つ下の弟に電話をかけてみた。
「ああ、兄さん、仕事見つかったの?」
味気ない挨拶だ。弟は私の家から電車で一時間程離れた町に住んでいて、ふたりの小学生の子供がいた。
「きょう、まあきのうもなんだが、江の海線の車内で由紀を見かけたんだよ」
「ん、何だって?」
「江の海線に、鎌田高校前から由紀が乗って来るんだよ」
「何言ってるんだよ、兄さん、意味が分からないよ」
「だから由紀に二度会ったんだ。いや、見かけただけだけど」
「兄さん、大丈夫かよ。どうかしたのかよ。それ、どういう意味?」
「俺が江の海線に乗っていると、鎌田高校前から由紀が乗って来るんだよ」
「それ、本当に、真面目に言ってんの?」
「ああ」
弟は暫く沈黙した。それからこう言った。
「咲子姉さんに代わってくんない。な、兄さん。そのまま電話切らないで、姉さんに代わってよ」
「何で」
「兄さん、兄さんじゃ話にならない。兄さんは多分、何か……つまり心の病気か何かかもしれない。そんなこと、まともな口調で言うなんて、おかしいじゃん。もしおかしいことが自分で分からないなら……とにかく姉さんに代わってよ」
「いや、いいんだ。もういいんだ。べつに」
「いや、よくはないよ。何だって? じゃあ、鎌田高校前から姉ちゃんが乗って来るって言うんだな」
「そうなんだ」
「うーん、どうしちゃったんだろうね、兄さん。困ったなあ」
「うん、いいんだ、べつに、分かってもらえると思わなかったから」
「いや、分かったよ。兄さんの言ってる意味が。兄さんは鎌田高校前駅で姉ちゃんにすごく似た人を見かけたんだろ? そういうことだろ?」
「あ、ああ、そうかもしれない」
「なんだ、もう、変な言い方やめてくれよ。びっくりするじゃないか。で、何、そんなに似てるの?」
「いや、似てるんじゃなくて、俺は由紀だと思ってる。おまえも明日、一緒に来ないか?」
「バカな。そんなことできるわけないだろ。仕事もあるのに。何かおかしいな、きょうの兄さんは。……そうだ、じゃあ、こうしよう。俺もそうそう仕事休めないから、明日、その姉ちゃんの写真を撮って、ラインで送ってよ。な、それならできるだろ?」
「写真を撮るのか?」
「うーん、いやならいいけど」
「音がするからなあ」
「無理か?」
「いや、じゃあやってみるよ。分かった」
「そう。それとさ、兄さん、焦らず、少しゆっくり休んだほうがいいよ。必要だったら、病院に行ってさ。咲子姉さんと相談してみて。何だったら、俺が咲子姉さんに話してやるよ」
「いや、いいよ。大丈夫だから。じゃ、写真を撮って送るよ」
「うん、そうしてくれ」
「じゃあな」
「うん、じゃあな、兄さん」
私は弟に電話したのは適切ではなかったと分かった。べつに弟に知らせる必要もなかったのかもしれない。
自分だけが分かっていれば、それでよかったのかもしれない。
私は少し後悔した。
母が庭で洗濯物を干している。塀の上にきりぎりすがとまっていて、私はその不気味な印象を与える生き物を眺めている。縁側を見ると、一歳くらいの妹が父親の膝の上にちょこんと座って、父親にあやされながら私の方を見ている。
そんな、四十年近く忘れていた記憶が、その夜布団の中で蘇ってきた。しかしそれ以降の妹の記憶というのは思い出すと胸が痛む。妹が十代で逝ったせいだろう。一緒に育ち、成長した妹は、言ってみれば私の一部みたいなものだったのかもしれない。
妹を泣かせたこと、妹を連れて遊んだこと、あるいは父と母に連れられ、妹と、幼い弟と一緒に小旅行に行ったこと。断片的だが、妹の記憶をたぐればそれはきりなくある。
だから妹が亡くなった時は、身を切られるより辛かった。病院のベッドを囲んで、家族皆でいつまでもいつまでも泣いていたのを思い出す。
翌日、やっぱり妹は列車に乗って来た。そして私の正面に座って、いつものとおりスマートフォンをいじっている。
