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パートナー ~竜使いと竜殺し~  作者: MK
第一章 幼竜殺し
40/112

5-2 その後 結末

少し長いですが、幼竜殺し最後です。どうぞ




 雨竜は病院の外に出た。


「雨竜さん、やはり車いす使ったほうが」

「いや、いい」


 少し歩いただけで雨竜はお腹に痛みを覚えていた。

実は、医者からは絶対安静を申し渡されていた。雨竜の体構造は固いがもろい。治りも遅いため、こうして一度怪我をするとかなり長引いてしまう。幼竜殺しの一撃は今まで経験した中でも一二を争うものだったが、たった一度の蹴りでこの様だ。その弱点に勝る特技があるからこそ、軍にいられるのだが、やはり情けない。


それでも強引に退院したのは、もうこの場にいる資格が雨竜には無くなったからだ。


「雨竜さん、あれ」


 部下にうながされ振り返ると、自分に向かって飛んでくるアーサーの姿が見えた。

 慌てて全力で飛んできたようで、雨竜の傍まで来たときには息が上がっていた。


「どうした?」

「いや、少し話したいことがあってな。いいか?」


 部下にちらりと視線を送ると、少し困った様子だったが、特に口出ししてこない。好きにしていいということだろう。相変わらず部下に迷惑をかける上司だ。


「まあ少しなら」

「なら場を移しても構わぬか? できるだけ人に聞こえぬところがよい」

「それなら、屋上いくか」


 近くに都合よく外階段があったのでそれで登っていく。急な階段が病み上がりの身体に堪えた。なんとか二階分の階段を登りきったが、息がきれるどころか。

 色あせた木製のベンチに座ると、隣にアーサーが飛び降りてきた。


「それで話の内容はなんだ?」

「できれば二人きりで頼む」


 部下に目配せし、下がらせた。


「これでいいか?」

「ああ、すまぬな」


 アーサーは一息吐くと言った。


「これから話すことは、誰にも言っておらぬ。これからも言わぬ。歩にも言わぬ」


アーサーの重苦しい口調で、雨竜は話の内容がわかってしまった。

 それは雨竜が迷った挙句、結局言えなかったことだ。

 歩達に頭を上げている間、裏でずっと悩んでいたことだ。

 ぽつりとつぶやくように尋ねた。


「わかっていたのか?」

「わかったのは終わってからだ。ならばこそ今こうしておる。言えぬ理由もわかる」


雨竜が何も言わないでいると、アーサーは語りだした。


「疑問を感じていたことがいくつかあった。一つは、雨竜とみゆきが我らの護衛につくという話だ。説明はされたが、その内容はどう考えても不可解なものだ。ただの学生を護衛につかせる意味はまるでない。どんな理由だろうと、そこには何か意図があると考えるのが自然だ」


 アーサーは一度も雨竜に視線を向けなかった。ただ良い天気だな、とでも言っているかのように、天を見上げて口だけ動かしている。


「他にもある。学校への宿泊を強制された際、我らが楽に外出できたことだ。これこそ本末転倒であろう。せめて教師陣にそれとなく見張っておくようにしておけば、簡単に見つけられただろう。なのに、それもなかった。本気で守ろうとする意識がないとしか思えない」


 実際、藤花を除く教師達には歩達にできるだけ接触しないよう、行動を阻害しないよう校長命令が出ていた。建前は、全て雨竜達が意図してやっていることだからとなっていたが、実際は違う。


「では何故そんなことをしたか。歩と我、唯、キヨモリ、そしてみゆき達を集め、監視を緩くして起こるのはどんな事態か。これまでの一週間、仲よさそうにしていた我らを、不平を抱いている学生を、しかもある意味特別扱いを受けているものばかりを集める。どうなるか?

 危機感がまるでない集団の出来上がりだ。幼竜殺しにとって、我らはどう見えたか。

 地面に寝っ転がり腹を晒す獲物に他ならない。つまり、我らは幼竜殺しへの贄に使われたのだ」


 そうだ。

 雨竜達が色々面倒なことをした本当の狙い。

 幼竜殺しをおびき出すために、歩達を囮にすることだ。


 そこからは、雨竜が続けた。


「幼竜殺しの捜査をしていた連中は焦っていた。捜査に進展はなく、被害は増えるばかり。しかも竜にだ。被害者家族のクソ貴族どもは無節操に圧力をかけ続け、軍や警察の関連部署はパンク寸前になっていた。

