3-iー1 安穏
「いらっしゃいませ」
来店した客に向かって、×××はつとめて礼儀正しく挨拶をした。
場所は首都の雑貨屋。個人経営のこじんまりとした商店で、大型店舗におびえるよくある店舗に思える。
しかし実際は違う。普通なのは見た目だけで、取り扱っている商品はどれも癖のあるものばかりだ。冷凍庫の中に置いてあるのは牛や豚の肉ではなく黒蛇の肉だし、マネキンに着せてあるコートは桃毒虫で染めたもの。昔狩人をやっていた店主の交友関係で、一風変わったものばかりを取り扱っている。
そのため、客層も様々だ。怪しげな人物も多く、今入ってきた男もマスクにサングラスといういかにもな風体。この男が店の一番の常連なことから考えれば、客層もわかったものだ。
男はつかつかと×××のところまで来ると、何も言わずじっと×××を見てきた。×××もそれを受けて、客側からは見えない位置にある棚から、新聞で包まれた拳大の品物を取ると、男に渡した。男は中身を確かめることなく手にした紙袋の中に突っ込むと、代金を机の上に置いて去っていった。×××も念のため代金を確かめてから、レジの中につっこんだ。
それからしばらく客は来なかった。そうしたことは珍しいことではなく、×××も客が物色した後を整える時以外は、レジにある丸椅子に座っている。
時間が拘束されるわりに余り給料はよくないが、これは×××にとっては有難い仕事だ。
『家』となっていた場所の崩壊から二年がたった。
×××は崩壊の後、すぐにその場を離れたが、現在地すら全く掴めなかったため、三日ほど森の中をさまよう羽目になった。生の肉を食べることに慣れていたのが幸いして、食事の面は苦にはならなかったが、追手のことを考えると悠長には過ごせなかった。
なんとか近くの町につき、現在位置の確認をすると、そこが全く知らない土地だったのがわかった。昔住んでいた町からも遠かったが、一応同じ国に所属し、いる人種もほぼ変わりなく、方言が少々きつかった。
現在位置を掴むと、地図を片手に急いで近くの都市に移動した。流石に四日目ともなると足が痛んだが、傷が癒えたキメラに乗れるようになってからは、随分楽になった。
□都市につくと、『家』から持ち出した金品を怪しげな店で売り、当座の生活費を作り、住むところを探し始めた。難航はしたが、死んだ□□□の戸籍があったおかげで、割高だがなんとか住むところを確保できた。
それから仕事を探し、採用条件は店主の印象のみというこの店でバイトを始めた。
「□□□! もう上がっていいぞ!」
「はい!」
×××は、□□□と呼ばれて返事をした。□□□のIDカードで暮らしているためだ。。
やってきたもう一人のバイトと交代する。適当に談笑したりする相手なのだが、余りに可愛らしい思考の女性なので、余り長話をしたくない。会釈し、足早に事務室に戻った。
そこには店長がいた。黒いもじゃもじゃした髭に、小さめの瞳、いまにもハゲそうな頭。柔和な雰囲気を醸し出していて、バイト皆から慕われている。この男が怪しすぎる店をやっているのだから、面白い。
店主は地面に屈みこみ、小柄な犬を撫でていた。真っ白な体毛に真っ赤な三つ目の、どこか不吉さを感じさせる外見だが、今はリラックスした様子でゆったりと背を伸ばしていた。
これが今の×××のパートナー、キメラだ。
「おつかれさま」
「おつかれさまです」
「あのさ、ちょっといい?」
「はい?」
更衣室に行こうとしたところで、呼び止められた。
申し訳なさそうに、くしゃっとした笑みを浮かべて、店主は言った。
「明日、シフト入ってくれない? 朝十時から五時まで」
本来なら、×××は明日休みのはずだが、別に用事はなかった。
「いいですよ」
「本当? いつもいつも気軽に頼んで悪いね」
「いえ、私は暇ですから」
