1-2 日々
二人と二体はグラウンドにやってきた。容易に巻きあがる砂を敷き詰めただけの、だだっ広い簡素な運動場だ。
周りを見渡すと、皆似たような服を着た同期達が談笑している。
ぴったりと張り付くシャツに大きく膨らんだカーゴパンツ、それにブーツ。三種とも全て黒を基調とした無地の代物だ。学校指定の運動服で、体育や模擬戦の時間はこれを着るようになっている。これは他の学校と同じだ。
ただ他の学校と違うのは、その上からパーカーやTシャツなど思い思いの服を羽織っている点だ。基本的にはシンプルなものだが、着こなしは千差万別。パーカーのチャックを上までぴっしり上げている真面目な男子クラス委員や、逆に薄でのものをただ羽織るだけの眼鏡の女子生徒。身体のラインを強調するように、薄いシャツの脇を絞って着ているクラスの中心的な女子もいて、歩は少し気恥ずかしくて、真正面から見るのはできなさそうだ。
学校の授業の風景としては変わったものだが、これは生徒からの非難があったかららしい。
学校は当初三点セットのみの着用を強要してきたのだが、ぴったりと張り付くタイツのようなシャツに関して、女子からの非難が凄まじかったらしい。女子生徒からの苦情はそのまま保護者達の苦情に形を変え、結果、学校側は上に何か羽織ってもよいと決定した。
歩が入学するより前に起こった話だが、結果は今目の前に広がっている。
「我に返ると、変な光景だな」
唐突に慎一が言った。
「なにがよ」
「いや、学校で私服を披露する機会があるなんてさ」
「おれらは私服来てないけどな」
「ま、そうだけど」
お互いの三点セットのみ着用している姿を見て、笑いながら言った。まあ、別に構わないし面倒だからなのだが、そう思うのは二人以外にもちらほらいて、三点セットのみのクラスメイトも少なくない。
「まあ、確かにおかしいわなー。思いきって変えちゃえばいいのにね」
「それが裏話があるみたいよ」
「裏話?」
勿体ぶるように笑みを浮かべる慎一に尋ねる。
「裏話って?」
「この服って『黒蛇』製じゃん?」
「ああ」
『黒蛇』
体長二メートルを越える大きな蛇で、その皮膚は堅牢、並みの刃物では刃がたたない魔物だ。たまに住宅街に出てきては、軍を出動させてニュースをにぎわしている。つい最近も巨大黒蛇が出没したらしくニュースで流れたが、まだ捕えられていないらしい。
そんな黒蛇だが、抜け殻は有用な素材となる。抜けがらを獣の皮などのようになめした後、特殊な薬剤に漬けることで、服の生地に使える布になるのだ。しかも加工手段によって様々な性質に変化し、肌にはりつくようなタイツ状にも、ブーツに使えるほど堅くもできるなど、利便性にも耐久性にも優れた逸品なのだ。軍が用いる布関係の装備のほとんどが黒蛇製であり、戦場では黒い影が行き交って見える、と言われている。
「最初はめっちゃ興奮したけど、慣れると野暮ったいだけだけどな」
「まあデザインは置いとくとして、まあクソ高いじゃん?」
「おう、よく学生の運動服に使うなとは思ったな。実際高かったし」
黒蛇はその高性能故に、値段も相応なものとなっている。他の学校の二倍はした。模擬戦による怪我を抑えるためだろうが、他の学校が導入していないことを考えると、疑問に思う。
「これでも相当値引きしてもらったらしいのよ。代わりに色んなとこ犠牲にして」
「というと、デザインとか?」
「それもだけど、契約期間も。何年だと思う?」
学校とメーカーの契約が通常どの位なのか歩は知らないため、見当もつかない。とりあえず、適当に言ってみる。
「え、と。十年位?」
「いや、百年」
「百年!?」
慎一は深く頷いた。
最初は驚いたが、序々に納得が行きはじめた。いざ考えると二倍なら他の学校も導入してもおかしくないが、近場ではこの学校位しかない。実際はもっと値段が張るのだろう。
