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聖家族  作者: 門戸明子
32/32

新条拓巳の話(下)

 ねえみのりさん、家族ってなんだろうね?


 血のつながりがあれば、家族って言うんだろうか?


 ぼくが最初に「お父さん」て呼んだ人……そう、仁科大樹、彼はその「血」にずいぶんこだわる人だった。


――俺の血を残さねばならない。


 それが口癖だった。

 仁科明美、つまりぼくを産んだ女性と仁科が再婚したのも、彼女がぼくを産んだから。でもぼくは全然仁科に似てなくて。彼が調べさせて、親子関係がないってわかったんだ。

 本当の父親? さあ、誰だろ? 彼女の前の夫、小坂丈太郎か、それとも恋人の誰か……でもそれは、ここでは特に関係ないよ。


 さあ、話を続けよう。


 仁科家での毎日は、地獄だったよ。仁科って外面はいい人だったけど、うちでは暴力の嵐でさ。ぼくはいつも殴られて蹴られて食事を抜かれて……キッチンのパントリーに閉じ込められてた。

 仁科明美? 彼女はかばってなんてくれなかったよ。ブランドもののバックや洋服に夢中で、殴られるぼくを黙ってみてるだけだった。

 2人が離婚しなかったのは、少しは愛情があったのか……あるいはもう一人子どもができるのを待っていたのかもしれない。


 でも、ある日仁科は知ってしまったんだ。自分の血を引く本当の息子が存在するってことにね。それが拓巳だよ。

 仁科と母さんは若いころつきあっていたことがあるんだけど、その時母さんは仁科の子を妊娠して、内緒で産んでたんだ。

 それを、別れた後に偶然仁科が知って……拓巳を引き取りたいって母さんに申し出た。ずいぶん金も積んだらしいよ。でも、母さんは承知しなかった。

仁科の中にある暴力性に、つきあってる当時からうすうす気づいてたんじゃないかな? 

 だから別れて、拓巳のことも知らせなかった。ね、そうだろ母さん?

 でも、何度断っても仁科はあきらめなかった。

 自分の血を引く息子を、なんとしても手に入れたかった仁科は、執拗に母さんにまとわりついた。拓巳と会いたい、話をさせてくれ、ってね。

 だんだん強引なやり方で迫ってくるようになって、ついに母さんは、拓巳と仁科と自分、3人で話し合うことを承知したんだ。


 それが……8年前、1月13日の夜。

その日は仁科明美の誕生日で、彼女は確実に不在になるはずだった。その日ならゆっくり話し合えるからって言って、母さんと拓巳を呼び出したんだ。

 え? ぼくはどうしてたのかって?

 拓巳と一緒にいたよ。

 あの日の仁科はすごく優しかった。拓巳と一緒に遊びなさいっておもちゃをくれて。

 今なら、拓巳の歓心を買うために利用しただけだってわかるけど、あの時はただただうれしかったな。


 ところがそこまで用意していたのに、想定外のことが起きた。

 仁科はその可能性を全く考えてなかったらしいんだ。笑っちゃうような、バカバカしい話なんだけどね。

 つまり、当の拓巳がまるっきり仁科になつかなかったんだ。

 それどころか、敵意むき出し。

 仁科のこと、母親をいじめる極悪非道の悪人に見えたのかな。「母ちゃんにエロいことしようとしてるんだろ、絶対俺がそんなことさせるもんか」って母さんの前に立って手を広げて。なんかテレビに出てくるヒーローみたいだったな。

 子ども心に、こいつ強いな、かっこいいなって思ったよ。


 仁科は、楯突かれることに慣れてなくて、子ども相手にキレちゃってさ。


 あんなにほしがってた息子なのに、平手打ちしちゃったんだ。拓巳は吹っ飛んで……ぶつかった場所が悪かったよ。大理石の暖炉でさ。そのまま動かなくなっちゃったんだ。

 今でも耳の奥に残ってる。「たくみぃいい!」って叫ぶ、母さんの声。喉の奥が破れるんじゃないかっていうくらい、痛々しい悲鳴だった。

 取り乱した母さんに、仁科はなんて言ったと思う? 「こんなのが俺の息子であるはずがない。さっさと連れて帰れ」だって。ふざけてるだろ?

