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聖家族  作者: 門戸明子
26/32

西岡早苗の話(下)

なんとかして……そうよ、なんとかして薬を手に入れなくちゃ。でも、どうすれば? 隆からはお店にくるなって言われてるし……。


 朝から考えるのはそのことばかり。商品を並べなきゃいけないんだけど、ちっとも身が入らない。

 志保ちゃんやケイちゃん、こういう時くらいちゃんと動いてくれればいいのに、何もしようとしないで、サボってばっかりなんだもの。


「あの、店長……大丈夫ですか?」


「なんか顔色よくないですけど……」


 なんて偽善者の顔して聞いてくる。ほんとは心配なんかしてないくせに。陰でわたしの悪口言ってるんでしょう? 知ってるんだから。わたしは邪険に手を振った。

 どうしてわたしのまわりは偽善者ばっかりなのよ。あの女みたいな……。


「店長、お客さまですけど」


 ケイちゃんの声に顔をあげると、ジーンズにベージュのポンチョを着た女の子が立っていた。20代前半くらい……見覚えないけど、お客さん……?

 近づいていくと、その子はぺこんて頭を下げ、黒い小さな手帳のようなものを取り出した。

 よく見ると……これ、警察手帳じゃない!?


「新宿署交通課の野沢みのりって言いますー西岡早苗さん、ですか?」


 汗が噴き出して、口の中が乾く……。薬のことが、バレた? 一体いつ? も、もしかして、誰かが通報したとか!? うそっ一体誰が?

 心臓がバクバクものすごいスピードで打ち続けてる。


「あのー大丈夫ですか? なんや汗かいてるみたいやけど」


「いえ……大丈夫です」


 とにかく、うまく言い逃れるのよ。

 志保ちゃんやケイちゃんの目を避けて、野沢さんを地下街の隅へ誘った。


「あの、刑事さんが何かわたしに御用ですか?」


 手のひらに爪をくいこませて、なんとか震えを抑える。大丈夫、大丈夫。落ち着いて!

こんな若い刑事なんて、きっとうまく言いくるめられるはず。


「あ、いえいえ、アタシは刑事課じゃないんで、刑事じゃないんですよー。警官ではあるんですけどね。やっぱりお酒は日本酒に限りますよね。月桂冠。なんつって」


「……は?」


 ……何かまくしたててるけど、全然頭の中に入ってこない。何が言いたいわけ、この子?


「あのぉご用件は?」


 薬のこと、なんて言おう? 早く謝っちゃったほうがいいのかしら? 隆のことはもう知ってるの? そんなことを考えていたら、彼女が口にしたのは、チラとも考えていなかったことだった。


「8年前、歌舞伎町の『カトレア』ってお店で働いてましたよね?」


 歌舞伎町? 8年前……?


 は……?


 わたしはゆっくりその単語を頭の中で繰り返した。

 そう、たしかに今の仕事に就く前はウォーター系のバイトもやってたけど。


「え……あの、はい」


「『カトレア』の常連だった、仁科大樹って社長さん、覚えてますか?」


 仁科……大樹?


 聞き覚えのある名前だった。あれはたしか……。


「中目黒で起きた、強盗殺人事件の被害者です」


 そういわれて、はっきりと思い出した。ああ、あいつだ! 声が大きくて、えらぶって。でも金払いはいい客で……。殺されたって聞いてびっくりしたっけ。


「実はこの事件の関係者が、最近亡くなってましてー」


「え……?」


「絶対犯人が近くにいてるような気がするんですー! せやからアタシ、この事件何がナンでもライスでも! 早く解決せなあかんと思ってまして」


 はあ……?


「で、当時の社長について知ってる人から話聞いて回ってるんですー。それで綾乃さん……『カトレア』のママやった綾乃さんから、西岡さんのこと紹介してもらいまして」


「……そう、綾ママから」


 なんだ、薬のことじゃなかったんだ。わたしはふうぅうって息を吐きだした。


「なんでもええんです。社長について知ってること教えてください!」


「そういわれてもだいぶ昔のことだし……わたしはたまにヘルプについたくらいで、あんまり……」


「社長がお店に連れてきた人とか、お気に入りだったホステスさんとか、知りませんか?」


「あの社長は、たしか特定の子は作らなかったような」


 だからこそ、今日は自分がって、みんな仁科社長が来ると色めき立って、ドロドロしてた。


「ママさんにもそういわれましたぁ……。やっぱこの線からは無理なんかなあ」


 野沢さんは、がくんて肩を落とした。「女、なんやけどなあ」ってぶつぶつつぶやく彼女を見ていたら、ふと、わたしの脳裏に一人の女の顔が浮かんだ。


 白い、あの女のこと。


 そういえば、あの女と仁科って……。


 そうね、ここで警察に恩を売っておくのも、悪くないわね?


