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第16話 穏やかな時間と不快な時間

 コンコンッとドアをたたく音に眠い目をこすった。ついさっき寝た気がしていたのに、もう朝のようだった。カーテンの隙間から穏やかな光がこぼれている。

 ドアを開けると、ばぁっと明るくなる顔があった。晶がどこかへ行ってしまわないかまだ心配していたのか。

「もう朝ですよ。」

 嬉しそうにそれだけ言うと部屋にいたことに安心したようにリビングへ行ってしまった。

 それにしても晶は眠かった。昨日あれから、どうしてか「かわいい寝顔だったな」と思い出してしまい「何がどうかわいいっていうんだ…。散々昼寝してるのを見てるじゃないか。」などなど…考えなくてもいい考えが浮かんでは消え、全く眠れなかった。

 いつものようにココアを飲みたくてもリビングなんて通りたくなかった。もっと余計な考えが浮かぶに決まっている。そう決めつけて延々と天井を見つめると時間だけが過ぎたのだった。


 ダイニングテーブルにつくと眠そうな晶とは対照的にいつも以上に元気な遥が朝ご飯の準備をしていた。

「よく眠れたようで何よりだ。」

 なんとなく嫌味を言いたくなって不機嫌な声が出た。

「アキは眠れなかったんですか?今日は私が寝るまで側にいましょうか?」

 なんでそうなるんだよ。こいつの思考回路と男性恐怖症はどうなってんだ。寝不足に加えて遥の到底理解できない言動に晶は自分の方の思考を停止することにした。

 変わらず美味しい和食の朝ご飯にまぶたを重くすると遥がフフフッと笑う。

「本当に眠そうですね。」

 誰のせいだと思ってるんだ。返事をする気も起きずムスッとそっぽを向いた。


 片付けが終わるとおずおずと遥がお伺いを立てた。さすかにヘソを曲げ過ぎていたらしい。

「あの…。買っていただいたコーヒーのを開けてみてもいいでしょうか。」

 昨日買った袋は寂しそうに部屋の片隅に置かれたままだった。

「ハルに買ったやつだ好きにしたらいい。」

 目をキラキラさせて袋を持ってくる遥は「美味しいコーヒー淹れますね」とウキウキしているのが伝わる。喜ぶ遥に買って良かったなと晶も満足げに眺めた。

 中からは優しいマスターらしく、どう使うのかが書かれた紙が入っていた。丁寧な字と分かりやすい説明書きは何枚かに及んでいた。

「えっとこれがドリッパーで、フィルター…。わぁ専用のケトルまで。」

 口が細いケトルでお湯を注ぐのも憧れで…。といちいち感動している遥に、コーヒーが飲めるまでは長そうだと期待半分にしておくことにした。


 気がつくととテーブルにもたれて眠っていた。肩にはひざ掛けではなく毛布がかかっていた。背の高い晶にひざ掛けでは足りないと思ったのだろうか。チビの遥が大きな毛布をかけるところを想像すると、つい笑顔になる。

