異世界図書館の職員に選ばれまして
都内の一軒家は8畳の部屋の中で、俺は笑みを押さえきれずにいた。
部屋の壁には本棚があり、ドア以外の場所を隙間なく埋めている。床にも本棚に入りきれない聖書達が置かれていた。
出来れば全て本棚に入れておきたい所だが、もう一部屋も既に埋め尽くされているので仕方ない。
「ふっふっふっ…。夏のボーナスをつぎ込んで手に入れた聖書達よ! 今こそ、その美しき姿を見せるのだぁあああ!!」
俺は若干、中二っぽいセリフを言う。
目の前にあるのは、両手で抱える程度の大きさの段ボールが一つ。
ビリビリッ…!
段ボールのテープを、待ちきれない思いで乱暴に剥がす。
その中に在るのは、漫画・ラノベ・薄い本が沢山詰められていた。そう、夢と希望たる聖書がたっぷり詰められていた。
「ふぉおおおお! やはりこの瞬間が最高に幸せですな」
俺は部屋で一人頷く。
親から貰っているお小遣いでは到底、これらを買う金が足りないと気付いたのは中学生の頃だったか。
それから俺は猛勉強をした。小・中学生の頃の成績は悲惨で授業態度も悪かった。それがいきなり勉強し始めたのだから、両親はひどく心配した。なんで心配するんだよ。自分の子供が進んで勉強してるんだから喜べよ、と思った。
なんで勉強したか。
理由は簡単だ。
良い会社に就職して、漫画・ラノベ・薄い本を心おきなく買うための軍資金を得るため。
結論から言うと家を買った。
昔住んでいたマンション。俺の私室4畳の一部屋だけでは、あっと言う間に聖書が溢れてしまったのだ。弟の部屋にまで置かしてもらっていたが、薄い本がある日開けなくなり弟と喧嘩した。
そして聖書達を保存する神殿たる一軒家を買ったのだ。
もちろん日中いない俺には、一軒家を管理する能力も時間もない。家事代行なるものを利用する手はあるが、他人に聖書を見られるかもしれないと思うと恐ろしい。
弟が愛したというか、ぶっかけた触手系のカジュアルな薄い本ならまだいい。けど、俺の聖書の中にはとても女性には見せられないような類の、表紙からしてアレなやつがある。
故に、家事代行は利用できずにいる。家は家族5人で住んでいる。
これが異世界とかなら、かわいいメイドさんを羞恥させてその後R18な事をできるのに。
現実は悲惨である。
「ああ、やはりこのむちむちした絵柄…いい」
しかし現実にも救いはある。
段ボールの中から新しく買った聖書を手に取って眺める。
コンッ…コンッ…
控え目なドアをノックする音が聞こえ、俺は返事をする。
母親がドアを開け顔をのぞかせた。
「集智、段ボールがもう一つ届いたわよ。重くて上がらないから、アンタが持って行ってね。母さんはスーパーに行ってくるけど、なんか買う物ある?」
集智とは俺の名前である。
“しゅうじ”と読む。決して“しゅうち”ではない。ましてや羞恥でもない。
昔小学生の頃に、「羞恥があらわれたぞー」とからかわれた事がある。羞恥の意味しっていて言うのなら、あのからかった奴は俺の同士だったということになる。
俺は手の中にある聖書の表紙に視線を落として思う。羞恥とはこういう事をいうのにな?
視線を母親に戻して答える。母親は俺の聖書に対して何も言わない。何も言わないのが逆に怖い。
「買った本はこれで全部の筈なんだけどな。まあいいや、後で見るわ。スーパーで買う物…ない、たぶん」
「そう。それじゃあ行ってくるわ。ちゃんと、母さんが返ってくる前には片付けといてね。重いし、でっかいから、玄関に置いとくと邪魔なのよ」
「はいはい。わかった」
母親がドアを閉める。「またあんなに買って…」という声が聞こえたような気がするが、気のせいだ。
俺は手に持っていた聖書を戻し、とりあえずは先程開けた段ボールを端に寄せる。
今はでっかくてすごいと評判のブツを見にイクとするか。
……言い方が卑猥なのは、たぶん先程まで持っていた羞恥系の聖書の所為だ。
俺は階段を降りて来たところで固まった。
そして呟く。
「ふええ…。こんなにでかいの(部屋の中に)入りきれないよぉ…」
玄関には横150cm、縦40cm程度のでかい段ボールが鎮座していた。
段ボールの元まで行きながら自分に問答する。
「真夜中に寝ぼけて、ダッチワイフでも買ったか? 俺」
一体何が届いたのか。ラベルに書かれた差出人と内容品を読む。
「えーと、なになに。差出人は、中央図書館。どこの中央図書館様だよ。詳しく書いてくれ。しかも内容品が生ものって、怪しさ全開だな!」
玄関で一人漫才をする。どうせ聞いてる奴はいない。
ガタッ……ガタッ…!