「参考になるかどうか……」


 って切りだすと、野沢さんがパッて顔をあげた。


「はいはい! なんでもええです! どんな小さなことでも大きなことでも!」


「仁科さんとモメてた女なら、知ってるわ」


「モメてた……?」


「喧嘩してるとこ、一度チラッと見ただけだけど。『絶対嫌です。お断りします』て、仁科さんのこと突っぱねてて」


「嫌です、お断りします……付き合ってくれて迫ってたんかな」


「さぁ、でも仁科さんが彼女を指名したことはなかったし、気に入ってるって感じでもなかったけど」


 むしろ……険悪な感じすらした。


「なんて名前の人ですか?」


「麻生レナ」


「あそう……れな……」


「シングルマザーで、たまに自分の子、店に連れてきたりしてて」


「こ、子ども! ですか!」


 いきなりがっくん、て野沢さんの顎が落ちた。何よ、子どもがいたらどうなの?


「その人は今どこに!?」


「うーん……あの事件のあと、すぐお店やめちゃったから……その後は知らないわ」


「写真とか、ありますか?」


「さぁ、撮ったことはあるけど、写真が残ってるかどうか……」


 それでも探してみることを約束すると、野沢さんはスキップしながら去っていった。




 その日はずっと、不快な気分が泥みたいに体の奥にたまってた。

 原因の一つはあの女……。レナのことを思い出したせいよ。吐き気がしそう。

 色白の顔がお酒を飲むとちょっと赤くなって、それがもうエロいったらないのよね。外見はゴージャスとは程遠い素朴な雰囲気なんだけど、逆にそれが男心わかってるって感じで……。

 舞を手放したわたしのこと、ずいぶん責めてくれたっけ。自分なら絶対そんなことしない、とかなんとか言っちゃってさ。

 あの子……レナの息子、なんて名前だったっけ? 黒縁のダサいメガネをかけて。やたら生意気な口きくガキで……。

 まぁとにかく、バレたわけじゃなくてよかったじゃない? そう思おうとするんだけど、気分はちっとも晴れなくて。

 英輔さんからも、全然連絡がないし……一体何してるの? もしかして、浮気してるんじゃないでしょうね?

 バイトの子? 大学生?

 ……まさか! あんなおじさんよ、お腹もでてるし。若い子が相手にするはずない。でも……でも、優しいし……お金はあるし……

 ぐるぐる考え始めたらいてもたってもいられなくなっちゃった。


 「気分が悪いから」ってあとを志保ちゃんにまかせると、代々木にある英輔さんのお店に向かった。たぶんこの時間なら、お店にでてるはずよね?

 白い息を吐き吐き、駆けて駆けて。もう頭は痛くて、胃もムカムカして、気分はどん底だったけど、それでも必死に全力疾走したわよ。パンプスの細いつま先が、ヒリヒリするくらいに。

 代々木駅西口の改札前を通り過ぎると、もうお店が見えてきた。ようやく足をゆるめて、呼吸を整えて……。

 なんて声かけようかな。買い物に寄ったの、とか? 会いたかったの、ってストレートに言った方がいい?

 でもわたしの足はそれ以上前に進まず、凍り付いた。


「舞……?」


 お店の前で、舞と英輔さんが話してる。2人で顔をくっつけるみたいにして、仲よさそうに……。


「わたし……やっぱりおじさんのこと好きになっちゃったの……」


「舞ちゃん、ぼくもだよ」


「うれしいっおじさん……でもママが……」


「大丈夫。黙っていればバレやしないよ」


 2人の会話がはっきり聞こえた。ガラガラって……足元が崩れていく……。

 その風景には、見覚えがあった。

 レナが、わたしのお客を何人も、そうやって……そうよ、あいつが盗っていったんだ。

 あの白い肌と微笑みで、男をとろかして、だまして、あいつが……あの、白い……女……。

 わたしはハッとした。


 目の前に……レナが立ってるじゃない。


 英輔さんと一緒に、レナが立ってる……!


