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1-5 インテリジェンスドラゴン






 おばさん位のメイドさんに案内されて、歩とアーサーは屋敷の地下にいた。

 ここから先は入らないでください、とバウスネルン邸に来たときに言われた場所だ。

 二階分の階段を降りたところで、壁が変わった。

磨き上げられた石壁から冷気が漂いそうなでこぼこの岩肌。

足元も絨毯から同じような岩肌に、照明は電気からランタンに変わった。


歩は知らず知らずのうちにつばを呑んでいた。

 なんともらしい場所、秘密の話をするにはこれ以上ない空間だから。

 期待と不安が入り混じった汗が、首元を濡らしていった。


階段を降りて、長い廊下を進んでいく内に、壁のような木壁が見えてきた。

 何も装飾がない、ただ秘密を守るためだけの重く固い一枚板。

 そのずいぶん手前で、ここまで連れて来てくれたメイドさんが急に立ち止まった。


「歩様、アーサー様、私はここまでです。ノックした後、名乗ってお入りください」

「ありがとう」


 スマートなアーサーの礼の後、歩も遅れて、あ、ありがとうございました、と返すと、メイドさんは一礼した後、すっと元来た道へ帰っていった。


「これから先は、召使いは見ることすらできない場所ということだ」

「……わかってる」

「そうか」


 歯切れの悪いアーサーの返答に、すーっと息を吐く。


「進めるかな」

「さあわからん」

「バウスネルンの人達は信用できる、と思う。本当によくしてもらった」

「ワインは上手かった」

「ご飯もでしょ」

「だがそれも我らをたぶらかすための策かもしれん。こんな密室におびき出し、殺すためのな」

「わざわざそんな面倒かける? チビ竜とただの竜使いに」

「お前はただの竜使いではあるまい」


 歩は苦笑した。


アーサーが面と向かって自分を褒めるなんて――


ちらと隣のパートナーの顔を見る。その下の感情はまるでわからない。

昔からこうだった。アーサーの表面以上のものを、歩は読みとれた試しがない。


今思えば、アーサーにとっての自分は、手のかかる弟みたいなものだったのだろう。

本来は十二歳遅れで生まれてくるパートナーは、人間側にとっては弟妹になる。

他の人のほとんどは、人間がパートナーの世話を焼くような関係だった。

だがアーサーは知恵を持って生まれてきた。知識だけではなく、多少歪んでいようと成熟した人格を持っていた。

どれだけ物理的な世話を焼こうと、歩にとってのアーサーは常に年長者にしかなりえなかったのだ。


「さて鬼が出るか蛇が出るか」

「歩」

「わかってる」


 ドアの前に立ったところで、再びアーサーの顔を見る。

 その表情から、読みとれるものは何もない。

 だが歩にはわかった。最近になってようやく、わかるようになってきた。


――取り繕うこともできない位、ひどく緊張しているのだ。



「入ってください」

 ノックして名乗りを上げると、しわがれた声で、よく通る声が返ってきた。

 歩はドアを開けた。








 ドアの先を見て最初に思ったのは、図書館に来たみたいだ、だった。

 壁や床はここまでの道と同じような岩壁で、岩壁を大きく掘り抜いて作ったような空間でとても広い。

 だがそのほとんどが本棚で埋まっていた。


 例外は中央に置かれた二十人は座れそうな長机だけで、今そこに座るリズを含むスーツ姿の五人以外の構成物は本だった。

息苦しくはない位の間を開けて、長机を包むようにらせん階段が岩肌に掘られ、その壁際にはびっしりと中身の詰まった本棚。

 それは天井までびっしりと続いており、それでもなお貯蔵しきれてないと言わんばかりに、そこかしこに本が積まれてあった。


 人類の英知の終の場所。そんな感じだ。


「そこに座ってください」


 促されたのは、上座の老人から向かって左の四番目と五番目の席だった。

 五番目の椅子の上にはクッションが敷かれていて、アーサーが座ると丁度よく身体が机の上の高さまでくるようになっていた。


「本来なら机の反対側についてもらうところなのですが、何分これだけ机が長いもので。客人をまるで家族の末席に座らせる形になり、申し訳ない。招いて置きながら、今の今まで顔を合わせずにいたことも謝らせてください、所要で一年ほど外に出ていたもので」