 そこに容疑者が見つかった。中村藤花だ。手段を選んでいる暇は、どこにもなかった。囮捜査をすることに異論のあるものはいなかった」

「何故直接捕まえなかったのだ? 容疑ならば強引にでも縛りあげ、吐かせればよかったのではないか?」


 雨竜は首を振った。


「彼女にはファンが多かった。彼女の竜に対する造詣の深さ、愛情は学会でも飛びぬけていた。彼女のファンの中に、聖竜会の幹部も含まれていたため、そう簡単にはできなかったんだ」


 今になれば、そのとき捕まえておけばよかったように思う。その幹部も是が非にもという感じではなかった。彼等にとっての藤花は、貴族ではない雑種に過ぎなかった。そのとき決断しておけば、キヨモリの翼は健在だっただろう。貴族におもねることに慣れ過ぎた結果、唯に被害が及んでしまった。


「しかしいざ囮捜査を始めるとして、肝心の餌に貴族が使えるわけもなかった。そこで浮上したのが、歩とお前だ。お前を竜として認めていない聖竜会からすれば、当然の帰結だ。

事前に他の竜には護衛をつけた。幼竜殺しが狙いやすい相手として、お前達を選ぶように。


しかしなかなか動かなかったため、新たな囮を放った。ハンス=バーレだ。新たな竜、しかもあつかいづらいことこの上ない聞かん坊を餌としてちらつかせた。あいつの家は没落していたから、大きな反対の声は出なかったんだ。

家が没落していくさまを苦々しく思っていたハンスに、公安は手下になるかもしれないやつがいるって言って、お前達に引き合わせた。私が戸惑うほどに上手く嵌っていったよ。ハンス=バーレが死んでからは、それを利用してお前達で釣り。結果、成功した」


 雨竜はそこで一息ついた。一気に話したせいで息が上がっていた。病み上がりの身体は熱っぽくなっていたが、それは身体が悲鳴を上げているからだけではなかった。


 ようやく息が落ち着き始め、さてもう一つの真実を話そうかと思っていたとき、アーサーが尋ねてきた。


「我と歩が、と言ったな。やはり唯は別口なのか?」


 雨竜はぱっとアーサーの顔を見た。

 アーサーの瞳は雨竜をじっと見ていた。そこに怒りの感情はない。ただ寂しげに瞳が潤んでいた。泣いているわけでもないのに、どうしてそんな目をすることができるのだろうか。


「そこまで読めたか」


 それ以上何も言わないでいると、アーサーが口を開いた。


「そこに唯に関する胡散臭い話にひっかかるところがあった。唯の護衛任務の優先度が下げられ、幼竜殺しへの監視任務が言い渡される。

そのとき、雨竜ではなく、別のやつを潜入させればいいのではなかったのか? 何故わざわざ教師以外にも、事務なりなんなりどうとでもなっただろうに」


 雨竜があえてぼかして言った内容を突っ込んでくる。細かいやつだ。


「そうなると、別の考えが浮かんでくる。唯の護衛任務は優先度が下げられたのではなく、逆転したのではないか。唯を幼竜殺しに食わせようとする輩が、お前の組織に接触してきたのではないか。唯を疎ましく思う輩は、少なくないと聞いた。唯の父親の権力が弱まったのならば、まず動くのはその輩であろう。

 これらを総合すると、見えてくるものがある」


 雨竜は唾を呑みこんだ。自分でも緊張しているのがわかる。


「幼竜殺しへの監視とは別に、新たな任務が出ていた。平唯を幼竜殺しに差し出せという内容の」


 雨竜は何も言えない。当たっていた。

 雨竜は、唯を見殺しにしようとしていた。


「お前達は何を考えていたんだ? ハンスの命を捨て、歩達をひどく傷つけた。挙句の果てには、唯を殺そうとしていた。何の権利があって、そんなひどいことを?」

「幼竜殺しをこれ以上放置することはできなかった。犯行は一時おさまっていたが、またいつ起こるからわからない。それならば、事前に被害者を決め、確実に犯人を取り押さえるべき、そう思っていたんだ。