それをどうやって二倍程度にまで抑えたか。それが契約期間の長さだったのか。メーカーとしても、百年間一定の需要があるのは悪くなく、勉強したというところだろう。
「なるほど、考えてみりゃそうか」
「ま、そういうことらしい」
「つっても、よりにもよってこのデザインはねえよ。こんなの思春期の学生が皆受け入れるかっつう話だよな」
「このタイツ見て何も感じなかったのかね」
「はい、みんな黙ってー、始めるよー」
愚痴を遮るように授業の開幕を告げる声が聞こえてきた。
見ると、生徒と同じ三点セットの上から緑色の上着を羽織っている担任の藤花がいた。彼女は模擬戦の担当もしている。
「そこ! 始まったよ!」
藤花がぱんぱんと手を叩いて沈黙を促すと、あっという間に喧噪が止んだ。こういうところ、人望の差だと思う。
藤花は全員が鎮まったのを確認してから、よく通る声で言った。
「いつもどおり、クラス毎に分かれての模擬戦です。ウォーミングアップと柔軟が終わったら、各自の集合場所に集まること。では、外周を始めてください」
藤花が一度、パンと手を鳴らすと、それを合図にバラバラと走り始めた。歩もクラスメイト達の流れに任せて走り出す。
一周一キロになるように引かれた白線の円を淡々と進んで行く。歩は走る集団の最後尾の辺りから動くことなく走り終えた後、屈伸、前屈など一通りのストレッチを手早く済ませてから、自分の模擬戦クラスの集合場所に向かった。
模擬戦クラスは、模擬戦における能力の差によって分けられている。学年辺り四百名程の生徒を十に分け、一クラスに四十人ほど配分される。この授業は学年全体ではなく通常クラスを三つ合わせて行う合同授業のため、歩の前にいるのは十四名だ。
集合場所に集まった面々を見渡す。皆自信にあふれて見える。当然だ。歩も所属するこのクラスは最上位クラスだ。自分の得意な科目では、自然と自分への信頼が顔に出るものだ。
「水城。今日もよろしく」
「ああ」
隣のクラスの巨人使い、大楽昭が意地悪そうににやにやしながら声をかけてきた。すぐ後ろに巨人がいるが、ただ立っているだけなのに、強烈な威圧感を放っている。模擬戦の戦績も高く、この模擬戦のクラスでは五指に入るだろう。最上位クラスにふさわしい能力を備えているのだ。
他のパートナー達も含め、壮観な眺めだと思った。グリフォン型やオルトロス型、ゴーレム型など、見るからに強いパートナーが多い。牙や爪などの鋭い部分には黒蛇製のサポーターが当てられているが、それでもなお戦闘能力に陰りを見せない。例外とも言えるのは、見た目は美しく身体能力もそれほど高くない精霊型位だが、伸縮自在の身体を持ち相手を選ばない応用力を備えている。
一方の歩のパートナーはというと。
ちらりと視線をやると小さな竜が写った。時折鼻から漏れるかぼそい炎がぼそっと消えるところを見ると、なんだか儚くなってきた。最上位クラスには、正直場違いな姿だ。
そんな歩達が何故最上位クラスに在籍しているか。歩が超絶な身体能力を持ち合わせて、怪物達と対等にやりあえるから、というわけではない。アーサーが竜だからだ。
「まあ手加減するから。保健室には行かなくて済むよう気を付けるわ」
「有難すぎて涙が出てくるわ」
大楽の揶揄に、力なく答える。相変わらず性格の悪いやつだが、反論しようもない。
竜は基本的に圧倒的な膂力を持つ。下手に戦わせると対戦相手の命の危険がある位だ。
そのため、竜使いが在籍するのは最上位クラスもしくは、特別クラスという決まりがある。実際、同じクラスに所属するもう一人の竜と竜使いはこの模擬戦に参加していない。
残念なことに、歩達にもその決まりが適用された。身体の小さいアーサーが最上位クラスで戦うかというとそんなことはなく、結果、歩対学年上位のパートナーというなんとも言えない事態が生まれてしまっている。
歩にとっては、裏目に出ているだけの憎たらしい制度でしかない。
歩の内心をよそに、やってきた担任が言った。
「みんなー武器取り行くよ。着いてきて」