 そういう人なんだよ。

 母さん、ブチ切れてさ。キッチンから包丁持ち出してきて、仁科を……刺したんだ。


 え? 父さん? そうそう、その話をしなくちゃね。


 父さんは、その日、母さんが来る前からあの家の2階に潜んでたんだ。米倉さんに依頼されて、仁科を殺すためにさ。

 どうして米倉さんがそんなこと考えたのか、ぼくは知らないけど、確かだよ。会話を録音したテープがあるから。

 場所は……ぼくらの家のどこか。捨ててないはずだよ。たぶん、あの隠し部屋かな? ごめんね父さん、ぼく見つけちゃったんだ。あの部屋。

 さて、父さんが2階で何をしてたかっていうとね、実は依頼そっちのけで、偶然見つけた隠し金庫と格闘してたんだ。

 父さんが殺人を引き受けたのも、借金のせいだからね。お金があれば人殺しなんてしなくてすむ、そう思ったんだって。

 その金庫は、パスワードを入力するタイプのやつでさ。父さん電子機器には強かったから、時間がかかったけど、開けることができたんだ。すごいよね。

 そう、金庫の中には本当に大金が入ってたんだよ。1憶かどうかは確かじゃないけど。


 その時、1階からものすごい叫び声が聞こえた。仁科の声だよ。


 慌てて父さん、かばんにお金を詰め込んで……そうしたらさ、もう一度悲鳴が聞こえたんだ。今度は女性……母さんの悲鳴。

 父さんが1階に下りてみると、ナイフを背中に突き立てた仁科が倒れてた。


 でも、母さんが悲鳴をあげたのは、それが原因じゃなかった。


 拓巳の体が、燃えてたんだよ。暖炉のそばに倒れた時、火の粉が飛んでたんだね。

 母さん、必死にクッションで叩いて消そうってするんだけど、火は燃え広がるばかり。


 父さんは泣き叫ぶ母さんを無理やり拓巳から引きはがして、隅っこで震えるぼくを叱り飛ばして、その場から逃げ出した。


 ぼくたちは途中まで車で行って、それから電車に乗り換えて……必死で逃げたよ。


 笑っちゃうけどさ、ぼくたち3人でいると、みんなぼくたちを「家族」っていう目で見るんだ。駅のホームで電車を待ってた時なんか、駅員に「パパとママとおでかけかい? いいねえ」なんて言われたくらい。

 ねえ父さん、その時かな。「家族」としてなら、逃げ切れるかもしれないって思い始めたのは。

 え? 仁科明美? うん、後になって、ニュースで彼女が庭で発見されたことを知った時はびっくりした。ううん、会わなかったよ。たぶんたとえ目が覚めても、何も証言できないんじゃないかな。




「なんで……」


 みのりさんが、ぼくを見ていた。


「なんで拓巳、えと、いや、純か、どっちでもええわ、あんたまで一緒に逃げんといかんかったん? 誘拐やないのそれ、全然愉快やないわ!」


 思わず吹き出しちゃったよ。さすがみのりさんだ。


「でもみのりさん、ぼくはあの時迷わなかったんだ。父さんの手を取ること。ぼくに手を差し伸べてくれる人なんて、今まで一人もいなかったからさ」


 2人と一緒なら、きっと新しい人生が始まる。そんな予感がした。そのためなら、一緒に罪を背負うことくらい、なんでもないような気がした。


 でも……そう、新条拓巳として生きるにつれて、その「罪の重さ」がどんどん膨らんで大きくなっていって、ぼくは押しつぶされていった。もう、呼吸も難しくなるくらいに。


「いつまでも隠し続けるなんて無理だよ。もう……終わりにしようよ、父さん母さん」


 ぼくが言うと、父さんは哀しそうな目をして、首を振った。


「無理だな。おれたちは、長く一緒にいすぎた」


「え?」


 意味を測りかねて、ぼくが聞き返すと、母さんは微笑んだ。


「新しい計画があるの。また逃げるのよ、わたしたち」


「母さん!」


「おれたちは家族だろう?」


 足を踏み出した父さんの前に、「行かせへん!」てみのりさんが叫んで、両手を広げて出口をふさぐように立ちはだかる。


「ここまで聞いて、黙っていかせたら、アタシ絶対後悔全開やもん!」


「職務熱心で、結構なことだ」


「警察やからとか、そんなこと関係あらへん! 間違ったことしたら、ちゃんと償わなあかんと思う。そやなかったら、ちゃんと前向いて次に進めんやんか!」


「そこをどけ」


「絶対! どきませんっ!」


 両手を広げて立つみのりさんに、父さんの腕が上がっていく。銃口が……みのりさんに!