バイト以外には特にこれといったことは何もしていない。空いた時間はだいたい本を読んで過ごし、たまにバイト仲間に誘われて飲み会に行く以外はパートナーと二人で過ごしている。飲み会といっても酒を飲むわけではなく、酔っ払い達の愚痴を聞かされながらご飯を食べるだけだが、最小限のコミュニティ維持は必要だと『おじさん』から教えられた×××は、毎回参加していた。
バイト代に色つけとくよ、という店主に愛想笑いしながら更衣室に入ると、着替え始めた。ファッションにもこだわりがないので、適当にスーパーで買ったTシャツにジーパン、スニーカーだ。
すぐに着替え終えると、荷物を抱えて事務室に出る。そこにはまだ店長と白い犬がいた。
「帰るよ」
「ほら、ご主人様がお呼びだ」
白い犬が駆けよってきた。キメラの擬態能力を生かし、可愛らしい姿に変身している。家でも生まれた時の姿に戻ることはなく、ここ半年以上、ただの子犬として暮らしてきていた。
「じゃあな、***。また良い物食わせてやるよ」
「店長、またなにかやりましたね」
「まあいいじゃないか、この位」
書類上、パートナーの名前は***になっている。死んだあの子のパートナーが付けていた名前だ。
二人を本名で呼ぶ人は、もうどこにもいない。
×××は店長に一瞥してから、事務室を後にした。
家に着くと、すぐにカバンをおろした。六畳一間でぼろぼろのアパートだが、ユニットバスではあるが、風呂便所付きなため、十分満足している。
家具は布団と冷蔵庫、洗濯機など必要最小限のものしかないが、様々な本が壁際に積まれてある。そこだけ床が沈んでおり、いつか抜けるのではないかとは思うが、そのまま放置している。
×××はそこから一冊、抜き出すと、壁を背にあぐらをかいた姿勢で読み始めた。
読書は唯一の趣味だ。色々な世界があり、実体験するよりは薄い感触しか得られないが、それでも知識としては積み重ねられる。施設にいたときにおじさんの講義を受けていたせいか、頭に何かを叩きこむ作業は、楽しかった。
今読んでいるのは、ダークファンタジーだ。
作家はこれ一つしか書いておらず、評価を受けているわけではないようだが、×××はこれまで何度も繰り返し読んだ。
ストーリーは、キメラに母親を殺された竜使いの少年の英雄譚だ。少年が正義の名のもとにキメラを何匹も殺していく話だ。
少年は軍に入り、キメラを初めとする魔物の討伐に精を出していたのだが、途中で一般家庭出身の同僚と恋に落ち、結婚した。
その過程で少年から元少年になった男は、キメラを好んで討伐している自分に違和感を覚え始めた。それまで何の疑問も抱かずキメラの虐殺をしていたのだが、キメラにも命があることに気付き始めたのだ。
その疑問は息子が生まれて更に大きなものになった。同僚が忠告してくるほど、キメラ殺しに突出していた剣先が、序々に鈍り始めたのだ。作戦を危うくしてしまうほどのミスも多くなり、出世街道をひた走っていた元少年の地位は怪しいものに変わっていった。
元少年は軍もやめようか、というところまでいった。元少年のキメラ殺しに対する執着をもともと嫌がっていた元少年の妻の薦めもあり、実際上司に辞表を提出した。
それから妻の実家に戻り、樹木を伐採する仕事を始めた。義理両親も竜使いの後継ぎができたことを歓迎し、孫と生活できることを喜び、元少年を大事に扱ってくれた。
元少年は穏やかな日々を過ごした。キメラへの執着も、軍にいたときのスキルも忘れさせるほどに、心穏やかに生活していた。
しかし元少年に悲劇が襲った。息子がキメラに殺されたのだ。
元少年は息子の亡骸を前に、憎しみを暴発させた。
軍にいたころのノウハウから、キメラ専門のギルドを作った。能力はあるが問題を起こして軍から抜けた人材を集め、キメラ殺しを始めた。初期メンバーに竜使いは元少年一人だったが、組織が拡大するにつれて、竜使いも集まり始めた。そうなると、自分の編み出した対キメラ用の戦術を彼等に教えることで、キメラは見つけることさえ出来たら、簡単に狩れるようになった。
