余白 その3
新宿西口の大ガードを始点に、線路と並行して走る小滝橋通り沿い。ファーストフード店とコンビニに挟まれ、見落としそうなほど小さい店構えだったが、確かにそれはたこ焼き屋だった。
「ミヨちゃん」と手書き風に書かれたのれんの向こうから、食欲をそそる匂いが漂っている。思わず歩調をゆるめてそののれんを眺めた拓巳は、突然「あー!」と叫び声がして足を止めた。
視線をめぐらせると、店先でスタッフと話し込んでいた若い女性が拓巳に手を振っている。
「うわ……」
カラーパンツにダッフルコートという私服姿は10代でも通用しそうに若く見えたが、見覚えのあるその顔は、まぎれもなく新宿署の野沢みのり巡査だった。
拓巳は回れ右して駆け出したい衝動と必死で戦う。
逃げる、ということは、後ろ暗いことがある人間がとる行動だから。
「今日なあ、アタシ非番やねん」
激突しそうな勢いで駆け寄ってきたみのりは、湯気が立ち上るたこ焼きがのった皿を拓巳に差し出した。
「いらない」
「ええから食べて! ミヨちゃんのたこ焼きはな、常夏やねんで」
「とこ……なつ?」
「うますぎて、あき、来ない♪」
にんまりしたみのりに、拓巳の頬が一瞬緩んだ。
「あ、今笑った!? 笑ったやろ!?」
「笑ってない」
「笑ったて!」
「笑ってない!」
「笑った笑った~見たで~アタシ見たで~」
子どものように飛び跳ねて笑う。
「笑っとった方がええよ。笑う門松には福くんダッシュしてくんねんから」
「……原型わかんないって」
言いながら財布を取り出した。
「いくら?」
「あのなぁ、高校生からお金とれるわけないやんか。そんなおっかねーことせえへんわ」
「……」
「あ、せやけど交換条件ての、どや? な、あんたの名前、教えてえな!」
拓巳はみのりとたこ焼きとを見比べて黙り込んでいたが、やがてしぶしぶ、「新条拓巳」とつぶやいた。
「拓巳、拓巳、拓巳やな。オッケー。キオクキオク、駅にあるのはキヲスクーなんつって」
呆れながらも頬を緩めてしまいそうになった拓巳の耳に、よく知った声が聞こえた。
「拓巳?」
振り返ると、みずほが立っていた。
「……母さん!」
「今帰りなの?」
「うん……母さんもパートの帰り?」
近づいてくるみずほと拓巳を交互に見つめていたみのりが、顎をカクンと落として叫ぶ。
「母さん……て、この美人、拓巳のおかん!? うわ~うわ~めっちゃうらやましい親子丼やんか! うんうん、やっぱ雰囲気似てるやん。さすがANAやねー、それを言うならDNA。飛行機乗ってどないすんねん」
みずほがぷっと吹きだした。
「あ、これあげます。2人で食べてくださいなー」
と、みずほの手にたこ焼きを押し付けると、拓巳の肩をぐいっと抱き寄せてささやいた。
「あのな、アタシお節介やめへんから。お節介せえへんかったら、タコ入ってへんたこ焼きになってまうからな。せやから、なんか困ったことあったらなんでも言うてな。絶対力になる。約束する!」
それだけ言うと、手をフリフリ、飛び跳ねながら駆け去っていった。
みずほがその後ろ姿をじっと見つめていることに気づき、拓巳は慌てて言った。
「べ……別にっただの知り合いだから」
「ふぅん」と探るような視線を避けて、拓巳は新宿の高層ビルを見上げた。
「あの人、警察官なんだって」
母の表情がどう変わったか、拓巳には見えなかった。