「父さんやめっ」


 慌てて口を開いたぼくの目の前、それはほんのコンマ何秒かっていうあっという間の出来事だった。



パアアン!



 テレビドラマよりずっと大きな音がして、みのりさんが「ひゃっ」て悲鳴をあげて左の太ももを抑え込んだ。


「みのりさんっ!」


 手の間から、みるみる真っ赤な血が流れだす。

 みのりさんの体がぐらりと傾き、がくりと膝をついた。

 乾いた口で浅い呼吸を繰り返しながら、

ぼくはみのりさんに駆け寄った。

 どうしたらいいのかわからなくて、とにかく血を止めなきゃって、両手で押さえるんだけど、ぼくの両手もすぐに血でぬれた。


 血が、血が止まらない!

 ぼくは制服のジャケットを脱いで、それで傷口を必死で押さえた。


「本気で撃てやしないと、思っていたか?」


 血の気の引いたみのりさんの顔を見下ろしながら、父さんが静かにつぶやいた。


「人間だって、鬼にも悪魔にもなる。大切なものを、守るためになら」


 大切なものって……もしかして、ぼくたちのこと? 


 でもぼく、こんなこと父さんにしてほしくない! ただただ、真っ赤になった手を握りしめて、ぼくは叫ぶ。


「父さん! もう止めて! 早く病院につれていかないと、みのりさん死んじゃうよ!」


 真っ赤に濡れた手でみのりさんの足をおさえながら、ぼくは叫んだ。


「お前が選べ」


「え……?」


「おれたちと一緒に逃げるか。彼女とここに残るか」


 父さんと母さんと、そしてみのりさんを、ぼくは交互に見つめた。


「拓巳! 一緒に逃げましょう! どこか小さな町で、もう一度やり直すの! ね?」


 母さん……。


「早く選べ」


 父さんも、母さんも、大事な人だ。


 ぼくを、地獄から救ってくれた人たち。ぼくに居場所をくれた人たち……。


 そしてぼくはみのりさんを見る。

 真っ白なみのりさんの顔は、不安げに揺れてる。

 ぼくは、みのりさんの血に濡れた自分の手を見下ろした。


 ぼくは……ぼくは……

 首を振った。


「できない。選べないよそんなの! みんな、みんな、大切な人だからっ!」


「二兎を追う者は一兎をも得ず、国語の成績抜群のお前が、知らないわけないよな?」


 父さんの銃口が、再びあがった。


「父さんっ!」


 立ち上がろうと膝をたてて、その時、ぼくはポケットの中に硬い携帯の感触を感じて、ようやくここに来る前にとった行動を思い出した。


 途端に心臓が再び勢いよく動き出したような感覚が戻る。

 ぼくは立ち上がって、父さんとみのりさんの間に立った。


「拓巳、お前のことは撃ちたくないんだが?」


「父さん、逃げられないよ」


 携帯を取り出して、父さんに見せる。

 新宿署につながったままの、携帯を。


「ここに入ってくる前、ぼく、警察に連絡したんだ」


 ぼくの表情を見て察したのか、父さんが息をのむ気配が伝わった。


「まさかそれ、つながっているのか……今、警察に?」


 ぼくはディスプレイを確認し、そして頷いた。ずぶぬれだったけど、防水機能つきだから、きっと問題ないはず。


「誠司さん!」


 母さんが、窓から外をのぞき、ひきつった顔で小さく叫んだ。


「車が……来るわ! あっちから……また一台……その後ろにも!」


 父さんは手の中の拳銃を見下ろし、2度3度頷いた。自分を納得させるみたいに。


「誠司さん」


 緊張した母さんの声に振り返り、父さんは肩をすくめて見せる。


「みずほ、計画通りでいこう。覚えてるだろ?」


 母さんは、ハッと息をのみ……そして頷いた。一瞬、ちらりとぼくに視線を向ける。


 何?

 計画……? 計画って、何? これ以上、ぼくの知らない何かがあるってこと?

 服を着たままプールに入ったみたいな不快な不安が体にまとわりついてる。


「おれたちにとっちゃ、お前は最高の隠れ蓑だったよ」


 唐突に、父さんが口を開いた。


「え……かくれ、みの?」


「曙みたいな進学校に通う優秀な息子がいるって聞けば、無条件にもれなくおれまで優秀ってラベルをはっていただけて。犯罪者だなんて、だれも想像しやしない。ま、家族ごっこは確かに疲れたけどな。足手まといのお前を連れて来ちまったばっかりに。おれもいい加減、うんざりしてたところだ」


 父さん……何を言ってるの?