担任のそばには、彼女のパートナーがいた。巨大な狼の輪郭に炎を纏った姿は、周囲を圧倒して余りある。名前はユウ、彼女達が戦闘にも長けているのはその姿だけでもわかる。
最上位クラスのメンバーは、その場にパートナーを置いて、グラウンド脇にある個人武器倉庫に向かった。
入っていった倉庫の中はとてつもなく広い。同じロッカーがずらりと並んだだけの光景がずっと先まで続いている。全校生徒の武器を一カ所に集めるため、そう作ったらしいのだが、小さい体育館ほどの広さのだだっ広い空間に、同じものがずらりと並ぶ光景は異様だ。
歩は自分のロッカーのところまで進んでいき、鍵を開けた。取り出したのは、槍。刃の部分は待機棟にも使われる鋼金虫入りの鉄、直接手にする柄の部分は霊峰産樫の木でできている。
模擬戦のため、刃の部分を外しロッカーに仕舞う。これでは槍ではなく棍棒だが、歩はどちらも扱えるため、支障はない。
それから外に出た。皆そろったところで、藤花が言った。
「はい、皆さん揃いましたね。それでは始めましょう。ただ、明後日には学期末模擬戦が控えていますので、無理をしないようにお願いしますね。みんな少しそわそわしてるけど、絶対怪我だけはしないように」
明後日に迫った学期末模擬戦は、ただの模擬戦ではない。教育委員会、企業、大学などから多くのお偉いさんが観戦しに来る。彼等の目的はスカウト。故にこの一戦での印象はそれこそ一生を左右する。周りを改めて見回すと皆気がたっているように見えた。アーサーをパートナーにして以来、立身出世を諦めている歩にとっては、どうやり過ごすか位の感覚しかないが。
藤花は倉庫の壁に今日の対戦表を貼った。遠目に見ると、いくつかある第一試合の欄に自分の名前がある。
相手の名前を確認しようとしたが、前のやつの頭が邪魔で見えない。
隙間から見ようと頭を軽くずらそうとした時、不意に肩をたたかれた。
「一戦目、私達みたいね。よろしく」
みゆきだった。
長い髪を頭の後ろで結わえ上げて、腰には一番扱う人の多い両刃の剣をさしている。模擬戦用の三点セットの上には何も纏っておらず、スタイルのよさが強調されているが、決して下品になっていない。カタログにでも出てきそうな姿だ。全く面白みのない仕事をさせられたデザイナーも、彼女の姿を見れば少しはすくわれるだろう。
「よろしく」
「アーサーも、よろしくね」
「ふむ、良き戦を」
「じゃあ、行こうか」
みゆきは顔に冷たく感じさせない微笑を浮かべると、一番近くにあった円を描く白線の中に入って行った。
後ろに従えているのは、歩も誕生の瞬間を見た精霊型のイレイネ。大きさはみゆきとほぼ同じ位まで成長しており、顔や輪郭も今のみゆきに瓜二つになっている。違うのは半透明な身体と、形作られた格好。風になびく長髪に、月桂樹の葉をより束ねたような冠を付け、一枚布の絹をくりぬき、腰の帯で縛った姿――つまるところ、西方の女神のような装束になっている。二人が並んだ姿を見ると、妙な感じがした。
「行かぬのか?」
アーサーに促され、慌てて歩も後に続く。
気を引き締めないといけない。みゆき達は、見た目とは裏腹に、学年で三つの指に入るほどの実力者だ。模擬戦ではいつもトップ争いをしている。
中央まで歩いていき、二本引かれた白線の片側に立った。
すぐに藤花も中に入ってきた。傍らには燃え盛るパートナーの姿もある。
「それでは、注意です。装備はちゃんと整えましたね? 寸止めを心がけること、無理はしないこと、ちゃんと心得てますね? 一応、危険を感じたら止めに入りますが、それでも十分に警戒してくださいね」
歩とみゆきが頷くと、藤花は白線の中から出た。アーサーが飛び上がったのを確認してから、歩は腰を落とし棍棒を構えた。基本的にアーサーは全体を俯瞰し、歩に指示を出す役目をしている。それしかできない、とも言えるが。
「それでは怪我に気を付けて。始め!」