私は弟との約束を心から後悔していた。写真を撮るなどというのは、妹を裏切るようで、ひどく心苦しかった。妹がせっかく私の前に現れてくれたのだから、私だけがこうして妹と無言の交流を楽しんでいればよかったのではないだろうか。
しかし私は仕方なくスマートフォンを取り出すと、そっとさりげなく、妹の方へ向けた。そしてシャッターを押したが、やはりカシャッと音が出てしまった。
一瞬妹は目を上げ、私を見た。そして私が私であることを確認したように、また俯いた。
私を見た妹の顔は、まぎれもなく生きていた時のそれであった。
その日、終点の駅で妹が改札の向こうに消えていくのを見届けてから、私は写真を弟に送信した。
その晩、弟に電話をかけるより先に、妻に、
「ちょっと来て」
と寝室に呼ばれ、私は妻から、
「あなた、最近どうかしたの?」
と尋ねられた。
「いや、べつに」
「弟のたっくんから電話で聞いたんだけど、あなた、最近列車の中で亡くなった妹さんに会うんですって?」
と妻が言う。
「なんだ、あいつ、君に言ったのか?」
「あなた、大丈夫?」
「大丈夫だよ、俺は」
「あなた、それで妹さんの写真をたっくんに送ったの?」
「うん、まあ」
「本当に送ったの?」
「何で」
「ちゃんと妹さんを撮って、送ったの?」
「だから何さ」
「たっくんが言うには、写真には電車の座席が写ってるだけで、誰も人は写ってなかったって言ってたわよ」
私は急に笑いが込み上げ、同時に安堵した。
「そうか、それならそれでいいよ」
「あなた、どうかしちゃったの?」
「どうもしてないって」
「私、心配」
「大丈夫。心配しないで。僕はどこもおかしくないから。精神科に行く必要もないし、そのうち何とか仕事見つけて、ちゃんと働くから。どうせ弟は、精神科にでも連れて行けって、君に言ったんだろう」
妻は黙っている。
「まあ、そんなところだろうな。大丈夫。このとおり、俺は正常だよ」
「本当に?」
「本当に」
「じゃあ、私、明日あなたと一緒にその列車に乗ってもいい?」
「君が?」
「ええ、一緒に行きたいの」
「そんなに心配か」
「ええ」
私は少しためらった。また妹を裏切るような気がしたのだ。しかし妻も相当心配しているようだから、仕方がないかもしれない。
「分かったよ。じゃあ明日、ふたりで江の海線に乗ろう」
翌日は金曜日だった。学校は休みではないから、いつもと同じ列車に乗れば、多分妹は乗って来るだろう。
私と妻は藤野駅からゆっくり、コトコトと走り出す列車で、小旅行に出かけるように、のどかな窓外の風景を楽しんだ。
その日はあいにく曇り空だったが、なぜか海も空も、いつもどおりくっきりと、明るく見えるような気がした。
妻と私は、この三日間私が座った座席に並んで座っていた。車内はあちらこちらに空席があり、立っている客はひとりもいない。
妻は妹の写真を何枚か持って来ていた。
私が妻と結婚したのは二十七の時だから、当然妻は妹と面識がない。だから写真と見比べるつもりだったのだろう。
二十分程して、列車は鎌田高校前駅に到着した。十人程の高校生が乗って来た。が、妹はどこにもいなかった。
「ねえ、どの子」
妻は尋ねる。
「いや、きょうはいないみたい」
「いない?」
「うん、乗って来てないんだ」
「なんだ」
妻はつまらなそうにしていたが、
「でも、とにかくあなたは妹さんに似た人を見たのね」
「いや、似てるんじゃなく、妹なんだよ」
「それが心配なのよ。なんで妹なんていうの? そんなことあるわけないじゃない。妹さんに似た人を見たんでしょ? ねえ、そうでしょ?」
「うん、それでもいいよ」
「変な人」
「引き返そうか」
「いやよ、せっかく列車に乗ったんだから、もう少し風景でも楽しみましょうよ。とにかく、もう変なこと言うのやめてね。どう見てもあなたは正常だから、また来週からちゃんと職探ししてよね」