 あの女、英輔さんまで奪うつもりなの!?

 怒りがフツフツって、体の奥で沸騰してるみたい。

 わたしはふらつく足を前に出し、駆け寄った。そしてレナの服をつかんで、英輔さんから力任せに引きはがしてやったわ。


「レナ! いい加減にしなさいよ。英輔さんまで奪うつもり? そうよね、それがあんたのお得意だもんね」


 レナはびっくりしたのか、声も出せないみたい。


「早苗さん、どうしちゃったの?」


「絶対許さないから! レナ……あんたのせいで、わたしの生活めちゃくちゃなのよ!」


「ママ? 何言ってるの? レミって、誰?」


 2人が何かを言ってるけど、耳に入ってこない。

 ただ、必死でレナの肩をつかんで揺さぶった。


「あんたのせいで、あたしの人生めちゃくちゃになったのよ! あんたがあたしの客とりまくるから! レミ! レミ! この偽善者っ!!」


「ママ? ママ! あたし、舞だよ! ママ?」


「早苗さんっ! やめなさい! どうしたんだ!」


 わたしの体はレミから引き離された。


「あんたたち、みんな仁科と一緒に死んじゃえばよかったのよ!」


 わたしはよたよたってその場から駆けだした。




 夕暮れ時の歌舞伎町は、これからの賑わいを予感させるざわめきにあふれていた。

 視界が奇妙にゆがんで、足元がおぼつかない。

 みんな、なんて楽しそう。

 あの子もあの子も、みんな舞みたいに人の男寝取ってるんじゃないの。きっとそうよ。

 男なんて、ヤレる女がいれば誰だっていいんだから。

 甲高い笑い声が頭の中で反響して、ぐわんぐわん不快な和音をためていく。あぁ……気持ち悪い。

 わたしは耳をふさぎ、目の前の若い女のグループを蹴散らしながら歩いた。


「何すんのー!」


 って、後ろで声がしたけど、知るもんですか! うろちょろしてるあんたが悪いんでしょ!

 足早に一番街を通り抜けると、脇道に入ったところにある雑居ビルの地下へと降りて行った。

「チェイン」って小さな看板だけが出てる重たいドアの向こうは、カウンター席と数卓のテーブルのみの狭い空間。

 まだ早いから誰もいないかと思ったら……あら? テーブル席にサラリーマン2人連れがいる。サボりかも。

 入っていくと、隆がギョッとした顔でわたしを見た。


「ちょ……早苗さん、メール見てないんすか?」


「見たわよ」


「だったら……」


「いいじゃないの。お客なのよ、わたし」


 隆の慌てた視線に構わず、強引にスツールに崩れ込んだ。


「何か作ってよ。早く」


 喉が渇いて死にそう。

 隆は一瞬天井を仰いで、あきらめたようにカクテルを作り始めた。


「どうしてあんなメールよこしたのよ」


 でも隆は答えない。もう何よさっきから? なんなのよ? わたしはイライラしながら隆を見て、ようやく隆の様子がいつもと違うことに気づいた。

 隆の強張った視線が、「何もしゃべるな」って言っていた。




 店が終わるまで待って、わたしたちはラブホテルに直行した。

 ドアが閉まりきる前に、わたしはもう隆の首にだきついて唇にかみついてた。

 熱く深く舌をからめて、足でギュッて彼の腰を締め付けると、隆の長い指がわたしのヒップをとらえた。激しくキスしてるのに、その指はジリジリしちゃうくらい落ち着いてて……焦らすみたいにゆっくり、上へ下へ這っていく。わたしが大好きな、しっとりと舐めるみたいなその指の感触は、やがてわたしの体をもっと大胆に開いていく。

