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聖家族  作者: 門戸明子
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野沢みのりの話(上)

「9674、うううむむぅ……『くろーなし』かい! うま! メモっとこ」


 アタシ、野沢みのりはそのナンバープレートにめっちゃ感動して、さっそくネタ帳にカキカキ……。

こういうセンスあるヤツ、好きやわ。減点キップ切るなんて、なんやこっちがセコイヤツみたいやん。見逃してやろっかなぁ。


「ちょっとぉみのり!? 何遊んでんのよ!」


 ああっ、アタシのネタ帳おぉお!

 桃ちん、こと長谷川桃子に取り上げられたネタ帳を、ジャンプ一発、すばやく取り返す。


「何すんねん、ネタ帳は芸人の命やで!」


「だ・れ・が、芸人だってぇっ!?」


 モデル並みのなっがい美脚をふんばってにらみをきかせる桃ちん。う、あんた目ぇマジ怖いわ。

 「はい」。チワワみたく小さくなって大人しぃく、駐車違反シールを車にペタペタしとく。

 ……はぁ。なんでこんなんなるんかな。

 幸せがワゴンセール並みに飛んでいきそうな、でっかいため息をつく。ええねんええねん、飛んでけ飛んでけ。宇宙ステーションまでとんで、油井さんに会うてきたらええわ。あれ、油井さんてまだ宇宙におるんやっけ? ま、どうでもええかって、クローナシくんのナンバーを書き留めた。可哀想にな、苦労大ありやったね。

 ふぅう。

 も一回ため息。

 最近頭ん中、数字でごっちゃごちゃ。夢にまででてくるんやで。算数、いっちゃんキライやのにぃ!

 なんやムショーにムカついてきて、「アタシはこんなことするために警察入ったんとちゃうんやでえええ!」て、クリップボードごと、腕をグルングルン回す。歩いてる人ら、ギョギョって顔してこっち見てるけど、構へんわ。ふん。


「はいはい、ちょっとそこ静かにして」


「なんやの、人が真剣に悩んどるのに、そのヤリ投げな態度。投げるで~」


 アタシが槍投げのポーズ決めると、バン! て、桃ちんのクリップボードが後頭部直撃!


「ったぁ! 何すんねんっ」


「往来でボケるのやめてよね! こっちまで同類に見られるでしょうが」


「ひ、ひどい桃ちん……相方やのに」


「相方って言、う、な! ったく、ほんとにあんた進路間違えたんじゃないの」


「う……やっぱそう思う?」


「思うわよっ! 第一ね、修学旅行で迷子になった中学生のみのりに、親切に道を教えてくれた交番のおまわりさんがすごくかっこよかった、一目ぼれしちゃった、そこまではいいわよ別に。でも何もあんたまで警官になる必要ないでしょうが。まあ百歩譲って憧れの彼に近づきたい一心だった、としてもよ、どこの交番だったか覚えてないって、それ始まる前に終わってるでしょうが」


「う……だって東京って広いんやもん。……うぁああああんニコラス様ああああ~!」


「ああもうわかった! わかったから、新宿のど真ん中でクネクネすんのやめんか!」


 あ、説明しよう! ニコラス様っていうのはな、その憧れのオマワリさんにアタシがつけたあだ名やねん。なんでかって? ニコラス・『ケイジ』、なんつって~♪ リービングラスベガスって映画見たことある? あれ、ええんやでぇ、うちのおとんのイチオシで……。


「……あんた誰に説明してんの?」


「べっつにぃ~」


「言っとくけど、刑事ってのは、刑事課とか事件捜査に関わる部署の警察官のこと。交番勤務は地域課所属になるから、『警察官』だけど『刑事』じゃないのよ」


「わかってるて。そないジュークボックスのミス、ホジホジせんくてもええやんか」


「……それどういう意味?」


「ちっこい耳のことはどうでもええっちゅうこと」


「……あんたと話してると疲れるわ。とっとと帰るわよ。また課長にイヤミ言われちゃう」


 桃ちんの言葉にどつかれるように、アタシは背中丸めてパトカーにもぐりこんだ。

 桃ちんが勢いよくハンドルを切る。

 グングン過ぎてく新宿の街。歩道も車道もめっちゃ広い。そこを、たくさんの人がどやどや歩いてく。2月っていう時期のせいなのか、葬式帰りちゃうかってくらい黒い服だらけ。みんなポケットに手ぇつっこんで、じぃって前だけみて、カツカツ、アスファルト削ったるで的な勢いで、歩いてく。

 みんな、笑わへんなぁ。何難しいカオしとんの。何かあったんか? もっと笑ったらええのに。笑お。なぁ?

