涕の町
この町に来て何年になるだろうか。
最初こそは不安だったものの、今ではすっかりなじんでいる。
今日は久しぶりの秋晴れ、外で練習することにしよう。
相棒の笛を持ち出し、町に出る。
いつもの公園。この町に来てからいつもここのベンチで演奏をし、練習している。
晴れた空の下演奏をしていると、隣のベンチに見知らぬ女性が座ってきた。
見たところ、老婆のようだった。すると
「いい、笛の音ですね」
と、老婆が話しかけてきた。
「ありがとうございます。ここら辺ではお見かけしないと思いますが、どちらから?」
演奏をやめ、話をする。たまにこう話しかけてくれる人がいるから適度に休憩できる。
「ええ、ちょっと遠くからね。人に会いに」
「この町の人ですか?」
「はい。ただ、どこにいるのか見当もつかなくて困っていたところで、あなたの笛の音が聞こえてきたものですから」
僕はうれしい気分になり、さらに笛を吹こうかと思った。しかし、人を探しているということには手伝わないわけにはいかない。
「こんな下手な笛の演奏を聞いてくださって、お礼にもならないと思いますが探すのお手伝いしますよ」
「あら、本当? うれしいわ。なら、ついでにこの町を案内してくださいな」
「勿論です!」
今日の練習はここまでにして、人探しに加え町案内をすることにした。
「それで、その人の特徴は・・・」
「栗色の髪で、今はあなたぐらいの年ですかね」
そう言われて、自分と同い年で公園の近くに住んでいる友人からあたることにした。
それほど広くないこの町、全員と顔を知っているとしても探すのには気が遠くなるほどだった。
町の案内も頼まれていて逆によかった。秋の町を老婆とともに歩いてゆく。
農家の家から学者の家、もちろん友人には情報を聞いて回った。
疲れたころになると店により休んだ。
そうして夕暮れ。秋晴れだった空は、いつの間にか曇ってしまっていた。
最後に、この町で僕が一番気に入っている野花の丘に老婆を案内した。
「ここ、僕のお気に入りの場所なんですよ・・・結局、見つかりませんでしたね・・・すみません」
「いえ、謝らなくていいんですよ。ここじゃないのかもしれないですし」
「おばあさんは、今日どこにお泊りに?」
「いえ、今日のうちに帰ることにします。ありがとうございました」
「そうですか・・・」
駅まで送るというと、別にいらないと言われたので、挨拶をし後ろを向いたとき
「あ、一つ思い出しました。会おうとしていた人はこの町に笛吹きになりたくて来たんですよ。私はずっと待っていたのですが、ついに来ませんでした。せっかく大好きなラズベリーのクッキーを作っていたのに」
僕は内心驚いた。僕はこの町に笛吹きをめざし、田舎から出てきた。それに、僕の好物はラズベリーのクッキー。
「あの・・・!」
僕が振り返ると、そこにはもう誰もいなかった。
鼻先に冷たい感覚がした。その直後、雨が降り出した。
それからしばらくたち、冬に田舎へ帰ってみると、母は死んでいた。秋のことだったらしい。
あの時の老婆は、絶対に母であったと思う。母は、最期に会いに来てくれた。それなのに僕は何もできなかった。
いつも母が立ってた台所のテーブルの上には、僕の大好きなラズベリーのクッキーが置かれていた。