「でも……そうだな。確かにガキのお前にしてみたら迷惑な話だったな。あのまま仁科の家に残っていれば、会社だって財産だって、お前のものになったんだし、母親と引き離されることもなかった。お前が怒るのも無理ない」


「父さん、ぼくは怒ってなんて」


「何となく予感はあったよ。おれたち3人、ボロがでるなら、きっとお前からだろうってな。そしたら案の定、ちょっと過去を知られただけで動揺しやがって。このざまだ。ガキなんか連れてくるんじゃなかったよ。まぁ所詮赤の他人だし、信じたおれの自業自得ってことだな」


 突き放したような父さんの声。


「とうさ」


「まあ、小坂も米倉も、いずれは消さなきゃならない奴らだったから、どうということはないが」


いつもの父さんらしくない、乱暴な口調で言い放つ。




「動くな!」




 太い、鋭い声が飛んで、ぼくの体はびくっと硬直した。

 思考が再び倉庫へと戻る。

 窓の外に気を取られていた母さんも、ビクッと振り返る。

 段ボールの影から、一人、また一人……スーツ姿の男が出てきて、10人程度、ぼくらを遠巻きに囲んだ。


「銃をおろせ」


「野沢! 大丈夫か!?」


 太った刑事が、銃を構えながらみのりさんに呼びかけてる。


「い、いしはらさん、生きてますー」


 すべての銃口が、父さんと母さんに向けられてた。


「囲まれてるぞ。もう、観念しろ」


 石原刑事の拳銃も、父さんに向かっている。


 2人が殺される?

 

 嫌だ、嫌だ、嫌だ!!


 なりふり構って何ていられなかった。ぼくは血まみれの手を振りながら、父さんの前に飛び出してた。


「拓巳! 危ないっ!」


 みのりさんの声がしたけど、ぼくは構わず叫んだ。


「待ってください! 撃たないで! 2人はっ」


 次の瞬間、ぼくの右腕は後方へとひねられ、拘束され。

 気づくと、固いものがぼくの頭にコツンてあたっていた。


「動くな!」


 父さんがぼくに拳銃を突きつけているんだとわかった時、背中を冷たいものが滑り落ちた。


「と……父さん?」


「目の前でガキが死ぬなんて、警察もやばいんじゃないのか?」


「無駄な抵抗はやめろ! もう逃げられないんだぞ!」


「車を用意してもらおうか」


「くそっ!」


 飛び出そうとする刑事たちを、石原さんが手を上げて制する。


「早く用意しろ!」


 刑事たちとの距離をジリジリと開けながら、ぼくを羽交い絞めにしたまま、父さんは後ずさった。


「やめろ! 逃げ切れると思っているのか?」


「もちろんさ。ここまで8年、警察がちらっとでもおれたちを疑ったことがあるか? 職質かけられたことすらないね。おれの計画は、この後までもう完璧にできあがってる。逃げ切って見せる」


 父さんの声が、脳みそに直接響くみたいに近くで聞こえた。

 不敵に笑う父さんの顔が、見えるみたいだった。

 父さんは、じりじりとぼくを引きずるようにしてドアに近づいていく。


「わかった、車を用意させる。上と話をするから、もう少し待て」


 石原刑事が、声をやわらげて言う。


「待てない。どうせ外に覆面パトカーの1台もきてるんだろう? そいつをこちらに回してもらおう」


 目の端に、母さんの姿が映った。

 父さんはドアに近づいていくのに、母さんは動こうとしない。母さんは、父さんと一緒に行かないつもりなんだろうか?

 ふと、そんな疑問が浮かんだ時。

 父さんの視線が、一瞬窓の外に流れた。

 そして、ぼくの腕をつかんでいない方の父さんの手が、ぼくの背中をドンと押した。

 つんのめるみたいに前に倒れ込んで。

 擦りむいた頬の痛みも忘れて、慌てて振り向く。


「なるほど。それがお前の本音か。やっぱり、おれと一緒に行くのは嫌って? 逃げたいよな」


 え? だって、今のは父さんがぼくを突き飛ばしたんじゃないか……


 父さんが、ぼくに銃口を向けた。


 え……? 


 その指が、ゆっくりと引き金に……

 え……父さん、ぼくを、撃つの?


「撃つな!」


 誰かの声が響いて、次の瞬間、




パアアアン!