「うわっ! 動いたっ!」
俺は突如、揺れ動いた段ボールから後ずさる。
ガタッ……ガタッ…ビリッ
段ボールが独りでに封を開けた。そして隙間から覗くそれは、
「猫?」
そう猫の耳である。
しかしあり得ない。猫の耳にしてはやや大きい。いうなら大型のネコ科の動物のそれである。
なんで図書館から猛獣が届くんだよ。宛先間違えてないか。いや、間違えてはいなかった。正真正銘、俺宛だった。
あ、猫耳が動いている。白い毛で耳の先だけ黒い。
ぴょこ……
「うわぁああああ! 俺はとうとう犯罪に手を染めてしまったのかぁ? 嫌だぁ!! 牢じゃ聖書を集められないじゃないか!!」
俺は非常に混乱した。
だって届いた段ボールから、こんなのが出てきたら普通の思考ではいられないだろう。まあ、俺の通常の思考が普通かはさて置き。
「なんでっ…なんで、女の子が! 俺は誘拐の片棒を担がされたのか! 嫌だぁあああ」
俺は頭を抱え膝まついた。
ガタッ…ぺたぺた…
頭上から声がかかる。その声は透き通っていて高く、でもどこか心落ち着く感じがする。
「シュージ様、べリスは誘拐されたのではないのです。自らシュージ様の所へ来たのです」
「べリス?」
「はい。私の名前なのです」
俺は顔を上げべリスをよく見る。
ベリス。bellusたしかラテン語で美しいという意味だったか。でも少女は美しいというよりも、かわいいといった方があっている。
身長は145cm前後か。あの段ボールにぎゅうぎゅうに入っていたんだな。差出人様よ、これは虐待になるのではないか? どう見繕っても、10代前半だぞ。
白い猫耳としっぽがある。髪の毛は淡い桜色。肩に掛かるかどうか、というセミロングだ。
黒色のブレザーを制服として着ている。なんで制服かと分かったか、答えは単純だ。胸元のプレートに「中央図書館 レファレンス見習い」と書いてあった。
俺は社会人としての言葉遣いに変えて対応した。もう遅いけど。
「ベリスさん、玄関で話すような事ではないでしょう。リビングで詳しくお聞かせ願えないでしょうか」
ベリスは猫耳をピンと立てて、慌てて両手を振る。
「はわわ。 シュージ様、ベリスは見習いなのです。さん付けなんて駄目なのです。それに、それに敬語も不要なのです…!」
俺はリビングへ案内しながら言葉遣いを元に治した。
「そっか、じゃあ状況を説明してもらうわ」
「はい! なのです」
~のです、は語尾かい。
「飲み物はジュースでいいか? 今、お菓子かなんか持ってくる」
リビングの椅子に座られた後、冷蔵庫を漁る。ベリスの「はわわ。ど、どうぞお構いなくでございますのです」という慌てた声がするが無視。
冷蔵庫にあったプリンを取る。紙が貼ってあり「はたしのもの。ばつきんわ500まんえん」と書いてあった。妹よ、名乗れ。
プリンをベリスに差し出す。
「いいのですか。こんな高そうなプリンを頂いても?」
ベリスがキラキラした目でプリンを見て聞いてくる。そして語尾が少し崩れている。
「どーぞ。“はたしのもの”だし。そんなに高いのじゃないから」
「頂きますなのです! ……!! こ、これは! 王都でしか口にできない高級品なのでは!」
大げさな…。高々コンビニの130円くらいので。
まあ、出会いがしらに大声で叫んだ俺に対する警戒も解けてくれただろう。めっちゃ笑顔でプリン食ってるし。
ベリスが食い終わった後、本題に入る。
「それでベリス。君に重要な事を聞かねばならない」
じっと見つめると、ベリスは猫耳と背をピンを伸ばし緊張して答える。しっぽがどうなっているかは分からない。テーブルが邪魔だな。
「は、はい! シュージ様なんなりとお聞きくださいのです」
「君を見た瞬間から、知りたいと思った事だ。正直に答えて欲しい…」
段ボールからぴょこと現れた時から、気になっていた。ぶっちゃけると、手を伸ばして確かめたいとも思った。しかし、絶滅危惧種を捕ってはいけないように、ロリショタに触れてはいけないように、俺は自制した。許されない事だと弁えて、本人に聞くだけで納得するしかないのだ。世界は規律で今日も回っている。
「その猫耳は本物ですか?」
俺は正直に質問した。
虚を突かれたのか、ベリスが間の抜けた声を出す。
「へ? この耳ですか? 本物とはどういう意味でしょうか、なのです。偽物があるのですか」