「分かってる」
翌週の月曜日、私はまた妹に会いたくて、ハローワークで新しい求人が出ていないかチェックしたあと、いつもの海沿いの列車に乗った。
案の定、鎌田高校前駅から妹は乗って来た。ちゃんと決まっているかのように、同じドアから乗って来て、私の向かいに座る。
私は「由紀はなぜお兄ちゃんの前に現れるの?」と聞いてみたかった。何か言いたいことがあるんじゃないか、私に何か訴えようとして、私の前に座っているのではないか、そう思った。しかし声をかけると、その瞬間にせっかくの夢から覚めるように妹が消えてしまいそうで怖かった。
「由紀、どうかしたの?」
私は由紀に心の中で聞いてみた。
しかし妹は俯いたままだった。
いつもどおり終点で妹を見送ると、私はその日も折り返す列車で帰ってきた。
帰りぎわ、新たな記憶がふと蘇った。
父が、三歳くらいの妹と、五歳くらいの私の手を引いて、動物園かどこかへ遊びに連れて行く場面だ。
私は、父親に由紀のことを話してみたらどうかと思った。父に分かってもらえると思ったわけではないが、なぜか、父に話してみたくなったのだ。
父に電話をかけるのは、いったい何年振りだろう。しかし、すっかり疎遠になった父と、久し振りに会って話をするのも案外悪くないかもしれない。
その晩、私は父に電話した。
「もしもし、お父さん? 達夫です。久しぶり」
「達夫? 本当に達夫か? 振り込め詐欺じゃなくて」
「詐欺じゃなくて達夫だよ。どうしてる? お父さん」
「おまえこそどうしてる。皆元気か?」
「はい、元気だよ。お父さんもお母さんも元気?」
「うん、まあ、色々それなりにあるけどな。何とかやってるよ。で、どうした」
「うん、ちょっと久し振りに会って話したいことがあって」
「何だ、話って。電話で言えないことか?」
「そうじゃないんだけど、じゃあ今言おうか」
「何だ」
「いや、実はね、お父さん信じるかどうか分からないけど、最近江の海線の列車の中で、由紀をよく見かけるんだよ」
「なに、由紀を?」
「そうなんだ。由紀の通っていた高校がある鎌田高校前駅から、いつも乗って来て、俺の前に座るんだ」
「他人のそら似じゃなくてか」
「じゃないんだ。由紀なんだよ」
「なぜ分かる。うなじのほくろはちゃんとあるのか?」
私はそれまですっかり忘れていたが、やっぱり親だと思った。妹はうなじに五円玉の穴くらいのちょっと大きいほくろがあった。父はそのことを言っているのだ。
「ああ、それは確認していない。でも、僕は由紀だと信じているんだ。何ていうのかな。妹って、似ているとか似ていないとか、それ以上に心で分かるんだよ。いつも同じドアから乗ってきて、俺の正面に座るんだ」
父は黙っている。この反応は予想外だった。父は私の話を真面目に聞いているのだ。
「それは本当の話なんだな」
父の声音が少し震えた。いくら何でもこんなに簡単に話が通じるとは思っていなかった。
「お父さん、一緒に来てみる?」
私はそう言ってみた。ただ、父は十年程前、脳梗塞を患ってから右足が僅かだが不自由で、老いた今はひとりで遠出できるかどうか心もとない。しかし車なら私の家から父の家まで一時間くらいで迎えに行ける。
「行きたい」
ひと言父はそう言った。私も今回ばかりは、相性の悪い父でも、由紀の姿を見せてやりたいと思った。
「じゃあさ、明日、一時にそっちに車で迎えに行くから待っててくれない? 一緒に江の海線に乗ろうよ」
「分かった」
「じゃあ、明日」
「ああ」
電話を切った私は、随分久し振りに父となめらかな会話ができ、少し嬉しかった。
しかし、改めて思い出してみると、元来父は霊的なものなど信じない人だった気がする。だから私には、今回の父の反応がとても意外に思えた。