 銃声だった。


 さっきのより、乾いた、鋭い音。



 ぼくはギュッと目を閉じて……


 でも、どこも痛くない。



 撃たれたのは……ぼくじゃなかった。

 ゆっくり……泳ぐみたいに父さんの腕が宙をかいて、父さんの体が倒れていった。


 その瞬間、血のつながりだの、過去の罪だの、ぐちゃぐちゃ考えていたすべてのことが、頭から吹っ飛んでた。

 その時、自分の口から飛び出した言葉、その響き、そしてあの人が見せた優しい笑顔を、ぼくは一生忘れないだろうと思う。




「とうさん!!!」




 父さん! 父さん!



「誠司さん!」


 ぼくと母さんが駆け寄り、父さんを抱き起す。

 父さんは、目を開けて、ほんのわずかに微笑んだ。

 その瞬間、ぼくは理解した。

 父さんはぼくを撃つつもりなんてなかった。最初から死ぬつもりだったんだって。すべての罪を、自分一人で背負って。


 父さん……。


 視界に薄い膜がかかったみたいに、うまく前が見えない。

 必死に歯を食いしばるぼくを見上げながら、父さんの唇がわずかに動いた。




「ありがとう」




 そう、聞こえた。


 ぼくの前で、父さんの瞼が、静かに閉じた。

 そして、永遠に動かなくなった。


 次の瞬間、外にいた、機動隊っていうんだろうか、そろいのコスチュームを着た人たちが大勢なだれ込んできて。

 父さんを刑事が取り囲んで、「確保! 確保! 発砲あり、救急車! 応援を頼む!」なんて、叫んでる。

 ぼくは映画の一幕を見てるみたいな気持ちで、目の前に広がる騒ぎを眺めてた。



 石原って刑事が、母さんのところにやってきた。


「仁科大樹氏殺害について、話を聞かせていただけますか」


 光を失った目をしばらくさまよわせていた母さんだったけど、やがてこっくりうなずいて立ち上がった。


「母さん!」


 母さんは、いつものように微笑んだ。


「あなたには、本当に感謝してるわ、純。あなたがお母さんて呼んでくれたから、わたしは拓巳の死を乗り越えられた。本当に、ありがとう。でも、もう家族ごっこはおしまい。あなたは仁科純に戻りなさい。そうすれば、普通の高校生として生きていける。あなたはわたしたちに利用されただけの被害者なんだから。胸を張って、幸せになりなさい」



 その時、ぼくはようやく飲み込めた。2人の「計画」が、何なのか。


 それは。


 すべての罪を、罰を、2人が背負うこと。


 ぼくに、普通の人生を歩ませるために――


 父さん


 拓巳を思い出してふさぎこむ母さんをなぐさめるために、2人でカーネーションを買いに行ったよね。

 あの時から、毎年その日がぼくたち家族の「母の日」になったんだ。


 母さん


 小学校の遠足、母さんの手作り弁当を持って行ったらさ、みんな驚いてたっけ。母さんたら、めちゃくちゃ凝ったキャラ弁作るんだもんなぁ。クラスの奴らに冷やかされまくって、「恥ずかしいからやめて」って言っちゃったけど。でも本当は、すごくうれしかった。それまでは、コンビニで買った幕の内弁当だったからね。



 夏休み、日記帳に書くネタを作るために、無理やりバーベキューに行ったよね。火はなかなかつかないし、雨も降りだすし、散々でさ……でも、帰りに食べた中華、ほんとにおいしかったね。


 父さん

 母さん


 ぼくの、家族。


 そう、ぼくは、いつも不安だった。


 でも、今ならわかる。それは、幸せだったから怖かったんだ。

 あの地獄みたいな家から、救ってくれた、初めて手にした、安心できる場所だったから。


3人で過ごす時間がすごく幸せで楽しくて、だから失いたくなくて、いつまでも続いてほしくて、でもいつか壊れるんじゃないかって、怖かったんだ。

2人を信じたかったけど、でも信じ切ることができなくて、不安で。


 2人は、こんなにもぼくのことを考えていてくれたのに……

 8年前のあの日、偶然出会っただけのぼくのことを!