「耳が…いや、猫耳はきちんと君に付いているのか。もしかしたら精巧にできた物を付けているレイヤーさんなのではないか、と思った…。まさか、2次元から俺に会いに来てくれたとは…とても思えない。夢か。これは…そう、目覚めてはならぬ夢を、俺はついに夢を操る能力を手に入れてしまっていたのか」
俺がぶつぶつといっていると、ベリスが目をぱちぱちと瞬きした後、理解したように頷く。
「なるほどなのです! シュージ様はベリスが管理されていない、ライカンスロープだと思われたのですね? ベリスは中央図書館で働いていますから、身分証明書は持っているのです」
えっへんとベリスは胸を張る。胸といっても、ぺったんこだから張っても変わらんけど。
てか、猫耳が本物か聞いたのに…。おまけに、管理されていないライカンスロープって言い回しがなんか不安。
「まあ猫耳のことはこの際いいや。それで、ベリスはなんで俺の所に送られて来たの?」
「ベリスはレファレンス見習いとして失格だったのです…」
しょぼんと猫耳が垂れる。やはりあの耳は本物だな。確定。
「図書館のレファレンス…。利用者をサポートする業務、だったか。調べたり、探したりするのを手伝う」
「そうなのです。ベリスは利用者の方に満足していただけるように、必ず本を持ってまいりますなのです。と言ってしまったのです…」
「でも、探している本が見つからなかった。だから、失格だという事か」
「はい、なのです。図書館のどこを探しても見つからず…ついに、ベリスは相手の王家の方を怒らしてしまったのです。そして、異世界転送されたのです…」
「ああ、ベリスは異世界から来たのか」
なんかよくわからんけど、納得してしまった。
というよりも、王家の人物を接待するのに見習い使うなよ。という俺のツッコミはこの際、口にはださない。
「王家の方が探している本がこの世界にあるのか?」
「はい! なのです」
「どんな種類の本なんだ?」
「それがですね…」
ベリスは顔を赤らめ、もじもじとする。きょろきょろと辺りを見渡し誰も居ない事を確認すると、顔を近づけ小声で話す。
「異世界のえっちな本を探しているのです」
ベリスのいる国、大丈夫か? そんな物探すためにわざわざ、異世界転送なんぞしたのか。異世界から勇者を召喚するために、巫女を犠牲にとか、大魔法を使ってとか小説とかだとあるけど。
ベリスが上目づかいで尋ねる。
「シュージ様、本を持っておられませんか? なのです」
「いや、そんな種類の本はあいにく持ってない。ごめんな」
持ってない、持ってない。
一部屋まるまる、聖書で埋まっているなんて。寝室も足の踏み場もないなんて。おまけに階段下の収納スペースも俺の陣地にできないか、母親にあの手この手で御機嫌を窺っているなんて言えない。
ベリスが恥ずかしそうに、でも目を見て話す。
「シュージ様…ベリスは的確にここに配送されたのです」
つまり…
ここには目的のえっちな本があるのは知っている。言い訳はできないぞ(ほしみ)
という事らしい。
うわぁああああ!! 本日何度目かの叫びを心の中でする。
異世界からわざわざ来た猫耳少女に、死刑宣告にも似た事を言われるのは堪える…。
「あ、あのシュージ様。本を一つ贈呈して頂けないでしょうか、なのです」
申し訳なさそうに言わないでくれ。
「本をあげれば、ベリスは元の世界へ戻れるのか?」
「はいなのです」
正直に言うなら、まだ猫耳を俺は触っていないのに。もう戻るのか…。
じゃない、本を贈呈するかどうか、だった。
俺は自室に行き、聖書の一つを取る。えっちな本と一口に言っても、様々なフェチがあるからなぁ。
異世界の王家の方がどんな趣味をしていらっしゃるか知らんが。王道の触手系や幼女物は止めたほうがいいだろう。ありそうだもんな、異世界にも。
表紙が非常にアレなので、カバーをかけてリビングに再び戻る。
ベリスに手渡す。
「これがあれば、ベリスも見習い失格を免除できるだろう。受け取るがいい」
偉そうに言っても所詮はエ○本である。
にも関わらず、ベリスは両手で恭しく受け取る。
そして―
「ひゃあっ!!」
なぜ、中を確認する…。
図書館の職員として、贈呈された本を確認するのは普通の事だろうけどさ。えっちな本て、分かってて受け取ったよね?