 耳に感じる彼の熱い息が、段々せわしくなる呼吸が……もうたまらなかった。


「や……あ」


 声が、もう抑えられない。


「あっ……んんっ!」


 体の奥にともった炎があっという間に全身にめぐって、焼いて、追い上げられて、わたしは高く甘く、思いっきり声を上げた。

 英輔さんの時は、多少演技も入るけど、隆との時は、素でイケる。ほんとにわたし、彼とは相性がいいの。

 ぐいってドアに押し付けられて、わたしたちは立ったまま、その激しいセックスに没頭し続けた。




 シャワーを浴びて戻ると、隆はベッドに寝転んでバラエティなんか見てた。

 携帯をチェックすると、英輔さんから着信が何件か入っていたけど、無視よ無視。少し心配すればいいんだわ。


「ねえ、やっぱり男って若い女の方がいいの?」


「なんすかそれ」


 隆は笑いながら、隣に横たわったわたしの肩を抱き寄せる。


「わたしのこと飽きたのかと思った」


 隆のおなかの薄い脂肪、ムニッてつねってやった。「いて!」て笑う隆の顔はちょっと子どもっぽくて、やっぱりかわいい。


「んなわけないじゃないすか。オレ、早苗さんの体、ベタ惚れっすよ。なんか……シビれる感じで」


「じゃあどうして会えないなんて言うのよ。今日会えなかったら死んじゃおうかと思ったんだから」


 冗談じゃなく、死にそうだった。


「それは……」


「ねえ、早くちょうだい。持ってきてくれたんでしょ?」


 上半身を起こして、わたしは期待を込めて隆を見た。でも……。

 隆は困ったように鼻の頭をかいた。


「……今はちょっと、ヤバいんすよ」


「……は?」


 その瞬間、わたしたちの間にあった生々しく艶っぽいものがパッて掻き消える。


「ヤバい? 何それ?」


「ほら……歌舞伎町のホスト殺し、殺された奴が持ってたの、うちのなんすよねえ。だから今動くと、パクられる可能性大で」


「な……んで」


 かすれた声が、小さく喉にからんで消えた。

今日手に入らない……。それはギリギリのところで耐えていたわたしを打ちのめすのに十分だった。

 わたしは隆につかみかかり、マニキュアが剥がれかけた長い爪を裸の胸に突きたてた。


「いって! やめっ……」


「そんなこと言わないでなんとかしてよ! もうほんとに限界なのよ! ねえお願い! お願い! なんでもするから!」


「ちょっ……早苗さっ……!」


 わたしは首筋にかみついて、「なんでもするから! ね!」って繰り返す。


「わかった! わかりましたから!」


 隆はわたしの体を引きはがすと、赤く血がにじんだ乳首を「げ」って見下ろした。


「手に入る? ねえ?」


 ため息をついた隆は、「わかりましたよ」ともう一度うなずいて。


「何とかならないわけじゃないけど……こっちの方、5倍用意できますか?」


 指で丸……お金、ってこと?


「……そんな……」


「いくら早苗さん相手でも、こっちも危ない橋渡るんで。それなりにバラまかないと無理なんすよ」


「でも5倍なんて……」


 カードも止められてるし、ローンの支払いもあるし、もう貸してくれるところなんて……。


「ダンナに頼めないんすか」


「……まだダンナじゃない」


 脱力してベッドに沈み込む。もう世界が終わったみたい……。

 すると、そんなわたしを見ていた隆が、唐突に「娘はどうすか」って言いだした。


「娘?」


「引き取ったじゃないすか養護施設から。この前ちらっと見かけたあの子。17歳だったっけ?」


「そうだけど……」


「女子高生って結構高く売れるんすよね。なんなら店、紹介しましょうか」


「……」


 舞と英輔さん、顔を寄せ合う2人の姿が脳裏に浮かんだ。




「ねえ舞。あなたバイトしてみない?」



 翌日の夕方、チェインに舞を連れていくと、黒いスーツを着崩した男が、カウンターに座って待っていた。舞を見るなり、にやって笑って軽くうなずく。

 ほんっと男って若い女が好きなのね。

 苛立ちながら、舞の背中を押した。


「ママ……?」


 不安そうに舞が振り返る。


「ママと舞が一緒に暮らすために、お金が必要なのよ。ね、助けてくれるでしょ?」


「それは、いいけど……何するのバイトって?」


 黒スーツの男をチラって見て、舞の手がわたしの服をつかむ。その手を両手で包み込んで、わたしはとっておきの微笑みを向けた。


「大丈夫、言われる通りニコニコして座ってればいいだけ。心配しなくていいの。ママもね、昔はホステスやってお金稼いだものよ。ね、お願い。ママのために」


 大きな舞の目が揺れて、やがてこっくんてうなずいた。

 あ~よかった!

