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パートナー ~竜使いと竜殺し~  作者: MK
第二章 悪食蜘蛛
59/112

3-5 漂白







 鈍色に光る箱の中には、二つの注射器と小型カメラ、針、それとドライアイスがあった。

注射器の本体は手のひらに収まるほどの大きさだったが、その先についた針が長い。それだけでボールペンほどはある。

別の針はそれより少し短い位だったが、それでも長い。一見ただの針に見えたが、目を凝らすと、太さが両端で違うことに気付いた。ろうと状になっており、太い方は注射器の先端より少し太い位で、もう片方は髪よりも更に細い位だった。針には穴もあいていた。

いったいこれは何なのか。

皆目見当がつかない。他の二人はなにかあるのかと視線を向けてみると、唯は顔をしかめ、アーサーは目つきを鋭くしていた。


「これ、何かわかる?」

「わからんが、この針は心当たりがある」

「何なんだ?」


 アーサーは忌々しそうに言った。


「この針は竜に注射するときに使うものだ。竜の皮膚は強固でぶ厚い。故に通常の注射器の針では、刺さらない。そのための器具がこれだ。使い方はまずこの針を竜に刺す。先端が細いため、竜の堅固な皮膚でも簡単に突き刺さる。そしてこうする」


 そう言うと、アーサーは手を伸ばして、注射器と針を掴んだ。ろうと状の針の太い方に、注射器の針を差し込んだ。ぴったり重なった。

 しかしアーサーはそこから更に注射器を差しこみはじめた。すると、すぐにろうと状の針が太いほうから裂けていった。裂けるチーズのように簡単に。


「おい、アーサー」

「これがこの針の用途だ。なにより壊して何の不都合がある。どうせまともな使い道ではない」


 止める暇もなく、アーサーは力をいれていった。すぐに針は真っ二つに裂け、二本の、よく見れば断面が半円状になった針となった。


「今のを皮膚に刺しこんだ状態ですると、注射器が皮膚に刺さった状態になる。先に針で穴をあけ、皮膚の間に隙間をつくり、そこにより太い針を強引に入れこむ。そうすることで、堅固な竜の皮膚でも刺せるというわけだ」

「私も見たことがある。キヨモリもそうやって注射されてたから」


 なるほど、竜であるキヨモリでも、注射を受けることがあるだろう。そのときに今見た方法で注射を受けても、おかしくない。


「ん、アーサーはそんなことされてなかったよな?」

「我の皮膚は強固だが、デリケートだからな。左様な荒々しいやり方は拒否する」


アーサーはうそぶいたが、小さい身体では皮膚も厚くないため、今のやり方をする必要がないのだろう。

 強いて突っ込むことはせず、話を進めた。


「で、後はカメラとドライアイスか。注射器とあわせて、何のための道具だろ」

「予想はできるが、確実なことはなにもわからん。ただこの注射器が竜から血を取るための代物だということは確かだ。この中でこれが必要なのは誰かといえば」

「キヨモリだね」


 唯が答えた。さっとキヨモリを見ると、のんきにまぶたを下ろし寝ていた。

 この竜に、明乃は何の用事があったのか。それも血液を抜くという。


「何か腹に潜むことがあったということだ」


 反射的に抗弁する。


「いや、ちょっと待て。あの巨蜘蛛のためってのも考えられないか? あんな化物なら、対竜用のでもなければできないかもしれないってのを考えてとか」

「何のために、悪食蜘蛛の血液を採取するのだ? そして何故それを我らに隠したのか? そもそもお前の考えを肯定するなら、明乃は相手がただの悪食蜘蛛ではなかったことを知っていたということになる。ならば何故我らに警告しなかった? どちらにしろ、明乃に隠された、それも我らに悪影響のある意図が隠されていたことは、確かだ」


 アーサーに正面から打ち砕かれてしまった。もしかしたら、今歩が言ったことをアーサーは既に吟味し終えていて、その上で明乃は敵だと、言いきったのかもしれない。

 明乃を見る。まだ意識は戻っていない。もう一度脈を確かめようかと思ったが、やめた。何度やろうと、結果は変わらないだろう。

 それでもまだ擁護したくて、何かポジティブな理由を探そうと思った矢先、アーサーが不意にごろりと横になった。重い息をもらしている。


「どうした、疲れたか」

「少しな」


 力なくそう答えたアーサーに、驚いてしまった。少しでも、自分の弱みを認めるのはこの竜には珍しいことだ。それほど疲れているということか。問答をやめることにした。

 それから沈黙が続いた。時折キヨモリが寝息をもらすだけで、歩もアーサーも唯も、何もしゃべろうとしなかった。急流の何もかもを巻きこんでその身に閉じ込めてしまうような、耳に触る音ばかりが脳裏を蝕んだ。

