4-3 疑惑
これからどうしようと半ば途方に暮れていたころ、岡田屋との連絡役をしていた直が現れた。他の岡田屋のメンバーがいないことを不審に思ったが、なにより有難かったのは、彼とパートナーで背負った大量の医薬品だ。
それに直は緊急医療の資格も持っていた。それも竜まで手当てできるらしい。
直は悪食蜘蛛を倒したことに驚いていたが、慎一が声をかけると、すぐに手当てを始めてくれた。
一端手当てした布を外すと、洗浄して、傷口を縫い、清潔な布で覆う。
傷口を縫っている間、痛みに歯を食いしばらなければならなかったが、手当てが終わると、不思議と安心できた。
全員の手当てを終えると、慎一が他の岡田屋の面子の不在と、一人には多すぎる荷物の理由を尋ねた。
聖竜会だ、と直は言った。
「現場に来てから、後はうちらでしますから~ってさ。どう考えても俺らより遅れるだろうに。ちんたらやりやがるし。それでオヤジさんたちが機転利かせて、俺とこいつだけでも送り込んでくれたんだよ」
「聖竜会がそんなこと? なんで?」
「それについては、私が原因だよ」
詳しい説明は帰ってからにさせて、と唯が言うと、慎一は訝しがっていたが、ひとまず納得してくれた。
直はなんだかうやむやとしていたが、慎一がいいなら、と黙った。
それで後は帰るだけだ、となったとき、疲労困憊で横になっていたアーサーがいないことに気付いた。
周囲を見回すと、悪食蜘蛛の死体のあたりでちょこんと座りこんでいるのが見えた。
近付いていき、声をかけた。
「アーサー、帰るぞ」
「――ああ」
「何してんだ?」
屈みこんで横からアーサーを覗きこんだ。
アーサーは超然としていた。
両足を投げ出し、尻を地面についた、人間で言えば体育座りを崩したような姿勢だったのだが、背筋はすっと伸び、眼光は鋭く、穏やかだった。
なんだか、座禅を組んでいるように見えた。
「――少し、思索をな」
「思索?」
アーサーは悪食蜘蛛の亡きがらに視線を向けたまま、声だけで答えてきた。
「この蜘蛛にとっての、今回の騒動はどんな事件だったのか」
「蜘蛛にとって?」
アーサーはこくりと頷いた。そんなこと、考えたこともなかった。
何も言えず、そのまま歩が黙っていると、しばらくしてからアーサーは語りだした。
「ジャケットに使われていた糸は、何だったのか。こやつのものだったのか、それとも伴侶だったのか、それとも子どもだったのか、親だったのか。そうでもなければ、こやつがあれほど怒りを露わにし、固執することはなかったろう」
悪食蜘蛛を思い出す。崖に落されようと、大岩に潰されそうになろうとも、懸命に追いかけ続けてきた。
目はぎろつき、歩を直視していた。怒りの感情だったと言われれば、そんな気がしてきた。
「キヨモリがこしらえたこの舞台も、なんだったかやつは知っていたのではなかろうか。だからこそ、燃え始めても即座に反応できた。だがそれでも追い掛けた。お前、というかジャケットめがけて」
「――すごい執念だね」
後ろからのみゆきの声に後方を振り向くと、皆寄ってきていた。
かまわずアーサーは続ける。
「一体なんだったのかは、結局はわからぬ。我らとは住む世界が違うからな。しかし我の中で、ただのその他で終わらすには、余りに強い生き物だったのでな。どうも気になった」
この場合の強いは、歩達を蹴散らした物理的な強さではないだろう。
思いの強さだ。
こうして考えると、歩は自分達がやったことについて気になりだした。
殺したのだ。
考えてみれば、鋼金虫のときもそうだった。
命を奪うという行為について、腑に落ちない部分はあった。
解決する類のものではないと、放置したが。
「そんなこと考えてたら、何もできなくないか? 生きてりゃ他の命奪うだろ」
慎一が言った。ギルドとしての活動を続けてきた慎一は、いわば歩達の先駆者だ。