 東京来たばっかの頃は、この街のどこかにニコラス様がいるんやーってテンションアゲアゲやったけど。なんか今じゃみぃんな同じ顔に見えて。この群れン中からたった一人を見つけようなんて……警察に入れば、なんとかなるような気したなんて……やっぱアホやなぁアタシ。

 厚い雲でいっぱいの、どよよんてした空を見上げた。

 ……おとん、しょーもないギャグ、また考えとんのかな。おかん、相変わらずきっついツッコミ入れてんのやろか。


「帰ろかな……」


「何よ、またホームシック? いい加減にすれば?」


「だってなぁ東京て怖いんやもん」


「バッカねえ、あんた警察官でしょうが」


「ちゃうちゃう。なんか……匂いとか音とか全然ないやんか」


うちの実家は、難波でたこ焼き屋やっててな。1階が店、2階がおとんとおかん、アタシと弟の太一、4人の家になっとって。部屋の中は、いっつもソースとか鰹節とか煙のにおいなんかがぷんぷんしてた。

階段を下りてくと、しゃべくり続けるおとんのどら声が聞こえて。そんで鉄板の上でジュワジュワッてはじける油の音、とろっとろクリーミーな生地がブクブクッて沸騰する音がして……めっちゃワクワクしたなぁ。

商店街のど真ん中にあったから、店はいっつも常連のおっちゃんとか近所のガキんちょ とかであふれてた。

落ち込むことあっても、「何辛気臭い顔しとん、辛気臭い選手権でもあるんか?」て、おっちゃん声かけてくれたり、おばちゃんが「これ持っとき」て飴ちゃんくれたりして……。


「飴ちゃん……ほしいなぁ」


「何? 飴ほしいの? のど飴? 何よ、風邪ひいた? コンビニで停めよっか?」


 ああまた……って、ガクッと肩が落ちる。ちゃうねん……そうやないねん!

 桃ちんは、ほんっと頼りになる同僚で、東京でできた初めての友達やけど、でもやっぱりちゃうねんな。通じあえへんとこがある。

……やっぱ、辞表出すべきとちゃうやろか。


「あ、宮本さんだ」


 桃ちんの声に顔をあげると、職質中っぽい宮さんが手をあげてくれてた。慌てて窓越しにぴしって敬礼返してから、


「あっちおるの武藤さんちゃう? なんでこんなにみんな出ばってんのやろ」


「ほら、例の歌舞伎町のホスト殺し、大きな山になりそうなんだって」


「え……そうなん?」


 今月の初め、うちの管内でメッタ刺しになった死体が発見された。18歳やったっけなあ。まだ若いのに。


「一課とうちで合同捜査本部できたじゃない? これまだ内緒だけど、近いうち組対5課サマがメンバー出してくるみたいなのよね」


「組織対策5課? ……てことは、え、まさかクスリがらみかいな!」


「そ。彼ねえ覚せい剤持ってたんだって。でも反応は陰性。売人の可能性が高くなって、バックの組織までまとめて摘発する気みたい。もう刑事課の連中張り切っちゃってるわ。おかげで来週の合コン、1か月延期よ」


 おお……さすが警察オンリー合コンの女王。

この人、管内ほぼすべての男性警察官(50歳未満に限る)について、人事よりくわしいんやった。

 でも……って、アタシまたため息~。

 その桃ちんの情報をもってしてもニコラス様のことはわからへん。ってことはもしかして、もう警察辞めとったりして……?

 自分の想像にゾッとした。もしそうやったら、何のために東京おんのかわからへんやんかぁ!

 うわぁああんん!


「ちょっとあんた、うるさいっ!」




 課長の視線をうまーく避けて、定時であがったアタシと桃ちんは、新宿駅で夕ご飯。その後、桃ちんは小田急で帰っていった。実家暮らしのあんたがうらやましいわ。

 びゅうびゅう吹くさっぶい風の中、手袋こすりあわせるみたいにしながら歩く。こんな日はみんなで鍋囲むのなんてええなあ。湯気でお互いの顔見えんくなるくらい、あったかい鍋。食べ終わる頃には、汗がじゃんじゃんでて、お腹も心もぽっかぽか……。

 ふぅ。

 ほんま、もう東京で頑張り続けんの、無理かも。だってアタシ、正義の味方になりたくて、警察入ったわけとちゃう。不純すぎる動機やから、やっぱ神様も呆れとんのかな。

 最近は笑うのもしんどくなって……ほっぺたぐいぐい持ち上げるけど、重力に負けて、だらんて垂れてまう。

 あかん……ダメや、やっぱもう大阪帰ろ。よし、そや、そうしよ!