ただキメラを殺すためだけに生きはじめた元少年に対し、妻と実家は何度も説得をしてきた。生き残った娘はどうなる、死んだあの子もこんな父親を望んでいないなど、心からの言葉だったが、元少年は聞かなかった。最終的には一方的に離婚を切り出したが、妻は同意せず、そのままとなった。
元少年は最後までキメラを憎み続け、最終的にはキメラを殺すための社会システムまで構築し、キメラそのものの排除を成功した、というところで物語は幕を閉じる。
これを読んだ時の×××の内面はいつも同じだ。
何度もキメラが殺されるのを想像し、キメラに殺された主人公の感情を感じ取る。それが×××の心を浮き出たせた。興奮も湧きたてられた。
だが本を閉じると、途端にそれらが冷めた。キメラに対しても、どこか他人事のように感じるようになる。それがよかった。
この生活を始めた当初、×××達はキメラとしての本能に押され、パートナーを食べたいという衝動にかられた。魔物は口に合わなかった。やはり、パートナーでないといけないが、パートナーを食べるのは、人を殺すことに繋がり、殺人ともなれば警察が動き出す。逃亡生活を送る×××としては、それはできるだけ避けたかった。
仕方なく餓えを我慢していたのだが、今度はパートナーが擬態を維持できなくなった。生まれたときの姿とは違うのだが、明らかにキメラであるその姿は、生活を送るのに余りに適していない。
どうしようか、と考えているときに、この本を読んだ。
すると不思議なことに、食欲が消えた。全くない、というわけではないのだが、それでも薄れていった。それはパートナーにも影響し、擬態も随分安定するようになった。
そうしてこの本は、必需品となった。
なぜそうなるかは、わからない。分析もしない。小説を読むとき、×××は作者の意図や技術を見定めようとは思わない。ただ自分が読み終えてどう思ったか、それだけを大切にするようにしている。重要なのは、自分がどう感じたか、それだけだと思っているのだ。
物語は終盤にさしかかった。
元少年はいつもどおりキメラを追い詰めた。このあたりになると、元少年が直接キメラに手を下すことは減っていたが、元少年は定期的に現場に出ていた。それはキメラへの殺意を維持するためだ、と元少年は考えていた。
追い詰めたキメラに、元少年は剣を突きつけた。
適当に切り刻み、再生するキメラを見て、なかなかの大物だな、と思っていると、そのキメラの使い手が出てきた。そのキメラは魔物ではなく、パートナーだったようだ。
それでも構わずキメラに向かって剣を振り下ろしていると、キメラ使いの顔のあざに気付いた。
それは息子を殺したキメラ使いにも、あったものだ。
元少年は、お前が息子を殺したのか、と尋ねた。
キメラ使いは頷いた後、語りだした。
自分の親もキメラ使いだったが、周りの迫害に耐えつつも、時折魔物を食うだけで穏やかに過ごしていた。しかしそこにお前がやってきて、強引に犯罪をでっちあげ、両親を殺した。だから自分はお前の息子を殺したのだ、と。
その間も元少年は手を止めなかった。冷たく、ただ作業を繰り返した。
序々に弱っていき、息も絶え絶えになったキメラ使いは、醜悪な笑みを浮かべて言った。
お前も俺と同じだ。ただの復讐者だ。そこに正義はなく、自分が拒否したものを殺すだけの、殺人者だと。
次でキメラは死ぬと、これまでの経験からわかった元少年は、冷酷に告げた。
だから何だ、と。
そこまで読んだ時、不意に玄関から戸が叩かれる音がした。
「□□□さん、いますか?」
見知らぬ声だった。若い男のようだが、それ以上の要件を言わなかった。キメラが寝そべりながらも、耳をたてて警戒しているのを横目に、注意しながら玄関に出た。
木製の古びたドアを開けると、意外な顔があった。
「やっぱり、×××だったか。ずっと探してたよ」
ひどく驚いた。まさかの人物だったのだ。五年を経ても、あまり顔が変わっていない。
「○○○君………」
パートナーが生まれた時に一緒にいた、竜使いだった。
改稿したもの投稿中の身でなんですが、iの世界という作品も投稿し始めました。
よかったらどうぞ。