 平唯もその一環だ。平唯が死ねば、組織への便宜を払ってくれることになっている。そうなれば、今以上に強力な力で、取り締まることができる」


「傲慢だな」

「そうだな。傲慢極まりない。だが、それが俺達の考え方だった。被害を未然に防ぐためには、小さな被害を躊躇ってはいけない。軍隊としては当然の発想だ」


「事件が終わった現在、歩達に知らせるのが筋ではないのか?」

「これは決して漏らしてはいけない情報だ。お前達に伝えるのは、そのままリスクの増大につながり、最悪殺さなくてはならなくなる。それはしたくない」


「ただ罵倒されるのが怖いのではないか?」

「――そうかもな」


 アーサーの発言は雨竜を誘導するように続いた。ひどく責める言葉なのに、口調はただの世間話のように穏やかだ。

 雨竜は耐えきれず、尋ねた。


「アーサー、どうしたんだ? 何故責めないんだ? 罵倒しない? 私のやったことは、決して許されるものではない。なのに、どうしてそんなに優しいんだ?」


 アーサーはあっさり答えた。


「お前が思い悩んでいたことを知っているからだ。宿直室のときに花火を持ってきたこと。我に追求されて狼狽していたときの様子。みゆきが人質にとられたとき、肝心なところを隠しつつも、機密を語ったこと。そして先程の謝罪のときの様子と、歩達に懐かれたときの態度。どれもあいつらを囮として使っただけとは思えなかった。そうなると、お前の抱く罪悪感は推して知ることができる。なればどうして責められよう?」

「お前、ほんとにすげえよ」


 完全に心の内を読まれていた。

 打算も、思いも、全て。

 その上で――許されていた。


 雨竜はつぶやくように言った。


「私は、もっと罰を受けないといけないと思うんだがな」

「何を言う。過去から今まで、そして未来永劫、抱き続ける苦悩は十分罰に値する。それに。命令違反で受ける罰もあるのだろう?」


 そこまで読んでいたか。

 雨竜が何も言わないでいると、アーサーが説明し始めた。


「唯を殺させなかったのは、明らかな命令違反だ。具体的に言えば、幼竜殺しとの一戦で、単独で来たことだ。あれは幼竜殺しが唯を殺すまで放置するという任務に、明らかに背いている。お前の同僚が現れたのは、全て終わって作戦の失敗が確定してからだ。図ったようなタイミングだったのは、事実図っていたのだ。

更に加えるならば、みゆきが人質になったとはいっても、雨竜が公安の人間であることを語ったのも、機密漏洩にあたろう。それらの責は、軽いものではあるまい」


 本当に、すごい。

 この竜は本当にすごいとしか言いようがない。


 アーサーが尋ねてきた。


「お前はこれからどんなことをさせられるのだ?」

「おそらく最も激しい対魔物の戦場だろうな。住所どころか自由時間もあるか怪しいな。それも多分クソ貴族どもの使いっ走り。昔からやってるが、うんざりするわ」


 だから、歩達に自分の住所を言えなかった。


「昔から?」

「貴族への奉公はガキのころからだ。家柄だな。代々貴族に滅私奉公してんのよ。一人称が私なのも、そのせい。しつけなんだよ」

「なるほど」


 気をとりなおして、アーサーは言った。


「どうなるにせよ、今までの苦悩はこれからも続く。更に過酷な現場に赴かされる。お前の受ける罰は、罪よりも重い位だ」

「しかし被害者からしたら、そうは思わない」


 アーサーは答えなかった。代わりに質問をしてきた。


「それで幼竜殺しはどうなった?」

「わからん。俺の手からは離れたからな。まだ生きているとは思うが」

「そうか」


 それだけでアーサーの質問は終わった。


横目でアーサーの様子を覗う。空を見上げ、どこか遠い目をしていた。縁の下で茶をすすっているような、そんな顔をしている。


 その顔が気になって、聞いてみた。


「幼竜殺しのこと、憎くないのか?」


 幼竜殺しと対峙したとき、アーサーの剣幕はすさまじいものがあった。口ぶりこそ変わらないものの、身体から殺気がにじみ出ていた。相手を殺さずにはいられないという風に、ユウに襲い掛かって行った。


 だというのに、相手のことを尋ねてきたアーサーはまるで気にしていないように見えた。あやふやな返答しか返されなかったのに、そうかの一言で済ませた。気にしている様子がない。隠しているようにも見えない。おかしくないか。


 アーサーは少し考え込んだ後、答えた。


「いざ我に返ると、憎悪はない」

「どうしてだ?」


 返答はすぐに返ってきた。


「藤花も悩んでいたから」

「どういうことだ?」


 幼竜殺しが悩んでいた? 何を? そしてそれがどう関係している?