 それを見届けた黒スーツの男が、舞を外へ促していく。


「はい早苗さん、これ約束の」


 隆から手渡された封筒に入っていたのは、……ああ、私のダイヤモンド! わたし、思わずビニール袋を取り出してほおずりしちゃったわ。


「早苗さん!」


 隆の咎める声がして顔をあげると、閉まっていくドアの隙間から、舞のびっくりした顔が一瞬見えたような気がしたけど……気のせいよ。

 とにかく、とにかく、わたしはこれがほしかったの!




 ジリジリ……

 カーテンを閉め切って暮れ始めた夕焼けの光を遮断して、久しぶりの一人きり。やっと静かになった我が家で、わたしは粉の溶けていく様に夢中になっていた。

 チリチリジュワジュワ……七色の光をまき散らしながら空へのぼっていく。


 ああ……素敵! 何度見ても、なんて美しいの!


 もう何も怖くない! 何も! 不安なんてどっかに行っちゃったわ。

 わたしは楽しくてたまらなくて、あはははははって大声で笑い出しちゃった。

 ……ん? あら携帯が鳴ってる。

 誰かしら? ウキウキして通話ボタンを押すと、『ママ!』って叫び声が聞こえてきた。


「舞?」


『ママ、ママ……!』


 ガタン! て、携帯の向こう、家具が倒れるような騒々しい音がする。『おとなしくしろ!』とか、男の叫び声も。


『助けて! ねえママ助けて!』


 あらあら、可哀想に。やっぱりただ座ってるだけ、なんて甘くなかったわねぇ。もしかして処女だったのかしらあの子。まあお金もらってるし、仕方ないわ。どうせいつかは彼氏とエッチするんでしょ? だったら経験豊富な方が楽しめるってものよ。


『イヤ! いやあああ!!』


 ああ、舞が泣いてる。ママ、ママ、って泣いてる。

 かわいそうね、かわいそうな舞。

 でも、娘だもの、ママのために、耐えてくれるわよね?

 ああ、やっぱり娘がいてよかった!


 わたしはダイヤモンドの香りをいっぱいに吸い込んで、通話を切った。

 さあて、何をしようかしら? まずは掃除ね。ここしばらくそれどころじゃなかったし。

 ガタガタって掃除機を出してきて、部屋中すみずみまできれいにした。ついでに窓ガラスもピカピカに拭く。

 どうせだから、大掃除しちゃおうかな。

クローゼットから手をつけることにして、中を探ると、段ボールに入ったままの古い靴や洋服もある。これも全部片づけなくちゃ!

 外に引っ張り出して、段ボールの中身を片っ端からゴミ袋に入れていく。


 あ~掃除って気持ちいい!


 そういえば……あの刑事に写真を探すって言ったっけ。レミの写真。

 そんな約束どうだっていいけど、まぁちょっと掃除ついでに探してみるのも悪くないわ。

 プラスチックの衣装ケースを脇にどかして、積み重なった段ボールを一つ一つ開いていく。

 たぶん、あるとしたらこの中だと思うんだけど。わたしは整理せずに突っ込んだままの写真を一枚一枚めくっていって……ようやく底の方に目当てのものを見つけた。


 あったあった! これよこれ! 懐かしい~。わたしとレミ、それからレミの息子が写ってる。裏返すと「カトレアにて。早苗、レミ、拓巳」って書いてある。

 そうそう、拓巳! 拓巳って名前だった。ちょうど舞と同じ年くらいじゃなかったっけ?

 今、どこでどうしてるのかしら……。


 その後も、部屋中を片づけて、来年の企画書とポップまで仕上げて、ソファに腰を下ろした時には、窓の外が白く明るくなってた。

 うそ、もしかして一晩中掃除してたの!?