翌日、父を迎えに行った私は、父を車に乗せて江の海線の藤野駅を目指した。
「お父さん、お母さんに話したの?」
「いや」
「どうして」
「お母さんは現実的な人だから、話しても信じないだろう。もしきょう本当に由紀に会えたら、お母さんにも話すよ」
「そうか」
父は私の話をすっかり信じているようだった。逆に私は、妹がきょう鎌田高校前駅から乗ってくるかどうか心配になった。もし先日の妻の時のように、乗ってこなかったら父は相当がっかりするだろう。
藤野駅に着くと、私は足の悪い父の手を引いて、江の海線のプラットホームまで行った。何とかいつもの時刻に間に合って、私たちはいつもの発車時刻の列車に乗ることができた。
その日はよく晴れた日だった。私たちは互いに何も話さず、列車が駅に着くたび、きょろきょろと窓外の光景ばかり気にしていた。
やがて列車は鎌田高校前駅に到着する。
ホームには数人の高校生が立って列車を待っていた。その中に、妹がいた。
妹はいつものように同じ扉から乗り込み、私たちの正面に座った。
「お父さん」
私は小声で呼びかけた。
「どう? お父さん」
私は心配になって押し殺した声で尋ねた。父は、少し間をおいて、じっと由紀を眺め、
「うん、由紀だ、由紀だ」
小さな声で囁くように言いながら涙をこぼした。
列車は走る。
父は感無量といった様子で由紀を眺めては俯いて涙を拭い、また由紀を眺める。
やがて列車が終点に着くと、私は父の腕を支え、列車を降りようとしたが、その間に由紀はすーっと立ち上がり、扉から出てホームを歩き、父がやっとホームに降りた時には改札の向こうへ消えていた。
私は、父の腕を支えるのに気をとられ、うなじのほくろを確認することができなかった。
父を支えながら、手を引いて、私たちはとりあえずホームのベンチへ行き、座った。
「お父さん、どうだった? 由紀だった?」
私がそう尋ねると、父は、
「うん、由紀だ。由紀だ。ただ……」
「ただ?」
「うなじのほくろを見そこなった。由紀には違いないと思う。しかし確証が……」
父はそう言ってから、
「明日、もう一度見たい。そしてうなじのほくろを確認したい。確認できたら、話しかけてみたい」
父はすでに冷静さを取り戻していた。
「明日も連れてきてくれるか?」
「いいよ、勿論」
私たちはホームのベンチに座って、暫くぼんやりとしていた。
「お父さん」
私は父に語りかけた。
「お父さんは、僕と由紀を色々な所に連れて行ってくれたね」
父は黙って私の顔を見ている。
「釣りとか、小旅行とか」
「それがどうした」
「キャッチボールもしてくれたね。ありがとう」
「何を、今さら」
私たちはどれくらい座っていただろう。夕刻が近づいた頃、私は、
「帰りに長山駅で途中下車して、お寺さんでもお参りしようか」
と父に言うと、父は、うん、と頷いた。
黄昏の迫った寺は、鬱蒼とした木立の奥にひっそりと佇んでいた。三十段程の石段をゆっくり一段一段父の手を引きながら、私たちは上って行った。
途中、何度も何度も休みながら、私たちは、由紀や私の幼少の頃の話に花を咲かせた。そして私が、大きくなってお父さんとは分かり合えなくなったけど、子供の頃可愛がってくれたことや、大人になるまで育ててくれたことを、心から感謝していると改めて言うと、父は、
「そうか?」
とようやく懐かしい笑顔を見せ、少し嬉しそうにしていた。
やっとの思いで拝殿まで来てふたりで拝み、ゆっくりとまた石段を下りた。父はすでにひどく疲れている様子だった。
父が脳出血で倒れたと母から連絡を受けたのは、その翌日の早朝だった。父は昏睡状態のまま、二度と目を覚ますことなく、一週間後に息を引き取った。
私は間もなく新しい仕事を見つけたが、それ以降妹には一度も会っていない。 (了)




