3-6 花火
突然宿直室のドアが開けられた。
音にびっくりして視線を向けると、副担の雨竜がいた。脇には大きめのバッグを抱えていた。そういえば、雨竜もこの部屋に泊まるのだ。なんで忘れていたのか、自分でも馬鹿らしい。
瞳だけ動かして部屋を見渡すと、雨竜は歩達を睨んできた。
「お前ら、外出たな」
それまでの喧噪が嘘のように静まった。蛇に睨まれた蛙のように、歩は一瞬で身体を強張らせた。みゆきや唯も同じだろう。
雨竜はバッグを持ってないほうの手を頭にやりながら、ため息混じりに言った。
「お前らさ、色々た」
「まあまあそんなこと言うなって」
雨竜の言葉を遮ったのは、酔ってやけに若い口調になった馬鹿。
アーサーだ。
「そんな堅いこと言うなよ。お前も内心上司には色々あるんだろ? まあまず一献」
「いや、お前な、そんな」
「俺の酒が飲めんと言うのか? ほらほらこぼれるぞ」
雨竜向かってふらふらと飛んで行く。泥酔しているのは、口調が変わる癖が出ていることから見て確実だ。両腕で先程まで使っていたものとは別のグラスを掴み、今にもこぼしそうになっている。アーサー自体も右に左にゆらゆらと揺れて、いつ墜落するかわかったものではない。
それは雨竜も同じだったようで、慌てて両手を前に差し出し、アーサーを受け止めた。
「お、これはすまんな。お礼に一杯」
「いや、おま……」
「飲めないわけではないだろう?」
「いや、飲めるけど、そういう問題じゃ……」
「飲めるのか? ならいいではないか」
「いやな、な」
「いいから飲めやー!」
再度ぱっと飛びあがり、雨竜の口元に強引に注ぎ込んだ。
ウィスキーが雨竜の口の中に一気になだれ込むのが見えた。アーサーはウィスキーをストレートで飲んでいた。ウィスキーのアルコール濃度は高い。その上雨竜の性格を考えると、歩達を放ってご飯を食べてきたというのも考えにくい。
つまり雨竜は空きっ腹に酒を注ぎこまれたことになる。
当然、むせる。
「げほ! げほ!」
むせる間に、アーサーは雨竜が落したバッグにゆるりと目をやった。挙動が完全に酔っ払いになっている。
雨竜を放置してそちらに飛び乗ると、じりりとファスナーを開けた。
中身を見て、にへっと破顔した。
「なんだ、雨竜も遊ぶ気だったんじゃないか。ほら、お前らも見てみ」
バッグを横に倒し、歩達に中身を見せてくる。
そこには大量の花火があった。線香花火だけのようだが、バッグ一杯に積みこまれている。おそらく、歩達のためのものだろう。雨竜は本当にいい教師なのだと思った。
慌てて水を持って行こうとすると、アーサーが歩をじっと見てきているのに気付いた。酔っているはずなのに、妙に目が鋭い。酔っていないのだろうか。
そこでア―サーの意図にはっと気付いた。急いで雨竜に近付いていった。
「ほら~。雨竜お前も飯食え。上手いぞ~」
「すみません、うちの馬鹿竜が。どうぞ水です」
「ゴホッ。ありがと……だが」
「それにありがとうございます! 俺達のこと思って持ってきてくれたんですね! ほんとう雨竜先生は最高です! お返しといってはなんですけど、俺達の作った飯も食ってください! 旨いですよ!」
まだ少しむせている雨竜の腕を掴み、強引にちゃぶ台の前に連れていく。ちゃぶ台を囲む四方向の内、唯一空いている席に座らせた。
そこにみゆきが新たな椀をすっと差し出した。
「ほらほら雨竜、飯冷めちゃうぞ~ 飯を大事にしないのは、教師として、子供を導く者として、足らないところがあるとは思わないか?」
「先生、どうぞ。花火のお返しといってはなんですが、味わってください」
「いまならアーサーの買ってきた酒もありますから。先生が折角買ってきた花火もまず腹を満たしてからです! 花火も後で一緒にしましょうよ!」
「……お前ら後で覚えとけよ」
雨竜は仕方なく椀を受け取った。すかさずみゆきがポン酢の入った器を滑らせ、雨竜の正面にくるように置く。歩は新しいグラスを置き、そこにアーサーがそこにウィスキーを注ぐ。イレイネが腕を伸ばして箸を渡した。四者息の揃った連携プレー。
困惑する唯をよそに、雨竜は差し出された椀の中身をすくい口に入れた。
「クソっ、マジでうめえ」
「ほらほら、酒も飲めや。濃くて飲めないっていうなら、水で薄めてくるぞ?」
「そのままでいい」
雨竜は黙々と食べ始めた。
歩はほっと一息をついた。ひとまず、いますぐ説教というのはなくなっただろう。うまく槍過ごせたか。