 わたし、おかしくてたまらなくて、ケラケラ笑っちゃった。その声はしんとした部屋いっぱいに響いて、壁に染み込んでいくみたい。

 一人ってなんて静かなの!

 やっぱりわたしに子育てなんて無理だったのよ。英輔さんには……なんて説明しよう? りんご園に戻ったって言おうか。きっとわかってくれるわね?

 そうよ、きっと舞のことなんてすぐに忘れるに決まってる。

 そうだ、これから英輔さんのところに行こうかな。朝ごはんを一緒に食べて、式の打ち合わせもまだ途中だし……。って、腰を浮かせた時だった。


 ピンポーン……


 インターフォンの音がする。時計を見ると、朝の7時よ。こんな時間に一体誰……?

 ピンポーン……


「聞こえてますってば!」


 勢いよく玄関を開けると、肩幅が広くて背の高い男が、わたしの視界をふさいでた。


「な……」


 見上げるわたしの目の前に、男は手帳を突き出した。見覚えのある、黒い手帳……これは……!


「警視庁捜査一課室生剛だ。西岡早苗だな」


「そ、そうです、けど……」


「覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕する」


 頭が、真っ白になった。

 何を……言ってるの、この人。


「ちょ、ちょっと待って! わたし何も……」


「これが令状だ。これから家の中を調べさせてもらう。それからお前は病院へ行って、検査を受ける」


「い、いやよ。絶対いやよ!」


 刑事がわたしを鬼みたいな恐ろしい顔でにらみつけて、腕を引っ張った。


「おとなしくしないと、もっと痛い目を見ることになるぞ」


 わたしたちの横を、何人もの刑事がドカドカって土足で通り過ぎていく。ああ……奥の部屋に! あの部屋にはクローゼットが……! やめて! やめてってば!


「いやだったら! やめて! 勝手に入らないでよ!」


 逃げなくちゃ! 逃げなくちゃ! 捕まったら……もう終わりだわ!

 この刑事をブッ飛ばして……て振り上げた手は、ひょいって軽くひねられた。


「いた……痛い! 痛いってば!」


「ちなみに、須崎隆はオレが昨夜逮捕した。チェインのガサ入れは今も続いてるぜ」


 うそ……隆が……

 足から力が抜けてく。もう、終わり、なの?


「警部! ありました!」


 部屋の中から大声があがって、わたしのダイヤモンドが……。

 冷たい金属の感触がして視線を下ろすと、カチャンて意外に軽い音がして、手首に手錠がはまってた。

 ああ、もう……終わり、なのね。


 1階のエントランスから外に出ると、パトカーが数台停まっていて、その周りに、朝っぱらだっていうのに、近所から湧き出た野次馬がひしめきあってた。

 わたしはぼんやりその野次馬を眺めながらパトカーに向かって歩いた。

 そうしたら……見知った顔を見つけて、足が止まった。

 舞……! それに英輔さんも!

 そして2人と一緒にいるのは……店に来たあの女刑事! 野沢、とか言ったかしら?

 どうして?

 どうして警察と舞が一緒にいるの?

 戸惑うわたしの耳に、室生の声が聞こえた。


「半裸で交番にかけこんできたんだぞ、お前の娘。自分を売った母親に、怒るどころか『ママを助けて』だとさ。泣かせるね」


 そうか、そういうことだったのね……。


「あんたがわたしを売ったのね!?」


 わたしがかすれた声で叫ぶと、舞がビクッと震えてわたしを見た。

 普段よりずっと白い顔は、小さく頼りなくて……。こんな子どもに、全部奪われるなんて!

 ぶっ叩いてやろうとしたけど、室生にがっちり抑えられて、動けなかった。

 だから声を限りにわめいてやったわ。


「この……恩知らず! 産んでやったのに!」


 英輔さんが、かばうみたいに舞の肩を抱く。頭にカアッて血が上った。


「わかってるんだから! あんたたち2人、できてるんでしょ! なんて子なの、親の恋人たらし込むなんて! あんたに何がわかるっていうの! あんたみたいにまだ若くて、未来があって、そんなあんたに、わたしの何がわかるって言うのよ!!!! あんたなんか引き取るんじゃなかった! あんたなんかわたしの娘じゃない! 悪魔の子よ! 悪魔だ! バカやろおおおお!!!」



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