「待ってください」


 立ち上がって、ぼくは石原刑事を見つめた。


「言わなきゃいけないことがあります」


 母さんの潤んだ目が、一瞬ビクッと大きくなる。


「行きましょう刑事さん」


 早くと促す母さんを見て、石原刑事は困ったみたいに頭をかいた。


「大事な話かな?」


「刑事さん、子どもの話なんて聞くことないわ。わたしが全部お話しま」


「母さん」


ぼくは、母さんの言葉を遮った。


「2人の気持ちは、すごくうれしいよ。でも大好きな2人に罪をかぶせてさ、ぼくだけ幸せになれると思う? ぼく、そんな図太い神経持ってないよ。母親なら、わかるでしょ?」


「たくみ……」


「一体何の話だ?」


 みのりさんが、数人の刑事に抱えられて、立ち上がるのが見えた。

ぼくは、みのりさんにも聞こえるように、大きな声で告げた。


「……仁科大樹を殺したのは」


「やめなさい!」


 悲鳴のような、母さんの声。

 でも、言わなくちゃ。




「ぼくなんです」




 母さんの、みのりさんの、石原刑事の、その場にいたすべての視線が、ぼくに集まっていた。


 ぼくは、もう一度語りだす。あの日の結末を。




 あの時、自分をかすめた包丁に怒り狂った仁科は、母さんに馬乗りになってその首を絞めた。


 それを見てぼくはとっさに、落ちた包丁を取り上げ……そしてサイドテーブルによじ登ると、仁科に向かって……飛び降りたんだ。


 ズブズブって、仁科の背中に包丁が飲み込まれていく感触、そして「ぎゃあああああ!!」って響いた醜い悲鳴。今でもはっきりと覚えてる。


「事故なんです!」


 母さんが叫ぶ。


「襲われたわたしを助けるために……仕方なかったんです! 死ぬなんて思わなくて! 包丁を持ち出したのはわたしです。だからわたしが悪いんです! だから、だからこの子は悪くありません!」


 刑事に向かって必死に叫んでる。


 ありがとう、母さん。でも、それは違うよ。


「刑事さん、ぼくはあの時、死ねばいいって思ったんです。仁科大樹が、この世から消えてしまえばいいって」


 ののしられ、蹴り飛ばされ、まるでゴミみたいに……。


 あの地獄の中で、ぼくはずっと、こんな機会を待っていたのかもしれない。


「……だから、殺意はありました」


 みのりさんの茫然とした顔を見つめて、ぼくはずっと思ってたことを口にした。


「家族って名前でくくられて、そしたら無条件に愛情感じなきゃいけないのかな? 道徳? それとも倫理ってやつ? ……それが人間だって言うんなら、ぼくは、人間じゃなくていい」


 母さんが、泣き崩れた。


 刑事に促されて外に出ると、雨はもう、叩き付けるみたいな勢いに変わっていて。

 傘なんかなんの役にも立たなくて、ぼくたちは足早に土砂降りの中をパトカーに向かって歩いた。

 あっという間にスニーカーの中まで泥水が入り込んで、グチュグチュって、歩くたび嫌な音がした。


「拓巳!」


 みのりさんが、どこから見つけたのか、木の枝を杖代わりにして、ひょこひょこ歩いてきた。

 応急処置はしてもらったみたいだけど。もうすでに赤く染まってしまった包帯が、出血量を物語ってる。


「早く病院で診てもらったほうがいいよ」


ぼくの声が聞こえたのか、聞こえなかったのか、びしょ濡れになりながら、みのりさんはぼくを見上げて、ただ必死に言葉を探してる。


「あの……あのな……」


「軽蔑した? ぼくのこと」


 みのりさん、慌てて首を振った。


「そんなことあるわけないやんか! 全然、絶対、あらへん!」


 ぼくは、その言葉にほんの少し救われて、頬を緩めた。

 やっぱりこの人に嫌われるの、キツイからな。


「あ、あの……そや! 明美さんに会うてく? アタシ、上にかけあってみてもええし」


 ぼくは首をふった。


「ぼくの母さんは、一人だけだから」


「そっか……そやな。アホなこと言うてごめん」


 ひくひくと肩を小刻みに震わせて、みのりさんは泣き出した。


「ごめんな、ごめんな拓巳。アタシ、あんたの背負っとるもん、なんもわからんと、気づかんと、しょーもないことばっか言うて……ごめんな。ほんま、ごめん」


 なんであなたが子どもみたいに泣くんだよ? バカだなあ。

 なんだかそれって……ちょっとうぬぼれちゃうよ?


 涙と雨でぬれて、冷たく湿ったみのりさんの唇に、ぼくは自分の唇を押し当てた。


 生まれて初めての、キスだった。



〈了〉




ラストまで辛抱強くお付き合いいただき、ありがとうございました!

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