 しばらくして、明乃が目覚めた。


「あ、うん――ここどこです? そもそもなんでここに? 慎一君達は?」


 前後不明になっている明乃に、アーサーは言った。


「崖を覚えているか? そこに落ちたことも。ここはその下にあった川の下流だ」

「ああ。私、慎一君とみゆきさんに促されて渡ろうとして、途中で足元が崩れて、落ちたんですね――ここまで運んでくれたんですね。ありがとう」

「では、これについて答えよ」


 アーサーがハンマー投げのように箱を投げて、明乃の目の前に転がした。


 それを見て、まだ意識がはっきりしていなかったのか、明乃はぼっと眺めていたが、不意に頬に赤みがさした。見開かれた目が細かく震えて、思考がぶれているのがわかる。突然始まった血液の乱気流に脳が振り回されているのだ。

 少しして、それでもまだ混乱したままの明乃に、アーサーが言った。


「それは竜に使うための注射器だな。それをなんでここに持って来たんだ? 目的はなんだ?」

「それは――」


 そこで口を閉じた。代わりにアーサー、次に歩、最後に唯と視線でなぞっていった。その間、誰も何も発さなかった。

 観念した、というような緩い穏やかな笑みを、明乃は浮かべた。


「言い訳は無駄ね」

「わかっているなら、早く吐け」


 急かすアーサーに、明乃はゆっくりと語りだした。


「私は教師ではなく、教師のふりをした諜報部員よ。聖竜会の諜報部第二支部所属のエージェント。これまで騙してごめんね」

「聖竜会なのに、貴様は竜使いではないな。何故だ」

「聖竜会の諜報部ではなく、それの第二支部所属。聖竜会から枝分かれした下請けの内の一つよ。いくら竜といえど、万能でも神様でもないからね。強力じゃなくても、細かな動きのできる手足は必要。諜報部もその一つ。ってかなんで竜じゃないってわかるの、って、そういやあなたそういう力持ってたわね」

「我のことも知っているのか」

「幼竜殺しのときの活躍も知ってるよ」


 話すにつれ、仮面がはがれていった。口調が丁寧からざっくばらんにかわり、表情も固く教師然としたものから、茶目っ気のある顔へと変わっていく。いや、違う。この顔は、真面目だな人間が何かをあきらめ、投げやりになった人のだ。


「目的はなんだ」

「平唯の殺害の補助」


 端的に答えた。気温が二度ほど下がったような気がした。


「正確には」

「私がやったのは、学校にもぐりこむこと、あなた達を誘導することね。ギルドの設立に際し、各種障害の排除、できるだけあなた達を調子にのらせる。悪食蜘蛛とあなたたちの意思で対面するように。あ、あと水城歩と平唯のジャケット着用も。はっきり聞いてないけど、多分それが悪食蜘蛛の目印になってる」

「――ギルド設立は慎一の働きかけだったはずだが?」

「予定が繰り上げられただけ。本当は別の計画があったみたいだけど、ギルド設立に限らず、いくつかある平唯を仕留めきる自然要素のどれかにぶつけるっていうのが基本方針で、そこにもっと手早く利用できそうな話があったから、乗っただけ。岡田慎一は不運だったってことかな」

「ひどい言い草だ」

「どうも」


 自嘲するように笑った。思わず罵倒しようと口を開きそうになったが、途中でやめた。それを一番したいのは唯だ。

 唯の様子を覗う。瞳には怒りが見えたが、それ以上に悲しそうな表情をしていた。怒りを発散しそうにはなかった。

 それを知ってか知らずか、アーサーが怒気を伴って、しかししっかりとした尋問者の口調で尋ねる。


「ではなぜそこまでしゃべる?」


 肩をすくめて答えた。


「さあね。もう終わっちゃったからかな」

「何がだ」

「私も、あなた達も。あなたたちが悪食蜘蛛から逃げられるとは思わないし、あなたたちが私を逃がすとも考えづらい。なにより私自身どうでもいい」


 明乃は投げやりになっていた。見ればわかる。

言っていることもおかしい。歩達が悪食蜘蛛から逃げられる公算も十分ある。今は現在地もわからないが、悪食蜘蛛に捉えられていないし、バッグの中にある道具を使えば、時間はかかっても帰りつくことはできる。ジャケットを脱いで別のところに放置すれば、見つけることも出来ないかもしれない。確立はわからないが、まず確実に歩達が死ぬとは考えづらい。