 アーサーを見たが、特に変わった様子はなかった。


「あやつもお前と同じだ。本当に我らを、唯を殺していいのか迷っていた」


 意味がわからない。


「キヨモリの翼を奪っただろう? それに実際、私が乱入したり、お前が真の力を見せなかったら、今頃俺達はあいつの腹におさまっていたぞ?」


「あやつ、無駄に多弁ではなかったか?」


 話が飛んで、一瞬戸惑ったが、すぐに気を取り直し考える。相手の動揺を誘っていたのもあったが、思えばずっと何かを説明していた。


「言われてみれば、ずっと口を開いていたが、それがどうした?」

「あれはあやつなりの時間稼ぎだったように思う。時間稼ぎとはいっても、何か特定のものを待っていたのではなく、ただ後回しにするといった類のものだ。夏季休暇の課題のようなものだ」


 夏季休暇の課題? ただ後回しにしていただけ? 何が? まるで信じられない。

 雨竜が根拠は、と尋ねると、アーサーはすぐに答えた。


「これまでの幼竜殺しの犯行は、どれも一筋の痕跡も残さぬ完璧なものだった。ならば犯行そのものもシンプルに行われてきたと考えるべきだろう。場が整った瞬間、奇襲、一撃でしとめ、即連れ去る。そういったものだったろう。

 なのに今回は違った。映画の三流悪役の如く、いらんことまでしゃべっていた。そこには、藤花がそうした理由があったはずだ」


「しかし、何年も犯行を重ねてきた幼竜殺しが今更何を迷うんだ?」


 いきなりアーサーが雨竜のほうを向いた。突然の変化に身をびくっと震わせたが、アーサーの表情は今までと変わらない、淡いものだった。

 その口から端的な言葉が漏れた。


「お前と同じだ。教え子に感情移入してしまった。だからだ」


 幼竜殺しと同じと言われて、咄嗟に反論が口をついた。


「それもいまさらだろう。中村藤花はこれまでずっと教師をしてきたのに」

「中村藤花は、これまで竜使いを教え子に持ったことがなかったと言っていた。通常、竜使いは一般の学校には通わない故、当然だ。教え子を獲物にするのは、初めての体験だったのだ」


 雨竜はそれが本当かどうかは知らない。信じられなかった。幼竜殺しに、そんな情緒があるとは思えなかった。

 しかし話の筋は通っているということも、否定できない。


「唯達が生きているのもそうだ。あの晩、出て行った唯の後をお前は急いで追ったが、それでも幼竜殺しが殺す時間は十分にあった。実際、牙はキヨモリの翼を引き裂いた。しかし、何故翼なんだ? あれほどの技量を持つ幼竜殺しならば、一撃で仕留められただろうに。相手がキヨモリだからというのも理由にならない。完全な不意打ちというのは、それ自体で決着がつくものだ。それこそお前らのようにレーダーでも持っていない限り」


 幼竜殺しは完璧な犯行を繰り返してきた。犯行の目撃者は一人もいなかった。それはつまり奇襲が百パーセント成功してきたことを意味する。ならば、その奇襲の能力は相応のものを持っていたということだ。