「いえ」


 老人と目があった。品のよい学者がそのまま年を取った、そんな印象を受けた。

 高く曲がったワシ鼻に、豊かな白い眉とヒゲ、目はリズと同じ鳶色。

 その顔に浮かぶ整った微笑は、リズの本家といった感じだ。

老齢なのに、白いシャツと紺のフォーマルなパンツスーツという姿が堂にいっている。


「バウスネルン家当主、ヨハン・E・バウスネルンです」

「水城歩です、こっちはアーサーです」

「よろしく、ヨハン翁」


 老人――ア―サー曰くのヨハン翁は次に机の右側にいる二人を指して言った。


「こちらは御存じリーゼロッテと、その母親です」

「アンネゲルトです」


 リズをそのまま年を取らせた感じの人だった。美しいブロンドと肌、ただ表情は固く、少しきつく見える。


「アンネとお呼びください」

「アンネゲルトで」


 ヨハンの声に、訂正をいれるアンネゲルト。

こちらに睨むような視線を向けてくる顔に、こちらも訂正、少しどころじゃなかった。

 その隣にいるリズと目があうと、困ったような笑みを浮かべてきた。

大丈夫というようにこちらも似たような笑みで返す。

するとアンネゲルトの顔が険しくなった。

……娘馬鹿?