唯は一人展開についていけなかったようだが、雨竜がフォローを入れた。
「……平、もう怒鳴る気は失せたから大丈夫。お前らが腹立つのはわかるし、花火も持ってきたし、私がいうことじゃねえから。明日、中村先生に怒られて、それでチャラだ」
雨竜がウィスキーで唇を湿らせた後、見回して言った。
「お前らもう飯はいいのか?」
「あ、はい」
「なら折角だから花火してこい。教室棟と囲われた場所なら、外部からは見えないだろ。あんまはしゃぐなよ。一応、こんなとこで竜殺しはおそって来ないと思うが、気を配っとけ」
「はい! ありがとうございます!」
「アーサー、お前は残れよ。酒も残ってるし」
「当然。やっと飲み相手ができたのにうせる道理はない」
「あんま早く潰れんなよ」
雨竜は黙々と食べ始めた。
歩は雨竜に向かって軽く頭を下げた後、雨竜のカバンを掴むと、まだ少し固まっている唯に向かって言った。
「ほら、先生もそう言ってることだし。花火しようぜ。キヨモリ! お前も行くぞ!」
みゆきが唯の腕を掴んで、一緒に行くよ、と笑顔で引っ張りはじめる。それを見てようやく状況がつかめた唯は、雨竜に向かって軽く一礼した後、キヨモリに声をかけた。
「キヨモリ!外出るよ!」
まず歩が外に出て、みゆき、連れられて唯、その後ろをそっとイレイネ、そしてのっしのっしとキヨモリが続いた。
廊下に出ると、すぐそばの出口から外に出て内庭に出た。ベンチや木がまばらに配置されており、規模は小さいながら中央は砂場の遊歩道を作っている。昼飯のときなど、ちょくちょく拝借している場所だ。キヨモリが自由に動くには物足りないが、羽を伸ばす位はできる位の広さがあった。
草の生えていない砂地のところにいき、雨竜のカバンを下ろした。中腰になりカバンの中を探ると、ろうそくとマッチが見つかった。用意がいい。
「ほら、選んどいて」
「唯、どれがいい?」
みゆきにカバンを渡すと、二人で中をごそごそと当たりだした。その間に歩はろうそくに火をつけ、平らな地面にろうを垂らし、そこにろうそくを立てた。それほど強度があるわけではないが、風もそんなに強くないので十分だろう。
ろうそくが安定したのを確認し、みゆき達の方を向くと、二人とも選び終えていた。唯は赤と黄色のもの。みゆきは緑と青で、イレイネに淡い青色のものを渡していた。
歩も近付き、花火を選ぶ。一番上にあった、銀色のものを選んだ。
「キヨモリ、どれがいい?」
唯がキヨモリに向かって尋ねた。身をかがめ、カバンの中をのっそりと覗くキヨモリ。
人間でいう人差し指の爪で、緑一色のものを指した。
唯がそれとつかんだところで、皆ろうそくの回りに移動する。
四方から伸びた花火の先がろうそくの炎に差し向けられた。
ちりちりと焦げる匂いが辺りを漂い始め、唐突に火花が散りだした。
「はい、キヨモリ」
キヨモリは向けられた花火を口の一番先で掴んだ。本当に器用な竜だ。
色とりどりの火花がその場を満たす。
赤、青緑、銀。淡い青、そして緑。火花は一転に集うように向けられ、中心部では色の氾濫を巻き起こしている。季節は違うが、それでも十分に美しい代物だ。
花火の光は、女性陣を淡く映し出してもいた。
唯は桃のような赤っぽい色で柔らかく、みゆきは青緑で綺麗に、イレイネは青空のもと澄んだ海のような色に。歩が思わず息を飲んでしまうほど、眩い光景だった。
それもすぐに終わった。
線香花火の先がぽつり、と地面に落ちた。同時に皆を照らし出していた光も消え、闇と戻る。花火の残光が目に残り、余計暗く感じた。火薬の匂いがぷーんと臭う。
「次行こう! 次は三本まとめていくよ!」
唯が一気にはしゃぎ始めた。カバンの中に手を突っ込み、何本か適当につかんで、一気にろうそくに差し出した。
再び火花が散り始める。三種類の色が混じり合い、なんとも形容しがたい色で、それでも綺麗にはちきれていく。唯の楽しそうに両目を広げる顔が、なんとも可愛らしい
「グルルルル」
いきなりの唸り声はキヨモリだった。自分のことを忘れるな、と言いたいのだろうが、巨躯に似合わぬ可愛らしい反応だ。威圧感すら漂う竜のそんな姿に、大笑いしてしまった。
「わかったわかった。ほら今度は五本一気にね」
唯が今度は五本持ち出した。キヨモリにはその位の大きさが丁度いいのかもしれない。
それから、花火は加速度的に消費され、その度に歩達は笑った。