こういうことはいままで何度も経験している。
アーサーはふっと口元を歪めると、答えた。
「そうだな。ただ何も感じずに殺したままにしとくのは、なんとなく心残りだったのでな。せめてもの弔いとして、思いを馳せ、祈ることにしている」
意外な反応だった。てっきり言い返すかと思った。
「祈る?」
「弔うといってもいい。仲間が死んだとき、我らは涙を流し、故人を話題に登らせ、夜を徹する。それと同じだ。こやつは何を思って行動し、何を感じながら死んだのか。それらを想像し、思う。欺瞞かも知れんが、やった後、腑に落ちるのは確かだ。何かが整然となって、己に蓄えられる。物理的な意味以外にも糧とする。その行為こそが、死者を無為としない、世界の摂理ではなかろうか」
「詩人だね」
「そうだな。語りすぎた」
アーサーは大きな口の端でくっくっと笑い、立ちあがった。
「では帰るか。歩、帰りはイレイネに頼むからいいぞ」
「肩に捕まる体力もないか」
「お前の傷を思ってのことと考えないあたり、素性が知れるな」
「お前も同じだってこと忘れずに。それと今言ってたこと、母さんに伝えてもいいのか?」
「止めておけ。お前も一緒に罰受けることになるぞ」
「……減らすか」
「何をだ」
それ以上何も言わず、放置した。こちらのほうが嫌だろう。
代わって悪食蜘蛛のことを思う。
強大な膂力。剣をも両断する切れ味の、鋼鉄の足。ぎょろりと光る八つ目。必死の形相。
槍を合わせることはなかった、しかし確かに戦った――相手。
死者に対して生者は何もできない。それは何でも同じ。
偲ぶ。
不思議とほんの少しだけ、つっかえていたものが無くなった気がした。
「おい、歩」
「なんだ」
「酒を減らしたら七代祟るからな」
「わかった」
ならば飯を減らそう。米になんか混ぜてかさ増しすれば気付かれないか。
アーサーを見る。
ふと、いまさらながら、思った。
先程言った死者云々をこいつはどこで身につけたのか。
あれは経験を伴った知識だった。口先だけとは思えない。
しかしこいつが葬式に参加したことはない。歩もない。
親戚付き合いがほとんどないため、そうした催しを経験することがないのだ。
それをこいつは一体いつ身につけたのか。
インテリジェンスドラゴン? 生まれながらの知恵ある竜?
本当にいまさらながら、不思議に思った。
この竜は一体何者なんだろうか。
「そうか。失敗したか」
「申し訳ございません」
「申し訳ない、というのは次があるものが言うことだ。お前はもうないだろう? そこに何の意味がある? 謝罪程度で私が溜飲を下げるとでも思ったのか?」
「――いえ、思いません」
「ならいい。おって始末を言い渡そう」
「はい。今までありがとうございました」
「おつかれ」
言い終えると、聖竜会副会長のミカエル・N・ユーリエフは静かに電話を切った。
背もたれに身を預けて目を閉じる。
――失敗したか。
正直、それも予想できた結果ではあった。
非常にまわりくどい手を使ったせいで、不確定要素が多すぎた。
仕方がないことではあるのだが、結果泡と消えれば何ともなくなる。
そもそも今回の件は、会長が水城歩とアーサーに目をつけていたのが最大の難点だった。
会長は鷹揚な方だが、正面切って暗殺するとなると、流石に身咎められる。
平唯だけならばなんとかなったかもしれないが、それでは竜殺しの竜が残ってしまう。
単品で殺すとなると確実に会長の思慮の内に入ってしまい、できなくなる。
水城歩とアーサーを巻きこんで殺さなければならない。
会長を説得すればよかったのか。だめだ。
竜殺しの竜などという存在を知られるわけにはいかない。
龍殺しに忙しい会長にそんな雑事をさせるわけにはいかない。
全竜使いの頂点に立つ者として、高潔で戴かねばならない。
やはりまた同じように仕掛けるしかないか。次はどうするか。