 明乃に至ってはなおさらだ。悪食蜘蛛に追われる歩達が、明乃を監禁するのに労力を費やすことはできない。いくらでも逃げるチャンスはあるだろう。

 なのに、明乃は投げている。なにもかもを。


「せんせ――綾辻さん。尋ねていいですか?」


 声の主は唯だった。表情は変わらず悲しげなものだったが、しっかりと意思が点っている。唯らしい顔だ。

 明乃は例の笑みを浮かべたまま答えた。


「なんでもどうぞ」

「あなたがこのようなことをした理由を聞かせてください」

「仕事だったから。社会人ってたいへ」

「違うでしょう」


 即座に遮られ、明乃の顔が一瞬強張った。

 それもすぐに体裁を取り繕うと、笑みを浮かべて明乃は続けた。


「それ以上何かあると?」

「はい」


 少し時間をおいてから、明乃はもう一度尋ねた。


「根拠は?」

「あなたの投げやりな態度です。仕事を失敗したからといって、全てを投げ出すなんてことは普通しません。そんな弱い人間には見えません。少なくとも、私達をここまで騙しきったあなたが、そんなにもろい人間なわけはありません」


 明乃の顔を見ると、笑顔のままだったが、違和感があった。全てが半端なところで止まっている感じだ。笑みを形作る頬の上がり方が八割ほどのところで止まり、口角が苦笑いのようになっている。目だけがしっかりと唯を捉えている分、奇異に写った。


「ならどういった理由で?」

「そこまではわかりません」

「半端だね。だけど、こたえてあげる」


 明乃は口調だけはどうでもいいといった感じで、しっかりと答え始めた。


「個人的な理由よ。家を守りたい。それだけ」

「どういう意味の家だ?」

「物理的な家よ。それなりの広さをもった、貴族が使う家。使っているのはその愛人の母と子どもの私だけど」


 愛人とこどもいう言葉に、反射的に唯を見てしまった。唯も愛人の子どもだからだ。

 意外にも、唯には何の変化もなかった。歩には見えないだけかもしれないが。

 唯を覗いつつも視線を戻すと、目があった明乃はふっと息を漏らした後、続けた。


「よくある話よ。貴族が愛人つくって、愛人に家あげたってだけ。そしてその貴族が死んで、愛人がその家に住む権利はなくなってしまった。そこまではよくある話ね」


 馴染みのない世界の話だ。それだけに淡々と話す明乃が、なんだか雲の上の人に見えた。


「問題なのは、私の母がその家でないと住めなくなってたこと。以前、貴族のだんなの怒りを買って、両目失っちゃっててね。それもあって貴族は死ぬまで愛人を養ったんだけど、それが裏目にでて、愛人は慣れ親しんだその家じゃないと、なかなか一人では暮らせなくなってしまったんだ。本人も外に出るのが怖くって、十年以上外に出てなかったしね。買いものとかは全て宅配に任せてたからなんとかなったんだけど、それも外に出るとできなくなる。その愛人にとって、その家が全ての世界になってたんだ」


 母親のことを愛人と呼ぶ。もとから冷めた関係なのかと思ったが、母親が住む家を守るために脱力するまで任務に没頭したということは、違うだろう。おそらく客観しているのだ。俯瞰しているのだ。主観が抜け落ちるほど、どうでもよくなっているのだ。


「そこにつけ込んだのが、聖竜会副会長。どこで知ったのか知らないけど、私に目を付け、話を持ちかけたってわけ。言っちゃなんだけど、私は潜入工作員としてはそれなりに経験積んでたからね。そこに個人的な動機も加われば、より強力なエージェントになると思ったんでしょ。幼竜殺しのときの失敗の反省点を、そこに見出したわけね」

「ずれたやつだ」

「そうかしら? 少なくとも詰めのところまでは来てるでしょ?」


 ふんとアーサーが鼻を鳴らした。罠にひっかかってから、これは罠だと気付いたところで、意味がないのは確かだ。仕掛けがばらけて空中分解した幼竜殺しのときより、今回のほうが上手くいったのも間違いない。


「しかしお前は今そうなっている」

「そうね。これも計算の内ってわけではないと思う。廃棄処分にするには、私はまだ使えただろうし」


 明乃はふっと淡い笑みを浮かべた。やるべきことは全て終わったという顔だ。


「もう終わりね。あなた達が死ねば、私の目的は達成される。もう終わりよ」

「お母さんが悲しまれるんではないですか? 盲目のお母さんを残して、放り出すんですか?」

「そうかもね。だけど、それを考えて何の意味があるの?」


 唯は黙った。納得したわけではないが、これ以上の問答は無意味だと思ったのだろう。全てを投げ出した人とまともな会話はできない。歩でもわかる。

 最終通告といった感じで、アーサーが告げた。


「申し訳ないと思う気持ちはないのか?」

「ない。というより思ってはいけない。越えるべきラインを越えたものが、そんなことをしてはいけない。そうでしょ?」


 申し訳ないけど、やりました。それが被害者にとって、何の慰めになるか。


 明乃の顔を見た。見たことのない、漂白された顔だった。


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