 ぐいっと伸びをして、気合をいれた時やった。

 新宿西口の大ガードからのびた青梅街道沿い、3つ股に広がった大きな歩道橋の上に、一人の男が立ってるのが見えた。

 それだけなら、別になんもおかしないんやけど、そいつ……動かんと車道をじぃっと見下ろしとんねんで。なんか落としたんかな? 下をクルクルって見渡したけど、それっぽいもんは何もない。なんかアタシ……だんだん不安になってきて……。

 なんか、なんかあれ、雰囲気怪しないか!? アタシは加速度つけて歩道橋を目指した。視線はそいつから動かせへん。黒っぽい服が段々学生服やとわかり始めた。高校生くらいやろか?

 ああっ! やっぱり!

 アタシは小さく悲鳴を上げてた。そいつが手すりから上体を乗り出したから。


「やばいやばいやばいでええ!」


 バビュン! て猛スピードで、アタシは階段を駆け上がり(超出血大サービスの2段ぬかしやで!)「あかあああん!」て、そいつに勢いよくタックルした。


「うわ!」


 そんで流れるように、柔道の寝技に持ち込む。ぎゅうっと足で相手の体をからめとり、腕で首を地面に押し付け……よし、一本! て、あれ? なんかゴリ、て骨が音たてとる! やばい、技ぁかけてしもた! 

「っつぅ……! 何すんだよ!」


「ごご、ごめんごめん! あんた大丈夫か?」


 起き上がったそいつは、白いエノキみたいなひょろんとした男の子やった。


「ごめんな、ごめんな、職業病やねん」


 アタシは「ごめん」を連発しながら、エノキ少年の制服の埃をパンパン払う。校章には「曙」の文字……たしか曙高校て、管内にあったっけ。やっぱり高校生や。てことは……。

 ムッとした顔で立ち上がろうとしたそいつを、そうはさせるか! って、ガシ! 両肩つかんで、目を覗き込む。


「いじめか?」


「……は?」


 ずり落ちた鼻に黒縁眼鏡がひっかかった、めっちゃマヌケ顔のまま、そいつはきょとん、てアタシを見た。


「いじめやろ? な、当たりやな? いじめられとるんやろ? あんた弱そうやもんな」


「いえ……違います」


 うんうん、最近のがっこは怖いとこやて言うもんな。

 よっしゃ、家に帰るまでが遠足、辞表出すまでが警察官や! ここはひとつ悩める青少年を救わなあかんな!


「どんなつらいことあったか知らんけど、きっとええこともある! 人生は西郷さんの馬やねんから!」


 おお、アタシええこと言うやんか! 数分前のアタシに聞かせてやりたいわ。


「……は? あの、だから」


「ええねんええねん、言わんでも。問題ナイチンゲールや。あんた名前は? あ、アタシ怪しいもんとちゃうで。警察の人やから」


 ギョッてエノキ少年がアタシを見た。


「任しとき! いじめっ子なんかなあ、アタシが撃退しちゃる。せやから死んだりなんかしたらあかんで」


「違うっつってるだろ!」


 エノキ少年、アタシの手をバッて振り払うと、ダッシュで駆けてってしもた。


「おー……い」


 ……アタシ少年課やなくてよかったかも。




 ♪テンテケテケテケ、テンテン、パフッ ……笑点のテーマが遠くで響いてる。あれ? アタシ警察やめて落語家になったんやっけ……? 辞表……いつ出したっけ?