事前の策として用意していた資料を呼び出そうとしたとき、電話が鳴った。会長からだった。
すっとコンソールに手を伸ばし、着信をオンにする。
「会長、お疲れ様です。どうしましたか?」
「水城歩の件だ。謀ったな」
どっと汗が出たが、表には出さず、続ける。
「――ばれましたか」
「うむ」
会長は静かに続けた。
「平唯も含め、後のことは私に任せよ。これは命令だ」
「はい。ペナルティは甘んじて受けます」
「ペナルティなどない。お前が考えでもって臨んでいることはわかっている」
予想された答えだ。だからこそ、これでもう終わりだということがわかった。
しかしそれで終わらせることはできない。
「部下に詳細な報告を渡すように。それから今回の件で使った人材のリストと活動内容も。処罰は全て私が決める」
「わかりました。ですが会長、私はやはり水城歩とアーサーを放ってはおけません」
「竜殺しの竜だからか」
すぐに返答できなかった。
少しして、そこまで会長が待ってくれたことに感謝しつつ、言った。
「お気づきでしたか」
「私にもお前の知らない情報網位はある」
知らぬ間に、自分は会長を見くびっていたのか。
ただの愚鈍なジジイと言う、馬鹿なやつらと同じく。
会長は言った。
「副会長」
その声は慈愛に満ちたものだった。
「お前が暗部全てを担ってくれてきたことに感謝している。しかし竜殺しの竜に関しては、私にも任せてくれ。確かに聖竜会にとって最も薄汚れた話にはなるが、同時にそれは聖竜会を揺るがす大きな危機でもある。それを一人で背負いこむでない」
「はい」
色々な思いが複雑に絡み合い、そう答えることしかできなかった。
「情報は共有しよう。主導権を握らせてもらうが、お前にも十二分に働いてもらう。いいな?」
「はい」
「ではまた連絡する。少し休め」
電話はそれで切れた。
ふっと重い息を吐き、天井を見上げた。何も変わっていなかった。
「これで良かったか?」
デスクから立ち上がり、来客用のソファに移動した会長が声をかけた。
対面には女性が座っていた。髪を肩位まで伸ばした、年よりずいぶん若く見える美貌の持ち主だ。その隣には大きめのバッグが置いてあった。
女性が口を開いた。
「はい、十分です」
「すまなかったな。平唯と親交があることは知らなかった上、真の狙いが歩とアーサーにあることは見落としていた」
「あの程度で死ぬほどやわに育てていませんから」
女性――水城類はティーカップに手を伸ばした。
音を立てずに持ち上げると、静寂のまま一口飲み、同じように戻した。
「綾辻明乃はどうする?」
「こんな感じでいいでしょう」
そう言うと類は、カバンの中から封筒を出して、渡してきた。
中には一枚の便せんが入っていた。
三つ折りにされたそれを開けて見て、絶句した。
「いい出来でしょう?」
その便せんは、芝居の小道具にでも使うような、新聞を一文字一文字くりぬいて、それを張ることで文章を書くという、脅迫文調になっていた。
気を取り直して文を読むと、『副会長からのペナルティはないが、報酬もない。自分で
稼げ』と書いていた。
「これを投函するだけでいいでしょう。仕事も辞める手立てになっていますし、これからのことを考えれば、それだけで十分な罰となります」
「そうか。まあ任せる」
封筒を返すと、女性は大事そうにしまった。
それを見て、会長は懐かしく昔を思い出した。
そのときもまた自分は会長だったが、類は全く物怖じせず、今のように淡々と茶目っ気のあることをしたものだ。
「本当に変わらないな君は」
「私魔女なんですよ。年を取らない魔法使ってます」
「それもそうだが、内面もだ」
「あ、そうですか」
これだ。
「本当に、息子が君を連れてきたときから、変わらない」
「はい。夫にもよく言われました」
死んだ息子には勿体ない、よくできた嫁だ。