「起きられました?気持ち良さそうに寝てると起こせないって分かる気がしました。」

「いつもと逆だな。」

 小さくつぶやいた声は届かなかったのか「コーヒー淹れますか?後の方がいいですか?」と聞かれた。

「今もらおう。」

 待ってました!とばかりに取り掛かった遥に目を細めた。女とは思えないが小動物的にはかわいいかもな。そんなことを思っていた。

 部屋にガリガリという音とほろ苦い芳しい匂いが漂う。あのカフェのゆっくりとした時間がここにも流れているような気分になった。

 ゆっくりと淹れるコーヒーにイライラなんてしなかった。ただただ穏やかな時間が流れていた。

 コトッと晶の前にコーヒーが置かれる。香りを楽しむと口をつける。

「あぁ。うまいな。」

 晶の感想にホッとした嬉しそうな表情を浮かべると遥もマグカップを手にしていた。

「今日は飲んでも眠れそうなのか?もうあんなの勘弁だからな。」

「大丈夫です。カフェオレですし。」

 そういう問題でもないだろ。晶の気も知らない遥は「うわ〜おいしい」と自画自賛していた。


「そういえば。すっかり忘れていました。アキの私服を買ってませんね。」

 相変わらずのスーツ姿の晶は似合ってはいるし、スーツでコーヒーを飲む姿は絵になるほどだったのだが、堅苦しいことこの上なかった。

「まぁな。もう少し慣れてからでいいんじゃないか?夏休みの宿題は最後まで残すタイプだ。」

「え?なんのことですか?」

 そういえば夏休みの話は直樹としたんだった。リラックスし過ぎてそんな区別もつかないほどに遥に気を許している自分に驚いた。


 夕方になると仕事も幾分片付いた。「晩飯は俺が作ろう」と席を立つ。キッチンでメニューを考えているとインターホンが鳴った。

 直樹か?そういえば今朝は来なかったな。そんなことを思いながら確認すると別の人が映っていた。無視してしまいたかったが、それも出来なかった。

「はい。」

 晶のいつもと違う声色に、どうしたんだろうと遥は様子を気にしていた。

「沙織です。事務所も訪ねたんですけれど、お会いできなくて。これからご一緒できませんでしょうか。」

 今から…。ものすごく嫌だった。それでも…。

「分かった。すぐ行こう。」

「良かったです。フィアンセのお誘いを断るはずないってお義母さまが。」

 え…。耳を疑う言葉に遥は固まっていた。晶は出かける準備を始めている。

「悪いが行ってくる。飯を食べたら帰る。」

 晶は無機質な声を出した。その晶にはまた冷たい壁があるように思えた。

「あの…。フィアンセって…。」

 遥に背を向けたままの晶は顔を歪ませて答える。

「…許婚ってことだ。」


 部屋を出てエレベーターに乗る晶は直樹の忠告を無駄にしてしまったことを悔やむ。それでもどうにもできなかった。こちらから連絡したくもなければ、会いたくもなかった。ただどうにもできないことだけは分かっていた。

 マンションのロビーで待っていた沙織は清楚なお嬢様風な格好だった。実際にお嬢様なのだろう。しかし晶はなんの興味もなかった。

「お久しぶりです。お会いしたかったです。」

 恥ずかしそうに言った沙織に近づくのさえ嫌だった。近づくだけで化粧臭くてたまらないし、いいと思ってつけているのであろう香水の香りに嫌悪感しか感じない。

「行こう。」

 なんの感情も入れずに声を発する。不快しかないのに、それでも無視できないのは母親の息のかかった者だったからだ。クソババアと言いながらも晶は母親の支配下から逃れられずにいた。


 決められたように高級レストランに行く。きっと格別な味なのだろうが、なんの味も感じなかった。ただただやり過ごすしかなかった。


 帰り道。よろめいた沙織が晶の腕をつかんだ。反射的にバッと振り払うように離れた。

「ご、ごめんなさい。シャイな方なのに…。」

 愛想がないのはシャイだからと思っているらしかった。都合のいい頭をしてやがる。苦々しく思うと振り払った腕を見た。そして昨日はハルの腕は振り払わなかったことを思い出す。それどころか抱き寄せたことも。

「晶さん。何かいいことがおありですか?表情がいつもより穏やかですね。」

 その言葉に吐き気を感じるほどに嫌な気分になる。

「もう遅くなりますよ。失礼します。送れなくて申し訳ない。」

 それだけ言うと足早に沙織の元から離れた。一刻も早く、一人になりたかった。


 晶は遅くまでやっているコーヒーショップに来ていた。早く帰りたい気分ではあったのに遥にどういう顔をすればいいのか分からなかった。関係ないじゃないか…そう思いつつコーヒーは何杯目かになり、時計は10時になりそうだった。

 仕方なく晶はマンションへ足を向かわせた。

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