「座布団いちまぁい……」


 ぐずぐず頭の中で考えてると、音楽がだんだん大きくなってく。

 ようやく着信音や! て気づいて枕元の携帯をごそごそ。


「ふぁい……」


『♪もっしもっしカメよ~カメさんよ~おっとんのたこ焼き世界一~♪』


 聞こえてきたのは、世にも恐ろしいガラガラ声の能天気な歌やった。


「……おとん、おんち」


『なんやて失礼な! 人が親切に朝から美しいテノールで起こしたろと思たのに』


「美しいて言葉、辞書引いたことあるんかいな」


『あんたまだ寝とったんかいな』


「え、おかん?」


『いくら職場まで徒歩5分やって言うても、甘えとったらあかんやないの!』


「うう」


 へこむがな、おかん……。

 したら今度は、いきなり携帯壊れるわって勢いでバカでかい声。


『おかんおかん、早くかわってえな、新ネタ早くみのりに教えたらな、忘れてまうがな』


『またあんたはもう! そんなん言わんでええの!』


 電話の向こうでおとんとおかんが言い争う声が響く。そこに別の声が割り込んできて。


『なあなあねえちゃん、金貸して』


「太一?」


『卒業旅行、アメリカ行きたいんやけどな、おかんもおとんも金出してくれへん』


『当たり前や! 卒業できるかどうかもわからんのに、旅行なんか行っとる場合とちゃうわ!』


『なあおかん、新ネタ~』


『あんたは黙っとき!』


 電話中やてことなんかちらっとも思い出さんと、ぎゃあぎゃあバラバラにしゃべくって。相変わらずアホな家族やなあ。

 なんやろこれ。鼻の奥がつんとしてくる。胸がキュウキュウいうがな。やっぱアタシ……大阪帰ろ。



 決心が鈍る前に、って急いで辞表書いて、書き方わからんから、スマホで調べて……とかやってたら、うわ、ギリギリー!

 アタシはダッシュで新宿署に滑り込んだ。

 例の歌舞伎町事件の捜査本部が置かれた会議室の前を通りかかると……人が出たり入ったり、なんかごった煮みたいな騒ぎ。ちょうど朝の捜査会議が始まるとこみたいや。

 全員そろい踏みってとこ目にするのはアタシ初めて。

 一課の刑事って、やっぱうちらとはちょっとちゃうな。独特の雰囲気っていうかオーラがあって、すぐわかる。

 なんかそれぼーっと見とれとったら、


「みのり!」


 振り返ると、廊下の端から桃ちんが手招きしてる。

 う……あんた、目ぇらんらんしとるで。


「このチャンスに絶対本庁にパイプ作るんだから! あんたも協力してよね」


「桃ちん、元気やねえ……」


「あのねえ、ボサッとしてたら全部刈られてるわよ」


「はあ?」


「警察官って最近すっごい人気なんだから」


「はあ」


「公務員だから、給料も将来性も問題なし、身体検査パスしてるから、体格も健康状態も平均以上保証済みだし。条件的には最高でしょ。最近小学校時代の知り合いにまで紹介頼まれちゃって……て、みのり? あんた人の話聞いてんの!?」


 ごめん……聞いてない。

 アタシの目は、廊下の向こうから歩いて来る一人のデカに釘づけ、糊付け、ボンド付けになってた。目は……たぶんハート型。


「いいいいい」


「いい?」


「いたああああ」


 うおおおおおおおおおおお!!

 アニメやったらドオオオオオンン! てバカでかい効果音入って、煩悩鳳来たーーーーっっ!! て感じ!

 だってだって、なぜかって言うとな、言うとな! つまり、つまり、目の前に……ニ、ニコラス様がおるんや! 歩いて、こっちにくる! 夢……やない!

 そんな震えまくってるアタシを見て、桃ちんもピンときたらしい。


「え……うそ、まさか、ニコラス様!?」


 こくこくこくって、壊れたロボットかいなアタシは!


「どっどれ!? どいつよ!?」


 あかん、手が震えて、うまく指されへん。


「あそこ、グレーの……」


 ニコラス様、そのままなっがい足で会議室に入っていく。ホンモンや! 全然変わってへん! いやむしろ男前度5割増し!

 あかん……鼻血ふきそうや。


 ふわふわ綿あめの上歩いてるみたいな気持ちで交通課までたどりつくと、自分の席にふにゃあって座る。

 なんやまだ夢見てるみたいや……。あのニコラス様が、同じ建物ん中におるやなんて。

 辞表? ぽいや、ぽい。やっぱりアタシの生きる道は、正義のおまわりさんや。うんうん!


「野沢、ちょっと来い」


 アタシのギャグに全然反応せえへん冷血課長のお呼び出しも、今日は許したる。今はアタシ、菩薩様のような広い心やねん。

 て、へらへら笑ってたら。


「お前、明日からここ来なくていいから」


「…………へ?」


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