「はうっ…こ、こんな…えっちな本を…はわわわ…」
方手で目を隠している。指の隙間からがっちり確認してる。
これなんて羞恥プレイなの。俺まで恥ずかしくなってくるんだけど。
「あ、あの…か、確認しました。それでシュージ様には、贈呈に関する契約の書類に拇印を押して頂きたいのです」
「書類か…ベリスがその辺で拾ったって事には出来ないのか?」
「はいなのです。不正を避けるためなのです」
「そっか。じゃあ、その書類を出してくれ」
ベリスが椅子から立ち上がると、たったっと駆けてゆく。どこ行くんだ? ああ、玄関にある自分が入ってた段ボールか。
ベリスは鞄を持って戻ってきた。中から書類を出すと机に広げた。
「ここに拇印を押して頂きたいのです」
うん。分かっていた。書類の文字が読めないってことくらい。今の会社に入るのに猛勉強はしたけど、異世界言語は学んでないぞ。
「なんて書いてあるんだ?」
ベリスは猫耳をイカ耳状態にしている。気のせいか、えっちな本と言うときよりもそわそわしている。たぶん。
「えーと…要約しますと。一度こちらのモノになると返せない。ということなのです」
「ああ…あげたのに、返せとは言わないよ。どうせ、この種類の本いっぱい持ってるし」
と自虐しつつ、指にインクを付ける。
書類に押した後でベリスが言う。
「…シュージ様、本当によろしかったのでしょうか」
何が?
てか、書類の文字が光輝き始めたんですけど。異世界っぽい演出だね。ついでに言うと俺の体も光始めたんですけど?
「ううっ……ごめんなさいです…」
ベリスは涙を流しながら謝る。ベリスも光始めた。
どういう事? と思ってもう一度、書類に目を落とす。
先程まで読めなかった異世界文字が読める。要約する。
―特殊分類書籍を贈呈する。贈呈する本の管理をするため、自身の転送も許可する。一度こちらの世界の者になると返れない事を承知の上、同意する―
はい? ドウイウ意味デスカ。
「シュージ様は中央図書館の職員に選ばれましたのです。ベリスのせいで、ごめんなさい…」
「ベリスのせいで?」
「王家の方を怒らせてしまったベリスへの罰なのです」
「ああ…なんとなく分かった。行ってやろう、異世界の図書館とやらに」
「いいのですか?」
「いいのですよ」
口調を真似て笑いかけてみた。ベリスの頭を撫でであやす。ついでに、さりげなく、猫耳にも触れた。事故だ、故意ではない。
ベリスもおずおずと頬笑みを返す。やっぱり、泣き顔よりも笑い顔のほうがいいよ。
俺は頭が悪くない。良くもないけど。
管理されていない、ライカンスロープ。王家の人物を接待するのに見習い。
この2つからなんとなく、ベリスの立ち位置というのが見えてくる。
行ってやろうじゃないか。かわいいケモノ耳の子がいる世界へ。
こうして俺は異世界図書館の職員に選ばれましたとさ。