「許してやってください。そしてこちらがリーゼロッテの父と兄です」


 こちらも困ったような笑みのヨハンが、歩達の隣をさしてきた。

 リズは祖父似なんだな、と思って横を見て、びくりとなった。


「ゲルハルト・R・バウスネルンです」

「ゲルベルト・L・バウスネルンです」


 そっくりだった。

 いや、区別はできる。四十代な人が父親のゲルハルト、二十代な人が兄のゲルベルト。

 だが二人は同一人物のアルバムを見比べるように、本当に同じ見た目をしていた。

 短髪ブロンドにごつい体格、つぶらな瞳に大きな口と、まるで同じ型で作った人形のようなのだ。


 呆気に取られて返礼できないでいると、二人の顔がにやっと笑った。笑い方までそっくりだ。


「「どうも年違いの双子です」」

「もういいからそういうの」


 呆れたようなアンネゲルトの突っ込みに、年取った方が答える。


「こうでもしないと、なかなか私達を飲みこんでくれないことは知ってるだろう?」

「年違いの双子のほうは完全に狙ってるじゃない」

「笑いは重要だ」

「こんなときまでしなくていいでしょう」

「いついかなるときも!」

「笑いは人々を救う!」


 後のほうは若い方だった。いえーいとゲルハルトとゲルベルトが手を叩いた。

 はあーと大きなため息が聞こえてきた。


「ということでよろしく、歩君!」

「ぶっちゃけ妹はどうなのよ、歩!」

「もういいからそこ」

「え、と、よろしくお願いします。ゲル、ハルトさんとゲル、ベルトさん」


 にっと笑ってきた。そっくりすぎて、くらっとなった。


「ではインテリジェンスドラゴンの話をしようか」

「お父さんも、二人に乗っかからないで」


なんとも締まらん、これでいいのか我らが覚悟、とアーサーがぼそっと呟くのが聞こえてきた。








 これじゃ締まらないから、とアンネゲルトが淹れたお茶で一息ついた後、本題が始まった。


「インテリジェンスドラゴンの伝承は知っていますか?」

「はい、知っています」


 教師のようなヨハン翁の質問に答えた。わずかに一般に知られている伝説の部分だ。


「覚えていますか?」

「我が答えよう。


 インテリジェンスドラゴン

 そなたはどうして左様に賢いのか

 そなたはどうして唯一なのか

 そなたはどうして竜なのか


 インテリジェンスドラゴン

 人語を操る者よ

 そなたの力は絶大なり」


 アーサーの重低音な声だと、まるで歌のように聞こえた。

インテリジェンスドラゴンがインテリジェンスドラゴンの詩を歌うという状況も、なんだかしんみりとさせているような気がした。


「素晴らしい詩です。録音したくなる位、心に響きます」

「有難い評価、痛みいる」


 だがアーサーは先を急げとでも言うように静かに答えた。

 それを感じ取ってか、ヨハン翁もすっと笑みを静かなものにした。


「アンネ」

「はい」


 すっと立ち上がったリズの母親アンネゲルトは、ヨハン翁の後ろにある本棚から一冊の本を引きぬくと、それを歩達のところまで持ってきた。

 歩とアーサーの間にすっと入り、ぱっと広げる。

 紙がぱりぱりと音を立てて開き、くすむ位ではないほど変色しているその本の一ページ。

 そこを見て、全身が逆毛だった。


 目に入ってきたのは挿絵と数行の文章だった。

 文章は読めない。ところどころは読めるが、意味はわからない、多分古語だろう。

 ただ挿絵は、ある意味最も見たくないものだった。


 そこにあったのは竜殺しの竜が暴虐を振るう姿だった。


 アンネゲルトが言った。


「文章を現代語にしたものはこれです。



 インテリジェンスドラゴン  呪われし竜よ

 そなたはどうして左様に賢いのか  竜殺しの竜の分際で

 そなたはどうして唯一なのか  孤独に苦しむがよい

 そなたはどうして竜なのか  それは同胞を殺すためだ


 インテリジェンスドラゴン  哀れでみじめな竜よ

 人語を操る者よ  その賢さを恨むがよい

 そなたの力は絶大なり  そなたの苦しみを増すためだけに」




 アンネゲルトの静かな声でもわかった。

それは呪いの歌だった。

 誰かが誰かを、インテリジェンスドラゴンへの黒い感情を書きなぐった、呪詛だ。

 この世のあらゆる文章の中で、最も深くて暗いところにある、命の暗部の発露だった。


 絵もその歌に相応しいものだった。

 黒い絵の具をぶちまけたような絵には、竜だけが書かれていた。

 両腕をもぎとられた竜、腹からひきさかれた竜、三つ首全てが根元から折られた竜。

内臓がはみ出た竜、身体はぐしゃぐしゃになって、首だけが二つ並べられた竜、炭になった竜。

 そしてそれらの中央で、まるで狂喜しているかのように口を開けた、黒にまみれた竜。

 アーサーの竜殺しの竜を同じ形の竜。


 おそるおそる隣を覗った。

 アーサーはいつも通りだった。

学生時代にたまにあったパートナーも参加する共同授業で見せた、早く終わらないかと思っているような、そんな顔だった。

 それは歩に表情を悟られまいとする顔にも似ていた。


 だがわかった。アーサーに近い人なら、誰でもわかっただろう。


 ただアーサーは茫然としていたのだ。呆気に取られていたのだ。

 もっとも見たくなかった自分の姿を描いたような絵に。

 自分の起源とも呼べる伝承の真実の姿に。


 どれほど時がたったときだろうか、アンネゲルトが口を開いた。


「この本は推・聖書と呼ばれています。おそらくこの世で現存する媒体の内、信頼のおけるものの中では最も古いものです。今から四百年ほど前の考古学者の本で、この本も完全なオリジナルというわけではありませんが、私達バウスネルン家が所有する、または閲覧した本の中で、あらゆる書物のオリジナルとよべるものになっています」

「これがインテリジェンスドラゴンの伝説に乗じた二次創作ではないと?」

「はい」


 アンネゲルトの声は静かで冷たかった。だがそれが有難かった。


「アンゲルト」


 だがヨハン翁は咎めるような強い口調で、彼女を呼んだ。

 いや、違うんです、そう言おうとしてヨハン翁を見て、自分が間違っていたことに気付いた。

 ヨハン翁の厳しい顔は、違う意味だった。

 アンネではなく、アンネゲルトと呼んでいたことを思いだした。


「全てを伝えなさい」

「……はい」


 アンネゲルトの声は少し震えていた。

全て? まだ何かあるのか?」


「詩の最後にはまだ一文ありました、申し訳ありません。全文を読みます。


 インテリジェンスドラゴン  呪われし竜よ

 そなたはどうして左様に賢いのか  竜殺しの竜の分際で

 そなたはどうして唯一なのか  孤独に苦しむがよい

 そなたはどうして竜なのか  それは同胞を殺すためだ


 インテリジェンスドラゴン  哀れでみじめな竜よ

 人語を操る者よ  その賢さを恨むがよい

 そなたの力は絶大なり  そなたの苦しみを増すためだけに


 竜殺しの竜よ  竜殺しの英雄の名を戴き、竜殺しの竜となった竜よ

名をつけた親を恨むがいい  アーサーよ」


「バウスネルン家以外の調査を統合した結果です。インテリジェンスドラゴンとは種族の名前ではありません。一個体につけられた、いわばあだ名です。アーサーさん、インテリジェンスドラゴンとはあなただけを指します」


遅れてすみません、続きは書きます

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