 なのに、平唯のときに限って失敗した。そこには要因があったと考えるべきだ。それをアーサーは指している。


 しかし納得できない。あの幼竜殺しがいまさらそんなことを? ありえないという気持ちは、消えない。しかし。


そうして雨竜が終わらない思考を続けていたとき、ばさりと音がした。

見ると、アーサーが翼をはばたかせて飛び上がっていた。


「もう語るべきことは語られた。我は戻る。呼び止めて悪かった」

「あ、いや。こちらこそ助かった」


アーサーが離れていくのが見えた。

これから当分会うことはないと思うと、途端にさびしくなった。唯一、口に出せない雨竜の内心を読みとった理解者がいなくなるかと思うと、つい口から出てしまった。


「アーサー、ひとつ、いいか?」

「なんだ?」


 アーサーがその場で振りかえった。


「おれは、歩達に言うべきだったか?」

「甘えるな」


 アーサーはすぐに答えた。端的だが、ぴしゃりと断じた。雨竜のそれは甘えだと。


「……厳しいな」


 雨竜もわかっていた。たしかに甘えなのだ。アーサーに今尋ねたことは。


 アーサーはそのまま去っていった。外階段を下りていき、姿が見えなくなった。

 雨竜はなんとなく顔を上げた。空が青く、雲が白い。陽が身体を照らし、汗をかいた身体には少し暑く感じた。


「雨竜!」


 アーサーの声が響いてきて、声のほうを向いたが、姿は見えない。階段を少しおりたあたりにいるのか。

 姿が見えないまま、アーサーの声が聞こえてきた。


「また酒を飲もう! 今度はお前が持ってこい!」


 それだけだった。雨竜はずいぶんと呆けていたが、それ以上は何もなかった。

 雨竜は再び顔を見上げ、顔に右手を当てた。口元が歪んでいるのが、自分でもわかった。


 アーサーは降りてきたのに姿を見せない雨竜を心配したのか、部下がやってきた。


「大丈夫ですか?」

「……ああ、大丈夫だ。行こう」


 そう言うと、雨竜は立ち上がった。階段をおりていくが、少し力が戻ってきているように思った。

 自分だけに聞こえるよう呟く。


「厳しいやつだ」


 喜びを隠し切れていなかった。







「おう、おかえり。なんだったんだ?」


 アーサーが戻ってきた。意外と時間がかかった。

 戻ってきたアーサーは、いつになく元気がない。


「アーサー、どうした?」


 今度は唯が聞いた。


「重大な事実を知らされた」


 なんのことだろうか。息をのんでアーサーを注視する。


「雨竜は本当にひどい裏切り者であった」

「何を言われたの?」

「ひどすぎる……」


 皆が固唾を飲んで見守る中、数秒溜めた後、アーサーが語気を強めて言った。


「雨竜のやつ、秘蔵の酒を持ってくるとかぬかしたくせに、持ってないとか言いおった! 我がどれほど待ち望んでいたか! やつは死して償うべきである!」


 病室の緊迫した空気が、一瞬で腑抜けた。そんなことで、追いかけて行ったのか。


「お前、それのどこが重大な事実だ」

「あの野郎、酒を飲んだ勢いとはいえ、そんな嘘を吐きおったのだぞ!? これを裏切りと言わず何と言うのだ! 酒飲みとして、いや、人間として、最悪の蛮行だ!」

「だからなんだっつうんだよ」


 飛んできたアーサーの手をつかみ、痛覚のつぼを突いた。アーサーは間抜けな音を漏らして、歩の寝る布団の上に、ずさっと落ちてきた。


「アーサー、それはないよ」

「まあらしいっちゃらしいけどね」


 唯もみゆきも苦笑している。イレイネとキヨモリも、場の雰囲気に流されて気が抜けたような態勢に変わった。


「お腹空いたね。なにか買ってこようか」

「私も行くよ。歩は何いる?」

「俺も腹減ったんだけど、固形物って食っていいのかなあ」


「歩なら大丈夫でしょ」

「ひでえ」

「じゃあ、言ってくるよ。キヨモリ、お前も来る?」


 歩とアーサーを除いた全員が出ていった。キヨモリも窮屈そうに身を屈めながら付いて行った。


 人が減り病室の中が途端に静かになると、眠気が強くなってきた。そういえば意識を取り戻したばかりだった。派手に説教も喰らったのもあり、身体がずいぶんと重い。


 眠気に身を任せて、歩がベッドの上にうつ伏せになると、アーサーが声をかけてきた。


「なあ、歩」

「なんだ?」


 うつぶせに寝ているため、アーサーの顔は見えない。


「あの、その、なんだ。まあ、死者が出ずにすんでよかった」

「そうだな」


 歩は目をつむった。アーサーが何を言いたいかわかっているから。

 アーサーはそれから不明瞭な言葉を続けた。見ずとも、落ち着きなく視線を乱高下させながら、迷っている姿がありありと脳裏に浮かぶ。歩はそれを黙って聞いていた。眠気に意識を揺さぶられながらも、アーサーの最後の一言を聞き逃さないよう、それにちゃんと答えられるよう。


 無駄な言葉を吐き続けていたアーサーが、不意に黙り、息をすっと吸った。

 アーサーが端的に言った。


「色々すまなかった」


 歩も端的に答える。


「……あいよ」


 初めてといってもいい位、珍しいものを聞きながら、歩の意識は消失した。







 歩はわかっていた。アーサーがまだ何かを隠していることを。


 しかし歩は黙って見守ることにした。


 これもまた聞かん坊をパートナーに持つ者の役目だろう。



お付き合いいただきありがとうございました。

引き続き投稿していくので、よかったらどうぞ。

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