第6話 所詮は…
お先にどうぞと遠慮する遥にお風呂に入ろうと晶は脱衣所にいた。ふと棚に目をやるとタオルや部屋着はきちんとたたまれて置いてあった。
男を感じるような下着なんかは別のカゴに入れて蓋を開けるなと言ってある。それ以外は洗濯をしてくれているようだった。
飯も作れるし、家政婦としてうちで雇ってもいいんだが…。それじゃ社会復帰できなくて意味ないな。そんな思いに脱衣所の引き戸を少し開けて遥のようすを伺った。
トットットットと、小動物のようなそれは、忙しく働いていた。
フッ。チビのくせによく働くぜ。
今度は取り込んだバスタオルをたたもうとしているのか奮闘している。そのバスタオルが巨大に感じて、んっとにチビだな。と苦笑した。次の瞬間、チビのせいで長いバスタオルを踏むことになる。
「危ない!」
思わず転びそうなチビに手を伸ばした。ギリギリで間に合った長い腕は倒れかかった体を起き上がらせると抱きしめる形になってしまった。
抱きしめた体は柔らかくて晶はドキッとした。
なっ。これが男のサガってやつか…。動揺を悟られないように遥から離れる。
でも俺にはそんな気持ちも何もかも男らしいものは全て持ち合わせていないはずた。ただあるのは母に捨てられたこの低い声と無駄に高い身長だけ。
「わりー。危ねぇぞ。」
遥を見ないようにして脱衣所に戻った。
遥は晶のことを背が高くても華奢で綺麗でやっぱり女なんじゃないかと何度も思っていた。でも今は…。どうして大丈夫なんて思ったんだろう。所詮は男なのに。
しっかり見たわけではなかったが、華奢でもただ細いだけではない腕。簡単に抱き起こせてしまう力強さに胸が苦しくなった。
晶も何度も小学生のクソガキ(男)だと思っていたが、どうして大丈夫なんて思ってたんだ。所詮はやっぱり女じゃないか。柔かかった腕を思い出すとザブンと湯船に頭まで潜った。
なんとなく顔を合わせづらい気持ちで朝早くに晶は家を出た。
昨日のことを思い出すと、はーっとため息をつく。
「なんだ。1人か?」
聞き慣れた声におもわずビクッとすると後ろに直樹がいた。
今、一番会いたくないやつ…。
無視したかった。どうせ何か言われるのが目に見えている。
「こんな朝早くに本屋にいて遥ちゃんは大丈夫なのか?」
通勤客に合わせて早朝からやっている駅前の本屋にきていた。本屋に入って行くのを見かけた直樹が後をつけたらしい。
「そんなの知るか。」
晶の態度に、ははぁーん何かあったな…と心の中でニマニマする。
「仕方ないやつだな。ほら、これと、これと…これなんかも読みやすい。」
ドサドサと晶の腕の中に本を渡した。晶が立っていたのは心理学の棚の前。腕の中にある本の一番上には「よく分かる過呼吸とパニック障害」との文字。
「なんだ。直樹も調べたのか?」
「いや前に一度、そういう案件を担当したことがあってな。」
「そうか…。」
本当は直樹が対応できた方があいつのためでもあるんだろうが…。そんなことを考えていた晶が目を丸くする。
追加で本の山に乗せられたのは「性犯罪被害にあった人へ」
「おい。なんでこんなことまで知ってるんだ。」
もしかして俺の家に盗聴器でも仕掛けていったのか。疑いの目を向けようと本から直樹に視線を移すと目があった。
「アキらしくないな。このくらいアキなら分かりそうなもんだが…。」
確かに…。かなりの男性恐怖症。何かあったと思うのが普通か。しかし小学生のクソガキ(男)と思っていた遥からは想像できない内容だった。…昨晩のことさえなければ完全にクソガキだと思っていた。
「それにほら。」
もう一冊渡されたのは「機能不全家族」その題名にハハッ。俺のことかと嘲笑すると、そういえば俺に似てたんだったあいつ。と思い出す。
「遥ちゃんと接するのはアキのためでもあると俺は思ってる。だからこそアキが適任だ。何より遥ちゃんがアキを選んだんだ。」
珍しく真面目な顔の直樹に不機嫌な顔をした。
「直樹がそういう真面目なこという時は面白がってる時だろ?」
晶の言葉に直樹は、クククッと楽しそうな笑い声を上げると「バレたか」とますます笑う。
「ま、頑張ってくれ。人生の夏休みとでも思えよ。夏休みほど休まれちゃ敵わないがな。」
ハハッと乾いた笑い声をあげると、じゃ俺、仕事行くわ。と行ってしまった。
「人生の夏休みねぇ。」
ったく。長い付き合いはこれだから…。そう苦々しく笑うと直樹が勧めてくれた本の中から何冊か選んで、その他を棚に戻した。心の中に直樹への文句が浮かんではいたが、心は晴れやかだった。やっぱり長い付き合いってやつは…と笑った。
「性犯罪被害にあった人へ」の本を手を取ると、しばらく見つめた後そっと棚に戻した。
マンションのドアを開けるとドタッと音がしたかと思うと急いで玄関にかけてきたのは遥だった。
「あ、あの…。おかえりなさい。」
最後は消えそうな声で発した言葉に、あぁ。昨日の出かけ際に何か言いたそうだったのは、これか。やっぱり面倒くせーガキだ。そう心で悪態をつくと仕方なさそうに口を開く。
「ただいま。」
それでも心が温かくなるのは、もう晶も分かっていた。
遥のうつむいていた頭が嬉しそうな顔に変わって晶を見上げた。
「あの…。アキは仕事に行ったのかと…。」
そういえば長期休暇をもらったことは遥には話していない。説明するのも面倒だな…。
「弁護士ってのは、こんなもんだ。」
んなわけないが、遥は納得したようだった。
「そういえば朝飯はどうした?俺は減ってるが…。」
用事を任命されたロボットのようにピコンッと音が聞こえそうな動きをすると「急いで支度します」とキッチンへ消えた。
「ハハッ。なんだありゃ。」
声を出して笑うと「アキのためでもある」という直樹の言葉が頭に浮かんだ。
チッ。直樹のやつ…。そう思いながらも心は穏やかだった。